第28話 ロシアンティーの香り~古傷に思いを寄せて~①

『ねぇ、レーノチカ』

『うん? 何だターシャ?』


 兵舎裏のベンチに仲がよさそうに腰掛けるエレーナとタチアナ。綺麗な銀髪が二つ靡いている。その光景はまるで仲の良い姉妹のようだ。


『今度長期休暇があるじゃない? もうシベリアの大地も見飽きたことだしビシュケクに旅行に行きましょう』

『んー? 随分遠いな......』

『良いじゃない。旅行は遠出をするモノよ?』

『それはそうだが......急な呼び出しがあったらどうする?』

『レーノチカは真面目すぎるのよ。遠くにいれば呼び出しがあったってどうしようもないもの。気にしないでパーッと遊びましょう!』

『うーん......そうだな、ここの所兵舎に詰めてばかりだし偶には外に出てみるのも良いかもな......行くか、ビシュケクへ』

『うん。約束しましょう』

『ああ、約束だ。あそこも大きい街だからな、一日ではとても回り切れないだろうな......ターシャは何処か行きたい所はあるか?』

『......』

『ターシャ?』


 エレーナはタチアナの方を向くとその綺麗な銀髪が赤く染まっていた。それを見てギョッとして立ち上がるが、タチアナは俯いたままポタポタと血を垂らしている。


『!? お前、血が出て......』

『私と一緒に行くって言ったのに......何であなたとレイラだけビシュケクに行ったの?』

『......それはっ!』

『何で私はこんなに苦しんでいるのにあなたは笑っているの? 私のこと忘れて新しい仲間達と暮らすのは楽しい?』

『違う! 誤解だ! 私は今でもお前を想って......』

『じゃあなんで私を置いて行ったの? 私はここにいるわ。貴女の家族もここにいるのよ? でも貴女は遠くに行ってしまった。そこには何があるの? 貴女は何でそこで戦っているの?』

『......私は忘れてなどいない! ここで戦っているのは生きるためだ! 私には戦う事でしか生きる道が無かったんだ!!』


 タチアナの前に立ち必死で弁明するエレーナの顔に急にタチアナが顔を寄せ、耳元で呟いた。


『嘘つき......』


 それを聞いて全身に鳥肌が立ち、血の気が引いた様子でエレーナが固まっていると、背後から声がかけられた。


『......隊長......痛い......痛いよ......』


 背後から苦しむ声が聞こえ振り向くと、そこには黒髪の女性が一人、立ち尽くしていた。その姿はエレーナも良く知っていた。だがその姿は泥にまみれ、戦闘服はズタズタに切り裂かれていた。


『ニーナ......?』

『......どうして私を助けてくれなかったの?』

『どうした!? お前ボロボロじゃないか......!?』

『......隊長が助けてくれなかったからアンジェラが居なくなった......あの時アンジェラと一緒に逃げていればこんな事にはならなかったのに......』

『アンジェラが居なくなった......?』

『......隊長のせいだ.....』

『違う! 私は二人を守ろうとしたんだ! 信じてくれ!』

『......嘘つき』

『私は嘘などついていない! 本当に皆を守ろうと必死で......!』


 最早目を開けることすら出来ず、ただただ恐怖と罪悪感から逃れる為に必死で目を閉じ反論する。しかし、それを遮るように新しい声が語り掛けた。


『エレーナ.....あたしはもう疲れたよ......』


 ふと足元から声が聞こえた。エレーナが目線を下に向けると、そこには無残な姿で横たわる小さな少女が一人。だが外傷はなく、鼻からは血をたらし、妙に肌が白い。そして何より、下半身に本来あるべきものが片方なかった。


『ソフィア!? お前......足はどうしたんだ!?』

『もう何も見えないんだ......それに寒い......』

『そんな...... 一体何が起きている.....? 私達はどうしてしまったのだ......?』

『痛かったんだぞ......あたしの足が吹き飛んだ時、必死でエレーナの事を呼んだんだぞ? 助けてって......こんな苦しいなら殺してくれって......でもエレーナは来てくれなかった......救ってくれるって......言ったのに......』

