第18話 トロイカの香り~二人の記憶を添えて~

「......宿舎の屋上は初めてだな」


 昼食を終えた後、屋上へ出る扉の前まで来たエレーナがそう呟く。エミリヤの様子がおかしかったので、心当たりのある場所と、心当たりのある人物に確認をしに来たのだ。

 彼女は隊長である為、洗濯は個人的な物以外は皆がやってくれていた。その為、屋上に上がることのない彼女は、まるで初めて校舎の屋上に上がる学生のようなドキドキを胸に抱き、ドアノブへと手を掛ける。


「おお、中々見晴らしが良かったんだな。SAM陣地がよく見える......」


 ふと平原の方を見てみると小高い丘の上に移設したSA-2Eが目に入る。この時間帯は1班が模擬演習に明け暮れているはずだ。

 屋上に目を移すと、ベンチから足が出ているのが見える。どうやらアンジェラが寝っ転がって足を組んでいるらしい。靴紐がやたらと多い軍靴の凸凹とした靴底がハッキリと見える。


「やあ、アンジェラ。邪魔していいか?」

「......ん? 隊長がここに来るなんて珍しい事もあるもんだ......」


 エレーナはベンチへと歩いていくとアンジェラが体を起こし、背筋を伸ばしながら首をコキコキと鳴らしている。その隣にエレーナが腰かけた。


「いや何、私も日光浴がしたくなったんだ」

「......そうですかい......」


 そう言いながらアンジェラがポケットから煙草を取り出す。開けたばかりのラッキーストライクのソフトパッケージを指でトントン、と叩くと口からタバコが3本頭を出した。その内一本を指で摘み引き抜いて口に咥える。


「なあ? 私にも一本くれないか?」

「え? 隊長吸うの? そんな所見たこともねぇぞ?」

「まぁな、キルギスに来る前はスパスパ吸っていたぞ。ソ連時代に私が居た部隊の喫煙率は100%だったからな」


 アンジェラは驚きながらも、タバコを出そうと再びパッケージを指で叩くと不意にエレーナに阻止される。


「それじゃない。私が吸いたいのはトロイカの方だ」

「......何で私が持っているのを知ってるんだよ......トロイカは中々売ってないんだぞ......」


 エレーナに見抜かれたアンジェラはラッキーストライクをズボンのポケットにしまい、ジャケットのポケットからトロイカ(ロシアの煙草の銘柄)を取り出す。ボックスパッケージの蓋を開け、残り数本の煙草の中から1本をエレーナに手渡した。


