第21話 硝煙の香り~9×21mm弾を込めて~③

「ここか......」


 エレーナはマスターから道を聞いてパンフィロフスキー茶園へと到着した。道中混んでいた事もあり、到着はニーナが誘拐されてから1時間以上経過していた。


「......用心に越したことはないな」


 エレーナはSR-1のスライドを引き初弾を込め、衝撃で発砲しないようハンマーだけ戻した。弾倉を引き抜き残弾を確認すると、17の所まで弾がある。戦闘服のジャケットをズボンから引っ張り出し、拳銃を背中側に刺しジャケットで隠した。肌着越しに冷たい拳銃の感触が伝わってくる。車から降りて周りを見渡すと大きな家と納屋が二つ。そして小さな物置小屋がある。


「さて、ここで叫ぶのは下策か......しかし......」


 本当は隠密行動をした方が良いのかもしれない。ニーナの危険を考えると自分の存在を知らしめるのは得策ではないだろう。だがエレーナは最早待てなかった。


「ニーナ! 何処だ! 助けに来たぞ!!」


 エレーナは力いっぱい叫んだ。すると微かに物置から声が聞こえた。


「! 今行くぞ!!」


 扉は南京錠で施錠されており、中からは開かないようになっていた。


「ニーナ! ここに居るのか!?」

「隊長!! ここです......」

「よし、今開けるぞ!!」


 そう言うと一旦下がり、思いっきり扉を蹴りつけた。すると古く錆びついていた取っ手が吹っ飛び、そのまま開いた。積雪対策で内開きになっていた為、外から蹴破るには容易かった。


「ニーナ! 無事か!?」

「隊長! 無事です......まだ何もされていません......」

「よかった......心配したんだぞ!」

「......! 後ろ!」

「何......っ!」


 ニーナに言われて振り向いたが、背後には男が迫っており、右腕を掴まれてしまった。そのまま捻りを加えられ胸に強く押し付けられる。


(くっ......こいつどう押さえつければいいか知ってやがる......!)


 抵抗して蹴り上げようとしたが、そのままグイグイと後ろに押され続け、転倒するギリギリで壁に背をぶつけた。その時不用意に左腕を出してしまい、壁と背中に挟まれてしまった。


「がはっ......ぐっ!」

「隊長っ!」


 衝撃で左腕のギプスが割れ、腕に鈍い痛みが走る。治りかけていた骨が悲鳴を上げ、割れた石膏が腕に食い込んでいる。


「これはこれは。隊長自ら救出ですかな?」

「......くそっ離せ......! こんな事をして、ただで済むと思うなよ!!」

「こんな事? 俺はただ単に嫁探しをしているだけだぞ?」

「......この人間のクズが......っ!!」

「おや、その言い分だとキルギス人の男は大半が屑になるな」

「......! ふざけた事を言うな......! 私たちはお前らを守ってやってるんだぞ......!」

「嫌ぁっ!! 止めて! 隊長を離して!!」


 何とか反撃できないかと足をあがこうとするが、足を動かせば体がずり下がる。何とか踏ん張ってはいるが、足ではどうにもできなさそうだ。右腕はしっかりと押さえつけられ胸部を圧迫している。だが左腕は動きそうだ。力を入れると激痛が走るが、指は動く。


「守ってくれなんて頼んだ覚えはない。それどころかお前ら元ソ連兵はいつも飲んだくれて女子供を犯して回っていたではないか? そんな奴らに悪だと言われる筋合いはないな。お前らと違ってこっちは大義名分引っ提げてるんだ。文句は言わせねぇよ?」

「っ! お前ぇ......私を一緒にするな!」


 痛みに耐え、何とか拳銃に指が届きハンマーを指で起こすと、何とか半分起こせた。SR-1であれば、半分起こせればダブルアクションモードで撃てる。安全装置もトリガーと一体化している為、後は引き金を引くだけだ。


