第3章 少女は目が遠くなると心に近くなりて
第23話 悪夢の香り~エレーナの迷いを乗せて~
「連隊長、色々気を使って頂いてありがとうございました」
「ん? 私は何もしていないぞ?」
エレーナは軍病院に入院し、再び新しいギプスを装着してもらっていた。折れていた骨は軟骨程度の硬さに再生した位で、今回の格闘により再び骨が折れてしまっていたそうだ。事件当日から一夜明けたが、未だにズキズキと痛んでいる。
そんなエレーナの事を気遣い、これから数日は絶対安静の為入院しているよう見舞いも兼ねて連隊長直々に命令を伝えに来ていた。
「ですが、連隊長からの"借り物"が無ければ今頃私は死んでいたかもしれません」
「ふむ、それ程までに彼に追い詰められていたのか?」
「はい、正直素人とは思えない押さえつけ方でした......」
「そうか......彼もアラカチューは初めてではないそうだからな、人を押さえつけるのも慣れていたのだろう」
「......この国ではあのような行為が日常的に行われていると聞きました。彼のような男性は珍しくないのですか?」
「......まぁ、そうだな。珍しくない。寧ろ半分以上の結婚はあのような形で結婚を申し込むだろうな」
「......では連隊長も......?」
「いや、私もキルギス人ではあるがアラカチュー反対派でな。私は女性の人権を大事にしたいと考えている」
「......そうですか。安心しました」
「この国では女性の人権は軽視されている。特にお前らのような若い女性はな......」
「連隊長は何故、我々にこれほどまで良くして下さるのですか?」
「何、君たちを見ていると娘を思い出してな。守ってやりたくなった、とでも言っておこう」
「......娘、ですか......」
「私にも年頃の娘がいる。愛する我が子がもし強引に結婚を迫られたり、強姦されそうな環境に居たとしたら、助けるのは当たり前であろう?」
「......そうですね」
「この国は女性が幸せに暮すには厳しすぎる......何はともあれニーナ准尉が無事で何よりだ。所でエレーナ、軍に戻る気はあるかね?」
「......勿論あります。ですが、これらの不祥事を起こしたのは我々の部隊です。非武装の市民に銃を向ける等あってはならないことです。いかなる処分も覚悟しております......」
「何を言ってるんだ? 民間人が民間人を脅しただけではないか。軍は関係ない」
「......ですが、本当によろしいのですか? 国防省にも報告は上がっているのではないのですか?」
「何、国防省はこの事件があった事を揉み消そうとしているぐらいだ。只でさえ民衆からの不信感が強まっているのだ。反乱の火種を落とすのを恐れたのだろう。いざ問題になれば私が全責任を取る。だから君達が気にする事はない」
そういうテミルベックは笑顔を見せる。
「どうしてそこまで......」
「君達は仲が良いからね。バーのマスターの事はよく知っているだろう? 彼と私は同期であり、同志なのだよ。だから我々は君達を見守ろうと思っているんだ」
「そうだったのですか......だからマスターは連隊長の事を名前で呼んでいたのですね」
「それに君達は優秀な部下だ。この国には防空システムを指導出来る者は少ない。君達をいつか教官隊にするのが私の夢なのだよ」
「......教官隊ですか......考えた事も無かったですね」
「不服かね?」
「いえ、そういう訳では......しかし女が教官等と認められますか?」
「それは君達次第というものだ。さて、私は仕事があるのでな。これで失礼するよ。あと拳銃はレイラから無事預かっているから安心したまえ」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。それじゃ、今後ともよろしく、中尉」
エレーナがベッドの上で敬礼をすると、テミルベックは後ろ姿のまま手を挙げて病室を後にした。一人残されたエレーナはふと外を見ると、一面の青空が天高く広がっている。
「女性が暮らすには厳しい国、か......」
今回の一件でそれを痛感した。不思議と街中を歩いていても、そのような影のある様子等微塵も感じられない。人々は皆平和そうだし皆優しい人ばかりだ。女性達も子供を連れて楽しそうに公園を散歩していたりする。
「皆、何を考えて生活をしているのだろうか? ......私は皆の笑顔が好きだ。それを守りたい。だが、その笑顔の下にはどんな気持ちがあるのだろう? 本当の幸せを感じている人はどれだけいるのだろうか?」
キルギス人との交流の機会は少ない。ほぼほぼ基地の中から出ないエレーナはキルギスという国自体、あまり理解できていないようだった。
(成り行きでキルギスに来たが......私はここで何の為に戦っているのだろう? 仲間達の為? ならば他の国でもよかったのでは? 本当はアンジェラが言っている事は正しかったのではないだろうか?)
