紙・ひとえ
すべては、一枚の紙から始まった。
「これ、どう言うこと」
学校から帰るなり、真紀は1枚の紙を投げつける様に、真理子の前に置く。
「何が」
真理子が紙を手に取りながら言った。紙には手書きのアルファベット、いや、それはすぐに血液型のことだとわかった。
「これがどうしたの」
「お母さんの血液型…。私の血液型」
「えっ」
それは血液型による親子関係を表すものだった。
「…… !」
「だから、どう言うことなのよ!!」
----まさか、まさか…。
「それとも、もう一度、血液型を調べ直してもらうとか。それなら、それでいいけど。だから、どうなのよぉ!!」
真理子は言葉がなかった。夫、自分、真紀の血液型は知っている。血液型で親子関係がわかることも知っていたが、夫も自分も詳しいことは知らないと言うより、そんなことを気に留めたこともなかった。
「これ、間違いないの」
と、紙を見つめながら、真理子も抵抗を試みるも、その声は
真紀は中学生になっていた。その紙は真紀の同級生の母親の看護師が書いたものだと言う。
ああ、何てこと。この紙に書かれたことが正しいのなら、真紀は…。
そんなことは夢にも思ったことはない。真紀が美少女なのは、夫の亡母に似たものだとばかり思っていた。白黒写真の義母の面差しは真紀に似ていた。
真理子は震えた。震えが止まらない。
「だから、さっきから、どう言う事かって聞いてんの。もう、 何とか言いなさいよ!!」
それでも、真理子の震えは止まらなかった。植物がしおれて行くように、体が曲がって行き、座っていることにも耐えられないのか、枯れ葉の様に真理子の体は崩れてしまった。
「ちょっと、どうしたのよ。お母さんっ」
真紀も母のこんな姿を見るは初めてだった。だが、その時、真紀は確信した。
自分は父の子ではないと言うことを。
まさか、この母に限ってそんなことがある筈もないと、念じながら帰って来たのに…。
----これから、どうなる…。
まだ、震えの止まらない真理子を何とか布団に寝かせた。
「それで、誰よ。誰なのよ。私の本当の父親は」
これだけは、はっきりさせてもらわねばならない。
「結婚前に、一度だけ」
「その人、今、どこにいるの」
「知らない。本当に知らない、ううっ」
「泣きたいのは、こっちよ」
「ごめん。本当にごめんなさ…」
その時、真理子の携帯が鳴った。携帯は座卓の上に置いたままだが、このタイミングで出る気にもならない。だが、その後も、携帯は鳴り続けた。仕方なく、真紀が取った。それは、父の勤め先からだった。
「えっ。あ、はい、はい、わかりました…。あのさあ、やっぱり盲腸だったそう。そんで、手術することになったから、来てほしいって。どうする」
とてもじゃないが、今は夫の顔がまともに見られない。
「悪いけど、真紀。行ってくれない。私も具合が悪いとか言って」
「ええっ。私だって行きたくない。それより、これからどうすんの。このまま、知らん顔するの。それとも」
「とにかく、病院へ行って来て。お願い…」
仕方なく真紀は病院へ向かった。
これから…。
これから、どうすれば…。
いや、思い出されてならない。あの時の伯父の形相が。自分と息子に血のつながりがないと知った時、日頃は温厚な伯父の狂ったような怒り。
そうなのだ。男には女が産んだ子が、自分の子供であると言う確証も実感もないのだ。子が成長し、自分に似てくれば安堵出来るとしても、母親に似た場合は、それを信じるしかないのだ。
今は血液型だけでなく、DNA鑑定も出来るが、長い歴史の間、多くの男たちは悩やまされたことだろう。だから、あれ程までに怒り狂うのだ。鬼の様ではない。あれは鬼そのものだった。それも、赤鬼から青鬼へと変化した顔が今でも忘れられない。きっと、夫も見たこともない形相で、真理子に掴み掛ることだろう。
想像しただけで、怖い…。
----いけない !