「何が違う? 女だからってその罪から逃れられると思うなよ? お前らは度々キルギス人から略奪したんだ。その罪を償うべきだろ?」

「だから私をあんな屑共と一緒にするなと言っている!!」


 激痛が走る左腕を背中と壁の間に押し込み、やっとの思いでグリップを握った。だがギプスが邪魔をして引き抜けない。


「おいおい、キルギス人になったつもりか? 都合のいいことを言うじゃないか。所詮ソ連軍人は国籍が変わったってソ連軍人なんだよ!」

「ぐっ......!」

「......嫌ぁっ! 私はどうなってもいいから隊長を離してっ......!」


 男は右腕で押さえつけながら左腕で喉を締め付け始めた。喉に指が食い込み全力で締め付けられ息が碌に出来ず、血も止まってしまった。

 必死で銃を引き抜こうとするがやはりギプスが邪魔で引き抜けない。


「往生しやがれ。お前の亡骸は有効活用してやるから安心しな。動かなくなったら部下の目の前でたっぷりと犯してやるから覚悟しろよ?」

「うぐっ! く......そ......っ!」

「止めてぇ!! 隊長が死んじゃう! お願いだから止めてぇ!!」


 顔が真っ赤になりだんだん動きが鈍くなる。もう限界が近いようだ。エレーナは腕を引き抜くのを止め、その指をトリガーへと掛けた。


《パンッ!》


 次の瞬間男の押さえ付けが少し緩み、目線が泳いだ。その隙を逃さず全身で踏ん張り背中に隙間を作り左腕を引き抜くと、男の腹部に銃を押し付けた。


「うぉっ!!」

「うああああああぁぁぁぁぁ!!!」


《パンパンパンパンッ!》


 続け様に四回の銃声が鳴り響く。重い反動が腕に伝わり、鈍い痛みが左腕を襲う。撃つ度にミシミシと骨が悲鳴を上げ、もはやグリップを握っているのがやっとだ。


「ハァッ......! ハァッ......! ハァッ......!」

「......」


 男は銃を突き付けられ咄嗟に後ろに倒れこみ、間一髪で銃弾を回避していたが、腰を抜かしたようでピクピクと動いている。放たれた銃弾が背後の木箱を貫き、硝煙の香りが倉庫の中に立ち込める。

