第五章 ふたたび 利恵
忘れるもんかっ 一
私の名は、安藤
あれだけ勉強して高校へ入ったと言うに…。
それは入学式の時の時、痛感した。わかってはいたけど、左右じゃない、ぐるりと女、女ばっか…。
こんなところで3年間も過ごすのかと思えば、もう、ユー、ウツ。
勉強の方は、中学の復習みたいで、大したことないけど、面白くないことは、それだけじゃない。
帰っても面白くない。いや、帰るだけでもくたびれる。せっかくホテルの社長の娘になったのだから、送り迎えくらいしてくれると思ってた…。
朝から、この長い坂道を下らなければいけない。また、美加は駅の手前でバスを降りるけど、私は駅でバスを乗り換え、降りても歩き。どうして、学校の前にバス停がないのよっ。
当然、帰りはこの逆で、バスを降りたら石段を上り、さらに、坂道を上らなくてはいけない。塾に行ってた頃は、帰りはママの車だったからよかったけど、毎日毎日、これでは嫌になる。
家の門は開いてるけど、玄関ドアは自分で鍵を開けることになっている。そして、先ずは仏壇の前に座って、美加のママの牌に手を合わせるんだとさ。私、こんな辛気臭いこと嫌い。なので、お婆ちゃんの目がない時は、当然、省いてる。さらに、うちの飼い犬。私には知らん顔する。何さ、雑種のくせして。
この辺りは犬を飼っている家も多い。それも、ブランドのかわいい犬種に、柴犬、紀州犬もいる。柴犬はこんがり色で顔がかわいい。紀州犬は真っ白で顔もきりっとしている。私の好きなゴールデンレトリーバーもいる。
そう、何より、この家にふさわしいのはゴールデンレトリーバーだと思っている。それなのに、どこの馬の骨だかわからない貧相な犬が、この邸宅から出て来るのだから、きっと近所の笑いものになってる筈。そんな犬が我が物顔で、家ん中走り回っているんだから、気分悪いったらありゃしない。
でも、これくらいの事、まあ、仕方ないのかもしれない。
そんなことより、こっちの方が大変。
そう、大変とは大いに変わると書く。その大いに変わった、変わってしまった…。
私が泣きの涙で受験勉強をしていた、この1年の間に、お婆ちゃんは、私のお婆ちゃんは、私のお婆ちゃんではなくなってしまった…。
最初は、美加のご機嫌取りしてるんだと思ってた。まあ、それも、仕方ない。いくら、ママが正式に結婚したからといっても、所詮は後妻。私はその連れ子。何てたって、美加はパパの実の娘であり、パパの弱点でもある。その弱点を利用して、ママとの結婚に結び付けたんだから。美加のご機嫌取りもわかる。
それにしても…。
何か違うんだよね。何かおかしいと思いつつも、当時の私は受験勉強の真っ最中。思ったって、何も言えやしない。言えない。とにかくお婆ちゃんは、私の顔さえ見れば「勉強しなさい!!」勉強して、高校に受からなければ、パパの親戚中の笑いものになってしまう。
「一生、バカにされて、暮らしたいのっ」
だから、だから、本当に一生懸命勉強したじゃない。そして、合格したよ。
あの時は、みんなしてものすごく喜んでくれた。そして、美加と3人で、ディズニーランドに行った。あれは、楽しかった…。
なのに、帰宅早々、お婆ちゃんは言った。
「これからは、部屋の掃除と洗濯は自分でするのよ」
最初は何かの冗談かと思った。だって、今までは、お婆ちゃんがやってくれたじゃない。
「それは、利恵が受験だったからよ。でも、もう、これからは自分のことは自分でやるのよ。美加ちゃんもやってるんだから」
もう、何でもかんでも、美加、美加…。
とにかく、面白くない。金持ちの家の娘になれば、楽しいことが待ってると思っていた。そりゃ、確かに、家は広くて大きい。自分の部屋もあるけど、でも、それだけ。小遣いだって思ってたより少ないし、毎日美味しいものが食べられ、洋服もバックも買ってもらえる筈じゃ…。
そして、今日も繰り返される、あの言葉。私には呪文のように聞こえる。
「美加ちゃん」
「お婆ちゃん」
と、もう毎日、ベタベタしちゃってさ。
ああ、これじゃあ、どっちが本当の孫やらわかりゃしない。
でも、私は知ってしまった。
どうして、お婆ちゃんがここまで、美加に取り入るのか。
何と、お婆ちゃんもホテルの社員なんだそうだ。それも、どうやら、美加の口添えがあったらしい。ああ、それで、美加に取り入る訳だ。でも、社員と言うことは、金もらって、孫の面倒見てるってことじゃない。
以前のお婆ちゃんはパートに行って、その金の中から、小遣いくれたり、ものを買ってくれてたのに、今はそんなものさっぱり無し。これじゃ、さぞかし、笑いが止まらないだろう。
て、ことは、いい思いをしているのは、ママは当然にしても結局のところ、お婆ちゃんだけ…。
でもさ、それもこれも、私が頑張ったからじゃない。美加に近づき、美加の気持ちを揺さぶったから、ママの結婚に結び付いたんじゃないのっ。それと並行して受験。すべては、私の努力の、たま、のも、たまものだった…?
