第40話 ラーダの香り~淡い光に思いを寄せて~

 戦闘服へと着替えたエレーナは病院を抜け出し、公衆電話でタクシーを手配した。キルギスのタクシーは看板も掲げず一般車と変わりないため見つかる心配は無い。

 迎えに来た車は使い倒されたパタパタのラーダ2107だった。中に入ると、キツイ芳香剤の香りが充満し、それに混じって喫煙車特有の不快な香りが鼻につきエレーナは少し顔をしかめる。


「リヴネまで頼む」

「......あいよ」


 無愛想な運転手はミラー越しに戦闘服をチラチラと見ていたが、特に何も聞かず車を走らせた。窓を流れ行く街並みを眺めようとしたが、舗装してあるのかないのか分からない程に荒れた路面が車ごと身体を揺さぶり、芳香剤と煙草の匂いも相まり車酔いに耐えきれず直ぐに前を向く。

 ルームミラーに下げられた悪臭の原因の一つであるフレグランスボードは紅茶の茶葉の形をしており、これが返ってエレーナをさらに不快にさせた。


(全く......紅茶の香りが恋しくなるよ......)


 煽るようにヒラヒラと舞うにうんざりしていると、見慣れた光景が近づいてきた。日が落ち暗くなった盆地に浮かび上がる見慣れた建屋。何時もなら暗闇と同化してそこに基地があるのかもわからない筈なのだが、今日は忌々しい親衛隊が設置したと思われる投光器によってその姿を浮かび上がらせている。


「運転手、ここで降ろしてくれ」

「あいよ......料金は120ソムだ」


 以外にも運転手は特に何を言う訳でもなくここまで送ってくれていた。後はここからの彼の行動だけが心配だ。

 全力疾走しても集落から基地まで8分以上掛かる。その間この運転手が親衛隊の元まで車を走らせ、BTR-80が駆けつけるまでは3分とかからないだろう。それに基地周辺は田畑が広がり見通しが良すぎる。迂闊に身を晒せば見つかる可能性が高い。

 口封じできる程の金を持ち合わせていただろうかと非常時用に戦闘服に忍ばせていたビニール袋に入れた紙幣を取り出した所で、不意に運転手に語りかけられた。


「......なぁ、嬢ちゃんよ」

「ん? 何だ?」

「ここは戦争になるのか?」

「............」


 考えてみれば当然の問だった。今日の戦闘で基地の近くにある街中には演習を知らせる為の事前通達が無い爆豪が轟き、山では派手に炎を上げながら戦闘機が落ちたのだ。疑問に思わないほうがおかしい。


「先月も戦闘があっただろ? カザフスタンのテロリストからだと報道されていたが、今日のこの騒動は何か違う気がするんだ......本当はカザフスタンとの戦争が近いんじゃないかと皆不安になっている......実際の所どうなんだ?」

「......すまない、保安上の理由で説明する訳にはいかないんだ」


 咄嗟に濁したが、実際軍事関係の話を一般市民に話す訳にはいかない。だが、なんとも言えない罪悪感のようなものをエレーナは感じていた。


「......そうか」

「......だが心配するな。この空は私達が守ってやる。今日は安心して眠ってくれ」

「......」


 ルームミラー越しに暗い顔をする運転手の肩に紙幣を乗せながらエレーナが答えると、運転手はゆっくりと受け取り手提げ金庫の中からお釣りを取り出そうとするが、ふとその手を止め迷いを振り切ったかのように語り始めた。


「......正直に言うとキルギス人やタジク人はあんたらみたいな元ソ連兵の事を信用しちゃいない。先の戦闘だってあんたらのせいでこの国が脅かされていると言っている輩の方が多い。もしその格好でビシュケクの町中に出れば、そう長く持たず罵声が飛び交うだろうよ」

「......やはりそうか」

「だがな、この街の人間は違う。乗せる客の話を聞いていれば分かる。皆口を揃えてこう言いやがるんだ......『あそこには女神マナートが居る』ってな......」

「......え?」


 運転手の口から出た意外な言葉にエレーナは目を丸くして運転手の顔を見つめる。


「皆薄々気がついているんだ。あそこの基地に居るお前さん達は何かが違う。ウチの常連客のそこの家の婆さんが言ってたんだ。『あの基地に居る娘達は私と同じで悲しい目をしている』ってな......」