『......何を......言っているんだ......?』

『嘘つき』


 その言葉に身を震わせ、ついソフィアから後ずさりしてしまう。


『もうみんな居なくなってしまったわ.....』


 狼狽えるエレーナの背後から声が掛けられた。恐る恐る振り向くと先程までタチアナがいたはずのベンチにレイラが座っており、エレーナが顔を向けるとゆっくりと立ち上がり、エレーナの元へと話しながら歩み寄ってくる。


『レイラ......? これはいったい何なんだ!? 説明してくれないか!?』

『私達は爆撃を受けて私達以外全員死んだのよ?』

『......は?』

『貴女がもっと早くキルギスから逃げていれば、皆生きていたのよ?』

『何を言っているんだ......?』

『貴女が皆を殺したの』

『......違う! 私は守ろうと必死で......!』


 恐怖で再び目を閉じ必死に反論するエレーナの耳元にレイラは口を近づけ呟いた。


『嘘つき......』


 ――――――――


「......ナ......レーナ......エレーナ!」

「......はぁっ! はぁ...... はぁ...... レイラ?」

「随分酷くうなされていたわよ。大丈夫?」

「......」


 エレーナが夢から目を覚ますとレイラの心配そうな顔が目の前にあった。頬を撫で心配そうに声をかけている。どうやら本物のレイラのようだ。エレーナの体は酷く汗をかき息も荒くなっている。見ていた悪夢を思い出し、吐き気を催して口を押える。


「......酷い夢を見た......」

「......そう。昔の事?」

「昔の事もだが......皆が死ぬ夢だ......」

「......そう。もう大丈夫よ......私達はここに居るわ......」


 額に手を当て項垂れるエレーナをレイラがそっと抱きしめてくれた。その優しい暖かさにエレーナも少し落ち着きを取り戻し、目を瞑りレイラを抱きしめ返す。


「......私は不安なんだ......時々全てを失う恐怖に駆られるんだ......」

「......大丈夫よ。エレーナの事は私が守るわ......もう悲しませたりなんてさせない......」

「うん......ありがとう......」

「まったく、貴女は弱いのよ? そんなに思い詰めちゃダメじゃない......」

「......そうだな。私は弱い......つくづくそう思うよ......」

「でも優しいわ。その優しさで皆を救ったじゃない。自信を持って良いのよ?」

「そうだろうか......? 私の判断は間違っていなかったのだろうか?」

「......間違ってなんかないわ。皆生きているでしょう? それが証拠よ」

「......そうか......私は間違っていないのだな......」

「そうよ。だからそんなに思い詰めないで......私も悲しくなっちゃうわ......」

「すまない......」

「謝らなくていいのよ? エレーナと私は一心同体なのだから......だから笑って? エレーナが笑顔で居られれば、私も笑顔で居られるのだから......」

「......そうか」

「そうよ。だからそんなに泣かないで......」

「......私は泣いていたのか......情けないな、これでは隊長失格ではないか......」


 エレーナは言われて気が付いたが、その目からは涙が零れ落ちていた。その顔を手で拭うと、健気に笑って見せる。


「強がらなくても大丈夫よ。泣きたい時は思う存分泣きなさい......」

「いや、大丈夫だ。レイラに慰めてもらったから、もう復活したと言っていい位だ」

「......そう。思い詰めたら私に相談しなさいよ?」

「分かっているさ......ありがとう、もう大丈夫だ」


 そう言いながらレイラの体を離すとベッドから立ち上がり、ふと何かを見つめていた。その視線の先には先日レイラが買ってくれたスノードームがあった。レイラはスノードームをじっと見つめるエレーナの事を心配そうに見つめ、ベッドに腰かけている。


「......顔を洗ってスッキリしてくるよ。レイラは紅茶を頼めるか?」

「......ええ。分かったわ......」


 そう言いながらエレーナは部屋に備え付けの洗面所まで行くと、自分の顔が鏡に映る。目には隈ができ、ただでさえ白い肌がさらに白くなって血色が悪く、唇も血の気が引いているようだ。


