夏の夜の夢…

 高校を卒業した真理子は商事会社に就職した。その会社に、直美と言う先輩女子社員がいた。

 まず、美人の部類に入る顔立ちに加え、仕事も出来、社内での評価も高かった。性格も明るく、後輩社員からも慕われている。まさに、素敵なお姉さんだった。真理子はすっかり魅了された。さらに、恋愛経験も豊富で、セフレもいると言う話には驚かされた。


「落ちない男はいない」 


 と、平然と言ってのけるも、その後、ちょっと顔を曇らせた。


「実は、今ねえ。狙ってる男がいるんだけど、これがさぁ、この直美さんがよ。ちょっと手こずらされてんの。どう、思う」


 どう、思うと言われても、真理子は何と答えていいのかわからない。


「ああ、ごめんごめん。マリにはまだ、無理だったよね。マリにはムリ」


 ここで、笑いが起こった。

 

 そして、待ちに待った初月給の日、真理子はスーパーですき焼き用の肉を買った。いつもより高い肉を、3人分だから600gと思ったが、そこを800g。デザートも買い足取りも軽く家に帰れば、夕食の用意はすっかり出来ていた。


「早く早く、肉、肉」


 母の英子は、昨日から来ていた。真理子の初月給を当てにしてやって来たのだ。

 800gの肉も500gは、英子の胃袋に納まったが、それでも、伯母が喜んでくれたのが何より嬉しかった。

 伯母が食後の洗い物で台所に立つと、英子は早速に片手を出して来た。


「何よ」

「何よって、給料もらったんだから、親に小遣いとか思わないのかい」

「私だって、これから、結婚資金とか貯めなきゃいけないし」

「そんなの、金持った男捉まえりゃいいだけじゃないか。いいかい、世の中、金が一番なんだから。愛だの恋だの言ってないで、金持った男だよ」

「その、金持った男捉まえるにも、金が要るじゃない。洋服、バック、化粧品。ある程度の格好しなきゃ、いい男は寄って来ないんじゃないの」

「そりゃ、そうだけど。差し当って、私も金、要るんだから。まさか、睦子に金やるんじゃないだろうねえ」

「食費くらいは入れるわよ」

「いくら」

「2万くらい」

「じゃ、私にも」

「食費どころか、今までだって、何も買ってくれなかったくせに」

「女の一人暮らしって、金かかるんだよ」


 何が女の一人暮らしだ。男の家を渡り歩き、金が無くなれば、ここが実家とばかりに戻って来てはぐうたらを決め込むくせに。


「第一、お前がいけないんだよ。どうして、就職するなんて言ったのさ。大学行くとか言えば、養育費だって切られることなかったのに。大学行くと言って、就職すればよかったじゃないか。全くぅ」


 もう顔も覚えてない父だが、何かの節目には電話がかかって来る。高校卒業後は就職すると言った時、ホッとしたようだった。今は再婚した父だが、やはり、養育費は負担だったに違いない。その養育費も真理子のために使われてないことは、百も承知である。

 その後、現金書留で、3万円が就職祝いとしてが送られてきた。無論、英子には内緒にしている。


「それこそ、どうして金持った男、捉まえられなかった訳」

「そりゃ、この歳になれば、ちょっと…」

「あら、お父さんと別れた頃は、まだ若かったじゃない」

「そんな、減らず口叩いてないで」


 と、金の催促をする。仕方なく1万円札を渡す。これが毎月続くのかと思えば、憂鬱にもなるが、真理子にはそれを凌ぐ若さと希望があった。



 就職して1年が過ぎた頃、真理子にも恋人が出来た。もう、毎日が楽しくてたまらない。


「さては、好きな人でも出来たな」


 と、あっさり直美に見抜かれてしまう。


「どんな人。いいじゃないの、言いなさいよ。私とあんたの仲じゃない」


 恋は盲目である。それは、好きな相手にだけでなく、周囲に対しても無防備になってしまう。真理子から、相手のことを聞かされた直美の顔が一瞬引きつった事に、その時の真理子が気付く筈もなかった。 


 その年の秋、真理子が妊娠が発覚した。

 伯母の睦子はこの結婚を喜んでくれたが、母はやはり、渋い顔をしていた。


「あれほど、金持った男にしろって言ったのに…」


 それでも、婿の人柄は気に入ったようだ。妊娠中と言うこともあり、先ずは入籍するが、その前に睦子と養子縁組をした。これも、英子には黙っておくことにした。

 もう、幸せいっぱいの真理子だったが、何てこと。直美も結婚が決まったのだ。それも、ちょっとした玉の輿だった。

 相手の男性は1歳下。一目で直美に運命を感じたと言う。猛烈なプッシュで直美もした。夫の実家は自動車部品の会社を経営していた。それも、その辺の町工場ではなく、従業員が100人超える規模であり、真理子夫婦のようにアパート暮らしではなく、会社所有のマンションで暮らすと言う。

 真理子夫婦にも結婚式の招待状が届いた。だが、その豪華さには圧倒された。自分たちはまだ結婚式をしてないが、とてもじゃないが、この半分の披露宴も出来ない…。

 格の違いを見せつけられた気持ちで家路に着いたものだ。だが、ここで、真理子も、自分たちは、結婚式も披露宴も無しで写真だけ撮ることにした。

 その後、直美が男の子を生めば、舅姑は大喜びで家を建ててくれただけでなく、通いのお手伝いさん迄いると言う。まさに、セレブの暮らしではないか。さすがに、羨ましさは隠しきれなかったが、人を羨んでも仕方ない…。

 真理子も真紀の出産前に会社を辞めていた。真紀が1歳になると、睦子に預けパートに出ることにした。



 思えば、以前から感じていたことだが、ここのところ、直美からを頼まれる。いや、頼まれると言うより、直美のアリバイに加担させられるのだ。だからと言って、実害がある訳でもないので、いつも、直美の強引さに押し切られてしまう。

