第二章 桃子
美加と共に 一
美加とは、小学一年生で同じクラスになって以来の親友である。
互いの家も行き来し、それこそ、家族ぐるみの付き合いとなり、夏休みなどは、互いの家だけでなく、美加の伯父の家にも二つ下の弟、太一も一緒に泊めてもらっていた。桃子の両親と美加の母、加代も仲良くしていた。
「桃ちゃんとこは、お父さんとお母さんが仲良くていいね。私なんか、もうお父さんの顔、思い出せない時がある」
ある時、美加がぽつりと言った。美加に言われるまでもなく、桃子も美加の父に会ったことはない。もう、長いこと、家にも帰って来ない。ホテルに泊まり込んだままだそうだ。
美加の父はホテルの社長である。最初の頃は、ホテルとはそんなに忙しいものかと思ったりしていたが、やがて、それが、夫婦間の別居であることもわかって来た。
「うちなんか、母子家庭みたいなものよ」
このことは、美加の母、加代も笑いながら言っていたが、やはり、寂しそうだった。
桃子の父は、今はスーパーの社長だが、店長だった頃には休みの日でもよく呼び出されることがあった。せっかくの休み、家族揃って出かけようとする時に限って、電話がかかって来るのだ。
「ごめんな。ちょっと行って来るわ」
と言って、逆方向に行ってしまう父の後ろ姿を恨めしく見送ったものだが、美加はもう、長いこと父と会ってないと言う。
「たまに、会っても、お父さんと言うより、どこかのおじさんみたい…。ああ、ごめんね。こんな詰まらない話して」
桃子は何と言っていいのかわからなかったが、その後の美加が父の話をすることはなかった。
やがて、二人は中学生になり、出来れば同じ高校に進みたいと思っていた。だが、それには、桃子は今以上に勉強しなくてはいけない。美加なら、今まで通りの勉強でいいが、桃子にはちょっと厳しい。そこで、二年生から、家庭教師を付けてもらった。
「あのねえ、何か、うちのお父さんとお母さん。やり直すらしいの。それでね、今のマンションではなくて、家も建てるんだって」
と、三年生になった頃、美加が嬉しそうに言った。
「ええっ、そうなの。よかったじゃない」
さらに、その新しい家は新興住宅地の、四つ葉台だと言う。実は、桃子の家も建て替えの話は出るが、具体的には何も決まってない。そんなことより、美加の明るい顔が、眩しくさえあった。
だが、そんな10月のある夜、美加から明日は学校を休むとLINEが来た。母の加代の体調が悪く、病院に一緒に行くとのことだった。桃子から、そのことを聞いた、母の久美子はすぐに、美加に電話をした。
「そう…。わかったわ。明日は私がお母さんを病院に連れて行ってあげるから、美加ちゃんは学校へ行きなさい。お弁当も用意するから」
久美子は、元看護師である。
翌日、加代は入院となり、それらの準備も久美子がした。
その日は学校帰りに、桃子も病院に行った。そこには、久美子だけでなく、美加の父の耕平の姿もあった。桃子が初めて耕平の顔を見た時だった。
久美子は耕平に、美加を預かってもいいと言った。
「いや、それは、いくら何でも、申し訳なくて」
「では、美加ちゃんをどうなさるおつもり。まさか…」
「はい。マンションに一人置いておく訳にもいきませんので、ホテルの一室に住まわせます。その方が病院にも近いですし」
確かに、駅周辺は便利である。ホテル、病院、デパート、スーパーなどがあり、公共施設も近い。
「美加ちゃんはそれでいいの」
「はい…」
久美子は帰り際に、美加に、いつでもいらっしゃいねと耳打ちした。
その後、加代は手術を受けたが、一進一退のまま入院は続いた。
そして、美加は塾に通い出した。きっと、馴染みのないホテルの部屋で一人勉強するのは、気が滅入るのだろう。そんな美加も、クリスマスと正月は桃子の家で過ごした。
年が明けても、加代の容態に回復の兆しは見られないまま、月日だけが過ぎて行き、高校の合格発表の日がやって来た。二人が目指した高校は家からでも歩いて行ける距離にあった。
当日の朝、桃子の顔は引き攣り、足取りも重かった。
もし、自分だけ、落ちてしまったら…。
だが、合格発表の紙が張り出されると、誰よりも先に数字の前に行き、先ず、美加の番号を見つけた。そして、自分の番号を探すも中々見付けられない、見付からない…。