「全く、酷い顔だ......」


 そう言いながら蛇口を捻り手で水を掬い顔を洗う。2~3回繰り返した後、ため息をついて再び顔を上げ鏡を見る。


「しっかりせねば......私は隊長なのだ......仲間がいる......私は守らなくてはいけないのだ......」


 ふと視線を下げるとギプスに何か書いてあるのに気が付く。それは腕の内側にとても小さく書いてあり、間近で見ないと読めない程だった。エレーナは腕を捻って見てみると、そこにはНи пухаプーハ ни пераペラー!と書かれている。どうやら眠っている間に落書きをされたらしい。


「......これを書いたのはアンジェラか? 『獣も鳥も獲れませんように』だと? 全く、随分古臭い言い回しをしたもんだ......」


 直訳すると酷い言い回しだが、何故かエレーナは笑みを浮かべている。そしてその言葉に返すように小さく呟いた。


「......К чертуク チョルトゥ


 そのギプスをぎゅっと握り締め、少し嬉しそうにしながらもタオルを手に取り顔を拭き始めた。

 Ни пуха ни пераという言葉には「頑張って」と「幸運を」という意味がある。これはロシアの伝統的な言い回しで、成功を言葉にすると失敗を招くとされているので、あえて『失敗するように』と言うのだ。そして言われた人は「К черту地獄に落ちろ」と返すのが礼儀である。失敗を願う言葉なので、間違っても「ありがとう」とは返してはいけない。

 もっとも、古い迷信を信じる年配の人が使う言葉なので若者はあまり使わなくなってきている。だからエレーナは古臭いと口にしたのだ。


「エレーナ、紅茶の準備ができたわ。私はエミリヤを連れてくるからちょっと待っててね」

「ああ、よろしく頼む」


 洗面台を隠すように立ててある衝立からレイラが顔を出しエレーナの様子を気にした後、部屋を出て行った。エレーナは歯磨きを終えて着替えようと自分のベッドへと向かうと、テーブルの上に見慣れない大きな茶器が置いてあるのに気が付く。


「これは......サモワールか」


 そこには蛇口のついた大きなお湯の容器が置いてあり、上にはティーポットが乗っかっている。大きな容器の傍には煙突のようなものが置かれている。派手に金色に光り輝くその茶器達はとても煌びやかで見ているだけでも楽しめる程だった。


「......随分本格的な物を用意したものだ」


 その見事なサモワールを眺めていると扉が開かれレイラとエミリヤが入ってきた。既に戦闘服に着替えたエミリヤの手にはバスケットが握られており、上にはハンカチが被されていた。レイラは火起こし兼用のチャコール缶を持ってきたようだ。


「おはようございますですわ隊長......気分は大丈夫ですの?」

「おはようエミリヤ。もう大丈夫だ」

「......それじゃ外のテーブルでお茶にしましょう」

「せっかくのサモワールでのお茶会だ。今日は満喫しようじゃないか」

「ええ。盛大にやりましょう。だからほら、エレーナも着替えて行きましょう?」

「そうだな」


 そう言いながら手早く軍用パジャマを脱ぐと、下着を身に着けていないエレーナの白い肌が露になる。透き通るような肌が朝日に照らされ真っ白な妖精のように輝く。


「......カハッ!?」


 突然エミリヤが膝から崩れ落ち、跪いて力なく座り込んだ。


「......ん?」

「...................」

「あらぁ? エミリヤ気絶しちゃったわよ?」

「......? はっ!? つい何時もの癖で勢い良く脱いでしまった!?」


 咄嗟に開けた胸を隠すエレーナだったが既にガッツリと見られてしまった。が、肝心のエミリヤは力なく座り込んで首をも垂れたままだった。その隙にせっせとパジャマを着なおすエレーナは顔が真っ赤になり耳まで赤く染めていた。


