第32話 ミローノヴィチ・エミリヤ・ルドルフォヴナ③

『......骨の髄まで冷えますわね』

『.....そうね......歩き続けないと凍え死んでしまうわ』


 薄く積もった雪をギュッギュッと踏み締めながら二人は明るくなりつつある山をひたすら歩いていた。着せられていた戦闘服の下は薄い下着だけであり、高い標高も相まって厳しい寒さが肌を容赦なく刺してくる。


『それにしてもここはどこなの?』

『恐らくそう遠くはない場所でしょうね......中国側かタジキスタン側か......それが問題ですわ』

『......タジキスタン側だったら最悪ね......』

『......もしそうだったら良からぬ連中とバッタリ会う可能性が高いですわ......戦闘服なんて来ていたら間違いなく撃たれますわね』

『......標的以外に会わないことを祈るばかりだわ......』

『その標的だって渡された顔写真だけが頼りですわ。この山の中で見つけるのは絶望的ね......』


 そう言いながら稜線を一つ、また一つとひたすら超えていく。右手には大きな山が見えており、その稜線に沿って進めば方角は見失わずに歩みを進めることができた。不気味に静まり返る山は標高が高く、木は閑散と生えており幸にも見通しは良い。

 そこを二人は仲良く肩を並べて歩いていた。


『......ねぇ。もし無事山を抜けられたらさ......このままソ連から逃げちゃわない?』

『でも私達には発信機と自害装置が仕込まれていますわ』

『バレる前に抜いちゃえば良いんじゃない?』

『......夢があっていいですわね。......そうですわね......ここがタジキスタンだとしたら、逃げるならアフガニスタンまで抜けなければならないわ』

『私達だったらできるわ。これまで二人で乗り越えてきたじゃない。雪中行軍だって楽勝よ』

『......そうですわね......ねぇ、レーノチカ?』

『うん? なぁに?』

『......この山を降りたら今度はスーシキの作り方を教えてほしいですわ。何時か二人で作ったお菓子でお茶会をしましょう』

『......いいわね、それ。......ここから逃げ出したら二人で一緒に暮らしてさ、庭で本格的なお茶会を開いてさ、ご近所の奥さんなんか招いて和気あいあいと暮らすのはどうよ?』

『......とても素敵な光景ですわ......』

『もう軍人なんてコリゴリだわ。二人でお菓子屋さんを開くのもいいわね』

『でもわたくし料理は苦手ですわ』

『じゃあ上達すればいいじゃない! 私と一緒に練習すれば直ぐに上達するわ!』

『......ふふ。それもそうですわね』

『......ほんと、最近ミーレチカはよく笑うようになったわね』

『......え?』

『ちょっと前までは険しい顔と悲しい顔しか見た事がなかったもの。今ではこんなに可愛く笑うようになったわ』

『......そうですわね......人前で心からの笑顔を見せるのはレーノチカにだけですわ。今まで見せてきた他人に向ける笑顔だって、全て飾りでしたもの』

『......ふーん? 嬉しい事言ってくれるじゃない。私はミーレチカの笑顔を見るのが楽しみなのよ? だからもっと笑う為にミーレチカはもっと自分に素直になって。私との約束よ』

