第10話 ニルギリ紅茶の香り~少し早い春の香りを添えて~
「退院を祝して! 乾杯!!」
『カンパーイ!!』
紅茶のティーカップを掲げながら乾杯の音頭を取るエレーナ。
72中隊第3小隊のメンバーは5日間の検査入院を経て軍病院を退院し、誰一人欠けることなく、お馴染みのバーで快気祝いを行っていた。
「しかしまさかソフィアがあんなに落ち込むとは思ってなかったわ」
「ヴぉい!? それはどういう意味だエミリヤ!」
「そのままの意味よ? あなた見るからに単純そうじゃない? そんな思い詰めてるなんて誰も思ってなかったわよ?」
「酷いぞ!? あたしはあんなに悩んでいたってのに......」
「そうだエミリヤ! ソフィアは意外と繊細なんだぞ?」
「アンジェラ......この前まであなた達喧嘩する仲でしたのに、いつの間にそんなに打ち解けていたのかしら?」
「それはだな、ソフィアの秘密を知ったからだな!こいつは部屋に戻るとだな......」
「ヴァー! ヴァー! それ以上はヤメロォー!!」
賑やかな連中が楽しそうにテーブルを囲んで酒を飲んでいる。今日は円卓にソフィア、アンジェラ、エミリヤという似たようなメンバーが揃っている。
「しかし、皆仲間思いな奴らだったんだな。まさか皆してプレゼントを用意しているとは思わなかったぞ」
「そうッスか? 結構自分ら団結力あるんで当然だと思うッスよ?」
バーカウンターではキーラ、ニーナ、レイラ、エレーナの順番で座り、各々紅茶を嗜んでいた。キーラだけはウォッカを片手に上機嫌に呑んでいる。
「そうよ。喧嘩するほどなんとやら、って言うじゃない?」
「そう。皆......仲間の事が心配......」
「そうなのか......ここに来る前は、仲間だとかチームメンバーだとか無縁だったからなぁ......」
「実際、自分のことで精一杯で仲間を思いやる暇なんてなかったものね~」
「ソ連式ってそんなに殺伐としてるんすか?」
「意外......もっと賑やかだと思ってた......」
どうやら隊員の中ではソ連兵は上官が厳しく、部下はワイワイ酒を飲んで賭け事をしているイメージがあるらしい。
「我々の居た連隊はエリートの集まりみたいな所だったからな。皆お互いに切磋琢磨しつつ、ストレスの捌け口を仲間に向けるような環境だった」
「へぇ~。隊長もイジメてたりしたんすか?」
「いや、寧ろ虐められていた方だな」
エレーナは隊長になって直ぐの頃、あまりにも規律に煩く、部下と良く衝突していた。そのおかげで最初の頃は"
「そうなんすか? 隊長をいじめられる人っているんすね」
「軍隊は上下関係がしっかりしているからな。ここと違って」
「そうなんすか。いやぁ! キルギス軍が初体験で良かったッス!! おかげで隊長のこといじり放題ッスからね!!」
「お前にもソ連式を教えてやってもいいんだぞ?」
「いやマジ勘弁ッス」
キーラのことを睨みつけるエレーナ。その表情はまるで誰をも凍り付かせる吹雪のような冷たさを放っていた。
「それにしてもこんなに仲が良い部隊は久しぶりに見たよ」
「マスターまでそんな事を言うのか?」
「あぁ。元々の野郎共の部隊は生真面目で上官に気を使いあまりバカ話をしなかった。見方を変えれば"つまらない連中"が多かったからな。君たちはとても新鮮だ」
「そうなのか?」
「もっとも、他の隊の女の子はもっと大人しいが」
「やっぱり......うちの隊はじゃじゃ馬が多すぎる......」
頭を抱えてうなだれるエレーナ。その様子を横から見ていたニーナが顔を覗き込みながら語り掛ける。
「でも......私はこの部隊が好き......」
「ニーナ......」
「わたしも好きだわぁ。生きてるって感じがするわ」
「自分も好きッス! 酒飲み放題ッスからね!!」
「キーラは今日から一週間禁酒な」
「何でッスか!?」
「だがしかし、私もここが気に入っているのかもしれないな......」
「冗談っすよね!? 何で遠い目をしてるんすか!? 聞いてます!?」
バーには何時もの第3小隊が戻ってきていた。昨日までメンバーを一人失いかけていたとは思えない程に、皆仲良く談笑し、お互いの存在を確かめ合っていた。
「しかし隊長さんよぉ~。私達のSAMは吹っ飛んじまったじゃんかよ~。どーすんのさ?」
背後からアンジェラが語りかけながら隣のカウンター席へと座ってきた。手にはウォッカの酒瓶を持っている。早くも出来上がっているようだ。
