第三章 真理子

母と伯母… 

 ああぁ…。

 私は、何て悪い女なんだろう…。



 もの心ついた頃、両親はケンカばかりしていた。

 そんな母はケンカに飽きると、真理子の手を引き、伯父夫婦の許へ連れて行く。そして、しばらくこの家に預けられるのだが、このことは真理子にとって嫌なことではない。伯父夫婦には息子が二人いるが、小学校も高学年になれば親よりも友達の方がいい。

 伯父は少しは知られた会社で働いている真面目なサラリーマンであり、伯母はそれこそ良妻賢母を絵に描いた様なやさしい人だった。二人とも、真理子を可愛がってくれた。


「女の子って、かわいいな」


 家より、ここの方が楽しい。だが、またも母に手を引かれ、家に戻ることになるだが、当然、家ではケンカ。食べるものと言えばインスタントラーメン、パン、おにぎりのようなものばかり。伯母の作ってくれる食事のおいしいこと…。

 やがて、両親は離婚した。

 母の英子は当然の様に、真理子を兄夫婦に押し付けた。たまに、顔を出すが、それは真理子が気になると言うのではなく、金が無くなるとやって来て、しばらく自分も居候を決め込む。そして、ふいに、出て行く。

 それは、真理子が小学校の入学式の日のことだった。

 一足先に玄関を出れば、グイと腕を引っ張られた。母だった。真理子は腕を振り払おうとした。


「どうしたのかい。親の顔忘れた訳じゃあるまいねえ」

「忘れた ! 」


 その瞬間、英子に平手打ちされ、真理子は泣き出した。


「なにするの ! 」


 伯母の睦子むつこが言った。


「義姉さんが、甘やかすからよっ」

「甘やかすたって、あんたは何もしないじゃない。それで、よく、母親だと言えること」

「ええ、誰が何と言おうと、真理子の母親は私ですから。そりゃ、義姉さんには世話になってるけど、それだけじゃない。私と真理子が親子であると言うことに変わりはないでしょ」

「英子!!」


 兄のわたるだった。


「なにが母親だ。親なら、側にいてやるものだ。日頃、知らん顔しているくせに、都合のいい時だけ母親面するんじゃない ! 」


 英子は真理子の手を引き歩き出し、そのまま、小学校へと向かった。だから、真理子の小学校入学式の時の写真は、派手な化粧の母とふくれっ面の真理子でしかない。

 後に知ったことだが、離婚の原因は英子の金使いの荒さである。とにかく、着飾ることが好き、子供の世話も家事もしたくない。

 離婚後の英子は男から男へと渡り歩き、別れた夫から振り込まれる養育費もすべて自分のものにしていた。

 それでも、優しい伯父と伯母の許で真理子は幸せだった。伯母と一緒に台所に立ち、編み物も裁縫も教えてもらった。母とは随分と違う。いや、伯母だけではない。実の兄妹なのに、会う度に化粧が濃くなるだけの母と、真面目な伯父との違いは何だろうと思ってしまう。真理子にとって、伯父と伯母は理想の夫婦だった。



 それは、真理子が小学校6年生のことだった。

 ある日、学校から帰り、玄関の戸を開けた途端、伯父の怒鳴り声がした。思わず耳を疑ったが、真理子が居間で目にした光景は、到底忘れられるものではない。  

 あの温厚な伯父がものすごい形相で、伯母を殴っていた。


「伯父さん、止めて ! 」


 真理子はさらに伯母を殴らんとする伯父を止めようとしたのだが、逆に跳ね返され、タンスに顔をぶつけてしまい、あまりの痛さと驚きに泣きだしてしまった。


「真理ちゃんに何てことを」


 と、真理子を心配する伯母を、またも伯父は殴りつけたかと思えば、今度は足蹴にした。


「うるさいっ、!!」


 それからの伯父の伯母呼びは「バイタア」になった。真理子にはバイタアの意味がわからなかった。

 そして、ひとしきり、暴れると疲れたのか、荒い息のまま酒を飲み始めた。


「チクショウ…。コンチクショウめ。俺の人生は一体、何だったんだ。ああっ…」


 と、今度は酒を飲みながら、泣き出してしまう。

 もう、真理子には何が何だかわからない…。

 そして、夜、二人の息子が帰って来ると、またしても怒りは爆発した。長男は社会人、次男は大学生である。

 話を聞いているうちに、真理子にもおぼろげにわかって来たことがある。

 何と、二人の息子は伯父の子ではなかった…。

 だが、伯母は次男は伯父の子だと言う。


「そんなこと、誰が信じるものかっ。たまたま、血液型が一緒だったんだろう。それとも、それを狙ってぇ。ああ、俺の人生は、何だったんだ。誰ともわからん奴の子を育てさせられ…。空しい、空しい…。こんなん空しいことがあるか ! これじゃ、死んでも…。この、バイタア!!」