『......わたくしは何時も素直ですわ』

『嘘。何時でも私の事ばかり考えて行動してる。偶には自分のやりたい事をやって良いのよ?』

『......そんなのありませんわ』

『えー? 何かしらあるんじゃない? 私とデートしたいとかでも良いのよ?』

『......恥ずかしいですわね』

『いいじゃない。ほら、素直になっちゃいなさいよ。私はミーレチカとデートしたいわ』

『......相変わらず遠慮なくそういう事を口走りますのね』

『私は自分に素直なの。大好きな人に本当の自分を知ってもらいたい、なんて思うのは当然のことじゃない?』

『.....そう? わたくしはそうは思えないかもしれないですわ』

『でも私はそう思う。言わなきゃ伝わらないもの。だから言葉に出すの』

『......レーノチカ......』

『......大好きよ......ミーレチカ』

『......いきなり恥ずかしい事を言わないで頂戴』

『言ったでしょ? 私は素直だって。だから伝えたいと思ったときに伝えるの』

『......それにしてもいきなりすぎますわ』

『あなたはどうなの? ミーレチカ。あなたの口からも聞きたいわ』

『......やっぱり口にしないと駄目なんですの?』

『そうよ。私は我がままなの』

『......仕方がありませんわね』


 するとエミリヤは立ち止まり呆れ顔をしつつも、寒さなのか照れなのか頬を染めながら口をモゴモゴさせている。それをスラーヴァは後ろを向きつつ歩きながらニヤニヤ笑ってからかう。


『......え~何? 聞こえないわよ』

『............わたくしも.......貴女の事が......』


 恥ずかしそうに何とか聞こえる位の声でそう呟いたその時。


《ズガァン!!》


 突然爆音が山に轟いた。


『グッ......!!』


 次の瞬間、エミリヤの腹部に強烈な痛みが走った。全身を打つ衝撃波と不意打ちを受けた痛みによってエミリヤはその場で蹲ってしまった。


『うぐぅ......何が......?』


 すると爆音で馬鹿になった聴力が少しずつ戻り、声がするのに気が付く。


『......ぁぁぁぁぁぁ! .......ぁぁああああああああ!! あ”あ”あ”あ”あ”!!!』


 その声は絶叫だった。激しい声を上げる声は耳をつんざくような声量で、馬鹿になった聴力でもはっきりと聞こえる程だった。


『......っ! レーノチカ!!』


 その声の持ち主がレーノチカであることに気が付き、エミリヤが痛む腹部を堪えながら顔を上げると、その光景に絶句した。


『......え......?』


 そこには、小さい窪みができていて、すぐ横にスラーヴァが横たわっている。蹲り、必死に左足の太ももの付け根を抑えながら絶叫している。しかし、その太ももから下には、あるべきものがなかった。膝から下は完全に消失し、残された太ももは、爆風に押し上げられていた。


『ぅうぐぅぅぅぅう!! ああああ! ぁぁあぁあああ!!』

『......嘘......』


 その光景が受け入れられず立ち尽くしていたが、我に返りスラーヴァの元に駆け寄ろうとする。


『来ちゃダメぇええええええ!!』

『!!』


 悲鳴交じりの絶叫を受け、エミリヤは踏みとどまった。


『......ぐぅぅぅ!! PMN地雷よ......近くに.......まだある......っ!!』

『......っ!!』


 必死で痛みを堪え、なんとか状況をエミリヤに伝えるスラーヴァ。その間にも、白い雪が段々と赤く染まっていく。


『待ってなさい!! 今助けますわ!!』


 するとエミリヤは膝まづき、必死で雪をかき分け地雷が無いか確認しながら少しづつ進み始めた。


『......っ!! .......んぐぅっ!!』


 焦らせない為か、スラーヴァが声を押し殺して必死に痛みに耐えている。


『直ぐに行くわ! 大丈夫、PMN地雷なら命は助かるわ!!』


 最早自分の腹部の痛み等忘れ、無我夢中で雪をかき分けるエミリヤ。すると、雪の中からゴム製の十字の形をした突起が現れた。


『......! くっ!』


 その地雷の横から手を入れ、そっと取り出すと踏まないよう横に避けた。そのまま地雷の埋まっていた所を進み、何とかスラーヴァの所まで辿り着いた。


『しっかりなさい! 今止血しますわ!!』

『.............』


 顔面が蒼白になり、反応が薄い。冷や汗を大量にかいて、正常に呼吸が出来ていない。ショック状態に陥っているようだ。幸いにも出血はそこまで酷くはない。押し上げられた筋肉で血管が圧迫されて血が止まっているようだ。エミリヤはその様子を見て神経原性ショックと判断し、先ずはスラーヴァを抱え上げ骨盤高位の姿勢トレンデンブルグ体位を取った。


