第11話 ラズベリージンジャーの香り~甘い香りを添えて~
「やっとここまで来れたな」
「そうね。もう買い物には行かないのかと思っていたわ」
「......そう怒るな。今日はレイラの為に時間を使うと約束したではないか」
「......一日よ。朝から夜まで。少しでも離れたら許さないわよ?」
「......
新しい配属が決まるまで休暇が与えられたエレーナとレイラはビシュケクパークのショッピングモール「ビシュケクパーク」へと来ていた。
休暇ということもあり、二人は私服を着ている。レイナは可愛らしいフリフリのダウンジャケットで身を包み、裾からは白いワイドパンツが覗いている。耳まで覆うモコモコのニット帽がこれまた愛嬌を際立たせ、とてもかわいい。
エレーナは白いトレンチコートに黒いタートルネックセーターと黒いスキニーパンツという組み合わせで、その髪の色を目立たなくしている。キリっとした顔立ちも相まってとてもスマートな外見だ。
ビシュケクパークはキルギスの首都であり、大きな都市だ。ショッピングモールやホテルが立ち並び、マナス国際空港からも近いため、毎年多くの観光客が訪れる。
その町並みは活気にあふれ、ソ連時代の名残でフルシチョフカと呼ばれるソ連式の建物が大通りに整然と立ち並び、中心部には近代的な大きなビルが両立する街だ。
「......あら~若い子が沢山いるわ。良いわね若いって。活力があるわ」
「何を年寄りみたいな事を言っている。キーラに馬鹿にされるぞ?」
「............」
「......すまない、私が悪かった。だからそんな怖い顔をするな」
「......分かればよろしい」
ビシュケクパークは教育機関も多い為学生も多く、ショッピングモールや娯楽施設には若者が溢れかえっている。また、国立オペラ・バレエ劇場やキルギス国立歴史博物館、キルギス国立美術館、ミハイル・フルンゼ博物館等が観光名所として都内にある為、チラホラ外国人も居るようだ。
「ねぇ、私映画が見たいわ」
「え、今日はティーカップを買いに来たのではないか?」
「............」
「う、わかったよ。行こう」
「......うん。行きましょうエレーナ」
「やれやれ、レイラには敵わないな」
今日は一日尻に敷かれそうだ、等と考えながら歩いていると、ギプスをしていない方の右手を不意に後ろから握られる。
「うぉっ!? ちょ、レイラ......どうしたんだ? 手なんか握って」
「ダメかしら?」
「いや、駄目ではないが......少し恥ずかしくないか?」
「そ~お? 私は恥ずかしくないわ。こうしているとまるで姉妹じゃない?」
「だが我々ロシア人は唯でさえ目立つのだ。これでは注目の的になってしまう.....」
「ふふふ、エレーナとデート......嬉しいわぁ......」
「聞いちゃいないな......全くしょうがない奴だ......」
とても幸せそうにするレイラの事を見て反論する気も無くなったエレーナは静かにその手を握り返し、優しく微笑んだ。
エレーナとレイラは生粋のロシア人であり、アジア系の顔立ちをしているキルギス人とは違う。キルギス人の顔立ちは日本人と似ており、ソ連時代こそロシア人が大半であったが、1991年の独立以降ロシア人達は急激に数を減らし、現在は逆転している。ウイグル人やタタール人、ウクライナ人も居る事には居るが、その割合は数パーセント止まりだ。
「さて、何を見ようかしら?」
「碌な映画をやっていないな......"サハラ戦車隊"に"ドナルドダック"......"戦艦ポチョムキン"に"ヨーロッパの開放"......プロパガンダ映画ばかりじゃないか。しかも節操がなさすぎる。西側と東側が混在しているではないか......」
「......戦争映画が殆どだわ......」
ショッピングモール内の映画館に来てみたのだが、そのラインナップは政治的思惑がてんこ盛りのプロパガンダ映画ばかりであった。しっぽりした気分になりたかったレイラはこのラインナップを見て絶望の顔を浮かべている。
「そうよねぇ......最近までソ連だったものね......」
「軍の方針ではプロパガンダ映画は見てはいけない事になっているのだが......どうする? レイラ?」
「う~ん......やっぱ見ないわ。仕事以外で戦争ものなんて勘弁してほしいわ」
「それもそうだな。気分転換にカフェにでも行くか?」
「そうしましょう。あぁ~残念。ラブロマンスが見たかったわぁ......」
「......それはそれで気まずいな......」
「何か言ったかしら?」
「いえ、何も?」
「......ふ~ん?」
「......」