「桃ちゃん、おめでとう。良かったね。また一緒に学校に通えるねっ」
「えっ、私の番号、どこ」
「ここよ」
「あっ、あった…」
何と、美加の番号のすぐ近くに自分の番号もあったのだ。
もう、嬉しくて、二人して飛び上がったものだが、その時、近くで別のものすごい歓声が沸き上がった。
「桃ちゃん、あそこ…」
「えっ、上田、陸よね」
この「
「美加ちゃん、早く、お母さんに知らせに行こ。心配してると思うよ。私も行くから」
「あ、あっ、そうね。でも、桃ちゃんは家の方には」
「うちはいいよ。二人とも元気だから。さっ、早く」
と、言って走り出せば、美加も負けじと走る。走れば病院まで、5分くらいで着く。
「お母さん、合格したよ」
「おばさん、私も合格しました。これからも美加ちゃんと一緒です」
「そう、二人とも、おめでとう」
それは弱々しい声だった。
「だから、おばさんも早く、元気になって下さいね」
「美加を、お願いね」
「はいっ」
桃子はもう限界だった。
「あ、あの、私も帰らなきゃ」
「わざわざありがとうね。おばさんたちにもよろしく」
病室のドアを閉めた途端、涙があふれて来た。
美加の母、加代がもう長くは生きられないことくらい、桃子にもわかる。
----美加ちゃんため、1日でも長生きして…。
と、泣きながら、家まで帰ったものだから、母の久美子は、不合格だったと思ってしまう。
「まあ、桃子…。でもね、人生は長いの。これからなんだから、一度くらい、誰にも躓きはあるわよ」
「えっ、何の話」
「何の話って、受験のことよ」
「それは、いいのよ。美加ちゃんと一緒に病院行って、おばさんに報告して来たんだけど。おばさんが…」
「でも、桃子もつらかったでしょ」
「つらいのは私じゃなくて、美加ちゃん、おばさんの方よ」
「えっ、まさか、美加ちゃんもダメだった」
「美加ちゃんは大丈夫よ。ああ、私もなんとか合格したから」
「合格した?それなら、何でそんなに泣いてるの」
「美加ちゃんのお母さんに言われたの。美加をお願いねって」
「そうだったの…」
久美子は美加に電話をかけた。みんなで合格祝いをしようと。
「待ってるから、いらっしゃいね。あ、迎えに行こうか」
その夜、美加は自分でやって来た。合格祝いの後はタクシーで帰った。
だが、合格発表から一週間後、美加の母、加代は亡くなってしまう。
葬儀の日には、美加に掛ける言葉も見つからないままに、父、祐介の車で火葬場に行き、火葬を待つ間も何か夢を見ているような、桃子だった。
そんな桃子を現実に引き戻してくれたのが、美加だった。何と、美加は子犬を抱いていた。
「この先で、鳴いていたの」
「……」
「あのね、この犬、桃ちゃんちで、飼ってもらえないかしら…」
既に犬は二匹飼っているが、祐介も久美子も快諾した。
「かわいい犬ねえ。よかったわね、美加ちゃんに見付けてもらって」
「ありがとうございます。お願いします」
「じゃあ、名前は美加ちゃん付けてよ。女の子だから、かわいい名前がいいな」
と、桃子が言えば、美加は思案した。
「ミ、ク。ミクはどうかしら」
「ミク。いい名前ねえ」
それからは、毎日、ミクの成長記録動画を送った。美加が少しでも元気になってくれればいいとの思いからだが、美加の不幸はそれだけではなかった。
何と、今まで住んでいたマンションを3月末で明け渡さなければならないのだ。母との思い出の詰まったマンションである。
完成した新居は賃貸に、そして、美加は今まで通りのホテル暮らしとのことだったが、あまりのことに久美子は耕平に言った。
「今度こそ、美加ちゃんをうちで預からせてくれませんか」
「それでは、あまりに…」
「下宿と思っていただければ」
「ありがとうございます。が、しばらくは、このままで。私もこれから色々…」
「美加ちゃんはどうなの」
「ありがとうございます。私は大丈夫です。また、遊びに行かせて下さい」
「いつでも来てね。待ってるから」
美加が引っ越しを手伝ってほしいと言った。久美子と太一も駆け付けた。そして、美加は久美子に、母の形見の着物を差し出すのだった。
「いいのよ。美加ちゃんが持ってなさいよ。お母さんの形見だもの」
「いいえ、これは母がおばさんにあげるよう言っていたものですから」