『大丈夫......大丈夫よ......貴女は私が助けるわ......!』



~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 スラーヴァはショック状態に陥り、そのまま気を失ったが何とかまだ生きていた。しかし太ももの損傷は酷く、爆風によって押し上げられた筋組織がカリフラワーのように咲き、とても処置等できない状態だった。

 エミリヤはブーツの靴紐でスラーヴァの太ももの付け根を強く縛り、傷口を着ていたキャミソールで覆ったが、未だに血が滲みだしている。


『......厳しい状況ですわ......』


 既に日が昇って明るくはなっているものの、辺りは依然冷え込んでいる。このまま地面に寝転がっていては先に低体温症で命が危なくなる。


『そして周りには地雷原......これが......あいつ等の目的だったんですのね......』


 するとエミリヤは手渡されたトカレフを取り出すと残弾を確認すると、弾倉内に2発の銃弾が見えた。


『......これは自決用とかじゃありませんわよね?』


 自決用なら奥歯にリシンがある、と思っていた時ハッとなる。


『......無い......義歯の......中身がありませんわ......』


 舌で蓋を起そうとしたら、そこにあるはずだった蓋が無く、ぽっかりと穴が開いていた。


『............ふざけた奴らですわ......』


 恐らく地雷を踏んで自害しようとした時に出来ない事を知り絶望を与えるためなのだろう。その為二発の銃弾と拳銃一丁を自害用に持たされていたようだ。


『......あんな奴らの思惑通りにさせるものですか......! 絶対に生きてこの森から出てやりますわ......!』



~~~~~~~~~~~~~~~~~~



『......ふぅっ! ......ふぅっ! ......ふっ!』


 それからエミリヤは未だ目が覚めないスラーヴァを背負い、枝で地面を刺しながら雪道を歩いていた。


(ここが地雷原という事はタジキスタン側の山間で間違いないですわ......となるとあの山に挟まれたこの場所はクロスヤかドマットパリットセイの上の可能性が高いですわね......このまま西側に抜ければ......チャルヴァク湖に出られる......!)


『はぁっ! はぁっ! ......っ!!』


 スラーヴァを背負いながら険しい山の中腹を進むエミリヤは予想より早く体力を消耗していた。それに加え、腹部からは出血しており、戦闘服が赤黒く滲んでいる。


(このままでは間に合いませんわ......それにレーノチカの体温が下がってる......そう残された時間は長くないですわね......)


 するとエミリヤは手にしていた枝を放り投げた。


『......もう地雷を踏んだってかまいませんわ。死なばもろとも、どの道間に合わないのであれば潔く散って見せますわ......!』


 そう言うとエミリヤは地面も確認せず、ズンズンと足早に歩きだした。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~



『はっ! はっ! はっ! はっ!』


 あれからどれだけの時間が経過しただろうか? エミリヤは先の見えない山の稜線を幾度となく超えていた。いくら歩いても風景が変わらず、果てしなく遠い道のりに普通の人間であればとっくに絶望し、歩みを止めていただろう。しかし、エミリヤはふら付く足取りではあるものの歩み続けていた。


《ズルッ!》


 すると突然足が取られた。どうやら雪の下に露出した岩があったようでそれを踏んでしまい少しだけではあるが滑ってしまった。


『っ! しまっ......』


 次の瞬間、体勢を崩したエミリヤは倒れこんでしまった。しかしスラーヴァを放そうとせず自分が下になるように倒れこんだ。


『っぐ! ぅぅうううぐぅぅぅっ!!』


 倒れこんだ先は、岩場だった。出っ張った岩が、エミリヤの腹部に当たり悶絶している。傷口が開いたようで、新しい血の滲みが服に広がっていく。そのままエミリヤはその場に倒れこみ、横にスラーヴァが転がり落ちた。


『......っ! ......ぐぅう!!』


 エミリヤは蹲り、そのまま動けなくなってしまった。かいた汗と滲み出た血が凍り付き、容赦なくエミリヤから体温を奪っていく。彼女もまた血を失い、既に何時意識を失ってもおかしくは無いほどだった。


『......こんな......事をしている.....場合では......っ!』


 しかし痛みに囚われ、消耗した体力も相まって体が言うことを聞かない。