「......」

「あの婆さんは可愛そうなもんでよ......1990年の暴動の時に息子夫婦を亡くしちまってな、残された孫だってアラカチューで攫われて今じゃ一人ぼっちだ......しかも旦那は祖国戦争の時にとっくに亡くなっていると来たもんだ......」

「酷い話だな......」

「......だがな、あの婆さんは良く笑うんだよ。その笑顔がまたいい笑顔でよぉ......俺はその笑顔を見ると胸が痛くなってあの婆さんをマジマジと見れねぇんだ。毎月決まった日に息子の墓参りに行くから毎月呼ばれて迎えに行くんだがな、その日が億劫で億劫で仕方なくってな......」

「......やはり、息子を大切に思っていたのだな......」

「そんな婆さんも最近はボケちまってここの所毎日のように俺の事を呼びやがる......もう金なんて残ってねぇのは分かってっからよ、毎日毎日断るのが大変でな......電話じゃ埒があかねぇってんで直接会いに行ってよ、家の中を見てみればロクに食うもんもねぇ酷ぇ暮らしをしてやがるんだ......見ていられなくって最近は断りついでに食いもん持ってくようになっちまってな......なのに持っていった食べ物を食わねぇで腐らせて次の日に俺に出しやがるんだ......『貰い物でごめんね』って言いながらよぉ......安い給料叩いて買ってやってんのに泣けてくるぜ全く......」

「......」

「......そんな婆さんがな、相変わらず笑いながら言いやがんだ。『あの基地には可愛い孫がいる』ってな......本当の孫は今頃どこぞの旦那とよろしくやってるだろうによ......ボケちまってあんたらの事を娘だと思ってやがるんだ......毎日毎日会いに行くって言って出だしてはそこの教会のシスターに連れ戻される日々を送ってやがんだ......本当、哀れな婆さんだぜ全く......」

「......そう......だったのか」

「......でもよ、そんな婆さん家の目の前で戦争が起きようとしているのが俺には我慢ならねぇ.......見るのも嫌だったあの婆さんの笑っている顔が見れなくなっちまうかもしれないと考えると夜も眠れねぇ......」

「......」

「......俺やこの国の事はどう思ってくれても構わねぇ。だがよ、あの哀れで、救いようもなくってどうしようもなく優しい婆さんの事だけは守ってやってくれねぇか? あの婆さんに何時までも孫の自慢話をさせてやってくれないか?」

「......」

「......頼む......」


 運転席で頭を垂れた男は今にも擦り切れそうな声でそう懇望してきた。それを聞いたエレーナはお婆さんの家に目を向けると、当たりは暗くなり軒を連ねる家々が温かい光を撒き散らすのに対し、その家だけは暗闇に包まれ、たった1つのかそけき光のみを放っている。

 その光を見た、エレーナはそっと胸元に手を添えると、そこにはキーラが作った紅茶とミサイルと7つの星があしらわれた部隊章があり、それを指でなぞった。

 運転手の話にただただ重く閉じていた口が微かに笑い、哀れな男に言葉を返す。


「......私はこの国が嫌いだ。下手をすれば祖国より女性は肩身が狭いしうちの部隊員だって碌な目に合っていない。正直な話をすると守るに値しない国だと思う。こんな国のために命を掛けるなんて真っ平御免だ」

「......」

「だがな、あんたらやそこのお婆さんみたいな人が死ぬのは勘弁ならない。だから私が守ってやる。国ではなく、お前達みたいな人を私は守りたい。だから私は戦う」

「......そうか......そう言ってくれるのか......」

「考えても見れば恥ずかしい話だ。私は傲慢な考えに囚われていたんだ......自分達の身だけを案じ、守るべき責務を放棄しまた逃げようとしていた。それは最早軍人と呼べるものではない。私は再び、軍人である私を殺そうとしていたのだ......祖国から逃げ出した時のように......本当に変わるべきなのはこの国ではなく、私自身だったんだ......」