「うむ、ありがとうアンジェラ」

「へいへい、こりゃ高くつきますぜ......」

「う~ん懐かしい香りだ......ソ連時代の部隊に配給されていたタバコがトロイカでな、こいつは酷く祖国を思い出させてくれる......」

「成るほど......匂いで私がトロイカを吸ってるって気づいたのか?」

「そうだ。お前とすれ違う度に、懐かしい香りが漂ってきて吸いたくなったものだ」

「......普段は吸わないのか?」

「レイラが嫌がってな。あいつもキルギスに来てから禁煙した癖に、私が煙草を吸うと『臭い』だの『紅茶が台無しになる』だの言ってな。理不尽だとは思わないか?」

「......やべぇ、容易に想像できるわ......『それは毒よ』とか言いそうだもんなぁ......」

「よく分かっているじゃないか」


 若干意気投合しながらお互いに火を取り出す。エレーナは金ぴかのガスライターを取り出した。アンジェラの方はマッチを取り出すと、手際よく擦って火をつける。

 エレーナはその様子をタバコに火をつけながら観察し、右の胸ポケットから携帯灰皿を取り出すと、シャコッとスライドしてアンジェラに差し出す。


「おっ。あざーす」

「うむ。しかし美味いな......久々に吸ったからクラクラするが、懐かしい味だ......」

「そうだなぁ......これを吸ってると祖国のことばかり思い出しやがる......だけど恋しくなってまた吸っちまうんだよなぁ......」

「あぁ。それはよくわかるぞアンジェラ。最近私にも祖国を思い出す品ができてな。ここの所そればかり見ている気がするよ......」


 煙草を吹かしながら懐かしい記憶に思いを寄せる二人。似ても似つかない二人だが、煙草を吹かす様は良く似ていた。


「......なぁ、隊長?」

「何だ?」

「......私の過去も知ってたりしないか?」

「......いや、知らないな。私が知っているのはキルギス国家軍事士官学校時代のお前だけだ。あとは、キーラを拾ってきた事位か? その時何があったかまでは知らん」

「......そうか......」

「何だ? 聞いて欲しいのか?」

「......そうだなぁ......話したくなる時もあるったぁあるが......聞かれないし、喋ろうとも思わなかったしなぁ......」

「ほう。では私に話してくれるか?」

「......ニーナとキーラには黙っててくれよ?」

「いいぞ。話してみるといい」

「......つまらねぇ話だ。聞いても面白くも何ともないぜ?」

「いいからそのつまらない話を私に聞かせてくれ」

「......わかったよ。......私が17の頃の話だ」


 アンジェラがベンチに置かれたエレーナの携帯灰皿に灰をトントン、と落とし、再び口に咥えながら話し始める。


「あんときはまだ軍人ではなくてな、スモレンスクで生まれ育った私の家は裕福でもなく明日の飯に困る訳でもない平凡なものだった......」

「ほうほう」

「......だけどある理由で私は家を飛び出し、逃げるようにモスクワに出稼ぎに出たんだ。だけど、どこもかしこも金がなくてよ......仕事は簡単に見つかったが給料は酷いもんでな。何回かに一回は給料が貰えなかったんだ......そんで食うのに困って盗みを働いて生活してきた......」

「......ふむ」

「次第に私はやさぐれちまって今の感じになってな。酒もその頃から浴びるように飲むようになった。酒がないと眠れなくてよ、毎日酒瓶を抱いて寝たもんだ」

「それがきっかけだったのか」

「そんなある日、飲みすぎて道端に突っ伏してたらやべぇ奴らに捕まってな。罪状は"飲みすぎ"だった」

「......ああ、"酔っ払い収容施設"に送られたのか」

「そうだ。そこのカウンセラーの婆さんが鬼畜のくそ野郎で、引きずられて運ばれてきた私の口に、アンモニアが染み込んだ布を突っ込んできやがった。あの時はマジで死ぬかと思った。内臓が口から出るんじゃないかって位、吐いて吐いて吐きまくった......」

「施設の噂はよく耳にした......酷い時には死人も出たそうだな」

「ありゃ酔っ払いにやったら普通は死ぬぞ? 私は普段から鍛えていたから割とすぐ復活したんだけどよ、出るときに問題が起きた。知ってるか? あのシェルターって有料なんだぜ? 勝手に運びこまれるのによぉ」

「そうなのか? いくら位だ?」

「1日40ルーブル」

「平均月収の5分の1じゃないか......」

「最低賃金の私は月70ルーブルだった。当然そんな額払える訳もなく、私はそのまま収容所ラーゲリ送りだ。そこで半年間、鉱山で強制労働に明け暮れた。食事が酷くてな、歯が折れちまうくらいに固い黒パンに、半分腐った生の野菜に腐った魚......まだ白樺の皮をかじっていたほうがマシな位だった」

「それは酷いな......」

「だが何故か煙草は一日5本キッチリ支給されてよ、それがまた美味くてな」

「......それがトロイカこれか?」

「そうだ。あの味が忘れられなくて今でも時々吸いたくなるんだ......そしてあの時の事を思い出して胸糞悪くなる......」

「何やら複雑な思い出だな......」

「だがよ、それもまた私の人生なんだと思ってる。くそったれな収容所生活でも、最後には希望の方から迎えに来てくれたんだ」

「希望?」

「あるオッサンが来てな、『命が惜しくなくて体が丈夫な女性を一人探している』って言いやがったんだよ。私は必至でその希望にしがみ付いたんだ。そして私は選ばれた」

「選ばれた? 何に?」

「......それはまた何時か話すよ。もう話し疲れた......」

「......そうか。わかった。また聞かせてくれよ」

「おうよ」


 話を終え、二人同じタイミングで煙草を吸おうとすると、すでに燃え尽きているのに気が付く。


「ありゃ、勿体ねぇことしたな......」

「......だが私は満足したよ......」

「......そりゃよかった。私の貴重なたばこを持って行ったんだ、満足してもらえないと困りますぜ」

「ふむ、では早速お礼をするとしよう。頭を貸せ」


 するとエレーナがポンポンと自分の太ももを叩いている。


「......は? おいおい、膝枕なんて喜ぶのは他の連中だけだぞ?」

「いいから、ほら」

「お、おぉぉ......」


 無理やり首を掴まれて引っ張られ、戸惑いながらもアンジェラはエレーナに膝枕をされる。その太ももは柔らかくも、しっかりとした筋肉がついており、頼もしく頭を支えてくる。


「実はな、ツァーリボンバもびっくりな秘密兵器を持ってきたんだ」

「......なんじゃそりゃ」


 エレーナは胸ポケットから耳かきを取り出した。彼女の言う秘密兵器とは、耳かきのことらしい。竹のようなもので出来たそれは、頭にポンポンがついていてとても触り心地がよさそうだ。