『......ミー......レチ......カ......』


 すると微かに呼ぶ声が聞こえた。


『っ! レーノチカ!?』


 その声を聴き、無我夢中の思いで体を動かし、スラーヴァの顔に耳を近づけた。


『......目が.....覚めましたのね.....』

『......もう.....だめ......痛くて......かなわないの......』

『っ!!』


 その声はカスレカスレで、今にも消えそうなか細いものだった。乾燥しきった唇を微かに動かし、なんとか聞こえるその声を聴き、エミリヤは全身に鳥肌が立ち震え上がった。


『......大丈夫よ! きっともう直ぐ山を抜けますわ! もう少しだけ耐えて頂戴!』


 そう言うと身体に鞭を打ち、エミリヤが血を滴らせ這いつくばりながらスラーヴァの襟を掴み、引き摺り出した。


『......もう.....楽に......させて......』

『.....っ! そんな事......許しませんわ......! 言ったでしょう!? 勝手に死ぬことは許しませんわ!』


 まるでもがく様に片手で岩を掴み、ひたすらスラーヴァを引き摺るが、雪に取られてうまく進めない。すっかり体温が奪われたスラーヴァには雪が少しずつ積もり始めていた。


『......ごめん......なさい............』

『......謝るのはここを降りてからにして......!』

『......あなたと......会えて......良かった......』

『......っそんな事言わないでっ......!!』


 どう足掻いても引き摺ることも出来ないほど、エミリヤの体力は消耗していた。動かす手足は空しく雪を掻くだけだ。


『......愛してる......わ.......ミーレチカ......』

『......!! わたくしも愛していますわ! だからお願い! 生きて頂戴......!』


 振り絞るような声を上げ、涙で雪を溶かしながらエミリヤが答える。


『......お願い......私を......撃って......最後くらい......楽に......死にたいの』

『......そんなの......できるわけが......ありませんわ......』


 震える声でエミリヤが答える。だが、スラーヴァは答えなかった。ゆっくり顔を見てみると、目をつぶり、頬には涙が凍り付いていた。


『......』

『......駄目ですわ.......死んではダメですの......わたくし達にはまだやる事がありましてよ......?』

『......』

『......お菓子屋さんを開くんでしょ......? ご近所さんと和気あいあいと暮らすんでしょ......?』

『......』

『......だからお願いよ!』

『......』

『レーノチカ!!!』

『............』


 だがスラーヴァは答えなかった。そのままエミリヤはレーノチカを抱きしめ、嗚咽を混じらせながら泣き出してしまった。静かな山間に鳴き声だけが木霊する。


『やれやれ、名前を呼ばれて来てみれば何だ? この状況は?』

『......え?』


 不意に背後から声が聞こえた。


『......あら? この子達7702部隊の紋章をつけているわね......』

『ふむ、雪中行軍でもして地雷を踏んだのか? 他の部隊の者はどうしたんだ?』

『......人?』


 かすむ目でその二人組を見てみると白い長髪の少女と、青い長髪の少女だった。全身を防寒着で覆い、重装備で山を歩いていたようだ。手には地図を持ち、どうやら密入国を企てているようにも見えた。

 その時、渡された写真と同じ人物である事に気が付き、エミリヤはポケットのトカレフに手を伸ばそうとしたが、スラーヴァを助けられる可能性がある事に気が付いてその手を止めた。


『......危険な状態だな......このままでは1時間と持たずに死ぬだろう』


 銀髪の少女がエミリヤを抱えてスラーヴァから引き剥がし、血が滲んだ戦闘服をたくし上げ傷口を確認するとそう言い放った。


『......わたくしは......いいから......その子を助けて......!』


 それに構わず、その銀髪少女の腕を掴みながら懇願するエミリヤ。


『......こっちの子は駄目ね......体温と血を失いすぎているわ......もう動かすのも危険なほどよ......』

『......え?』


 スラーヴァの方を見てみると、青い長髪の少女が雪が積もるスラーヴァを抱え、険しい顔をしていた。