映画館を後にしたエレーナとレイラは「COFEE LIKE」というカフェのチェーン店(実在するコーヒーショップ)へと足を運んだ。
「ほぉ~。コーヒーも色んな種類があるもんだなぁ......」
「そうよ? でもエレーナはあんまり好きではないのでしょ?」
「あぁ。こう言っては何だが、まるで泥水を啜っているかのようだ......」
「ソ連時代から支給品のコーヒーは酷い不味さだったものね......」
「レイラはよくあんなもの飲めるな......」
「あら? 美味しいコーヒーも沢山あるのよ?」
「......だが私は遠慮しておこう。トラウマになっているからな......」
「ん~残念。美味しいのに......」
メニューを二人で見ていると突然レイラが「ハッ」と閃いたような顔をする。メニューの中に何かを見つけたようだ。
「じゃあ私が選んであげるわ」
「そうか......頼んだ。紅茶も一応あるようだが......」
「カフェの紅茶なんて市販品のティーバッグと変わらないわ。もっと良い物があったの。エレーナは先に席を確保していて頂戴」
「了解だ」
そう言ってレイラはカウンターへと行き、エレーナは適当なテーブル席へと座る。吹き抜けになったエントランス沿いにテーブルとソファーが並び、数多くの若者達がコーヒーやフルーツジュース等を片手に談笑している。
「ここは平和なものだな......」
先日戦闘があった事など忘れてしまいそうな日常がそこにはあった。笑顔が絶えない学生達。幸せそうに笑う親子連れ。しかめっ面で新聞を読む小太りのお爺さん。その1面の記事が目に留まる。
(あれは......私達のSAMだ......)
そこには破壊され、バラバラになったSAMの残骸が写っていた。しかし、爆発で出来た巨大なクレーターは写されておらず、エミリヤが跳ね飛ばされたワイドビーム用レーダーアンテナのみが映っている。
見出しには『見えてきた真実、ミサイルを破壊したテロリストの思惑』と書かれている。
(ツッコミどころ満載だな。あれはテロリストでは無かった......明らかに正規軍だ。問題は国籍だ。カザフスタンか......それとも祖国か......いずれにしろ東側だろう)
複雑な思いでしかめっ面になる。まるで自分達が政治的に利用されているようで面白くない。そう考えていると満面の笑みでレイラがやってきた。
「おまたせ。どうしたの? 難しい顔しちゃって」
「いや、何。ここは平和だなと思ってな」
「? そうねぇ。ここにいると幸せを分けてもらっているようだわ。はい、これはエレーナの分よ」
「ああ。ありがとう」
受け取った丸いコップには濃い紫色のジュースのようなものが入っている。上部はシュワシュワと泡立ち、ほのかにジンジャーの香りがする。レイラも同じ物を頼んだようだ。
「これは?」
「ラズベリージンジャーよ。一応ハーブティーになるかしら?」
「ハーブティーなのか。てっきりジュースか何かだと......」
「まぁ似たようなものね。恐らく甘い味付けよ」
「そうなのか......紅茶以外は久々だな......」
「そうねぇ。さ、頂きましょう」
「うむ。頂きます」
「グイっといっちゃって」
不思議な飲み物に少し戸惑いを見せたエレーナだったが、好奇心も合わさり楽しみにしながらその飲み物を口にする。
すると果実の香りが口の中に広がる。ジンジャーがピリピリと舌を刺激し、甘さと一緒にほのかな酸味が広がっていく。その刺激に少し驚きながらも飲み込むと、胸を温かい液体が流れていくのがハッキリとわかり、鼻からはラズベリーとジンジャーの爽やかな香りがすぅっと抜ける。そしてお腹に入ったその飲み物はポカポカと身体全体を温めていく。
「ホッ。これは中々刺激的な飲み物だ」
「どう? 身体が温まるでしょ?」
「そうだな。ジンジャーのお陰かとても温まる」
「そうでしょ」
そう話しながら二人はその飲み物を早いペースで飲でいく。エレーナも気に入ったようで、忽ち飲み干してしまった。
「うん、美味い。紅茶以外にもいい飲み物があったのだな......」
「そうよ。おかわりは必要かしら?」
「頂こうかな。あ、支払いは私がするぞ」
「いいからいいから。気にしないで飲んで頂戴」
「......そうか。ありがとう」
足早にカウンターへと向かうレイラ。まだ自分の分は半分も飲んでいないのにルンルンとした様子で追加を注文している。エレーナが喜んでくれたのが余程嬉しかったのだろう。
「ふっ。相変わらず可愛いな、レイラは......」
(しかし何だろう。ジンジャーとはここまで身体を温めてくれるものなのか......顔まで火照ってきたぞ......)
