縁切り 二

 定男は一瞬、口をもぞもぞさせたが、その目は真理子を睨みつけていた。


「どうして、私がこんなことするのよ」

「それなら、何で、持っているんだ」

「売りつけられたのよ」


 少し前に電話がかかって来た。その相手は、定男の近所に住むパート主婦だった。

 真理子と定男が別居したのはともかく、その後の、真紀の結婚のことまで知っていた。持ち前の好奇心で、定男から聞き出したのだろう。

 そのパート主婦が、真理子に会いたいと電話をして来た。


「どうしたの。何かあったの」

「そうなのよ。ちょっと聞いてほしいことが…」

「何よ」

「電話じゃ、ちょっと…」


 その時は、定男に何かあったのだろうかと思ったので、会う約束をした。


「それでねえ。あの、ホテルのレストランに、行ってみたいんだけど。ああ言うとこ、行ったことがないもんでぇ」


 会う時間は午後2時にした。


「ええっ、もっと早い時間にならないぃ」

「ダメよ。日曜のお昼時はレストラン込むから、ゆっくり話なんて出来ないわよ」


 きっと、昼食を奢らせるつもりだろうが、その手には乗らない。

 当日、パート主婦は約束の時間より、5分遅れてレストランに駆け込んで来た。


「ごめんね。出かける前に息子があ。何だかんだ言って来て、ちょっと、バタバタしちゃって…。ああ、お陰で昼ごはん食べそこねちゃってぇ」


 コーヒーが運ばれて来た。


「そんな訳だから、お腹空いてんの。ねえ、何か、食べる物ない?」

「今の時間は飲み物だけよ」

「ええっ。ホテルってみんなそうなの」

「よそのホテルはどうか知らないけど、ここはそうなの」

「そう、そうなんだ」


 と、言いながら、砂糖スティックとミルクをカップに流し込み、ぐいと飲んだ。


「真紀ちゃん、どこよ」

「さあ、事務所じゃないかしら」

「母親が来てるってのに、顔も出さないの」

「それより、話ってなに」

「うーん、それがねぇ。ほら、女子高生の、、知ってるわよね。ほら、あれよ」

「一応、知ってるけど。気の毒にねえ」

「それで、その、例の女子高生なんだけど。その、誰か、知ってる?」

「知らない。えっ、知ってるの?」

「実はね。あれねえ…。美優ちゃんなのよ」

「えっ…」


 まさか、美優が…。


「それ、本当の話?」

「こんなことで、ウソ言える」

「でも、どうして、それを…」


 パート主婦はバックの中から、ティシュに包んだ四角いものを取り出し、真理子の前に置いた。恐る恐る開けて見れば、それは見るもおぞましい写真だった

 自分の昔の裸写真ですら、人に見られるのは嫌なものだが、いくら、何でも、これはひどい…。

 そう言えば、写真がばら撒かれたとか聞いたけど、この女はどうして、自分にこの写真を見せるのだろうか。


「これを、どこで」

「ああ、郵便受けに入ってた」

「それなら、すぐに処分してあげてよ」

「でも、あんたには、いいものかもしれないと思ってね」

「それ、どう言うこと」

「だって、まだ、離婚出来てないんでしょ」

「だからって、この写真と何の関係があるのよ」


 もしかして、この写真で…。


「岩本さんねえ。今、ちょっと落ち込んでるからぁ」


 落ち込んでいる時に、さらに、追い打ちをかけ、それで、離婚に持ち込めとは、あまりにもひどい言葉ではないか。

 たった1枚の写真で30年以上も苦しめられて来た、真理子である。今すぐにでもこの写真を破り捨てたかったが、直美がそうだったように、ひょっとして、まだ、持っているかもしれない。


「そう。じゃあ、これ、いくら」

「えっ、う、うん。そうねえ」


 と、あまりに早い真理子の反応に驚きつつも、手の平を見せて来た。


「それはちょっと…。これで」


 真理子は人差し指を立てた。


「それも、ちょっとぉ。じゃ、いいわ。中を取って」


 今度は指3本を見せて来たので、それで、了承した。


「じゃ、私はこれで失礼するわ」

「何よ、まだ、いいじゃない」

は急げって言うでしょ」


 写真をバックに入れると、すぐに、真理子は立ち上がり、そのままレストランを出た。そう言えば、会計しないままだった。今頃、あたふたしていることだろう。


 直美もそうだったが、この女も人として、最低である。確かに、美優は生意気な娘だった。だからと言って、こんなことになって、今はどうしているのだろう。そう思って、定男と会ったのだ。写真を見せたのは、あの女が、まだ持っているかもしれないとの注意を促すつもりだったが、やはり、定男には見せない方がよかった。