『......そんな事......ありませんわ......! だから......お願い......!』

『......静かにして頂戴......彼女が何か言っているわ......』


 するとスラーヴァの口元にに青髪の少女が耳を寄せ、何かを聞いたようだ。


『......本当に良いのね?』


 青髪の少女が今にも泣きそうなくらい悲しい顔でそう聞くと、スラーヴァは少し笑ったようにも見えた。


『......レーノチカ。それ貸して』

『......あぁ。わかった』

『......レー......ノチカ?』


 するとレーノチカと呼ばれた少女はエミリヤを離すと立ち上がり、青髪の少女に何かを手渡した。


『私がやろうか?』

『......いいえ。私にやらせて頂戴』

『......わかった』

『......何をしているの......?』


 重い体を動かし、何とか体を起こして3人の方を見てみた。


《タン!》


『......え......?』


 すると突然銃声が響いた。そこには銃を構えている少女と、それを見つめる少女。そして雪を赤く染めるスラーヴァの姿があった。


『......は?』


 どうやら、スラーヴァを撃ったらしい。


『......どう......して......?』


 大粒の涙が頬を伝った。


『......彼女の最後の願いだったのよ......』

『......そんな......まだ......助かったかもしれないのに......』


 次第に涙は滝となり、その体は痙攣のように身を震わせている。見つめる先のスラーヴァは、安らかな顔をしてもう動かない。


『......この子はどうするの? レーノチカ?』

『......見捨ててはおけない......おい、他の隊員はいないのか?』

『......』


 しかしエミリヤはスラーヴァを見つめたままピクリとも動かないで泣き続けている。


『......仕方がない。一旦下まで降りて救助隊を要請してこよう。レイローチカは傍にいてやってくれないか? 救助隊が来たら会わずにこの場を離れてくれ。1km先のこの地点で合流しよう』

『わかったわ。気を付けてね』

『ああ。ありがとう』

『......』


 二人の少女は地図を見ながら打ち合わせをしているようだ。


『......レーノチカは......もう居ない......』


 呆然とするエミリヤがそう呟くと、ポケットへと手を入れた。


『生きている意味なんて......もう無い......』


 トカレフを取り出し、スライドを引く。


『......! ちょっと! 何をしているの!?』


 青髪の少女が気が付いた。だが既にエミリヤはトカレフを顎に向けている。


『......今......行きますわ......スラーヴァ......』



《パァン!》



 静かな山に二度目の銃声が響き渡る。澄んだ空気に硝煙が立ち込め、血しぶきが雪を赤く濡らした。


『ぐっ......! この大馬鹿者がっ!!』

『......』


 飛び散った血は、銀髪の少女のものだった。どうやら銃口を覆いかぶせるように手を突っ込み、そのまま横に倒し銃を背けたようだ。銃弾が貫通した手からはポタポタと血を垂らし、エミリヤを怒鳴りつける。


『せっかく助かる命を自分で絶ってどうする!? そんな行為に意味等無いとなぜ分からないんだ!!』

『......もう生きている意味などありませんわ......』


 力なく項垂れるエミリヤの胸元を掴み再度怒鳴りつける。


『貴様が死ねばアイツは蘇るのか!? 違うだろう!? 貴様が死んだ所で何も変わらないんだ! 命を無駄にすることは私が許さん!!』

『......』

『それに貴様が死ねば此奴は悲しむ! 苦しんで死んだ挙句まだ苦しませる気か!』

『......貴女はわたくしの苦しみを知らないから......そんな事が言えるんですわ......』

『知ったことか! 貴様こそ私の何が分かる! お前だって目の前で大切な人を失う気持ちを貴様は経験したばかりだろう!? どうして同じことを繰り返そうとするんだ!! 死んだ奴には関係ないとでも思っているのか!?』

『......それは......』

『こいつが死んだから自分も死ぬだと!? ふざけるんじゃない!! だったら大切な人を失って尚生きている私は一体何だと言うのだ!?』

『レーノチカ......』

『......では......わたくしに......どうしろと......?』

『生きろ! そして此奴の生き様を一生思い出してやれ! それが貴様に残された唯一の責務だ!!』

『......わたくしの......責務......?』

