第4章 二度の死はありえないが、一度は避けられぬ

第35話 甘い香水の香り~9M39ミサイルを添えて~①

「改めてSAM陣地を見て回ると色々と感慨深いものだ......」

「......そうですね」


 昼休憩を利用し、エレーナとテミルベック連隊長はSA-2EのSAM陣地を見て回っていた。緊張感漂うSAM陣地には、発電機の発する重低音だけが響き渡り、ディーゼルエンジンの排気ガスの匂いが鼻につく。

 昼過ぎの天気は曇りであり、エレーナの陰鬱な心持を映し出したかのようなどんよりとした厚い雲が空を埋め尽くしている。


「......国境までの距離は2㎞か......」

「今ランチャーに装填されているミサイルはV-759 5Ya23(Guideline Mod.5)ミサイルです。戦闘機に15km以内に潜り込まれると対応できなくなってしまいます」


 SM-90 PUランチャーに装填されているV-759 5Ya23(Guideline Mod.5)ミサイルは、超音速目標に対する最大射程は43kmで、亜音速目標に対する最大射程は56kmの距離を最大マッハ4で駆け抜ける。

 しかし、高度を稼ぐ為全力で固体燃料ブースターを燃焼させ急上昇を続けるミサイルの旋回が間に合わず、当たらないとされる距離が設定されている。発射後一定の高度を確保しなければ、基地の敷地内に燃焼を終えた固体燃料ブースターが落下してしまい被害が出てしまう為、全ランチャーの発射角度は30度とされていた。その状態での最短射程距離は15kmである。


「そこであいつらが居る訳なのだが......」

「......はい。シルカだけが頼りですが......」

「頼れないときたもんだ......そこで、だ」


 そう言うとテミルベックは電算機キャビンの横に置いてある長方形の大きな木箱に付いているバンド4本を外し、蓋を開けた。すると中にはオリーブグリーンに塗装された金属製の筒のようなものが2本入っている。


「......これは......」

「9К38 "Игла́イグラ"(SA-18 グロース)だ。昨晩、第2独立戦車連隊の連隊長と酒を酌み交わしてな、その時に責任は持つから貸してくれと頼んだんだ。奴もこの現状にはウンザリしているようでな、快く貸してくれたよ。これはとある防空中隊が持ってきた物だ」

「それって......まさか?」

「目の前に居る第2独立戦車連隊所属の防空中隊からだ。親衛隊の連中の目を盗んで今朝持ってきてくれたのだよ」

「よく貸してくれましたね......」

「奴らの指揮系統は親衛隊によって掌握されている。満足にミサイルを撃てる保証はない。だからこそ、我々に託してくれたのだよ」

「普通はあり得ない事ですね。装備移転許可も取っていないのですよね? 発覚したら大事になりますが、それ程までに状況は切迫していると言う訳ですか......」

「うむ。イグラを使用する場合許可はいらん。目標が領空内であれば遠慮なく撃て。そしてあの防空中隊のことも守ってやってほしいのだ。頼めるかね?」

「......はい。彼ら機甲師団も72中隊も、誰一人として犠牲者は出しません。この命に代えても必ず守り通して見せます」

「この命に代えても......か。......こんな下らない戦いで死ぬ必要なんてない。お前も含めて全員生還しろ。危険だと判断したら直ちに退避するんだ。これは命令だ......エレーナ中尉」

「......ハッ!」


 エレーナは気合の入った敬礼をしてみせた。だがその様子は空元気のようにも見え、テミルベックは不安そうな表情で敬礼を返した。


「......こいつの使い方は分かるかね? 携行式防空ミサイルシステムMANPADSとは言え訓練無しに扱える物ではないからな」

「久々ですが、ソ連時代に訓練は受けておりますしこのイグラも同型です。問題ありません」

「そうか......腕もまだ回復していないというのに無理をさせてすまない」

「いえ。もうほぼ治っているので支障ありません。それに多少は動かさないと鈍ってしまいますから」

「そうか......だがこいつの出番が来ない事を祈っているよ。では中尉、隊員を集めて防空監視任務に取り掛かってくれ」

「了解しました」


 二人は再度短い敬礼を交わすとテミルベックは連帯本部の方へと歩いて行った。それを姿が見えなくなるまで見送ったエレーナは直ぐ近くにある普段彼女達が詰めているRSN-75V3-OPファンソンE火器管制レーダーをまじまじと見つめる。


「......ここが正念場だ。私にはやるべき事がある。やらなくてはならない事ができたのだ。連隊長の願いを叶える事。彼女達を守る事。それこそが私に与えられた使命なのだ。もう迷うな......SA-2Eなら一人でもミサイルを撃てる。最悪この命と道連れにしてでも墜としてやるさ......」


 胸に手を当て、そう呟いていると火器管制室の扉が開かれ1人の少女が現れた。



 ……


 …………


 ………………



「ヴォ! 新たな目標を探知! 方位215、距離75km!」

「戦況図に記載ありませんわ。新たな目標ですわね」


 ソフィアの元気な声が火器管制室に響き渡り、エミリヤが冷静に戦況図を更新している。電波を送信せず、受信だけオンにされた火器管制レーダーには目標が発している妨害電波だけが表示されている。午後から3班が防空監視任務について既に3度目の新しい目標探知である。しかしまだ国境線を越えては来なかった。国境線に沿って飛びながらこちらの出方を探っているようだ。


「またかよ......どうせ何もしないで帰んだろ? だったら来るんじゃねぇよメンドクセェ......」

「......それが領空侵犯の狙いでもある。あの領空侵犯機は嫌がらせとしては最高の仕事をしている......」

「そっすね......レーダーを使わず向きだけ指向するなんてもう飽き飽きっす!」

「そうねぇ......いい加減私も妨害電波を眺めるのに飽きたわ」

「でもこの目標はルートが少し違いますの。もしかしたら山に突入して来るかもしれませんわ」

「............」


 エレーナは緊張した面持ちで腕を組み早期警戒レーダーのPPIスコープを見つめている。午後から分厚い雲が空を覆い、雲に反射したレーダー波がPPIレーダー上に薄い点として表示されている。その上に被さるように4本の光の筋が表示されている。方位210~方位245度の方角は妨害電波によって覆い被されていた為、早期警戒レーダーでの目標の探知は困難を極めた。


「新たな妨害電波を探知! 方位220度! 距離不明! 直近距離55km」

「電子戦機ですわね......7208/110/81(72中隊の8番目に探知した目標。高度11,000m、敵機目標、編隊構成機数1の意味)の目標からだと推測できますわ」

「ヴぉぉぉ.....方位215の反応が妨害電波の陰に隠れたぞ......」

「防空指揮所からの指示で7208/110/01(ジャミング目標の為末尾の二桁を81から01に変更)に更新しましたわ。隊長、確認をお願いしますの」

「............」

「......隊長?」


 反応がないエレーナをエミリヤが不思議そうに見つめていると、エレーナはその重い口を開いて全員に語りかけた。


「皆、聞いてくれ。今探知した方位215目標の狙いは恐らく我々の陣地だ。そして今回、連隊長の指示でこれを撃墜する」

「......え?」


 その発言に一同が凍り付いた。撃墜。その言葉が何を意味するのか皆も理解したようだ。


「......連隊長からの命令なの?」

「ああ。射撃許可を申請すれば今回は降りるだろう。だから我々は、この領空侵犯機を撃墜する事になる」

「......おいおいマジかよ......」

「......戦争に......なる?」


 ニーナが不安そうな顔でそう聞いてきた。その問いを受けたエレーナが目を伏せながら答える。


「......領空内で墜とせば直ちに戦争になる事はないだろう。だが航空機による警告も無しに領空侵犯機を撃ち落とすのは国際法に背く行為だ。そうなれば、非は我々にあるだろうな」