「そうだな、来週連隊内で編成会議がある。そこで決まるとは聞かされているが、まだ何とも言えん」
「え~! じゃあもし自動化が進んだSAMが割り当てられたらど~すんのさ? 私たち追跡要員はお払い箱か?」
「そんな事は無いだろう。管制官は大事な技術要員だ。その人材を欲しがる所は多い。職に困ることはないだろう」
「でもこの部隊じゃないんだろ~? そんなの私はヤダね! せっかく仲間になったんだ。散り散りになんかさせるかってんだ......」
「アンジェラ......」
珍しく真面目な口調で話すアンジェラに少し驚きの顔を見せるエレーナ。どうやら彼女もこの後の動向が気になっているようだ。
「だがSA-2Fはもうない。鹵獲品だった我々のSA-2Fはメーカーのメンテナンスプログラムすら受けられなかった代物だ。代わりのSAMなんてもう無いんだ......今までだって、共食い整備で何とか稼働してきた有様だ」
「何とかならないのかよ~!?」
「そうだな、SA-2Eならそんなに変わらないし、旧式化して数は溢れてきている......それなら回ってくるかもしれないな」
「でもいずれにしても旧式ね~。またARMの餌食にならなければいいのだけれど......」
「不吉な事を言うな、レイラ。それにもう同じ手は食わないさ」
「だと良いのだけれども......」
「大丈夫......ソフィアと皆が守ってくれる......」
「そうッスよレイラ! 何弱気になってるんすか? 飲み足りないんじゃないッスか!?」
「私はアンジェラとは違うのよ~? 乙女の心は複雑なの」
「あぁ~悩んでても仕方ねぇ!! 飲むぞキーラ!!」
「うぃっす!! 姉貴!!」
そう言ってアンジェラが円卓に戻り、キーラもその後を追って円卓に移動する。
「うぉらぁ! ソフィア!! 迷惑かけたんだから私の相手しやがれ!!」
「ヴぉ!? やんのかこるぁぁ...あーっ! ダメだ! そっちには曲がらな......ヴぉーー! おれるぅぅぅーーーー!」
「あらあら、相変わらず仲がいいわねぇ」
「......ソフィアが現代アートになってる......ちょっと止めてくる......」
「まったく......こいつらはいつもいつも......」
また始まったとエレーナが呆れているが、その顔は少し笑っていた。ニーナがアンジェラを制止するため席を立ち円卓に向かう。
「うん、隊長さんも良い顔になったものだ」
そう言いながらマスターがティーカップを差し出してきた。今飲んでいるのは普通のダージリンにジャムを入れたものだが、新しく差し出されたティーカップは少し色が薄い。離れていても芳醇な香りが鼻をくすぐる。
「これは私からの快気祝いだ。受け取ってくれるかい?」
「これは何の紅茶だ?」
「こいつはニルギリだ。コーヒーで例えるなら"ブルーマウンテン"のような存在で、紅茶の王道だ。クセが無く飲み口がいいからよく他の茶葉とブレンドされている。普段飲んでいる紅茶が実はニルギリ入り、なんて事もザラにあるぞ」
「そうなのか? にしては名を聞かないな」
「市販される茶葉はブレンドされているからな。低価格で高品質だし至る所で使われているポピュラーな茶葉だぞ」
「そうか......私もまだまだ紅茶通とは言えないな......」
「なに、直ぐに詳しくなるさ。さぁ、冷めないうちに飲むんだ」
「あぁ、頂こう」
差し出されたティーカップを手に取り、口に近づけるがあまり香りがしない。不思議に思いながら口に入れると穏やかな渋みが広がり、少しフルーティーなみずみずしい香りが鼻に抜ける。かなりスッキリとしたその飲み口は今まで飲んできた紅茶と違い、癖のない"毎日飲む紅茶"に相応しいあっさりとしたものだった。
「......うん? やけにあっさりしているな......」
「だろう? ブレンドのベースにするには打ってつけの茶葉だ」
「だが、何だろう? こう、物足りない......」
「そうだろう、そうだろう! 何時ものクセの強い紅茶と相反するその紅茶は私からの"いつも通りに居て欲しい"という気持ちが込められている。何時までも私にその元気を分けてもらえるかね? やさしい隊長さん?」
「......マスター......」
「あらあら、すっかり気に入られちゃったわね、エレーナ」
「入院したと聞いて心配したんだぞ。昨日だって1班と2班の子達が来て酒を飲んでいたがまるで通夜のようだったぞ?」