「そうお。それなら、遠慮なく頂くわ。大事に着させてもらうわ」
「母も喜んでいると思います」
「……」
久美子は、ふと、思いついた。
「美加ちゃん、お母さんのもので残して置きたいものは、早くこの段ボールにでも入れてしまいなさいよ。そうした方がいいわ。早くっ」
久美子の勘は当たった。粗方詰め終わった頃、大きなスーツケースを持った悦子がやって来た。久美子たちがいるのを見ると、一瞬、嫌な顔をした。
「美加。荷造りなら手伝ってあげると言ったじゃない。他人さんに迷惑をかけるもんじゃないわよ」
「迷惑だなんて。こちらへもよくお邪魔させていただいたので、私たちも名残惜しくて。何かお手伝い出来ればと思いまして」
「まあ、それはご苦労様。後は私たちでやりますので。それより、美加。私、まだ加代さんの形見分けもらってないのだけど」
美加は、着物を差し出した。
「ええっ、これだけ。着物だけでももっとあったでしょ」
「向こうのおばさんにも…」
この、向こうのおばさんと言うのは、加代の兄嫁である。
「まあ、なんて早いこと」
と、久美子にも疑いの目を向けたかと思えば、タンスの中のスーツやコート、ブラウスなどをスーツケースに詰め込み始めた。
こんなことだろうと思った。この悦子は通夜でもやらかしてくれた。
「ちょっと、こんないい着物を燃やしてしまうなんて」
と、棺の中から、着物を取り出そうとする。
「これは、お母さんが一番好きだった着物だから」
「悦子、よさないかっ」
と、兄の耕平にたしなめられ、しぶしぶ着物から手を離した悦子だった。
そんなことがあったから、久美子はもしやと思ってのことだった。
「もう、遅いわねえ。ちょっと、ネックレスとか指輪とか、まだあるでしょ」
「悦子さん。それは、美加ちゃんにとってもお母さんの大事な形見ではないですか」
「形見ったって、こんな地味な物、美加に用はないでしょ。ああ、私が死んだら、私のもの全部、美加にあげるから。うちは息子しかいないんで」
そこへ、悦子の息子がスーツケースを持ってやって来た。
「ええっ、こんなにぃ。それにしても、お袋。おばさんは痩せていたのに、そんな洋服もらっても着られないだろ」
悦子は肥満気味である。
「シーちゃんにあげるのよ」
この、シーちゃんと言うのは、悦子の義妹である。
「まだ、ネックレスとかあったでしょうに…」
と、横目で久美子を見た。
久美子は加代の宝石が仕舞ってある場所を知っていた。いち早くそれを、息子の太一に箱に入れるよう指示した。悦子がやって来た時、太一は箱を自分の背中に隠し、素知らぬ顔でスマホを打っていた。それにしても、いくら形見分けとは言え、あれもこれもとよく丸出しの悦子の気が知れなかった。また、引っ越しを手伝うと言いながら、スーツケースに詰め終わると、悦子はさっさと帰って行った。後日、形見の品は、そのほとんどがフリマアプリに出品されていた。
「いいこと。わかってるわね」
「はい、お姉さん ! 」
二人は元気よく答えた。今日は高校入学のための買い物に来たのだ。
桃子の父の祐介と母の久美子は15才違いの歳の差カップルである。そのせいか、久美子にはいつも「若い」と言う意識があり、娘の桃子を妹扱いする。さすがに近くでは通用しないが、少し離れた所に買い物に行けば「お姉さんと呼べ」と言う。
今日は美加も一緒だが、この時は「二卵性の双子の妹」であり、例によって二人に「お姉さん呼び」を強要する。いつもなら、また始まった、ウザイとか言いもするが、今日はそれも苦にならない。返って楽しい。
美加も明るく振る舞っているが、やはり、心の中では寂しいことだろう。
そして、高校の入学式にはカメラ好きの祐介が、正門前で美加と桃子、久美子も一緒の写真を撮ってくれた。
「これこそ、正に、美しき三姉妹ね」
「はい、私たちは二卵性の双子の妹ですっ」
と、笑っている側を、上田陸が通って行く。
上田陸の後ろ姿を、美加の目は追っていた。そして、何と、美加と陸は同じクラスになったのだ。
「桃ちゃん、クラブ活動の事なんだけど。演劇部に入ることにしたの。あ、桃ちゃんも一緒にどう?」
----演劇部!?
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