 エレーナは銃を両手で握り直し、再び男の眉間を狙う。


「......撃ち殺したつもりだったが運の良い奴だ......! 残りの弾は全部お前にくれてやるから覚悟しろ......!」

「......ひっ! た、助けてくれ......! さっきのは冗談だ......! ホントに俺は嫁を探していただけなんだ! 信じてくれよ!!」

「......私を犯すんじゃなかったのか?」

「あれは勢いで言っただけだ! 頼むから見逃してくれ!私には息子がいるんだ!」

「......女は一生涯尽くすんじゃなかったか?」

「......違う! これは言葉のあやだ! 前の女は結婚はしていなかったんだ!」

「......このくそ野郎が!!」


《パンッ!》


「......ヒッ......!!」

「......」


 6発目の銃弾は男顔の横に着弾し、男が情けない声を上げる。座り込む男を見下ろし、まるでゴミを見るような目で蔑む。


「......行け。10秒以内に視界から消えなければ撃ち殺す......」

「......ッ!」


 すると男は抜けた腰をかろうじて動かし、這いつくばるようにしながら物置から出て行った。


「......くそったれ......私たちはあんな奴らの為に命を懸けているのか......くそっ!」


 ぶつけようのない怒りを堪え、ニーナの方を見るとうつ伏せに倒れこみ泣きじゃくっている。エレーナはそっと近づき近くにあった鎌で縛ってある縄を切ってあげた。


「......すまない、ニーナ。怖い思いをさせた......」

「......隊長が......死んじゃうかと......思った......」

「......すまない......心配をかけた......」

「......うぅぅ......」


 泣きじゃくるニーナをそっと抱きしめる。頭を撫でて落ち着かせようとしていると、不意に後ろから銃声が聞こえた。


《タン!》


「......え?」


 驚きの声を上げ、様子を見に物置の外に出ると、そこにはニーナを襲った男が倒れている。そして、奥から歩んでくる人影が一人。


「よう、隊長」

「......アンジェラ!?」


 その人影はアンジェラだった。右手にはマカロフが握られていて、左手で煙草を咥えている。


「お前......殺したのか!?」

「......さぁ? 射撃は下手だから当たってねぇかもな」

「そもそも何故ここに居る!? 今までどこに行っていた!?」

「ん? いやなに、ずっとニーナをつけていたんだけどよ、どっかの諜報機関が攫ったのかと思って遠巻きに観察していたんだがな、まさか只の変態だったとはな......」


 そう言いながら男の事を足でひっくり返し所持品を弄っている。男はショックで気絶しているだけのようだ。


「......なぁ、隊長。悪いが私はニーナを連れて国を出るよ......」

「......は? 急に何を言い出すんだ......?」

「だってよ......さっき此奴の言葉を聞いていただろ? この国はくそったれだ。守ってやる価値もねぇだろ? それにこんな危険な国にニーナを置いてはおけねぇよ」

「......何故そこまでニーナに拘る? 一体お前らは何者なんだ?」

「......そうだな、最後になるかもしれないし言ってもいいか......」

「......?」

「私はな、軍人になる前はKGBカーゲーベーに居たんだよ......今は無くなっちまったがな......」

「......は?」


 衝撃の事実を告げられる。KGBは言わずと知れたSSSRの秘密警察だ。ソ連の消滅に伴い、その組織は1992年1月に解体され、ロシア連邦保安省になった筈だ。


「もっとも、只の鉄砲玉みてぇなもんだったからな、今では何の未練もねぇ」

「......それがニーナとどう関係しているんだ!?」

「そいつはな、ヨシフ・スターリンの孫なんだよ。そして私はその命を狙っていた」

「......何だと?」

「もっとも、結婚していない相手との子供だったらしいがな。その子供から生まれたのがニーナだ」

「......信じられない」

「だが真実だ。......今日隊長に話した事を覚えているか? 私は収容所時代にとある男に拾われたんだ。そいつがKGBでな、収容所から出た私は粗末な訓練を受けてKGBとして人を陰で殺してきた」

「......あの時"私は選ばれた"と言っていたのは、そういう事だったのか......」

「んで、命令を受けて当時ソ連領だったキルギスへ来たんだ。その時の任務がニーナとその家族の抹殺だった」

「抹殺......だと?」

「ああ。どうもビシュケクでクーデターを画策していたらしくてな、抹殺命令が出たんだ。そんで私はいつも通り家に侵入し、滞りなく家族をVSS狙撃銃ヴィントレスで射殺したんだけどよ、スコープ越しにニーナを見た瞬間、躊躇っちまったんだよ。ニーナはまだ年端もいかなくてな、箱入り娘過ぎて自分の親が死んだとも分からねぇで体を揺すり続けててな......その時初めて手が震えたよ......」

「......お前......ニーナの親を殺したのか......」

「......あぁ。何の躊躇いもなかった。収容所時代にも死体は腐る程見ていたし、とっくの前から人を殺していたし、それを仕事にしていた。だがそんな私を変えたのはニーナだった。顔を見た瞬間、私は例えようのない罪悪感に見舞われちまったんだ」

「......」

「それで何を考えていたのか私はニーナに接近した。そしたらな、あいつは私を見るなり抱き着いてきやがった。私が殺したのを知ってるのによ......そして泣きじゃくっていた......それを見た私は、何が何でもこいつを守ってやると心に誓っちまったんだよ......そんな資格なんて私には無いのにな......」

「それでニーナに固執しているのか......」

「ニーナは親の死体から離れようとしなかった。私は嫌がるニーナを無理やり引っ張って逃げ出したんだがよ、私の他に"監視役"が居てな。私がニーナを連れて家から出た時も容赦なく撃ってきやがったんだ。そいつから振り切る為に私はひたすらニーナの手を引いて走った......その後は監視役とKGBから逃れる為に山に潜んだり、街中で乞食をしてる内にソ連は崩壊しちまった。そして私はニーナを養うためにキルギスで仕事を探した。だがな、元ソ連人ってだけの理由で何処も雇ってくれず、仕事にはつけなかった。そんな時に軍の募集要項を目にしてよ、身元不詳でも良いっていうもんだから、もうコレしかないと思って志願したんだよ......」

「......そうだったのか」

「んでな、私は普通の兵士になるつもりだったんだが、ニーナが急に高射ミサイル連隊に入りたいって言いだしてな......理由を聞いたら"運命"とか言いだしてな......あんときは困ったよ。なんせ士官学校に行かないと高射ミサイル連隊に入れねぇからな......」

「......それって......」

「......まぁニーナがなぜそう言いだしたのかとかどうでもよかったし、ニーナが唯一話した"望み"だったんだ。それを私は何とか叶えてやりたくて連隊長に頼み込んだんだ。私には何も残されてなかったし怖いものなんてなかった。そして連隊本部に何回も通い詰めたんだよ。何とか入れてくれないかと毎日毎日通い詰めた。その結果、ある日とうとう連隊長が折れてくれてな、私とニーナは晴れて軍人になる事ができた」

