第九章 明日という日 

明日になれば…

 から、ラインが来た…。


(美加さんが不慮の事故で亡くなりました)


 ……………………


 心臓が一瞬、ドキンと音がして、目の前が真っ白になった。何も見えない。いや、物は見えているが、そのどれにも焦点が合わない。スマホの文字すら、ひび割れのように見える。

 それから、どれだけの時が過ぎただろう。

 

「桃子」


 母の声がした。


「どうしたの。夕飯出来たわよ。お父さんも帰って来たし…。ちょっと、どうしたのよ」


 座ったまま、ぼんやりと虚ろな目をしている桃子の顔を、思わずのぞき込む久美子だった。桃子は久美子にスマホを見せた。


「そんな……。うそよ。これはうそよ。誰かのいたずら…。気にすることはないわ。きっと、うそよ…」


 その時、着信音が鳴った。


「川本さんよ」


 桃子はすぐにスマホを取った。


「はい」

「おい、大丈夫か。住田」

「はい」

「僕ももう、びっくりして。信じられなくて電話してみたんだ。そしたら…。昨日の夜。石段から足を滑らせたとかで、すぐに病院に運ばれたけど、ダメだったそうだ」

「えっ、どうして。昨日は美加ちゃんの誕生日で、家で、家族で、お祝いしてたはずじゃ。それなのに、どうして…」

「だから、僕も聞いたよ。どうして、そんな時間にあの坂道の石段なんかへ行ったんだって、それも一人で…」


---- 一人で…。


 何と、美加は一人で誕生パーティを抜け出したと言う。さらに、誰も、その時の姿を見てない。

 もう、何が何だかわからない…。


「おい、大丈夫か。しっかりしろ。気を確かに持てよ。この上、お前に迄何かあったら」

「はい、大丈夫です。だから、あの…」

「それなら、明日話そう。出来るだけ、情報集めてみるから。明日、な」

「はい、明日…」


 それにしても、美加はどうして、パーティを抜け出したのだろう。抜け出して、どこへ。いや、誰に会うつもりだったのだろう…。

 

「桃子、その明日のためにも少しでもいいから、ご飯食べなさい」

「後で」

「今、食べるの。そして、美加ちゃんの事、ちゃんと知ってあげなきゃ」


 そうだった。この到底、受け入れられない状況をするためにも、しっかりしなくては。そう思って食卓に着いたものの、やはり、食べ物が喉を通らないのではなく、箸すら、思うように持てない。


「どうしたんだ。二人とも」

「なんか暗い顔してる」


 父の祐介と弟の太一が言った。


「それが、美加ちゃんが…。事故で…」


 久美子が苦しそうに言った。


「事故?」

「事故って、どんな事故」

「それが…」

「それで、美加ちゃんは」

「……」

「まさか…」

「うっ、ううっ」


 太一は口の中の食べ物を吐き出しそうになった。すぐに洗面所に行き、口の中の物を吐き出してしまう。


「それ、本当なのか…」


 桃子は黙って、祐介にスマホを差し出し、洗面所から戻って来た太一もスマホを覗き込む。


「だから、どんな事故よ」


 太一が絞り出すような声で言った。


「昨日の夜、一人で誕生パーティを抜けだして、あの石段から落ちたそう…」

「そんな、そんなことはないよ。美加ちゃんは運動神経よかったし、夜だからって足を滑らせたりなんかしない」


 太一が言った。


「いや、それより、どうして夜に家を、それも誕生パーティでみんな集まっていたんじゃないのか。そのことに誰も気が付かなかったのか…」


 祐介が言った。


「誰も気が付かなかったそう」

「でも、何で、あんな時間に…」


 思いはみんな同じである。あの辺りは夜になると、人も車もあまり通らないし、街灯も少ない。

 それにしても、美加はどうして、いや、何の目的で一人で家を出てどこへ向かったのだろう。

 それがどうにもわからない…。


 話は堂々巡りになってしまう。


「あ、ごめん。久美子も桃子もまだ、ご飯食べてないんだったな。太一も…」

「僕はもう食べたから、いいよ。シャワー浴びて来る…」


 と、泣きそうな顔の太一は去って行った。

 桃子はようやく、吸い物を口にした。汁なら何とか流し込めた。そして、太一のシャワーが終わったら、自分もシャワーを浴びようと思った。  


「もう、食べないの」

「うん、私もシャワー浴びて来る」


 だが、太一のシャワーが中々終わらない。


 ----太一、泣いてるの…。


 そうだ。その手があった。そして、やっと、太一のシャワーが終わった。


「シャワーを長く浴びると、顔も赤くなるのね」


 太一は黙ってその場を去った。

 今度は桃子の番だ。先ず、顔にシャワーを浴びせる。こうすれば、いくらでも泣ける、筈だった。だが、不思議と涙は出てこない。



 シャワーを浴びた後は、ベッドに横たわり、早く眠りたかったが、中々寝付けなかった。それでも眠ろうとした。

 眠って目が覚めれば、日付は明日になる。明日になれば、いつもの朝が始まる。

 そうだ、すべては悪い夢なのだ。そんな夢から覚めるためにも、眠ろう。眠ろう…。


 明日になれば、明日になれば…。


 その時、一筋の涙が頬を伝った。


 























 










 

 









 








 



 















   







 

 

 

 


 


 

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