「こいつで耳かきをしてやろう」

「え......普通に怖えぇんだけど......」

「安心しろ。鼓膜を破ったのは一度だけだ」

「......撤退の許可をくれ......」

「却下する。それに屋上の扉を溶接しておいた」

「そんなソ連の戦車乗りじゃあるめーに......」

「何、ちょっとした冗談だ」


 冗談を話しながら、おもむろにアンジェラの耳の中に耳かきを入れる。するとアンジェラがむず痒そうに情けない声を上げる。


「......おほほぉ、これはなかなかくすぐってぇな」

「時機に気持ちよくなってくる。いいから我慢していろ......」

「ぉぉお。.....おほぉっ」

「ふむ、なかなか溜まっているぞ? ちゃんと自分でやっているのか?」

「や......やってな......んひっ!」

「全く、情けない声を出しやがって......まだ入り口だぞ......余程敏感なのだな」

「そりゃ、今まで他人に耳かきなんか......うひっひっ!」

「こら、あまり動くと怪我するぞ?」

「でもよぉ......いてっ!」

「ほら、言わんこっちゃない......」

「私の鼓膜は無事か......?」

「駄目かもしれないな」

「まじでっ!?」

「冗談だ」

「......勘弁してくれよ」


 それからしばらく情けない声をあげながらアンジェラはなされるがまま耳かきをされていた。エレーナは耳かきを携帯灰皿にコンコン、と叩きながら黙々と耳掃除をしていく。


「おぉ......だんだん気持ちよくなってきた......」

「そうだろう? 私の耳かきは上手いとレイラに評判なんだ。よし、次は反対だ」

「お、ちょっとまってろ......」

「ん」


 身を捩りながらアンジェラがエレーナの体のほうを向く。目の前に戦闘服の白いデジタル迷彩が広がる。3色のドットが不規則に入り乱れ、独特の柄を創り出している。それを見て、私達は軍人だと再び思い出される。


「なぁ、隊長さんよぉ」

「何だ?」

「私達って何時まで一緒にいられると思う?」

「......さぁな。だが編成はしばらく変わらない筈だ」

「......そっか......でもよ、もし仮にだ、私達の誰かが欠けちまったらどうなっちまうんだろうな......今まで通り楽しくやっていけるか?」

「......私には分からん......だがな、これだけは言っておくぞ」

「......ん?」

「私は何があってもお前らを守ってやる。例え祖国を敵に回してでも、だ」

「......そうですかい......でも案外その時は近いかもしれやせんぜ......?」

「それは女の感って奴か? ......よし、耳かきはこれで終わりだ」

「おっ、ありがと。すっげー気持ちよかった」

「うむ、楽しんでもらえて何よりだ」

「......なぁ、少しこのまま横になっててもいいか?」

「ん? いいぞ」

「......なんかこうしていると妙に落ち着くんだ......」

「そうか。では思う存分横になってるといい」

「そうさせてもらうぜ......」


 結局それから二人は小一時間程膝枕をしたままであった。


 ……


 …………


 ………………


「......ん......? あれ? いつの間にか寝ていたのか......」


 エレーナが目を覚ますと、辺りは夕暮れが近づいており、少し肌寒くなってきていた。どうやら暖かい陽気に当てられ、膝枕をしたまま眠ってしまったらしい。

 アンジェラの姿は既になく、干されたシーツも既に取り込まれていた。と言うことはエミリヤも来たようだ。気を使って起こさず立ち去ったのだろう。 


「ふわぁ~......あ?」


 背筋を伸ばして欠伸をすると、胸に違和感を覚えた。よくよく胸元を見てみると、胸ポケットに何か箱が入っている。


「これは......トロイカじゃないか......」


 ポケットから取り出してみると先ほどアンジェラと吸っていたトロイカだった。蓋を開けてみると残り3本しか残っていない。


「......全く、これでは借りができてしまうではないか」


 少しの笑みを浮かべながら煙草を眺めていると、慌ただしく屋上の扉が開かれた。


「エレーナ!! ここに居たのね......!」


 飛び出してきたのはレイラだった。彼女にしては珍しく、息を上げて汗を垂らしている。どうもただ事ではないらしい。


「レイラ? どうしたんだそんなに慌てて......」

「大変よ! ニーナが......ニーナが攫われたわ......!」

「......は?」



――――――――――――――Σ>三二二二>



 *今日の解説はエレーナが緊急会議中なので次回までお待ちください*

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