「あのババア。俺にも売り付けやがった。よくもよくも…」


 近所の郵便受けに投函されたのを、気の毒だからとか言って、集めて回ったのだ。それを、売り付けに来た。定男は孫のためにすべて買い取った筈だった。それなのに、まだ持っていたとは…。


「あの、あまり短気を起こさないで。ひょっとして、まだ、持ってるかもしれないし」

「何だとぉ」

「だから、短気を起こすなって言ってるじゃない。あんたが短気を起こすほど、あちこちに触れ回られるわよ」


 と、言いながら、真理子は写真を小さく破った。


「それで、美優ちゃん。今、どうしてるの」

「どうもこうも…。引っ越したよ」

「そう…。元気にしてる」

「うん。何とかな。来年から、美容学校へ行かせるそうだ。だけどな、俺、今、寂しくて仕方ない。美優は遠くに行っちまったし。俺も引っ越したい。いや、真理子。俺も悪かった。十分反省してるから。もう一度、やり直さないか。いや、やり直したい。本当に、心からそう思っている」

「それとこれは、話が別よ。私の気持ちは変わってないから」

「それじゃ、今日は何のために」

「やはり、美優ちゃんのことが心配だったのよ」

「本当に、それだけか」

「そうよ」

「ああ、俺も引っ越したい。もう、何もかも嫌になった。これから、どうすりゃいいんだ。いっそ、死んでしまいたい」


 と、頭を抱えているが、こんなことで情にほだされてはいけない。何が起ころうと、例え、最愛の美優が死んだとしても、後追い自殺などするような男ではない。


「これ、少ないけど、美優ちゃんにあげて」


 と、真理子はバックから小さな封筒を出し、定男の前に置いた。


「それより、頼む。もう一度考え直して、いや、せめて、引っ越し先と新しい働き口が見つかるまで、助けてくれないか」

「助けるたって、私に何ができると言うのよ」

「いや、本当はかなり参ってるんだ。だから、そばにいてくれるだげでいい。頼む…」

「駄目よ。私には休みがないもの。毎日、忙しいもの」

「じゃ、今日は」

「今日は特別」

「その特別でいいから」

「特別な日は、そんなにないから」

「冷たいな」

「ええ、冷たいです。ここまで、冷たくしたのは誰かしら。とにかく、これで」

「わかった。わかったから待ってくれ。頼むよ」

「仕事のこと、何とかならないか…。とにかく、俺もこの状況から逃げ出したい。新しくやり直したい。そうだ。もし、引っ越しと就職先が決まれば…。その、どうしてもと言うなら、考えてもいい」

「考えてもいい?自分にとって都合がよくなれば、考えてやってもいいだなんて、笑わせないでよ。今後、何があろうと、私にはその気はないから。今も。今からも、ずっと。じゃあね」


 と、真理子が立ち上がろうとした時だった。


「じゃあ。あの事、言うぞ」

「あの事?」

「ほら、あれ、あの事だ。の事だ」

「言えば。今更、それを言って、何になるの。第一、どうやって証明するの」

「そりゃ、警察に言えば。大変なことになるわ」

「それこそ、逆にあんたの頭がおかしいと思われるのがオチよ」

「さあ、どうかな。DNA鑑定すれば。ふふっ」

「その前に言うわ。孫の事で頭がおかしくなってしまったとね。それで、また、蒸し返されてもいいの。それに、警察が本当にDNA鑑定なんてするかしら」

「ああ、する。絶対にする。その時に吠え面かくな」

「そんなに自信があるなら、やれば。それなら、それで、私にも考えがある。何なら、美優ちゃんの仇、取ってあげようか。悪い奴を野放しにしたままでいいの」

は。あれは親告罪だ」

「そうね。でも、やり様はいくらでもある。本当に蒸し返してもいいの。せっかく、元気になったのに」

「……」

 

 

 真理子のはまだ、終わってない…。

 


































 





































 



















 







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