「......そうだったのか......」
「お前たちを愛する者は少なくない。だからこそ、いつまでもその姿を私に見せてくれないかね?」
「......あぁ、勿論だ!」
そう言って紅茶を飲み干し、立ち上がってマスターと固い握手をするエレーナ。
「......それにしてもエレーナ、あの後ソフィアとどうなったの?」
「......ん? どうとは?」
椅子に座りながらエレーナが訊ねる。
「あの後どこまで進んだの? チューとか?」
「んなっ!? 何を言っている!?」
「......ほう、詳しく」
急にダンディな声を出し、目を光らせるマスター。狼狽えて耳まで赤く染めるエレーナ。そして冷静に笑みを浮かべエレーナの方に顔を向けるレイラ。
「だって、あんな小さいテントで夜に女の子が二人きりよ? 何も起きないわけが無いでしょう?」
「......何もないぞ!? ただ、ちょっと手を握っただけだ......」
「......手を......握り......?」
「それからは?」
震えながらボソボソと何か口にするマスター。ダークなオーラを放ちエレーナに詰め寄るレイラ。二人の気迫に迫られるエレーナ。すっかり小さくなり頭からは湯気があがりそうだ。
「......お互いの事を......語り合っただけだ......」
「キターーーーー!!!」
「お互いの事を語り合った......?」
「違うぞ!? い......今のは表現方法が悪かった!! 違うぞ! 本当に何も無かったんだ! 信じてくれレイラ!!」
ガッツポーズを天高く掲げるマスター。背後に般若面が浮かぶレイラ。必死で弁明をするエレーナ。なんて事だ。完全に制空権はあちら側にあるようだ。
「ヴぁぁ......な......何の話をしているんですか......?」
「ソフィア! お前からも言ってくれ! あの夜のことを......!」
アンジェラの関節技により腰が砕け、這いつくばるソフィアがカウンターに逃げてきた。その肩を掴み、援軍を求めるエレーナ。
「......ポッ」
「......ポッ......じゃない!! ちゃんと説明をしろ!!」
「やっぱりそうなのね......?」
「来たぞ春が......雪が降るキルギル共和国には既に春が来ていた......!」
「お前ら話を聞けーーー!!」
エレーナの悲痛な叫びとマスターの雄たけびが静かな夜を引き裂き、平和な夜が再び訪れる。
彼女達は今日もいつも通り、紅茶を嗜んでいる。
――――――――――――――Σ>三二二二>
よくわかるSAM解説! 第六話「ARMとSA-2のバージョンについて」
「やぁ! 皆! 解説者のエレーナだ!! 前回もすまなかった、さすがにあんな酷い顔では人に会えなかった。許してくれ」
「さて、今日は対レーダーミサイルについて解説をしていく」
「対レーダーミサイルとは、航空機に搭載されるレーダーを破壊する為のミサイルだ」
「ARM(Anti Radiation Missile)と呼ばれ、その名の通りレーダーに向かって飛んでいき、対空ミサイルを無力化する為に使用される」
「その標的は地上のSAMだけではなく、水上に浮かぶ軍艦に搭載されたSAMのレーダーに向かっても打たれる」
「SAMの原理は陸も海も変わらないからな」
「ARMはレーダー波を逆探知して目標をロックオンする。ミサイルの先端に搭載されたアンテナで目標のレーダー波をキャッチするのだ」
「その為、目標がレーダーを照射している必要がある」
「しかし、波長が長いレーダーを使用する早期警戒レーダーはロックオンできない」
「これは先に説明した波長とアンテナの大きさによるものだ」
「そう、ミサイルに搭載される小さなアンテナでは、長い波長のレーダー波は受信する事ができないのだ」
「よって波長の長い早期警戒レーダーにはARMが飛んでこない」
「だが正確に目標を探知しなければいけない火器管制レーダーは極短波を使用する為どうしてもARMの脅威に晒されるのだ」
「だがSAMも何も対策をしていない訳ではない。目標を発見して追尾を開始すると、火器管制レーダーの照射を止め、ミサイルを打つまで時々照射して位置を確認する、と言った対策をする」
「SA-2Fでは手動でそういった対策をするが、SA-3B等のより新しいSAMは自動で間欠的にレーダーを照射するモードがある」
「瞬間的な照射では、ミサイルが電波を受信できずロックオンできないのだ」
