第8話 ミルクティーの香り~各々の想いを添えて~①
「納得いかね~」
6人部屋の病室で一番窓際のベッドに横たわり、新聞を読みながらアンジェラがそう嘆いた。彼女達は先日の対レーダーミサイル攻撃により負傷者が発生し、検査入院している最中だ。
「それはそうよねぇ。今回の攻撃はタジキスタンの過激派組織からの攻撃とされているものね」
アンジェラの嘆きに答えたのはレイラだ。今はこの2人しかおらず、他の隊員は皆シャワーを浴びに行ったり、売店に買い物に行ったりしている。エレーナだけは、連隊会議に呼び出されて会議中だ。
「どこの国に戦闘機とARM(対レーダーミサイル)を持ってるテロリストが居るってんだ全く......」
「あら? 中東では珍しくもないわよ。それに対外向けはARMじゃなくてロケット弾での攻撃と書いてあるでしょ?」
「つっても奴らが持ってるのって
「あれはエタノールよ。そんな物飲んでいたら、その内盲目になって後悔するわ」
「へっ! 酒が飲めるんだったら目の一つや二つくれてやるってんだ」
新聞を畳みながら体を起こして起き上がるアンジェラ。外を見ると、雪が深々と降り積もっている。
「......なぁ、戦争になると思うか......?」
「......何とも言えないわねぇ......キルギス共和国としては、大国相手に三つ巴外交を貫くみたいなのだけれども......ARMで攻撃されたなんて言ってしまったら、『我々は東側から攻撃されました』と言っているような物だもの、言えないわよねぇ」
「だがタジキスタンもウズベキスタンも西側に付いてしまったぞ。今回の攻撃だって、恐らく東側がらみだ。そして北部で睨みを効かせるカザフスタンは伝統的な親露国だ。......私達はもう四面楚歌な状況に陥っているのではないか?」
「......あら。随分真面目な事を言うのねアンジェラ。らしくもないわ」
「......それもそうだ。あぁ酒が足りねぇ......せめて口実があれば外出許可が下りるんだがなぁ......」
「それは難しいわね。実質これは軟禁だもの。私たちは口止めをされているのよ」
「あーあぁ......売店にはマウスウォッシュしか無いんだよなぁ......マウスウォッシュは何かが違うんだ......酒の楽しみじゃねぇんだよ......」
「......呆れたわ。あなたそんな物まで飲んでいるの?」
「だってあれも酒じゃん」
「エタノールよ」
「やっぱ酒じゃん」
「......はぁ......」
……
…………
………………
「それじゃ、行ってくる」
「えぇ。ソフィアの事、よろしく頼むわ」
「ああ......任せろ」
そう言いながら、厚着をするエレーナ。外出は禁止されていたが、屋上の使用許可が下りた。空き部屋は残念ながら使用許可が下りなかった。そこでエレーナは日中に屋上にテントを張り、電気ストーブを中で炊いて温めておいた。
これからその屋上に向かう所だ。肝心のソフィアは夕食をさっさと済ませ、先に行っていると言い残し、今はテントの中に引きこもっている。
「ソフィア......今行くぞ......」
エレーナは毛糸で編まれた手提げ袋を握りしめ、屋上へと向かった。
……
…………
………………
屋上へ上がると、昼間に設営した軍用テントの隙間から、光が漏れている。流石に遮光された軍用のテントは透けないが、雪が溶け、暗闇に迷彩柄のテントが浮かび上がって不自然に佇んでいる。
「ソフィア? 入ってもいいか?」
「......どうぞ」
何時もなら「ヴぁい!」とか「イエスマム」とか返ってきそうなものだが、随分とおしとやかな返事が返ってきた。それだけ余裕がないということだろう。
「失礼するぞ」
「......隊長......」
中に入ると、電気ストーブとランタンの光に照らされて、頬がわずかに光り、目にはうるうると涙を貯えて輝いている。
その光景が不覚にも美しく思え、エレーナは少し見とれてしまったが、ハッと我に返って隣に座り込む。
「今日は私の提案に乗ってくれてありがとうな、ソフィア」
「いえ......隊長の方こそ私なんかの為に気遣って頂いて、ありがとうございます」
「何、隊長として部下の事を気遣うのは当たり前の事だ」
「そう......ですか......」
「今のお前は見てられん。どうにも私と同じように見えてな。昔の事を思い出す」
「隊長の......昔......?」
「あぁ。聞きたいか?」
「......聞いてもいいですか?」
「いいぞ」
そう言いながらエレーナは手提げ袋から水筒を取り出した。それはレイラが使っていたものと同じ形で、あの時ARMが着弾したときに使っていた物の色違いだ。
「軍人の家系である私は、ソ連の陸軍幼年学校である国防省女子寄宿学校を卒業し、そのままソ連軍に入隊した。第106地上軍防空兵教育センター第745高射ミサイル連隊へと編入され、SAMの知識を叩き込まれたんだ」