「......では何故連隊長はそのような指示をしたんですの?」

「......この状況のまま攻撃を受ければ、確実に我々には被害が出る。その状況を打破するには、先手を打つ以外に方法は無い。だから攻撃の全責任を連隊長が取り、次の領空侵犯機が来たらこれを撃墜して敵をけん制し、我々を守るつもりだ......」

「......という事は連隊長は責任を取って連隊長を辞めるつもりなのか?」

「......それだけでは済まないでしょうね。軍法会議にかけられ罪を償わされるわ」

「さらに、とある理由で命の危険さえあるんだ」

「............」


 その言葉を聞きアンジェラが深刻そうに悩んでいる。彼女はこの現状を知っているだけに連隊長の身を案じているのだろう。


「じゃあ連隊長はどうするんっすか!?」

「逃げる手筈になっている。家族は既に避難しているとの事だ。その行先は私にも分からんが、恐らく海外だ」

「そう......でも行く当てはあるのね......」

「ああ。その点なら連隊長の事だ。心配いらないだろう」

「......なら、私達のやるべき事は一つだ」


 アンジェラが演習用コンソールに寄りかかりながら呟くと、遠くを見て物思いにふけりだす。


「どうしようもない私達を拾ってくれてよ、ボロ雑巾みてぇだった私達も今じゃ立派な管制官だ。こんなに良い仲間たちとも出会えた。それもこれも、拾ってくれた連隊長のおかげだ......」

「......そう。連隊長には返しきれない恩がある......あの人が居なかったら私も隊長もここに居なかった......」

「そうッスねぇ......自分も連隊長が居なければ姉貴に拾われずに路地裏で野垂れ死んでたッス」

「あたしも行く当てが無いからって兵舎に住まわせてくれた連隊長は恩人だぞ......今でもあの時の事は忘れない。あの人はあたしのもう一人の父親みたいな人だ......」

「わたくしも連隊長が居なければ隊長のお傍に寄り添うことも叶いませんでしたわ。訳ありなわたくし達をひた隠しにしてくださった連隊長には感謝の一言では言い表せませんの......」

「そうねぇ......連隊長は何時も私達の身を案じてこの部隊で匿ってくれたわ。それにマスターから色々聞いているから思う所があるの。連隊長は本当にこの国を愛しているわ。だからこそ、応援したい」

「皆......」

「だから隊長さんよ」


 アンジェラが寄りかかった身体を起こし、エレーナに向かい合あう。何時もの気が抜けた顔ではなく珍しく凛々しい顔を見せた。


「とことんやってやろうぜ。どんな結果になってもよ、それがアイツの為になるんだったらドデカいの全部、あの鬱陶しい連中にぶち込んでやろうぜ!」


 拳で自分の胸を叩きながら力強い言葉で意気込む。ロシアでは遊牧民時代の名残で忠誠を示す際、自分の胸を叩き忠誠心を表す。力強く胸をたたくアンジェラからは連隊長に対する相当な忠誠心を持っている事が容易に見て取れた。


「アンジェラ......ああ。そうだな。ここに居る皆で連隊長へ恩を返そう。これはテミルベック連隊長指揮下での最後の任務になるだろう。恩人の退職記念に派手に花火を贈ろうじゃないか!」


 彼女からこの動作が繰り出されるのは初めての事で、少し呆気にとられたがエレーナもそれに同じ動作で返した。


「あらあら、やる気満々ね。でも良いの? もう会えなくなるかもしれないのよ?」

「だが死ぬわけじゃない。だからまた何時か会えるさ。連隊長は死なせやしない。私達が連隊長を守るんだ。その為に協力してくれるか?」

「......勿論よ」


 エレーナはレイラの肩に手をまわし、そっと抱きしめた。その表情は非常に穏やかな笑顔で、皆が連隊長を守る為に一致団結している事を純粋に喜んでいるようだ。


「......さぁ、皆! 今こそ72中隊の意地を見せる時だ! テミルベック連隊長への忠義を示せ!!」

『了解!!』


甘い香水の香り~9M39ミサイルを添えて~②へと続く

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