 どっちにしても、息子の一人は伯父の子ではない…。

 数日後、父親の剣幕の前に黙ったままの息子たちは、母親に軽蔑の眼差しを向けながら、家を出て行った。次男は大学を辞め、二人とも行方をくらました。

 伯母は、伯父に詫びつつ、離婚を切り出した。


「ハアッ ! バレたら、今度は好き勝手やろうと言う魂胆か。世の中、そう、都合よくいくもんか。いや、そうは、させんぞ」

「でも、これ以上は…」

「やっぱり、バイタは違うなあ。少しゃ悪いと思わねえのか。ああっ」

「思ってますよ。だから、家を出て行きます。あなたの前から消えます」

「何だとう ! それをご都合主義って言うんだ。バレたら、ハイ、サイナラかぁ。少しは罪滅ぼし、しようとかは思わねえのか」

「思ってます。だから、別れて下さい」

「いや、勝手は許さねえ。いいか、勝手に家を一歩でも出て見ろ。只じゃ済まさねえからな」


 翌日、渉は家を出て行った。一夜明け、家の前に一台の軽トラと車が止まった。車からは、渉と従弟。軽トラからは若い男が二人降りて来た。ずかずかと上がり込み、一階の寝室へ入り、渉は二階に持って上がるものの指示をし、その後、ベッドが運び込まれた。それも介護用ベッドだった。

 二階は息子二人の部屋だったが、今はそのたちも出て行った。渉は目について不快なもの、物置へと運ばせ、空いたスペースに一階から持って来た自分のものを置いた。これからは、ここで寝起きする。

 極め付きは、従弟の妻が連れて来た老人だった。この老人は従弟の祖父であるが、彼らの親たちはすでに亡くなり、他の兄弟姉妹は、痴呆の始まった祖父を長男である従弟に押し付け知らん顔。

 施設に入れようにも、受け入れてくれるところすら、おいそれとは見つからない。また、金銭的負担も大きく苦慮していた。

 それを、何と渉が面倒を見てくれると言う。渉は従兄弟たちを集め、金を出すなら祖父を看ると言い、それぞれから、金を出させる。だが、いくら金をもらったとて、痴呆老人の世話など普通はしたくない筈。皆、その理由を聞いた。

 渉は妻、睦子のを暴露した。


「少しゃ罪滅ぼしさせてやらんと、気が治まらねえ」


 そして、早速に老人がやって来た。従弟夫婦は渉に感謝したが、睦子にはそれまでとは打って変わり、二人とも無視した。



 突然現れた老人はまるで妖怪のようで、真理子は怖いより気持ち悪かった。だが、伯母の睦子はそれどころではない。一日中、老人の世話に追われ、それこそ寝る間もない。

 真理子は、学校から帰ると買い物、炊事、掃除、洗濯もしたが、伯母のものは洗えても伯父と老人のものは触るのも、何より老人の近くに行くのも嫌だった。それでも、伯母は感謝してくれた。

 その間、伯父は派手に遊び歩いていた。そして、伯母の顔を見ると「バイタア」と叫ぶ。


 伯母は日に日にて行く。ふと、真理子は不安になる。もし、伯母に何かあったら、自分はどうなるのだろう。

 まさか、今度は自分が伯母の代わりをやらされる…。

 それはないにしても、今度は母との暮らし。

 どっちも嫌だ。伯母に倒れられたら困る真理子は懸命に家事をやった。友達とも遊べない、勉強も思うように出来なかったが、母親と暮らすよりはいい。


 そんな暮らしが2年ほど続いた頃、やっと老人が力尽きた。すぐに救急車で病院に運ばれ、数日後に亡くなった。

 介護から解放された叔母は貪るように眠った。だが、伯父は言った。


「これで、終わったと思うな」


 また、どこからか妖怪老人を連れて来るのだろうか…。

 だが、今度は酒に酔った伯父が階段から転げ落ちた。

 入院してからの伯父はろれつが回らなくなり、伯母は毎日病院へ行き、黙って夫を見下ろすだけだった。 

 その伯父も、真理子が中学3年生の5月に亡くなった。葬儀には息子二人も戻って来た。伯母は息子たちにこの家を売ると言った。後日、財産分与が成立した。息子たちは黙って金を受け取り、何も言わないままに去って行った。

 伯母は中古マンションを買った。そこで、真理子との暮らしが始まったが、早速に母が転がり込んできた。

 義姉の所業を知った時の母、英子はそこら辺りに響き渡る様に笑ったものだ。


「あはははぁっ。ええっ、義姉さ、睦子さんもやるじゃない。虫も殺さぬような顔してさぁ。まあ、陰ではすごいこと、やってたんだぁ。お陰で高良の血筋は真理子だけになったわねえ。今まで私のことを散々バカにしてくれたけど、あんたの方がとんだ食わせ者だったって訳か。ああ、おかし…。ギャハハハァ」


 そして、今も減らず口は留まるところを知らない。


「何と言っても、私も真理子は高良の血筋だから。睦子さんが受け取った金は、私の兄さん、高良渉から出た金だってことをお忘れなく。少しはこっちに回してよ」

「これから、真理子にも金が要るから」

「そのうち、真理子も働くようになるわ」


 そして、幾ばくかの金を握ると英子はまたも出て行った。

 伯母と真理子の暮らしが始まった。二人とも、悪夢のような数年間の話はしないが、伯母の悲しい過去を知ることになる…。



 睦子は母と暮らしていた。父はたまにしか帰って来なかったが、それは仕事が忙しいからだと教えられていた。だが、その母が急死した。

 睦子は父の家に引き取られた。その家には、母と兄がいた。おぼろげながら、睦子にもその意味がわかって来る。

 母と兄からは、取り立てて意地悪はされなかった。これだけでもありがたいと思わなければならない。睦子は懸命に家や畑の手伝いをした。

 時は移り、年頃になった睦子に縁談が持ち込まれた。その相手が高良渉だった。睦子は嬉しかった。自分の母と違って正式の妻となれるのだ。

 そして、結納が交わされた…。






















 








 













 
















 

 











 

 

 

  











 



















 







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