とにかく、私のお陰じゃない。なのに、今はそんなこと、すっかり忘れている。
こんなの、誰が聞いても、ひどいと思わない!?
いいや、ひどい ! ひどすぎる!!
でも、誰も、私の話なんか聞いてくれない。
ああ、あ。こんな筈じゃなかった…。
そんな、ある日。
ちょっと、面白いことを耳にした。何と、パパが、来年の市会議員の選挙に出るんだって…。
市会議員か…。
まあ、悪くない。そうなれば、出会いのチャンスもあるってもの。
意外に早く、その時はやって来た。
パパの後援会会長の家族を、うちに招待すると言う。お婆ちゃんと美加は台所でその準備をしている。とは言っても、メインの料理はホテルから届けられるのだから、お婆ちゃんはサラダとか作ればいいだけなのに、ここでも、美加と二人、ジツのソボマゴごっこをやっている。
会長夫婦と息子がやって来た。会長には息子が二人いるのだが、今日やって来たのは次男で、名前は孝則、二十歳。
「まあ、孝則さんは、もう二十歳なんだから、お酒は飲めるでしょうに、今日はちっともお飲みにならないのね」
ママが言った。
「いえ、今日は運転手なので、飲めません」
「ええ、車が欲しいと言うので、運転手をするならと言う約束で車を買ってやりました」
「まあ、そうでしたの」
えっ、この孝則って男、車持ってんのか…。
そして、大人たちの話は選挙へと移って行く。まだ、来年の事なのに気の早いこと。
「お兄さん。車の免許って難しいですか」
私は、孝則に近づいた。
「そんなに、難しくはないよ。免許合宿に行けば3週間ほどで取れるし」
「でも、私。あんまり頭良くないので」
「その時は、教えてあげるよ」
「わあ、ありがとうございます。でも、今の季節、ドライブって気持ちいいでしょうね」
「うん、いいねえ」
「私も、ドライブ、行きたいです」
「じゃ、今度、行こうか」
「えっ、嬉しい。その時には姉も一緒にいいですか。お姉さん、こちらのお兄さんが、今度ドライブに連れてってくださるそうです」
その後、孝則は本当に、私と美加をドライブに連れてってくれた。でも、美加はそれ程楽しそうではなかった。
これをきっかけに、私と孝則は付き合うようになった。もう、お兄さんとは呼んでない。
別に、タイプって訳じゃないけど、パパとも大きなつながりのある人の息子で、何てたって、車持ってるのがいい。父親の運転手も兼ねているけど、私の運転手も兼ねて欲しい。何より、案外、金持っているところがいい。最も、それが一番だけどね。先ずは、孝則に連れ子の悲哀を吹き込んだ。
「それだけじゃないの。お婆ちゃんまで、姉の味方なの。もう。どっちが本当の孫だかわからないくらい…。何でも、美加ちゃん美加ちゃんって…」
孝則は、私に同情してくれた。扱いやすい男だ。でもね、私、別に嘘言ってないから。全部、本当の事だから。それにちょっと、スパイス振りかけただけ。
まあ、お陰で少しは気も紛れるけど、まだまだ、こんなもんじゃ満足出来ない。
ある日曜日、私と孝則は映画を見に行った。映画館から出て、そのまま商店街を歩いている時だった。一方通行の車道を挟んだ道越しに、美優と目が合った。中学卒業以来の再会だった。向こうも男連れ。とは言っても、相手はおそらく同級生。それに引き換え、私は大人の孝則と一緒。
私と美優は、そのまま睨みあった。
美優にしてみれば、私は最も会いたくない相手に違いない。何しろ、中二の秋から負けっぱなし。高校だけは何とか底辺の公立に行ったけど、ジジイがお婆ちゃんに復縁を迫ったり、ホテルで働かせろとか言っていることを知らない訳でもあるまい。
そして、今。私は孝則と一緒。そこそこおしゃれもしている。一方の美優たちは、如何にも高校生カップルと言った感じ。さぞかし、歯ぎしりしていることだろう。
ザマア…。
いや、この程度では、私の今までの怒り、悔しさは治まらない。
私は、忘れてない。決して、忘れるもんかっ。
美優から受けた、仕打ちを…。
覚えてなさいよ。
この、バカ美優。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます