第38話 甘い香水の香り~9M39ミサイルを添えて~④
目が覚めるとそこは病室だった。日が陰り、夕焼けが赤く景色を染め上げている。どうやら雲が晴れ、天気は回復したようだ。
「......」
ふと先程の光景を思い出す。赤く染まるライーサ中隊長。自分の身体を見てみると擦り傷程度で外傷は殆ど無いようだ。
「庇ってくれたのか......?」
ライーサ中隊長は私のすぐ後ろを走っていた。今思えば、意識を失う直前に抱き着かれたような気がする。どうも私の事をライーサ中隊長が守ってくれたらしい。
「まさか......」
自分が思っていた事をライーサ中隊長にも当てはめて考えてしまった。もしかすると、自暴自棄になり戦死する事を望んでいたのではないのだろうか? だからあそこに来た。そう思えてならないのだ。
「......いや、考えすぎか......」
だが妙に胸に引っかかる。そんな事を考えていると病室の扉が開かれた。
「やあ、エレーナ中尉」
「連隊長!!」
そこにはテミルベック連隊長が居た。軍服を脱ぎ、薄手のコートを羽織っている。
「ご無事だったのですね!!」
「ああ、奴らが来る前に職務放棄して逃げさせてもらっていたんだよ」
するとベッドの横にある椅子に腰かけコートを脱ぎ始めた。私も身体を起こしベッドに腰掛けるようにして備え付けのルームシューズを履いた。
「そのままでいい。少し話をしようと思ってな、先ずは元気そうで良かったよ」
「はっ! ありがとうございます」
立ち上がろうとした腰を下ろし、ベッドへと腰かける。
「先程の攻撃で陣地の一部が被弾して、それにお前らが巻き込まれた所までは覚えているか?」
「はい。......ライーサ中隊長はどうなりましたか?」
「......彼女は今集中治療室に入っている。身体に幾つか爆弾の破片を受けてな、現在摘出手術を受けているのだが命に別状はない。他の部隊員も全員無事だ。お前ら以外はな」
「良かった......中隊長は生きているのですね......」
かなり出血しているように見えたがどうやらそこまで酷い状態ではないらしい。とりあえず命に別状は無いと分かっただけでも安心だ。
「うむ。お前らが撃ったイグラは残念ながら命中しなかったのだが、奴らが焦って投下した為爆弾の直撃は回避できた。基地もSAM陣地も致命的な損傷は受けていない」
「そうでしたか......墜とせなかったのは残念ですが基地が無事で良かったです」
「だが1番・2番ランチャーが持っていかれた。もう使い物にはならないだろう。今車両班が予備のランチャーと交換している所だ」
「無傷とは行かなかったのですね......」
「ああ。だがあそこでミサイルを撃っていたのは正解だった。奴らの後方には戦闘機が控えていたのが早期警戒レーダーに映り判明した。もしあの時けん制していなければ、あの基地は機甲師団の連中諸共全滅していたかもしれない」
「......そう考えると恐ろしい状況だったのですね......そういえば結局機甲師団の彼らは発砲しませんでしたね」
「それなんだがな、戦闘機を撃墜して間もなく親衛隊が火器管制レーダーに向け発砲を命じたらしいんだが、機甲師団の連中が取っ組み合いになりながら押さえつけたらしい」
「何ですって? そんな事があったのですか......」
「だが皆連行されてしまった。今はシルカだけが残されてもぬけの殻になっている」
「彼らの身が心配ですね......政府の発表はどうなっていますか?」
「今の所何の発表もない。奴ら慌てふためいている所なのだろう。今回ばかりは双方に被害が出ているからな。墜ちた戦闘機もキルギス領内にある。パイロットは見つかってはいないが、もう誤魔化しは効かないのは間違いない」
「では、公式にカザフスタンと戦闘があった事を認めると?」
「認めるだろうな。なんせ落したのはMiG-25RBだ。国籍マークは消してあったがカザフスタンとロシア以外は持っていない偵察爆撃機型だ。言い逃れはできまい。そして新聞社にその写真を公開してもらう段取りを取っている。明日の朝にはキルギス中の国民が目撃者だ」
「そこまで手を打っていたのですか?」
「でないとまた揉み消されかねんからな。その辺は抜かりないさ」
無邪気な笑顔を見せるテミルベックにエレーナも安堵の表情を見せる。
「所でライーサなのだが......」
「はい」
「......彼女は私に想いを寄せていたのだろう?」
「......知っていたのですか?」
「あれだけ露骨にされてはな、気が付かない方がおかしいというものだ」
「露骨だったのですか?」
「ああ、私がうたた寝をしていたら唇を奪われてしまったよ。全く、妻子がいるというのにやんちゃな小娘だ」
「ふふ、中隊長らしいですね」
「......だがいい子だ。そんな彼女も守ってやりたかったのだが、こういった形で顔も見れずお別れするのは少々辛いものだな......」
「連隊長......」
自分を庇って中隊長が怪我をしたことに罪悪感を感じ、胸が締め付けられる。それを察してか、連隊長が話を変えてきた。
「そういえば私はもう連隊長ではないよ。気軽に名前で呼びたまえ」
「......いえ、連隊長は何時まで経っても我々の連隊長です。ですから、何があっても私は連隊長と呼ばせていただきます」
「......強情な奴だ」
「今に始まったことではないでしょう?」
「それもそうだ。所で中尉、一つ頼みがあるのだ」
「何でしょう?」
「実は国外脱出用のルートが潰されてしまってな、本当は北から抜ける予定だったがカザフスタンとの国境は完全に封鎖されて使えなくなってしまったのだ。そこでお世話になっているガイドが西のタジクルートを勧めてきてな」
「それってまさか......?」
「ああ、君達がカザフスタンからキルギスに入ってきた時のルートだ。そのルートを使おうと思っている。だがあそこは地雷原だ。地図が無ければとても歩けない。そこで、地図を貸してほしいのだよ」
「そう言う事でしたか......」
確かに、あのルートは岩肌が露出している所と地雷の埋まる平地で構成され地図なしでは危なくて抜けられない、密輸業者も避けるルートだ。誰かに合う可能性は低いだろう。少し下れば地雷がある代わりに木が生えており、空の目から逃れやすくも木の葉の下は視界が開け、危険を察知しやすい。
「地図はどちらが持っているのだ?」
「いえ、実はあの後処分してしまいました。ですがルートは今でも鮮明に覚えております。なのでどうか私達を連れて行ってください」
「何?」
「あの辺りは山と数件の民家しかありません。目印に乏しいので連隊長一人で歩くのは危険かと......」
「だが怪我をしているだろう? 無理はさせたくないのだ。それに私を匿うとそれこそ危険だぞ?」
「怪我なら大丈夫です。それにそういった危険があるのは重々承知しております」
「......では頼めるかね?」
「はい。必ず連隊長を送り届けて見せます」
「ありがとう......エレーナ中尉」
「ですが条件があります」
「条件?」
「エミリヤとレイラも一緒に連れて行ってよろしいでしょうか?」
「そう言えばエミリヤ准尉もあのルートで出会ったのだったな」
「ええ。きっと彼女も行きたがっているはずですので......」
「ふむ、では連れて行こう。だが危険だと判断したらすぐに引き返させるからな」
「わかりました」
「よし。では何時出発する?」
「今夜にでも」
「早いな。大丈夫なのか?」
「私は大丈夫です。それに早いほうが良いです。もし山狩りにあったらあそこは逃げ場がありませんので奴らの先手を打つ必要があります。しかも
「わかった。では今夜出発しよう」
「はい」
「準備はどうする? 車は私のは使えないからな」
「そうですね、宿舎に一度戻りたいのですが見張り等は居ますでしょうか?」
「それなら心配いらない。テクニカルバッテリー(ミサイルの組み立てや準備をする部門)の奴らが親衛隊を追い返しちまったそうだからな」
「......なるほど、あいつ等なら納得ですね」
「どうも推進剤をぶちまけて脅したらしい」
「相変わらず凄い事をしますね、皮膚に触れたら火傷じゃすまないじゃないですか」
「おかげで基地の連中総出で中和作業中だ。いい迷惑だと漏らしていたよ」
「でもそのおかげで基地は守られたんですね」
「それもこれもお前たちが守ってくれたから出来たことだ。本当にありがとう」
「こちらこそありがとうございます。私も今回の一件で踏ん切りがつきました」
「と言うと?」
「この国に残って軍人を続けたいと思います」
「ほう、決心がついたのかね?」
「はい。私は愛する隊員の為に戦う決心が付きました。もう迷いません」
「......うむ、確かに今朝の顔つきとは違って見える。確かな理由を持って戦いに挑む目だ。何かあったのかね?」
「恥ずかしながら、後輩に教えていただいたのです。誰かを愛するとはどういう事か、と言う事を彼女は教えてくれました」
「......成程。愛する相手はレイラかね?」
「......正直皆を平等に愛しているので今はその答えは言えません。ですが答えは出すつもりです。これからはそれを探して戦います」
「......そうか。わかった。信じよう。マスターにも同じ言葉を言ってやると良い。奴もヤキモキしているからな」
「わかりました」
「さて、では私はバーで待っているから準備が出来たら迎えに来てくれ」
「はっ! では後程」
「うむ。......ああ、そうだエレーナ中尉」
ベッドから立ち上がり、傍に置いてあった戦闘服へ着替える準備をしていると、部屋を出ようとした連隊長が立ち止まり呼びかけた。
「今まで私の部隊を育ててくれてありがとう。心から感謝している」
突然頭を深々と下げてお礼を言ってきた。
「そんな! 育てていただいたのは私達の方です! 貴方がいなければ我々は路頭に迷って居た事でしょう。この御恩は決して忘れません。本当にありがとうございました!」
連隊長よりも深々と頭を下げたが正直これでも足りないくらいだ。この人には一生をかけても返しきれないほどの恩義がある。
「そうか......少しでも君達の為になれた事を誇りに思うよ」
「......私も連隊長の下で任務に就けた事を誇りに思います」
最大限の感謝の念を込め自分の中では最高の敬礼を連隊長に向け贈る。すると連隊長が少し笑いながら目をつぶると、ビシッと踵を合わせ真剣な面持ちで敬礼を返してくれた。
「ラヴレンチェヴィチ・エレーナ・ゲルマノヴナ中尉! 防空監視の任、誠にご苦労であった! 今ここでその任を解き、新たな任務を言い渡す!」
「ハッ!!」
まるで任命式のような気合の入った声で連隊長が続ける。
「自らの意思で生き、自らの意思で戦え! お前の意思で全ては決まる! 迷うな! 突き進め! 他人のせいにするな! それはお前の選んだ道なのだ! できなければ即刻軍人を辞めろ!」
「ハッ! 拝命いたしました! 如何なる時も自分の意志で戦います!」
「うむ! 中尉は以後新任の連隊長指揮の下新しい風をキルギスに吹かせるのだ!」
「ハッ! 新しい風を吹かせます!!」
「では貴様の部隊名を言ってみろ!」
「ハッ! キルギス共和国軍第241高射ミサイル連隊第72中隊であります!」
「これより、貴様の部隊は革命軍第1高射ミサイル連隊第72中隊となる! 以後、国防省の命でなく己の連隊の判断で任に就け!」
「ハッ! ......は?」
「これからは大統領の命ではなく独立した指揮系統で国を守れ! 革命軍と共に貴様らの守りたい者を自らの意思で守るのだ!」
「ちょっと待ってください! 革命軍!? どういう事ですか!?」
展開の速さに頭がついていかない。革命だと? 我々が? そんな事考えた事もないぞ。そもそもそんな奴らがこの国に存在するのか?
「革命軍は反アカエフ派のクロフを支持し、アカエフ大統領をその座から引きずり下ろすのだ!」
「............」
「返事はどうしたのかね?」
「連隊長が何を言っているのかが分かりません」
「だから革命をしようと言っているのだ」
「いえ、それは分かりました......ですが......」
「もっとも、私は逃げるがね」
「......余計に意味が分かりません」
「革命軍で新しい風を吹かせるのだよ」
「これ以上混乱させるのは止めてください」
「何、直ぐに分かるようになるさ」
「ハッハッハ」と笑いながら連隊長は行ってしまった。どういう事なのだ?
「革命......」
実感がわかない言葉だ。自分の国と戦うと言う事か? 何の為に? 国の為? あの極悪人である大統領を打ち滅ぼす為? 愛する人が幸せに暮らせるようにする為?
「わからん......せっかく決意が固まったと思ったらこれか......」
私の苦難の日々はこれからも続きそうだ。
甘い香水の香り~9M39ミサイルを添えて~⑤へと続く
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