 今日もアポなしでやって来たかと思えば、早速に自分の夫に電話する。


「たがら、マリのとこ。今、大変なのよ。それでね、今夜帰れそうにないの。悪いけど、お義母さんたちに、その、よろしくお願いしてよ。だって、マリが、かわいそうで…。じゃ、お願い、します」

「ちょっと、直美さん。それ、どういうこと」

「別に、どうもこうもないわよ」

「だって、私のところは取り立てて何もないし」

「そんなの、方便に決まっているじゃない」

「だからって、私を引き合いに出さなくったって。それに、本当のところは何なの。何か、いつもいつも、態よく使われている様な気がしてならないんだけど。私をダシに、直美さん、何やってるの」


 真理子は思い切って言った。


「まさか、まさか…。いくら、何でも、それはないよね。それは…」

「その、まさかだとしたら」

「直美さん ! どうして…」


 優しい夫と男女二人の子供に恵まれ、裕福な暮らしに加え、舅姑との仲も良好だと聞いている。それなのに、どうして、なぜ、いくら疑問符を繰り出しても足りない。


「あのさぁ。私って、性欲強いの。それなのに、うちの亭主、この頃は疲れた疲れたですぐ寝てしまうんだから。もう、おかしくなりそうよ。それにさ、マリのとこでもそうじゃない。刺激がないのよねえ」

「だからって、不倫していいってことにはならないでしょ」

「でもさ、この体がどうにもならないのっ」

「それなら、私を巻き込まないで。勝手にやって ! 」

「だけど、こうして家を出るには理由がいるじゃない」

「だから、もう、止めてって言ってるの。止めてくれないなら、止めてくれないなら…。旦那さんに言いますよ」

「言えばぁ」

「…… !」


 直美はバッグの中から、1枚の写真を取り出した。

 それは1組のカップルがラブホに入って行く写真だった。


「この写真が何か。まさか、これが、私だって言うの。バカバカしっ。第一、後ろ姿じゃない。こんなの、どうかしてる」

「そうね」


 と、直美はさらにもう1枚の写真を、真理子に突き付けた。

 



 直美と真理子が働いていた会社は、隔週土曜日が半ドンだった。入社した年の夏の半ドンの土曜日に、直美と真理子、他の女子社員の計4人で海水浴に行き、夜はカラオケで盛り上がり、楽しい半日を過ごした。

 翌年も同じメンバーで同じように海水浴に行った。当時、恋人だった夫にもそのことは伝えている。

 その海で3人連れの若者と知り合い、夜は海水浴場から少し離れた海岸で楽しもうと言うことになった。そこへ、弁当やサンドイッチ、飲み物を持った青年がやって来た。

 飲んだり、食べたりしているうちに、何となくカップルが出来上がっていた。真理子の側には後からやって来た男がいた。巻き毛のハーフぽい顔立ちの男。それが、マッキーだった。


「マッキーとマリーなんて、お似合いじゃない」

「そうだよ。もう、しっくり、しっとり、しっぽり、なんてね」


 直美とカップルの男も言った。この二人、既に体をくっ付けあっているが、マッキーが立ち上がった時、直美が真理子の側に来た。


「どう、マッキー、いいと思わない。夏の夜の夢。一夜限りの…」


 その時、マッキーが戻って来た。


「マリー、夜光虫がきれいだから、こっちおいでよ」

「行っといで」


 直美に後押しされるまでもなく、真理子は立ち上がった。

 マッキーは真理子の手を取り、岩陰で向かい合った。


「マリー、君は本当に素敵だ。君の様に魅力的な人に逢ったのは初めてだ」

「そんなことないでしょ。直美さんの方がずっときれいよ」

「確かに、直美さんはきれいだけど。何か、上から目線でさ…。そんなことより、マリー…」


 と、マッキーは真理子を抱きしめた。


「このまま、マリーを離したくない。マリーマリーマリー。ああ、もう、どうにかなりそう…」


 その後も、恋人にも言われたことのない甘い言葉を、真理子の耳元でささやくマッキーだった。さらに、きつく抱きしめようとする、その手をやんわり放しながら、真理子も言った。


「ここは、いや」


 マッキーは体を放した。そして、それぞれ相手の女性を送って行くことで、その場は解散した。



 直美が言っていた。


「男ってさ。みんな同じって訳じゃないよ。同じ様な事しても、それぞれに違うんだから。時にはすごい発見があったりして。まあ、それは経験して見なきゃわからないことだけど。だから、一人の男しか知らないなんて、私に言わせりゃ、人生損してる。それに、マリの彼氏だって、隠れて遊んでると思うよ。何たって、あんないい男なんだから、女が放って置く筈ないって」


 そして、今夜も、一夜限りの夢、青春の1ページと煽られた。

 

----一度くらい、いいか…。


 この世の誰よりも恋人を愛している。でも、直美の言うように、他の男も知ってみたい…。

 女は決断が早い。その気になれば、一直線に進む。ためらいもなくラブホに行き、今までない大胆さで男に挑む真理子だった。それは、朝の陽の下でも繰り広げられた。


 その後、マッキーと会ったことはない。マッキーとのことは、それこそ一夜限りの出来事でしかない。

 それなのに、まさか、まさか、あの時、写真を撮られていたとは…。

 だが、真理子もいつまでも初心うぶな娘ではない。今は結婚し、子供もいる。誰が、こんな後ろ姿の写真などにびびったりするものか。

 そして、直美が突き付けた2枚目の写真…。

 真理子はその写真を破った。


----これで、証拠は消えた。







 










   


  








  

 















































  








 





















 

















 








 








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