そうだ。寝ている場合ではない。これは、ある意味チャンスかもしれない。起き上がった真理子は直美に電話した。相談がある、明日話がしたいと。
翌日、ちょっと心配顔の直美が車を飛ばしてやった来た。だが、その目は笑っていた。
人の不幸は蜜の味。ましてや、かつて、煮え湯を吞まされた相手である。その後も真理子の幸せオーラに歯がゆいものが感じられてならなかった。傍目にはセレブの暮らしだが、孤立感から外での浮気に気を紛らわせている直美だが、心の底では真理子の夫婦仲への妬ましさもあった。
その真理子が寄りによって、自分に相談事とは。いや、金の事ならきっぱり断る。
だが、弱みを握られている立場の真理子が、直美に金の話などするだろうか。
まさかと思いながらやって来れば、思った以上に真理子はやつれていた。
----やっぱり…。
これが喜ばずにはいられようか。
「どうしたのよ。一体何があったの」
「実は…」
真理子は言った。
夫と別れたい。本当はずっと不仲だった。そのことを直美に知られたくなかった。
でも、もう、無理。別れたい、いや、すぐにでも逃げ出したい。そこで、直美の会社で雇ってもらえないだろうか。
「何とか、お願いできませんか」
「そうねえ…。まあ、何とかならないこともないけど」
「お願いします。実は、実は…。夫は今入院していまして」
「えっ、どこが悪いの」
「いえ、盲腸なので、大したことはないかと。それで…。その、夫が入院している間に家を出たいのですけど」
「えっ、それはまた急ねえ」
「いえ、とにかく、一日も早く家を出たいので」
「本当に、それでいいの」
「はい !」
「……」
と、思案する振りをする直美だった。
「いいわ。何とかやって見てあげる」
「ありがとうございます」
一刻も早く、この状況から抜け出したい真理子だった。そうと決まれば、直美も即行動に移す。何より、楽しくて仕方ない。
----まさか、こんな日が来ようとは。うふふふっ。
その夜のうちに、電話が来た。独身寮の賄いの仕事があり、住む部屋もあると言うものだった。
翌日には銀行へ行き、預金をすべて卸し保険などの解約手続きも済ませた。それだけではない。離婚届けも出し、携帯番号も変えた。後は荷造り。軽トラを借りて来て、積めるだけのものを積み、真紀と一緒に直美のところへ。
----悪いけど、もう、後戻りは出来ない。ごめんなさい…。
さらに、真理子は直美に頭を下げ、頼むのだった。
「だから、真紀が中学を卒業する迄でいいの。何とか、お願い出来ないないかしら」
それは、真紀が中学を卒業する迄の間、直美の養女にしてくれないかと言うものだった。既に、離婚届を提出してきたことに少なからず驚いたが、真紀の養女話には呆気にとられる思いだったが、真理子が封筒を差し出した。
中には5万円入っていた。
「いいわ。その代わり、本当に卒業する迄よ」
金には困ってない直美だが、いくらあっても邪魔になるものではない。
「やっぱり、そうだったのね。マリ。いや、マリー。真紀はあの時出来た子供だったのね。そうでしょ」
「……」
「だから、真紀って名前つけたの。その時からおかしいと思ってたんだけど。それがバレて、いや、バレそうになったので、さっさと逃げ出したって訳か」
それは少し違う。あの時も、ついこの間まで、真紀は夫の子だと信じていた。ただ、あのマッキーとの一夜は、その後の真理子にとって、過去の刺激的な思い出であり、たまに思い出して、ほくそ笑むこともあった。
真紀と言う名も、娘が生まれたら名は「真紀」にしようと思っていたが、いざ、我が娘への名付けとなった時、マッキーのことが思い出されたのも確かである。
「それで、どうなの。本当にバレたの」
真理子は首を振った。
「何よ、バレてないの。それなら、バレてないなら、どうしてそのままにしとかないのよぅ。あのまま、暮らしてればよかったじゃないの。せっせと金貯めてぇ、いよいよバレたら、ごめんね、離婚して。それまでは旦那をATMにしてればよかったんじゃ。あっ、旦那入院してるのよねえ。それなら、今から間に合うじゃない。今からでも帰ってもいいのよ。本当は別れたくないんじゃないの」
本当は別れたくない。だからと言って、そんなこと、そんなことは出来ない…。
別れたくはないが、とてもじゃないが、今は夫の顔を正視出来ない。
「あ、あの。マッキーは。今、マッキーはどうしてるの」
「知らない。あれからしばらくして、いなくなったの。国へ帰ったとも聞いたけど、本当に知らないのよ」
実は知っているが、マッキーも今は結婚しているし、また、子供が難病とかで大変らしい。何より、今更、教えてこれ以上真理子の面倒に巻き込まれたくない。
「わかったわ。もう、何も言わない。だから、仕事頑張って。結構きついわよ」
「ありがとう。頑張ります」
真理子と真紀の新しい暮らしが始まった。たまに、直美が夫の情報を伝えてくれる。夫は退院したが、やはり、妻と娘がいなくなったことに驚き、あちこち探し回っていたとか…。
睦子には、公衆電話から無事であることだけを伝え、すぐに受話器を置いた。
----伯母さん。ごめんなさい…。
その後、ここの暮らしにも慣れた頃、直美から衝撃の事実を聞く。
「ちょっとぉ。あんたの旦那。いや、元旦那…。再婚したわよ」
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