「......嬢ちゃん......」

「私達は様々な事から逃げてきた身だ。拠り所を求めて流れ着いてきた敗残兵にすぎない。こんな半端者の私達でも守れるものがこの国にはあったのだな......」


 そう言ったエレーナは部隊章を握りしめると意を決したように扉を開け車を飛び出した。


「おい、嬢ちゃん! 釣りがまだだぜ!」

「いらん、その金であの婆さんに美味いものでも買ってやれ! 私はもう行くよ。待っている人が大勢居るからな!」

「......そうかい、ありがとよ! 死ぬんじゃねぇぞ!」

「互いにな! 婆さんによろしく伝えてくれ!」

「やなこった! テメェで直接伝えろってんだ!」

「わかったよ! この戦いが終わったら会いに行くさ!」

「必ずだぞ! 来なかったら承知しねぇからな!」


 暗闇に溶け込む戦闘服の少女を見送った男は渡そうとした釣り銭を握りしめながら、いい笑顔で煙草を口に咥えた。


「......本当に女神がいやがったぜ畜生......この国も捨てたもんじゃねぇな......」


 安物のライターで火を付け煙草を吹かすと、男は車を降りて暗闇に取り残された家へと歩みを進めていった。



――――――――――――――Σ>三二二二>



 よくわかるSAM解説! 第17話「ミサイルランチャー」


「初めまして、今日解説を担当するルフィーナよ」


「エレーナは今来られないから代わりに私が解説を任されたから仕方なく解説するわ。別に彼女の為にやってる訳ではないから勘違いしないで欲しいわね」

「ほら、良いから解説に入るわよ」

「今日は......えーと何々、ミサイルとランチャーの挙動ね、分かったわ」


「ミサイルランチャーとはその名の通りミサイルを発射する為の台よ」

「先ずはランチャーの構造から説明するわね」


「SA-2では固定式のSM-90ランチャーが使用されているわ」

「固定式と言っても地面にくっついている訳ではなくて陣地転換の際は支持脚にタイヤを装着してトレーラーの様に牽引出来るようになっているの」

「もっとも、移動式のSAMと違って打って直ぐ移動できるような代物ではないわ。だから固定式と呼ばれているのね」


「火器管制とSM-90ミサイルランチャーは有線で接続されているわ」

「この配線は地中に埋められるか偽装用の迷彩柄スリーブを被せられ敷設されているの」

「ケーブルはランチャーの脚部に接続され、側面に設置されたボックスの中にあるコンソールへと続いているわ」

「コンソールからミサイルへはアンビリカルケーブルを通してミサイルに接続されていて空気圧、燃料圧、酸化剤タンク圧力等のステータスを受け取り、火器管制室内のミサイル管理コンソールへと中継しているの」

「この配線は火器管制コンソールにも接続されていて、そちらからは信管の設定や誘導方式等の情報がインプットされるわ」

「ランチャーの側面には管理コンソール以外にも駆動用の電気式油圧モータとバルブユニットが入っていて電気で駆動しているの」

「パワーソースは電源車から供給される電気よ。だからランチャーが動く時は油圧ポンプの音と油圧モーターの音しか聞こえないの。と言っても静かなわけではなくて油圧ポンプの音が結構煩いのだけれど」


「さて、それじゃ実際に発射する時の流れを見てみようかしら」

「待機状態のランチャーは伏せた状態でミサイルの状態をモニターをしているわ」

「火器管制コンソールでランチャー同期スイッチが押されるまではずっとモニターしているだけよ」

「そして火器管制が目標を追尾して信管の設定や誘導方式等の設定を終えたらスイッチを押してランチャーと同期するの」

「すると一気に情報がランチャーのコンソールに流れ込むわ」

「そこで初めてランチャーとミサイルに情報が供給されるの」

「ランチャーはその情報を受け取ると自動的に火器管制が向いている方位、仰角と同期して指向を始めるわ」

「それと同時にミサイル内の制御基盤に信管の設定が入力されるの」

「この時ミサイル内の電子機器はまだアンビリカルケーブルで供給される外部電源で駆動しているわ。バッテリーはまだ電極から隔離され、発射を中断しても引き続き待機状態に戻る事が可能よ」