緩い笑みを浮かべながらレイラを見つめるエレーナの顔は、ほのかに赤みを帯びていた。たった一杯で温まりきった身体は熱く、羽織っていたコートを脱ぐと縦縞模様の黒いタートルネックセーターが露になる。
すると追加のラズベリージンジャーティーを持ったレイラが再び急ぎ足で戻ってきた。手にはコップが二つ握られている。
「あら? 熱くなってきたの?」
「ああ。大分温まってきたようだ......」
「さすがジンジャーね。さぁ、これも飲んで頂戴」
「ありがとう。だがこれで最後にするよ......これ以上は温まりすぎてしまいそうだ」
「わかったわ。わたしもこれを飲んだら終わりにするわ」
そういって二人は雑談をしながらそれぞれ2杯づつラズベリージンジャーティーを飲み干した。
「ちょっと失礼するわね......」
「あぁ。いってらっしゃい......」
レイラはそう言って席を立った。恐らく花を摘みに行ったのだろう。
(しかし本当に温まった。顔中ポカポカする......何か頭もボーッとするな......少し飲みすぎたようだ......)
かなり熱くなった顔を右手で触ると驚く程熱い。自分の手が冷たく感じ、頬に触れているだけでとても心地が良い。
(おっと、そう言えば値段を見ておかねばな......後でそっとレイラのバッグに忍ばせておこう......)
そう思いながら立ち上がると少しクラっとする。おっとっと、とテーブルに手をつき、たどたどしい足取りで店の入り口にあるメニューの所へ行く。メニューには写真付きで飲み物が書かれていた。
(さて、飲んだものは......これか。えーと何々「グリューワインとラズベリージンジャージャムのトニック」......? ん......?)
そこには先ほどまで飲んでいた物と同じコップに入った同じ飲み物の写真が載っていた。そしてその横に書かれた名前を読み目をぱちくりとさせるエレーナ。
(グリューワイン......?......ワイン......? 酒じゃないか!?)
ハッ! と目を見開くエレーナ。メニューには確かに、アルコールと書かれている。
「......どうりで身体中が熱い訳だ......!」
「あら、エレーナ。追加注文?」
メニューを見て頭を抱えるエレーナの元にレイラが戻ってきて声をかける。
「レイラ! お前......私に酒を飲ませたのか......!」
「あら? ダメだったかしら?」
「......お前なぁ......私が酒に弱いのを知っているだろう?」
「......まぁね。でもあなたにもっと肩の力を抜いてほしくって......」
「......全く、どうするんだ? ここには私の車で来たのだぞ?」
「大丈夫よ。今連隊長に連絡したわ。今日は外泊して良いと言ってくれたわ」
「......何だって?」
「外泊よ。ホテルも予約したわ。二人部屋よ」
「なん......だと......」
硬直するエレーナ。小悪魔風の笑顔を振りまくレイラ。今日の夜は長くなりそうだ。
――――――――――――――Σ>三二二二>
よくわかるSAM解説! 特別編②「キルギス共和国について」
「皆様ごきげんよう。解説者代理のエミリヤよ」
「今日はエレーナ隊長がまだ戻っていないので私が代わりに解説を任されたわ」
「ごめんなさい、今回もSAMじゃないのよ。今回はキルギス共和国について解説していくわ」
「キルギス共和国はユーラシア大陸の中央から少し南西、中央アジアに位置しているわ。山岳に囲まれ、その間には平原が広がり緑豊かな土地よ」
「近隣諸国は西にウズベキスタン、トルクメニスタン、南にタジキスタン、アフガニスタン、パキスタン、東に中国、北にはカザフスタンとロシアがあるわ」
「錚々たる顔ぶれに囲まれた我々キルギス共和国は政治的にも危うい小国よ」
「1991年には湾岸戦争の開戦もあり、ソ連崩壊もあり、キルギスも独立を果たした年でもある激動の一年でしたわ」
「キルギスが共和国になったのは1993年の事よ。それまでは1991年~1993年までキルギスタン、その前は旧ソ連の構成国でしたわ」
「キルギスは俗に言う