『そうだ! 貴様にはこいつの代わりに生きて弔え! そうしなければこいつの魂はずっとここで苦しみ続けることになるんだぞ!』

『......でもスラーヴァが死んだのに......わたくしだけが生き延びる事など......できませんわ』

『だから貴様は大馬鹿者なのだ! 貴様は自分が死んだら大切な人にも死んでほしいとでも言いたいのか!?』

『......』

『大切だからこそ生きて幸せになってほしいと考えるだろうが......』

『......』


 すると突然銀髪の少女がエミリヤに抱き着いてきた。


『......貴様の面構えは私に似ている......だから私は貴様を助ける。今そう決めた』

『......そんなの......勝手ですわ......』

『ふん。貴様が死のうとする方がよっぽど勝手だ』

『......でも......生きる目的を失った今......生きているのが......辛いんですの』

『......なら私がお前の生きる道を作ってやろう......』

『......貴女が......?』

『そうだ。もっとも、私達も生きる道を探して逃げてきた身なのだがな......』

『......そう......でしたのね......』

『だがお前と違って生きる希望を持っている。だから共に生きる道を歩むのも悪くないとは思わないか?』

『......』

『......何、生きる目的なんて直ぐに見つかるさ......』

『......本当......ですの......?』

『ああ。今だけ耐えれば、また幸せはやってくる』

『......スラーヴァは......許してくれるんですの?』

『......ああ。きっと彼女もお前が幸せになる事を望んでいる』

『............生きるのって......こんなに大変なことでしたのね......』

『......まったくだ。やれやれ私も時々嫌になってしまうよ』

『それでも生きているのは何故なんですの?』

『......次の幸せの為だ。それも他人に授ける為の幸せだ』

『......他人に捧げる幸せ......?』

『そうだ。幸せというのは他人からもたらされるものだろう? だから私は沢山の幸せを授けたい。そうすれば自分も幸せになれる。そう信じている』

『......阿保らしい考えですわ』

『かもな。だが私はこれまでも沢山の幸せを貰ってきた。だがそれを齎してくれた奴に返すことはもうできない。だから代わりにお前に幸せを与えてやろうと思う。だから大人しく受け取ってくれないか?』

『......やっぱり身勝手ですわ......』

『......嫌か?』

『......こういうのも......悪くありませんわ......』

『......ふっ。では精々甘えるがいい。その代わり私も遠慮なく扱き使うから覚悟しろよ?』

『......覚悟しますわ』

『よろしい。では、先ずはその体を治さなくてはな』

『......お待ちになって.......お名前を聞いてもいいですの?』

『......ラヴレンチェヴィチ・エレーナ・ゲルマノヴナだ』

『......やはり......エレーナでしたのね......』

『......こいつも同じ名だったのだな......』

『......いいえ。彼女はスラーヴァですわ......』

『......? そうなのか? 変わった奴らだ......』

『......よく言われますわ......』

『お前は何と言うのだ?』

『......わたくしはエミリヤですわ。ミローノヴィチ・エミリヤ・ルドルフォヴナ』

『そうか。ではこれからよろしく、エミリヤ・ルドルフォヴナ』

『......よろしくお願いしますわ。エレーナ・ゲルマノヴナ......』

『レーノチカ! とにかく山を下りましょう。少し騒ぎすぎたわ』

『ああ。......ちょっと良いか?』

『ん? どうしたの?』


 するとエレーナはエミリヤに聞こえないようレイラの耳元で呟いた。


『こいつは私と同じ愛称で呼ばれていたようだ。思い出させない為にもしばらく愛称で呼び合うのは控えよう』

『......わかったわ。エレーナ』

『ああ、頼むレイラ』


 エミリヤに聞こえないよう話していたつもりだったが、静まり返る山の中、その言葉はエミリヤの耳にも届いていた。


『......ほんとうに、阿保らしい程に良い人......ですわ......』


 そう呟いた後、彼女は地面に突っ伏すように気を失ってしまった。

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