「さらに、火器管制レーダー波と同じ電波を発する、デコイも存在する」
「デコイは自分を火器管制レーダーだとミサイルに誤認させ、ミサイルを誘導するのだ。当然、このデコイはミサイルを被弾し破壊される」
「当時開発が進んでいたSA-2の新型であるC-75M4 Volhovシステムには対レーダーミサイルに対抗するため、欺瞞電波を照射しミサイルを混乱させる"Doubler"システムの搭載が計画されていたが、S-300(SA-10)等の新しいミサイルの登場によりこれは実現しなかった」
「その代わり、古いSA-2FをSA-2E相当にアップグレードするプログラムが展開され、C-75M(SA-2F)はC-75M3システム(SA-2E)へとアップグレードされた」
「このアップグレードは5年周期で行われるSA-2Fのメンテナンスと同時に行われ、理論上80年代中盤以降のSA-2Fは全てSA-2E相当へとアップグレードされている」
「だが作中では鹵獲品であるため、SA-2Fのメンテナンスプログラムを受けられず、SA-2F(S-75M)のまま1990年代を迎えている」
「さて、SA-2FよりSA-2Eの方が性能が上? と思った人は軍事関係に明るい奴だ。そう、一般的には兵器の末尾に付けられるアルファベットは新しいもの程アルファベットがZに近くなる」
「A→B→C→D......と新しくなるのだが、このSA-2Fは"F"なのに"E"より性能が下だ」
「なぜかと言うとSA-2Fは輸出バージョンだからだ」
「軍事機密の塊である最新のSAMは、輸出するだけで機密情報の流出となり得る」
「そこでソ連は輸出向けモデルとして性能を削ったモデルを作り、それを輸出することによって軍事機密の漏洩を防いだのだ」
「他の兵器にもこれは当てはまり、戦闘機や戦車にも輸出向けモデルが展開されている。この性能が削減されたモデルと元のモデルを比較し、本来の性能のモデルのことを"本国仕様"等と表現する時がある」
「大分話が逸れてしまったな。ARMに話を戻そう」
「ARMも日々進化している。初期型こそ飛行速度が遅く、レーダー波を探知できないと目標まで辿り着けなかったが、最新のARMはGPSや慣性航法装置等を使用し、レーダー波が発射されていなくても近くに着弾できる物が大半だ。だが命中精度は電波受信時より劣る」
「特にアメリカのAGM-88Eなんかは、誘導部に赤外線シーカーやアクティブミリメートル波レーダーが受信部に付いており、目標が電波の照射を止めてもミサイル自体がSAMを探知しこちらに向かってくる、とても"おりこうさん"なミサイルだ」
「これらのデュアルシーカーのARMはAARGMと呼ばれ旧世代と区別されている」
「面白い物はARMを発射後に電波の照射が途切れると、パラシュートを使って滞空し電波が再び照射されるまで落下しながら待機するものまであるぞ」
「よって現代戦では古いSAMの脅威は低くなりつつある。だが脅威は脅威だ。欺瞞したり迅速な陣地転換により今もその脅威は戦闘機の悩みの種である」
「もちろんSAM自体も進化し、そもそも発射されたのかもわからなかったり(打った直後はGPSや慣性誘導装置によって飛行する為誘導電波が要らない)、迅速な陣地転換(打ったら逃げる)を可能とする打ちっぱなし方式(打ったら地上からの誘導がいらない)ミサイル等が対抗策として使用されている」
「ちなみにソ連製の対レーダーミサイルであるKh-58ミサイルは本作にも登場するARMだが、その飛行速度はマッハ3.6と非常に高速だ。速度が早ければ早いほど着弾するまでの時間が短くなり、自ずと回避も難しくなる」
「しかも対空ミサイルとほぼ同じ速さなのでKh-58を搭載する航空機に向かって打っても同士討ちになるのが関の山だ。しかも射程は低空発射で46km~高空発射で200km以上ある」
「高空を飛ぶ飛行機から打つので地上から打つミサイルより長射程にしやすいのだ」
「さて、今日はこのあたりにしよう」
「今日も長話に付き合ってくれてありがとう。今度皆でお茶でも飲まないか? 良ければマスターおすすめの紅茶を飲みに行こうではないか」
「次回は、ジャミング等のSAMに対する航空機の対抗策法について解説する」
「それでは、また次回!」
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