幻の白い影… 二

 こんな筈じゃなかった…。

 

 あれからも、色んなことがあった。いや、嫌な事ばかり起きた。ちっとも、楽しくない。病気もしたし、ケガもした。幾度か入院もした。

 そんな間にも、真理子は岩本定男と離婚した。離婚したからには、一緒に住んで面倒を見てくれると思ったが、真理子は自分一人でアパート暮らしを始めた。


「だから、二人で暮らした方が家賃もかからないし、電気もガス代も半分で済むって言うに。ケチなくせに、こんな無駄使いしてさ。ああ、お前がわからないっ」


 それだけ言っても、真理子は一人暮らしを止めなかった。あれ以来、金は真理子が握っている。今はもう、こんな杖付きだから、夜出歩いたりしないのに、小遣い程度の金しかくれない。食事は週に二回ほど、勤め先のスーパーの売れ残りの総菜、弁当、冷凍食品等を持って来る。ついでに、洗濯と掃除をして帰る。 


「洗濯ものくらい取り込んでよ。歩けない訳じゃあるまいし」

「そんなことり、たまにゃあ、親にいいものを食べさせてやろうとは思わないのかい。毎日毎日、同じようなものばかりじゃないか」

「今はどこの家でも、こんなものよ。カレー作っといたから」 

「また、カレー…」


 またも、カレーの入った大きな鍋が、ガスコンロの上に載っていた。鍋が空になるまで、食べ続けなければならない…。


「カレーなんか、ビールに合わないよ。それに、ビールが1日1本とはねえ」

「アルコールは控えるようにと言われてるでしょ。それとも、一升瓶置いておくから、それ飲んで早死にする」

「私が死んだら、年金入らなくなるよ」

「いいわよ。その方が…。あら、もう、こんな時間。帰らなくっちゃ」

「ふん。急いで帰っても、誰も待っちゃいないくせに」

「待ってるわよ」

「えっ、男…」

「そうだとしたら」

「どうせ、また、ロクでもない男だろ」


 真理子は黙って帰って行った。


「はっ、図星だったんだ。やれやれ…」


 真理子も自分も、男運が悪い。いや、孫の真紀もだ。この調子では、曾孫ひまご利恵りえもだろう。

 

 一体、自分が何をしたと言うのだろう。とり立てて悪いこともしてない。確かに、真理子を兄夫婦に預けもしたが、それはその方が真理子にとっていいと思ったからだ。女一人で子育ては大変な時代だった。

 それに引き換え、義姉の睦子ときたら、それこそ、良妻賢母の見本のような顔して、何と、息子二人も托卵していたではないか。

 

----それに比べれば、私なんて…。少し、楽に生きたいと思っただけなのに。睦子はここぞとばかり泣き落としで兄を篭絡ろうらくし、その後も安泰に生きて来た。思えば、この年金だって、兄のお陰で貰えたんだ。それを私が貰って何が悪い。全く、世の中不公平に出来ている。あんな性悪女が、大した病気もせず、楽に死んでさ。いい人生だったじゃないか。それに引き換え、私は…。今、この年、この体で、真理子から邪険にされている。ああ、面白くないっ。いっそ…。

 いや、まだ、死にたくない!!

 まだまだ…。



 今も、高良たから英子は高良睦子として生きている、が、あれからも、今もちっとも面白くない。また、ヘルパーがやって来るようになると、真理子の足はさらに遠ざかった。そこで、電話攻撃をしてやった。仕事終わり、夜だけでなく夜中もかけまくってやった。だが、もさるもの。携帯電話をもう一台買い、それを英子用にし、家に置きっぱなし。かかって来るのは週に一度。家にやって来るのも月に一度が関の山。

 それでも、やって来れば文句を言ってやるが、どこ吹く風の態で、が済めば、さっさと帰ってしまう。


 そんな真理子が、ある時から機嫌がよくなった。


「ふん、随分とご機嫌じゃないか。また、男が出来たとか」

「そうよ」

「どうせ、今度もまた、ロクでもない男だろ。性懲りもなく。やれやれ」

「今度はすごい男よ」

「どこがすごいって」

「ホテルの社長よ」

「えっ、ホテルの社長…。それで、どのくらい金くれるんだい」

「そんなんじゃないわよ。結婚できそうなの」

「へーえ。やったじゃないか。真理子」

「まあね」

「それで、結婚はいつ」

「それは、まだ」

「とにかくよかったじゃない。へぇ、真理子がホテルの社長夫人とはねえ…」

「違うわよ。結婚するのは私じゃなくて、真紀。真紀の方よ」

「ああ…」

「何よ、真紀がホテルの社長と結婚するのが嬉しくないの」

「そりゃ、嬉しいよ。嬉しいけど、真理子の方が先に幸せになって欲しかった」


 そうだ。まだ、真理子の方がいい。孫の真紀とはもう長く会ってない。いや、何より、真紀とは今までロクに話をしたことすらない。いくら話しかけても、いつも短い言葉が返ってくるだけで、会話にならないどころか、すぐに真紀は黙ってしまう。 

 どうせなら、真理子がいい相手と結婚してくれた方がよかった。それなら、ホテル暮らしが出来たかもしれない。しかし、どちらにしても、悪くない話である。そして、正式に真紀の結婚が決まった。

 盛大と言う程ではなかったが、披露宴も良かった。日頃食べられない様なご馳走が並び、今日だけは酒がしこたま飲めた。なぜだか、真理子もうるさく言わなかった。さらに、家の豪華さには驚かされた。

 こんな豪奢な家で暮らせる、真紀と利恵が羨ましかったが、何と、真理子までもこの家で暮らすと言う。それなら、自分も…。

 

「私は、お手伝いさん代わりなの」

「そこを何とか。ほら、あの美加って、大人しそうじゃないか。頼んでみとくれよ。なんなら、私が頼んでみようか」

「止めてよ。どっちにしても、今、すぐには無理よ。いずれ、その内」


 その「その内」は未だにやって来ない…。

 その間にも、英子の老いは加速されていく。


「あぁあ。年は取りたくない!」


 思わず、英子は叫んでいた。その時だった。玄関のチャイムが鳴った。今はヘルパー以外、訪ねて来る人間はいない。渋々、よっこらしょと玄関へ向かへば、そこに立っていたのは、何と曾孫の利恵だった。

 まさか、利恵がやって来るなど、夢にも思わないことだった。小さい頃から、たまに真理子に連れて来られると、すぐに帰りたいと泣き出したものだ。

 そんな利恵がどうして。それも、一人で…。

 その手には、何かしら長い物と、紙袋が握られていたが、顔は今にも泣き出しそうだった。


「お婆ちゃん…」




















 




 







 






 





  








 


 それでも、まだ、生きている。いや、まだまだ、生きてやる!!

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