「私は見慣れているけれどエミリヤには刺激が強かったようねぇ」

「くっ......! なんという不覚......!」

「....................はっ!? 今天国が見えましたわ!?」

「あら、帰ってきたわね」

「エミリヤ......今の光景は忘れてくれ......」

「......あ、あら? どうにも記憶が曖昧ですわ......今何かありましたの?」

「い、いや何でもない! と、とにかく先に外に行っていてくれ!」

「......? わかりましたわ」


 首を傾げながらエミリヤが部屋の外に出ていくとレイラとエレーナが再び二人きりになる。


「......ねぇ、エレーナ。もしかしてなんだけど、貴女迷ってる?」

「......わかるか?」

「ええ。何年一緒にいると思っているの? 昨日の夜から様子がおかしいわ」

「......レイラにはかなわないな......」


 昨日の連隊長から聞いた話をエレーナは誰にも言っていなかった。他言無用の命を守り、誰かに話したくても話せない状況に陥っていた。


「それで、何に迷っているのかしら?」

「......我々は本当に戦うことしかできないのだろうか? 他にも生きる道など沢山あるはずだ......場所だって別にキルギスでなくても良いのではないのか......?」

「......」

「......きっと祖国が崩壊した今、ここよりも祖国は平和になっているのではないだろうか......意外と祖国にも私達の居場所はあるのではないか......? そうすれば......レイラも家族と再会できるかもしれない......」

「......」


 するとレイラが怪訝な顔をした後、少し怒ったような顔になる。


「......エレーナ。貴女は勘違いをしているわ」

「......勘違い?」

「祖国に私達の居場所なんてない。間違っても帰ろうなんて考えない事ね」

「......だがレイラは家族に会いたくはないのか?」

「いまさら何を言っているのかしら? 貴女が私を家族から引き離した責任を感じているのは知っているわ。でもね、その考え自体が迷惑なのよ?」

「......」

「私は私の判断でエレーナについてきた。それを自分の都合の良い考え方をしないで頂戴」

「......自分の都合のいい考え方?」

「そうよ。私に対する罪悪感を背負うことによって、自分が祖国から逃げ出した罪悪感と家族を失った悲しみをごまかしているでしょ?」

「......それは......」

「残念ながらそれは正しくないわ。だから私は私の罪悪感を背負って生きていくから貴女は貴女の罪悪感を背負って生きていきなさい、エレーナ」

「レイラ......」

「......それと、皆はきっとキルギスを離れたがらないわ」

「......それは何故だ?」

「ここには各々の思い出が詰まっているの。それは他に代えようのないものよ。それは家族との思い出だったり、かつての友人だったり、今も大切に思っている人との思いでよ。守りたいものだってあるはずよ」

「......だが、この国は仲間の命を懸けてまで守るには値しないのかもしれない......」

「......今、守るに値しないって言った?」

「......ああ」

「......私はそうは思わないわね」

「......なぜだ?」

「キルギスには連隊長やマスターみたいな人が他にも沢山いるのよ? 貴女はあまり出かけないからわからないでしょうけど、良い人達は彼らだけではないわ。そんな日常を守ってあげたいとは考えられないの?」

「......正直、わからない......男達は特にクズ野郎に思えて仕方がないんだ......レイラはそれを知らないからそういう事を言えるのだ......」

「......そう。......これは重症ね......」


 レイラはエレーナのやつれた顔をまじまじと見て何かを察したようだ。怒りを見せていた顔も次第に悲しい顔へと変貌していた。


「......すまない......何故かは言えないが......」

「謝らなくていいのよ? ......その様子だと何かを知ったのね?」

「......そうだ」

「......分かったわ。深くは聞かないわ。だけどこれだけは覚えていて頂戴。私は貴女にどこまでも付いていくわ。だけどこの国を出るのは反対よ。それでも出ていくというなら納得のいく説明をしてから私を連れ出してちょうだい」

「わかった。約束しよう」

「お願いするわ。......お茶をしながらエミリヤとも話してあげなさい。彼女もこの地には深い想い入れがあるのよ......それはエレーナも知っているでしょう?」

「......ああ」

「......それじゃ、話の続きはお茶を飲みながら話しましょう」

「......そうだな」


 そして二人は新しい茶器を手に部屋を後にした。残されたスノードームがその姿を見送り日の光で煌めいていた。



 ―――ロシアンティーの香り~古傷に思いを寄せて~②へと続く

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