「そんなキルギスなのだけれども、その政治的立場は弱いものよ。近隣諸国は西側に付く国々と、明確に東側についている国々とで分かれているわ」
「ウズベキスタンやタジキスタン、トルクメニスタンはアメリカ軍の駐屯を認め、カザフスタンは昔から東側、ロシアの味方よ。そして東には中国が居る」
「アメリカとロシア、中国を相手に『どこにもつかない』もしくは、『どこへでも味方する』というニュアンスを匂わせ、三つ巴の外交をキルギスは繰り広げているわ」
「なぜそんな外交ができたのかというと、ビシュケクパークがあったからよ」
「ビシュケクパークは対ロシア政策で考えるとかなり重要な都市よ。そしてソ連時代から大都市として知られる程大きな都市なの」
「キルギスはどちらかというとロシアよりの政府なのだけれども、中国や西側にビシュケクパークの立地上の有効性をチラつかせ、アメリカにも地理的利点をほのめかし、カザフスタンやロシアとは親密な関係を築いていたわ」
「その結果、どこにもつかず、他国の脅威もそれ程でもなく、危機的状況に陥っていたのはタジキスタンとの関係位だったわ」
「しかし、あまりにも周りを振り回しすぎて最終的にビシュケクパークの有効性を周辺諸国が軽視し始めて、大国の意識はカザフスタンやタジキスタンの方へと興味が移ってしまったの」
「その結果キルギスは忘れ去られてしまったわ」
「結局はキルギスとタジキスタンは"アジア中央の小国"という立場でしかなかった、という事よ」
「そういえば、作中ではまるでカザフスタンと仲が悪いように表現されているけれども、実際は親密な関係なのよ?」
「キルギス人とカザフ人は言語、文化、宗教が共通していて、独立以前からとても仲がいいのよ」
「今回のARM攻撃はカザフスタン側の国境からだったのだけれども、警告の意味を込めたもので、あくまでも創作上の物よ。最も、まだその攻撃の国籍は分かってはいないのだけれども、直ぐに分かるわ」
「さて、政治的な所を見てきたのだけれども、次は人と文化について解説していくわ」
「キルギス人は日本人ととても良く似ているわ」
「顔だちもそうだけど、性格も勤勉で生真面目よ」
「古くから日本とキルギス人のルーツは同じと言われているわ」
「ソ連時代の名残で公用語はロシア語、国語はキルギス語を習い、両言語を話す人で街中は溢れかえっているわ。文字はキリル文字が使われているわね」
「元々遊牧民族で、地方では今でもそこら中に羊の群れが放牧されているわ」
「食生活は穀物と野菜、羊肉がメインで"プロフ"と呼ばれる炊き込みご飯や"ラグマン"と呼ばれるうどんのような料理が伝統料理としてあるのよ?」
「また親日国でもあり、キルギス日本国大使館は日本文化をキルギスに広めるため、漫画やアニメを積極的にアピールしているわ」
「キルギスは日本に支援されている関係でもあるのよ?」
「キルギスには日本車も多く走っていて、その普及率は60%程と高いわ」
「でもその殆どが中古車よ。2015年4月に右ハンドル車の輸入規制が導入されてからは、日本車の輸入はピタッと止まってしまったの」
「それでもまだ多くの日本車が走っているのよ? 街中で日本のお守りや神社のシールが貼られた車をよく目にするわ」
「さて、そろそろ時間ね。やはり、隊長が言っていた通り時間が足りないわね。続きはまた今度、時間をもらえた時に解説していくとするわ」
「まだまだ話したりないわね......キルギスには皆に伝えていないヤバイ風習があるのよ。それは次に時間が貰えたときに解説していくわ。楽しみにしておいて......検索しちゃダメよ? ネタバレになっちゃうわ!!」
「それに私には隊長のお布団に潜入する大事な任務があるのですのよ......ぐへへ......何ですの? .........は? 隊長は今日来ないんですの!? も......もしかして......レイラと......? こ......これは一大事ですわ! 私も急ぎませんと!」
「それでは、私はこれで失礼します! 皆さん御機嫌ようですわ!」
「あ、あと、次回は隊長が戻ってきますの! それでは!!」
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