「......それで士官学校に入学してきたのか」

「ああ。私はやっとニーナの望みを叶えてやる事ができた......あれ程嬉しいと思った事は今までなかったよ......私にはニーナが必要だ。あいつは私の生きる理由そのものなんだ。私達は家も捨てたし祖国からも逃げ出した。だから私は何があってもニーナを守る。その為だったらこの国だって捨てられる。仲間なんて惜しくもねぇ......だからニーナを連れて国を出る......」


 そう言いながら、アンジェラは男の傍からこちらに向かってゆっくりと歩きだした。手には相変わらずマカロフが握られている。


「......だが私が許さん。お前は今過ちを犯そうとしている。今お前がやろうとしている事は、そこに転がっている男と同じ事なんだぞ?」

「私は今まで最低な暮らしをしてきたんだ......全てを投げ捨てる覚悟なんてとうに決まっている......」

「無理だ。お前にそんな覚悟なんてない。ましてやもうソ連は存在しない。私達はここ以外に居場所なんてないんだ。それが分からないのか?」

「......ここに居場所なんてねぇよ」

「いや、ある! お前もわかっているはずだ。頼れる仲間が居るのを忘れたのか? お前もニーナもその仲間だ。仲間を守る為にも、私にはお前を止める義務がある」


 そう言うとエレーナは銃を構えた。数メートル程の距離でアンジェラは止まり、じっとエレーナを見つめている。


「......隊長には撃てねぇよ。その目は人を殺したことがない目だ......」

「......確かに私は殺したことはない。だが初めてとは覚悟を持って挑み、経験して失うものだ。今の私にはその覚悟がある。だから今、私はお前を撃てる」

「......仲間なんて最初から居なかったんだ。仲間なんてものは、お互いに認め合って初めて仲間といえるだろ? だが今は私はお前らを仲間だとは思っていない。だからもう仲間じゃない。ましてや銃口を向けてくる奴は仲間なんかじゃねぇ......」

「......本気で言っているのか?」

「ああ本気だぜ。言っただろ? 全てを捨てる覚悟があるってな......」

「だがニーナはどうだ? 仲間と離れ離れになれば彼女は悲しむ。せっかくお前が手に入れたニーナの幸せを無駄にしても良いのか?」

「......ニーナは受け入れてくれるさ......今までだってそうだった」

「違う! そこにニーナの意思はない! あるのはニーナを守りたいというお前の身勝手な考えだけだ!」

「お前に私の何がわかる!! 私の何を知っているっていうんだ!!」


 突然アンジェラが怒鳴りだした。今までになく怒りを露わにした表情にエレーナは少したじろいでしまう。


「私はな! 親父に犯されかけたんだぞ!? 子供の頃大好きだった親父が何の前触れもなく私を襲いやがったんだ!! 母さんが私を生んだ時に死んでから私を一人で育ててくれた大好きな親父だったんだ! それなのにある日突然私を裏切りやがった!! 私は必至で抵抗したよ! そして親父の持ってたこのマカロフで親父を撃ち殺した!! 親父の力は強くてどうしようもなかったんだ! それしか私にはできなかったんだ!!」

「なんだと......?」

「私は大好きだった大切な人をこの手で殺したんだ! ......殺しちまったんだ......」

「......」

「......仲間なんて大嫌いだ......どうせ私はまた裏切られる......働いていた時だってそうだ......ラーゲリでもそうだった......KGBでもだ......誰も私の事なんて本当は気にしちゃいないんだ......」

「......アンジェラ......」


 ギリギリと歯を食いしばり、カタカタと銃を震わせるアンジェラ。次の瞬間、アンジェラはエレーナに銃を向けた。


「......どうしても止めるってんなら私も打つぜ? 隊長さんよ......私は今まで沢山殺してきたんだ。お前と違って簡単に引き金を引けるんだぜ?」

「......では引いたらどうだ? その瞬間私もお前の眉間を打ち抜いてやる......」


 お互いに銃を向け合い沈黙が辺りを包んだ。アンジェラはピタッとエレーナの心臓に照準を合わせ、エレーナはアンジェラの眉間に照準を合わせているが呼吸に合わせて銃が上下して震えている。どうやらアドレナリンが切れて痛みで真面に狙いが付かないようだ。


 長い沈黙が続いた。お互いに目線を外さず、ひたすら銃を構えている。


 その時、にらみ合う二人に歩み寄る一人の姿があった。



―――硝煙の香り~9×21mm弾を込めて~④へと続く

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