水筒をしばらく見つめていたエレーナは、器用に片手で蓋を空け、支給品のステンレスマグカップへとお茶を注ぎながら続きを話す。
「その陸軍幼年学校がまるで地獄のようでな。人権なんてものは無かった。幼い頃から共産主義というものを叩き込まれて、逆らう者は、それはそれは酷い扱いを受けたものだ。私も教官の怒りを買って、指の爪を全て剥がされた事がある」
自分の手を見つめるエレーナ。爪が生えそろってはいるが、あちこちを向いて少しいびつに見えた。それに、手の甲には古い傷跡があった。
「卒業して連隊に入ってからも酷いものでな、同期の殆どは慰めものにされ、自ら命を絶つ者も多かった。それなのに仲間達からは"エリート"だの"親の七光り"だのと罵られ、居る場所なんて無かったんだ。それでも私は挫けなかった。なにくそと思って頑張ってこれたんだ」
そう言いながら紅茶を淹れたマグカップをソフィアへと手渡すエレーナ。ソフィアは静かにそれを受け取り、中を覗くとミルクティーが入っていた。それはとても暖かそうに湯気を上げ、紅茶のいい香りがした。揺らめくベージュが綺麗に輝き、ソフィアはそれをしばらくの間眺めていた。
「そんなある日だ。突然私の元に電報が来たんだ。その内容はこうだ。『同志ゲルマンは偉大なる祖国に仇名す大罪人であり、その身柄は当局が預かっている。同志エレーナはその身柄を引き取りにモスクワまで出頭するように』だ。ゲルマンは私の父だ。そしてその時私は悟った。もうこの世に父と母は居ないと。モスクワまで行けば、私の命は無いとな」
「......え?」
軽い口調で話を続けるエレーナだったが、その話の重さに、ソフィアはただただ聞いていることしかできなかった。既に涙ぐんでいたが、その話を聞いているうちに情が移り、他人事のように思えず、自然と涙が溢れてしまっていた。
「そして私は逃げ出したんだ。守るべき人はもう居ない。帰る場所も無い。最早祖国に未練など無かった。殆ど何も持たない私は、身ぐるみ一つでカザフスタンまで逃げてきたが、そこで親切な老人と出会った。それは運命の出会いだった。彼はキルギス共和国の退役軍人であり、戦う事しかできない私に、軍人としてもう一度チャンスを与えてくれたんだ。その老人は私にキルギス語を教え、かつての伝で私をキルギス軍の外人部隊へと入隊させてくれたんだ。その老人の指導は中々のスパルタ教育だったが、ソ連式に比べればなんてことはなかった」
段々と嗚咽交じりに泣き始めたソフィアにエレーナはそっと肩を寄せ、頭を撫でる。その姿はまるで年の離れた姉妹のようだ。白と黒の髪が対をなし、ランタンの光で綺麗に輝いている。
「だが私は一人ではなかったんだ。この逃避行にはもう一人登場人物が居てな、お前がよく知る人物だ」
「レイラ......ですか......?」
「......そうだ。彼女は国防省女子寄宿学校の同期だったんだ。幼馴染であり大の親友だった彼女はずっと私に付いてきて、ずっと私を支えてくれていた。だから今も、私のかけがえのない人物なのだよ」
「そう......だったのですね......」
「だが、彼女は私と違い祖国に家族を置いてきてしまった。恐らく残された家族の末路は悲惨なものだっただろう。私は未だにその事を申し訳なく思っていて、時々大きな罪悪感となり、それに私は押しつぶされそうになるんだ」
「罪悪感......」
「そうだ。私はレイラの事が好きだ。彼女の事は自分の命に代えてでも守ると心に誓っている。だがその中には罪滅ぼしをしたい、そうやって犠牲になって自分を許したいという、極めて身勝手で傲慢な考えが秘められているのだと私は思う」
「......」
「私は我儘な女だ。だからこそ、私は日々罪悪感を感じながら生きている」
「そんな......隊長は罪悪感を感じる必要は無いのでは......?」
「......そうは思えないんだよ。それはお前にも分かると思っているのだが?」
「......そう、ですね......私も同じような事を考えています」
「やはりな......お前、この隊を去ろうと考えていただろう?」
「......はい......」
「それは止めておいた方が良い。そんな事をしたら私と同じ悩みを背負うことになる」
「でも......私......皆の目が怖くて......申し訳なくて......何時もの私が私じゃなくなって......不安で不安で仕方がなくて......」
「そうか......」
「私のせいで......皆が死にかけて......あの時油断してた自分が許せなくって......」
「......そうか......」
「だから皆私を恨んでいると......言葉に出さなくても、心の中ではそう思っているんじゃないかって......そう考えてしまって......」