新しく装着されたギプスを見つめ改めて自分の意思を考えてみる。
「......この国の人達は私達の事をどう思っているのだろう?」
ニーナを襲った男は言っていた。元ソ連兵は女子供を襲い、略奪していたと。恨みを買っていてもおかしくはない。だが国を守っているのもそんな元ソ連軍の部隊から編入された元ソ連兵だ。群自体、民衆から不信感を持たれているのかもしれない。エレーナ達のような女性で構成される部隊は、特に異端の目で見られていてもおかしくはないだろう。
(......わからん。だが連隊長が目標をくれた。私達を教官隊にする事が連隊長の夢ならば、私はそれを達成する為に、ひたすら突き進むだけだ。ひたすら命令に従う。軍人とはかくあるべきなのだ......)
ズキンズキンと痛む腕の感覚が鼓動と連動して脈を打っている。
(......全く、私らしくもないことをした......規律第一で行動してきた私は、一体どこに行ってしまったのだろう)
いまいち自分の意思が分からないまま、エレーナは気を紛らわすようにベッドに横になってみた。
「......仲間を守る為......か......」
(だがそれを優先するなら皆を連れて国を出るべきなのだろう。SAM要員ならばどこの国でも重宝されるだろう。きっと居場所なんてどこにだってある......)
「......連隊長の夢を叶える為?」
(しかし私たちが居る事によって連隊長の立場が危うくなる事も考えられる。この騒ぎが表に出れば、連隊長は責任を取って軍人を辞めるだろう。そうなれば、足かせになっているのは我々だ......)
「......私は、なんの為に戦っているのだろう......?」
そう呟いたエレーナは、ゆっくりと目を閉じた。痛みで一晩眠れずにいた彼女は、複雑な思いを胸にしながら静かに眠りについた。
――――――――
『お願いします! 離してください! 同志大尉!!』
『エレーナ曹長、既に就寝時間は過ぎているはずだ。何故ここにいる?』
『タチアナ曹長を連れてその部屋で何をするおつもりですか!?』
『......こいつらには特別な任務がある。それを遂行するだけだ』
『......』
『ターシャ! お前は良いのか!? その部屋の中で何が行われているのか知っているのだろう!?』
『黙れ伍長! 貴様には就寝命令が下りたはずだ。それが守れなければそれなりの処分を下すが覚悟はできているのだろうな?』
『私はどうなっても構いません! ターシャを離していただきたい!』
『......ほう、では罰としてレイラ伍長をここへ連れてこい』
『......は?』
『自分はどうなっても良いのだろう? それでは罰にならない。彼女はお前のお気に入りなのだろう? だったらそいつに罰を与える事によってお前への罰としよう』
『......この屑野郎......!』
『おっと、それは上官への侮辱かね? なんなら訓練生全員纏めて罰を与えてやってもよいのだぞ?』
『......』
『......お前は兵舎に戻れ。これは命令だ』
『............はい』
『わかればよろしい。訓練生風情が、親が優秀だからと調子に乗るなよ?』
『......』
『......ぃゃ.......』
『......! ダメだ! ターシャ! 行くな!!』
『......』
『お前まで壊れてしまう! 行ってはダメだ! タニューシェニカ!!』
『ふん、じゃあな伍長。中々良い叫びだったぞ』
『......っ! ......クソっ!!』
その後、エレーナは重い足を引きずり兵舎へと戻る。1時間程してから、兵舎の4人部屋へとターシャは戻ってきた。ルームメイトのレイラとフェドーシャは既に寝ている。
『............』
『......ターシャ......すまない......』
『......いいの......ごめんなさいレーノチカ......私は......汚れてしまったわ......』
『......大丈夫だ......それでも私は仲間だ......何時でも傍にいるよ......』
『......うん......ありがとう。......少し......外の空気を吸ってくる......』
『......私も行くぞ』
『......一人にして頂戴......』
『......そうか』
『......じゃぁね......レーノチカ......』
『.........』
《タン!》
『......ターシャ......?』
部屋から出ると、そこには横たわりエレーナと同じ銀髪を赤く染めるミーリャの姿があった。手にはマカロフが握られていた。
『......おい、ターシャ......? 何をしているんだ......?』
返事はない。抱え上げてもピクリとも動かない。
『......おい.....返事をしろ......タニューシェニカ......』
抱え上げる手には生暖かい液体が伝ってくる。先程まで生きていたそれは暖かく、なぜ動かないのか理解に苦しむ程で......
――――――――
「......いっ......! く、寝返りで目が覚めたか......」
ふとエレーナが痛みで目を覚ました。外は暗くなり夜を迎えたようだ。個室の病室は消灯され、カーテンが閉じられている。看護師が閉めてくれたようだ。
「......くそっ......最悪の目覚めだ......」
頭が少し痛いようで、頭に右手を当てる。炎症からか少し火照っているようで汗が体を濡らしている。
「......ずいぶん懐かしい夢を見た......」
頬に触れると濡れているのに気が付く。どうやら寝ながら泣いていたようだ。
「......少し顔を洗ってくるか......」
そういってエレーナが立ち上がろうとすると、不意に右手に柔らかい感触があった。
「......ん?」
毛布をめくるとそこに居たのは......
「ソフィア......?」
――――――――――――――Σ>三二二二>
よくわかるSAM解説! 第12話「SA-2Eのレーダーについて」
「みなさん、はじめまして。今日の解説を務めるレイラよ」
「エレーナは腕の具合が悪化してしまって今は病院にいるわ。だから今日は私が解説を任されたの」
「エレーナは昔から無茶をして困ったものだわぁ」
「それじゃ解説を始めるわね」
「今日の解説は新しく増えたレーダーモードについてよ」
「今まで使ってきたSA-2Fには10cm波長のワイドビームが使われていたわ」
「このレーダーはSA-2Eにも引き続き搭載されていて今まで通り使用できるわ」
「これに加えてSA-2Eには6cm波長のナロービームアンテナが増えているの」
「このナロービームアンテナは仰角方向と方位方向用に2つ付いているわ」
「ナロービームレーダーの利点は、パラボラアンテナだからワイドビームと同じ出力でも3倍の電波強度で照射出来る事、追跡の精度が上がる事、目標を自動追跡できるようになることよ」
「欠点は照射範囲が7度しか無いからこのモードで目標を探すのは困難な事と、ナロービームレーダーだけではミサイルの誘導は難しいことよ」
「それじゃ、各モードについてみていくわね」
「SA-2Eには3つのレーダーモードがあるわ」
「1つはワイドビームモード。これは従来通りね。20度幅の10㎝波長ワイドビームレーダーを使い、レーダー波の送受信、ミサイルの信号受信をしているわ」
「追跡管制官はレーダースコープに表示される照準線に目標を合わせ続けることによって目標を追尾するわ。これは完全にマニュアルで追尾しているから大変なことなのよ?」
「2つ目はナロービームモードよ。ナロービームモードでは1.7度幅の6㎝波長ナロービームレーダーを使い目標を探知、追跡するわ」
「この1.7度幅のレーダービームを7度横方向に自動走査する事によって、7度幅の―を作り出すわ。これに縦に走査するもう一つのレーダーを追加して | を作って十字を作り出すの。後はワイドビームと同じで十字を目標に合わせるだけよ」
「このモードでは欠点があるわ。ナロービームアンテナではミサイルの信号の受信ができないの。これはレーダー幅が1.7度しかない為よ。レーダーがミサイル信号を見失ってしまう為ナロービームレーダーではミサイルの誘導ができないの」
「そこでワイドビームレーダーも同時に送受信しているわ」
「ミサイルの誘導は従来通りワイドビームレーダーが目標とミサイルを追跡し、ミサイルを操縦して誘導するの」
「つまり電算機は、ワイドビームレーダーの受信した情報だけを元に命中予定位置等を算出しているのよ」
「でもオペレーターの追跡はナロービームが行っているから誤差が生じるわ」
「ナロービームは1.7度幅のレーダーを7度幅で振って走査しているけど、ワイドビームは20度幅を瞬時に走査しているから誤差が生じてしまうの」
「そこで登場するのがLOROモードよ」
「LOROモードではナロービームレーダーで電波を送信し、ワイドビームレーダーで受信するわ」
「LOROモードではナロービームレーダーは走査せず1.7度幅で照射するの。これを従来のワイドビームレーダーで受信する事によって誤差を無くすというわけね」
「それに20度幅のワイドビームレーダーで受信するからミサイル信号を見失わずに済むわ」
「これによって目標を正確に追跡しつつ、ミサイルの誘導も正確になるのよ」
「欠点は1.7度で照射するから目標の走査には使えないことね」
「十字ではなく・で照射するから目標を探すのには使えないのよ」
「もしIADSが使えるのであれば、IADSの指示でレーダーを向けてナロービームモードで走査することができるわ」
「IADSがレーダーに映りこむ位置まで自動で回してくれるのよ。すると7度幅もあれば目標はすぐに表示されるわ」
「これには重要なメリットがあるのよ。次はそれを説明するわ」
「ナロービームレーダーはワイドビームレーダーの3倍の電波強度が出るわ」
「ここでステルスの話を思い出して欲しいの」
「そう、ステルス性のある目標は反射してくる電波強度が極端に小さいわ」
「だからワイドビームでは目標の追尾をするには電波出力が足りなくて捕捉が難しいのよ」
「ナロービームでは3倍の出力が出せるから、より長距離で探知できる、という訳」
「ただ、波長が少し短くなるから減衰しやすくなったり、ステルス機に吸収されたりして3倍とはいかないのだけれど、それでも長距離で捕捉できるわ」
「具体的に言うと戦闘機サイズの非ステルス機でワイドビームは80km、ナロービームで130kmで探知できるわ」
「これによってステルス機の対応できる距離が伸びて対応しやすくなるのよ」
「ちなみにナロービームアンテナから照射される細いレーダービームの事をペンシルビームと呼ぶわ」
「このビームは細いからロックオンしている目標にしか照射されないの」
「実はこれもARM対策になるわ」
「照射している目標以外には火器管制レーダーが照射されないのよ」
「もっとも、照射している目標がARMを持っていたら撃たれちゃうけどね」
「だけどミサイルを発射してからは意味が無いわ。ミサイルの誘導信号は広範囲に照射される上、自分のミサイルが受信できるように短波が使われているから、当然ARMもこれを探知できるわ」
「だから火器管制レーダーのレーダー波だけではなく指令誘導のミサイル誘導電波もARMに狙われるの」
「そこでIADS指示の目標に対しては20度幅のワイドビームを使用せずにナロービームで捕捉、その後すぐにLOROと切り替えることによって余計な電波を照射せずに目標を追尾できるのよ」
「最後に目標の自動追跡なのだけれども、これには色々な種類があるわ。SA-2Eでは仰角、方位それぞれのレーダー波がより反応が強い方向に移動するように、電算機が制御して追跡をしているの。この方式はコニキャルスキャニングではなく、あくまでもごく僅かにレーダーを横と縦に走査し、反射波の強い方に向けているだけよ」
「コニキャルスキャニングは一つのナロービームを円形状に走査して反応の強い方向にレーダーを向ける方式よ。自走対空機関砲のZSU-23 シルカやSA-5(S-200)等に搭載されているレーダーの追跡はこの方式を採用しているわ」
「何時かシルカの解説もしてみたいものね。私はシルカ好きよ? あの子かわいいんだもの」
「今日の解説はここまでよ。あまり話してしまうとエレーナの仕事を奪っちゃうものね。程々にしておくわ」
「次回の解説は"飛行機のミサイル警報と赤外線誘導ミサイルの強み"よ」
「それじゃ、私はこれで失礼するわぁ。いつかまた皆とまた会えるとうれしいわね」
「次回の解説はエレーナが帰ってくるといいわねぇ」
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