眠れない…
眠れない… 一
あれ以来、英子の眠りは浅くなった。
そう、あれ以来…。
あの日、美加の誕生日。
タクシーを拾おうとして広い道に出れば、ちょうどその時バスがやって来た。それなら、駅からタクシーにとバスに乗り込んだ。だが、駅で降りると、目的の四つ葉台行きのバスが止まっていたので、そのまま乗り込んだ。バス停に着いたら、真理子に迎えに来てもらえばいい。
バスを降り、真理子に電話をするものの、梨のつぶて。真紀にも電話をかけたがこちらも応答なし。仕方なく、杖を頼りに坂道を登って行けば、白い人影が近づいて来た。
「お婆ちゃん」
それは、美加だった。美加が迎えに来てくれたのだと思うと嬉しく、思わず美加の手を取ろうとした。だが、美加は思いの外の強さで英子のそれを拒絶した。今からバス停まで行き、人と会うと言う。
その時、英子の中の忘れようとしていた気持ちが噴き出した。
この美加と言う娘。敬老の日のプレゼントと称して、百均の杖を高級な杖と偽り、それも
自分ももう歳である。ここは一つ譲って、美加の家に自分も住みたい。もう、ヘルパーがやって来るだけの日々は嫌だった。だから、この今をきっかけに、美加の家に一緒に住めるよう働きかけよう。だから、ここは…。
「まあ、バス停にゃ、誰もいなかったよ。それもこんな時間に女の子が一人じゃ危ないよ」
「でも、行かないといけないのよ」
「危ないったら」
そんな押し問答をしつつ、英子は再度美加の手を取ろうとしたが、またも強い力で美加は英子の手を押し返して来た。
「悪いけどお婆ちゃん、先に行ってて…」
その時だった。英子の杖を持つ手が、美加に当たり、そして、美加の姿は消えた…。
一瞬、今のは幻かと思った。そうだ、英子は美加の幻を見てしまったのだ。
あの白いドレスも、美加の声も幻だったのかと思えば、何か、空恐ろしくなった英子は登って来た坂道を降り始めた。
坂道とは、普通、上りがきつく、下りは楽に感じるものだが、高齢や事故などで足に支障をきたす様になれば、当然、上りはきついが、今度は下りが怖くなって来る。坂道の傾斜にもよるが、足が引っ張られると言うより、押し出される感じになってしまい、足の運びに、より慎重さが求められる。
英子も気は
やっとの思いで下り終え、バス停に向かうが、またも、そこには誰もいなかった。なのに、美加は一体誰と会うつもりだったのだろう。例え、幻にしても、あんなあり得ないことを言うだろうか。
そう言えば、美加の誕生日は、本当に今夜だったのか。そうだ、日にちを間違えたのかもしれない。
----やれやれ、歳は取りたくない。ああ、疲れた。
と、バス停のベンチに座り込んだ。また、こんな時に限ってバスが来ない。国道の脇道ではタクシーも捉まらない。諦めて、下の国道まで歩くしかないと、立ち上がろうとした時だった。奇跡的にタクシーがやって来た。急ぎタクシーを止め、駅まで乗った。家まで乗らなかったのは、こんな人気のない道で年寄りがタクシーで家まで帰れば、運転手の記憶に残るだろう。それが嫌だった。いくら、日にちを間違えたにせよ、やはり、今夜は後味が悪い…。
翌日、真紀から電話がかかって来た。珍しいこともあるもんだと出て見れば、衝撃のあまり、英子は携帯を取り落としそうになった。
「お婆ちゃん、どうしたの。大丈夫」
「う、うん、大丈夫…じゃないかも」
「そう言えば、誕生パーティにも来なかったわね、具合悪いの」
「うん、ちょっとね…」
「それで、お通夜なんだけど、無理しなくていいから」
「あ、そ、そうね。それより、美加はどうして、その…」
「それが、あのパーティの夜に家を抜け出して、ほら、あそこに石段あったでしょ。そこから足を滑らせて…」
「……!」
「もしもし、お婆ちゃん」
「ああ、やっぱり調子悪くて。私ゃ、何も出来ないわ」
英子は体調不良を口実に、美加の通夜にも葬儀にも行かなかった。
それにしても、それにしてもだ。真理子は一体何をしてるのだろう。もう、葬儀は終わったと言うのに、電話一つかけて来ない。親の事が気にならないのだろうか。
真紀にくっ付いて、あの家に住むようになってからは、日曜日のそれもスポーツジムのついでに寄るだけである。菓子を買って来ることもあるが、いくら、自分もあの家に一緒に住みたいと言っても、言葉を濁し、すぐに帰ってしまう。年寄りの心細さがわからないのである。
美加も死んだのだから、そろそろ親の事を考えてくれてもいいのではと思う。
----ん、ということは…。
そうだ!美加がいないと言うことは、あの家は真紀、いや、やがては利恵のものになる。つまり、邪魔者がいなくなったと言うことだ。
これで、展望が開けた。もう少しの辛抱だ。だが、今しばらくはじっとしていよう。下手に動くより、その方が賢明と言うものだ。
----うひひひぃ
そんなある日、珍しく訪問者があった。
誰だろうとドアを開けると、そこには制服姿の見知らぬ女子高生が立っていた。
----だれ?
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