「......そうか」
「だから......私が去れば、皆幸せになれるって......そう思って......」
「だが気づいたのだろう?」
「......はい......それは間違いでした......私は、ただ逃げているだけでした......」
「......自分でそれに気づいたんだ。お前はよくできた子だ」
「......そう、でしょうか?」
「それに、皆はお前のことを恨んでいないぞ。その証拠に、ほら」
「......?」
「これはニーナが今夜の為に編んでくれた手提げ袋だ。裏に『ソフィアへ』と描いてあるだろう? それにこっちはエミリヤからの手作りクッキーだ。メッセージが添えてあるから後で読むといい。そしてレイラからはこのティーセットを預かってきている。レイラお勧めの茶葉のセットだ。アンジェラは......どこから仕入れてきたのかわからないがウォッカだな、こりゃ。そして......これだ!」
「......これは......」
「キーラからだ! なんと、我々72中隊の部隊紋章入りのワッペンだ! ほら、ミサイルが背景に手前にはティーカップだ。実に我々らしいだろう? さらに上部には星が7つも描かれている。これは我々の人数だ。我々7人が揃って72中隊なのだ!」
「......えっ......部隊の紋章なのに......?」
「そうだ! 我々はここに居続けるんだ。ここには私たちの魂が宿っている。例え配属が変わりメンバーが散り散りになったとしても、私たちがいた証拠がここに残り続ける。私達は永遠に一緒なんだ」
「......他の班は?」
「もちろん確認した。そしてこの紋章を使うことを快く承諾してくれたぞ! 車両部隊もそうだ! 皆我々7人の帰りを待っている。お前の帰りを待っているんだ!!」
「............」
「そして私からはこれだ! この水筒は私達が国防省女子寄宿学校を卒業する時にお互いに贈りあったものだ。私が祖国から持ってきた唯一の物であり、宝物だ。だがレイラのは先日のARMで吹き飛んでしまったからな。今度新しいものをお互いに贈りあおうと約束したんだ。そして2人で話し合い、残されたこの思い出はソフィアに託そうと決めたんだ」
「......そんな、大切な物......受け取れません......」
「頼むから受け取ってほしい。私からのお願いだ。私はお前のことが本当に大切なんだ。こんな事でしか気持ちを表せないが、どうか頼む! この部隊に残ってくれ!」
そう言って頭を下げ、水筒を差し出すエレーナ。泣きじゃくりながらも一つ一つ丁寧に受け取ったソフィアは、ついにその手を水筒へと伸ばす。
「......皆、卑怯です......」
「......」
「......こんな物、受け取ったら......辞めるわけにはいかないじゃないですか......!」
「......そう、だな。だが気持ちに偽りなどない。皆お前の帰りを心待ちにしている」
「......」
「......」
長い沈黙がテントの中を支配する。ランタンの光が揺れ、ソフィアとエレーナの影もそれに合わせてゆらゆらと揺れている。冷え切ったミルクティーは木箱の上に置かれてその水面を静かに落ち着かせている。
その長い沈黙を打ち破ったのはソフィアの声だった。
「......わかりました......私、隊に残ります......」
「......! 本当か!?」
「......はい! 私、みんなに謝って、もう一度やり直してみます!」
「おぉぉお!! そうか!! 残ってくれるか!!」
するとテントの外から皆の歓喜の声が聞こえる。アンジェラが雄たけびを上げ、キーラが狂喜乱舞し、エミリアが何故かエレーナを称賛し、ニーナが珍しく大きな声で「良かった、本当に良かった」と安堵の声を上げ、レイラがあらあら、と呟いている。
「......え? 皆......?」
「結局、皆心配で付いてきてしまったようだな。やれやれ」
「......本当に、私なんかが戻って良いんですね?」
「くどいぞ! この歓声が聞こえないのか?」
「......私の居場所は、ここにあったんだ......!」
「そうだ! ここがお前の家だ! 皆お前の家族だ!」
「......そう......ですね......! ここは......私の帰るべき場所です......!」
「その通りだ! お帰り! ソフィア!」
「......ただいま」
こうして、再び241連隊、第72中隊第3小隊は、新しい門出を迎えた。
今日も彼女達はどこかでお茶を嗜んでいる。
――ミルクティーの香り~ランタンの香りを添えて~② へと続く。
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