「この状態だとまだ同期しているから信管の設定の変更が可能よ」


「いよいよ準備が整いミサイルの発射ボタンが押されると発射信号がランチャーに送られるわ」

「この信号を受け取るとミサイルは圧搾空気バルブを開いてミサイルのタンクから圧搾空気の供給を始めるわ」

「するとバッテリーパックが圧搾空気で押し上げられ電極へと突き刺さるの。そこでようやくミサイルは自身の電気で動くようになるわ」

「同時にプローブにも圧搾空気が送り込まれてミサイルの先端からプローブが飛び出すの」

「この時固体燃料ブースターの点火機構が作動し点火するわ」

「またアンビリカルケーブルの接続はミサイルがレールの上を滑り出すと自動的に解除されるの」


「ランチャーから飛び出したミサイルはまだ誘導情報も受け取ってない状態で直進しているわ。この時近接信管は起動してなくて安全装置もかかったままよ」

「ランチャーを離れて1~2秒後にミサイルは識別信号を出すわ」

「その信号を火器管制レーダーが受信すると誘導信号をミサイルに送ってミサイルが方向を変え始めるわ」

「ミサイルの安全装置はミサイルが加速したのを検知するとタイマー機構が作動し始めて7~13秒後にミサイル本体の安全装置が解除されるわ。ここで初めて起爆信号を受信出来るようになるの」

「でも安全装置はもう一つ、弾頭自体にもついているわ。タイマーのカウントダウンが終わってから弾頭の安全装置の解除プロセスが始まるのよ」

「この安全装置はミサイルの制御基盤と弾頭の接続回路を断っていて、この安全装置が解除されるまでは弾頭とミサイルは接続されていない状態なの」

「ミサイル自体の安全装置が解除されていて一定以上の加速度を検知すると弾頭の安全装置は遮断していた回路を繋げ起爆信号が弾頭に行くようになるわ」

「そこから更に近接信管を起動する時間を延長できるようにもなっていて、タイマーカウントが終わってから11秒後に近接信管を起動することも可能よ」

「これはチャフ回廊等によってミサイルが意図せず早爆してしまう時に使うわ」


「注意点としてはミサイルがランチャーを離れてからは近接信管の設定を変える事はできないということね」

「近接信管の設定はあくまでもミサイルの制御基盤から信管に送られるものなの」

「К4信号は近接信管の起動と2つある雷管をどう起爆するかの設定を指示できるだけなのよ」


「最後にもしミサイルが外れてしまったらどうなるのかを見ていくわ」

「不幸にも近接信管が目標を捉えることが出来ず素通りしてしまうとミサイルはエネルギーが無くなって地面に落ちるまで飛んでいってしまうわ」

「そこで地上への被害を防ぐため自爆タイマーが搭載されているの」

「これはミサイルの制御基板から送られ、ランチャーを離れてから81秒後に送られるようになっているわ」

「だから高度さえあれば外れたミサイルが地上に落ちる事は無いのよ」

「勿論、81秒以内に地面に激突するコースだったら着弾してしまうのだけれど」

「SA-2Eでは誘導電波を失った時に上昇する設定があるけれどSA-2Fには無いから、外れて地面に落ちそうな時は火器管制レーダーを上に向け手動で上昇させるか地面に誰も居ないように祈ることしか出来ないわね」



「今日の解説はここまでよ。次回はどうしようかしら?」

「もし分からないことや解説して欲しい事があったら作者に言って頂戴。きっと次回以降解説してくれるわよ」


「私の役割はここで終わりね。皆静かに聞いてくれてありがとう」

「ホント、世話の焼ける隊長さんだこと。そう思わない? 偉そうにしてるくせに優柔不断で我儘でホームシックと来たもんよ」

「あの憧れていた私の教官殿はどこへ行ってしまったのかしら? 嘆かわしいわ」


「あら、愚痴ってごめんなさいね。それじゃ、また何処か出会いましょう」

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少女SAM中隊のお茶会~メートル波に紅茶の香りを乗せて~ わんわんグルメ @juutilinen

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