私、待つ、わ
いよいよ、その日がやって来た。藤の花を見に行く日。
本当なら、私も初めてだし、藤の花、見に行きたかったけど、そうはいかない。その前に…。
「大丈夫?」
「まかせてよ。では、お婆ちゃん、行ってきます」
と、美加からもらった、ダサイ手編みのバックを持ち、ママと腕なんか組んだりして、ウキウキと歩き出す。そして、この角を曲がれば、美加とパパが待っている。
二人とも、車を降りて待っていた。その姿がだんだんと大きくなってくる。
互いの顔が認識できる距離まで来た時、私はフリーズ。美加も驚いているに違いない。
「お早うございます。まあ、お待たせしまして、あの、今日はよろしくお願いします。娘の利恵です」
私は泣いていた。美加の顔がまともに見られない。
「まあ、どうしたの。早くご挨拶なさい」
私は泣くしかなかった。
「利恵、どうしたのよ。利恵っ」
私は頭を振りながら、ママにすがって泣いた。
「まあ、この子ったら。あの、ちょっと…。この子、急におかしくなってしまって。申し訳ないのですけど、せっかくお誘い頂いたのに…。それで、その、今日のところは、ご遠慮させていただきます。本当に申し訳ございません。美加さん、ごめんなさいね。それで、あの、これで失礼させていただきます。申し訳ございません」
と、ママは何度も頭を下げながら、私を抱えるように今来た道を戻って行く。
「もう、いいわよ」
と、角を曲がったところで言ったが、私はそのまま泣き続けた。そして、アパートの前まで来た。
「あらぁ、利恵ちゃんどうしたのよ」
隣の部屋のおばさんがびっくりしていた。
「あ、いえ、その、ちょっと…」
二人して階段を上がり、部屋に入れば、すぐにママの腕から抜け出し、蛇口をひねり、顔を洗った。そして、濡れたままの顔で、高らかに笑った。実は、角を曲がる時に目薬を差した。目薬なんて、すぐにこぼれてしまうけど、出来るだけ上を向いて歩き、それで、何とか一筋くらいの涙は保てた。
「どう ! すごいでしょ。私の演技」
「確かにね。まさか、アパートの前まで泣き続けるとは思わなかった」
「私はぁ、やる時ゃ徹底してやるんだから。次はママの番よ」
「わかってるって 」
美加は今どうしているだろうか。あのまま、藤の花を見に行っただろうか。いや、
行ってない。かなり、ショックを受けている筈。
いくら、自分のママが今は死んでしまったとは言え、まさか、パパの不倫相手が、私のママだったなんて…。
はて、何時ごろにLINEしようか。あまりに早くても遅くても。昼頃にしよう。
(ごめんなさい。本当にごめんなさい。ママを許してください。もう、お姉さんを苦しめたりしませんから、許してください)
今のところは、これで、いいかな。そして、夕方。
(お婆ちゃんも、ひどくショックを受け、美加ちゃんに申し訳ないと泣いています)
実は、少し前、お婆ちゃんと美加は会っている。
それも本当に偶然。日曜日に久しぶりにお婆ちゃんと買い物に出かけた。買い物と言っても、大したものは買わなかったけど、スタバでコーヒーくらい飲みたいと思っていた時だった。何と、前方からやって来たのは、美加だった。これには私も驚いた。
「お姉さん」
「利恵ちゃん…」
「えっ、まあ、あなたが美加ちゃん…。まあ、利恵と仲良くしてくださってありがとう。この子も一人子なもんで。それにしても、やさしそうな娘さんね」
「あの、お母さん?」
「いえ、違うの。その、お婆ちゃんです」
やはり、美加も驚いていた。どうして、世間の人はすぐに親子認定したがるのだろう。
「あの、そこでお茶でも、いかが」
美加はちょっとためらってたけど、お婆ちゃんの強引さに負け、近くの小さな喫茶店に入った。お婆ちゃんはそれは上機嫌でしゃべるしゃべる。
「本当に利恵ったら、頭悪くて困ってるの。あ、そうだ、美加ちゃんの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいわ。そしたら、少しは頭が良くなるんじゃないかしら」
「ちょっと、お婆ちゃん、冗談でも止めてよ」
「何が、冗談なものですか。本気よ」
「もお!!」
その様子を美加は笑いながら見ていた。
さらに、家に帰ると言ったものだ。
「これは、いい前兆かもしれない。偶然たって。そうある偶然じゃないわ」
そうかもしれないと思った。そんなお婆ちゃんも、今日はパートから帰るなり聞いて来た。
「で、どうだった」
「もう、本当、お婆ちゃんにも見せたかった。利恵と言う女優の名演技。それだけじゃなくて。LINEもばっちりよ」
「そう。でも、あんまり、煩雑にLINEしてもダメよ」
「朝夕、2回だけ」
「それくらいね。それで、返事来た」
「まだ…」
「そうよねえ。きっと混乱してるか、父親に文句言ってるか…」
それからの私は、LINEで美加の心を揺さぶり続けた。
一方のママは明日にでも、美加のパパと会うつもりにしていた。そして、美加ちゃんに悪いとか言って、別れを切り出す。でも、本当は別れたくないと泣く。後は、大人の時間。
いや、それより、美加はともかく、美加パパが電話にも出ないとママがイラついていた。
ひょっとして、話がこじれてる?
まさか、美加がパパに文句を言ってる?
考え出したら、悪い方へ悪い方へと行ってしまう。
どうしよう。どうしようたって、どうしようも出来ない。
待つだけ…。
一夜明けても、状況は変わらない。私は朝夕LINEするだけ。電話したら、泣いてしまう、いや、泣かなくてはいけない。もう、泣きたくなんかない。
ママの方もLINEは既読になるものの、それだけ。電話も出ない。
こっちも、待つしかない…。
そして、ようやく、美加パパから電話があり、ママはいそいそと出掛けて行った。
夜遅く、何とも言えない表情のママが帰って来た。
「どうだった。どんな話したの」
「それが、時間が欲しい、それだけ」
「時間が欲しいと言うことは、可能性あるってことね」
「そうかしら…」
「それで、美加は何て言ったのかな」
たまらず、私は聞いた。美加からはラインの返信は来るようになったけど、あの事の話は一切ない。
「美加ちゃんのことは何も」
「まあ、待つしかないわね」
「ああ、じれってぇ」
「そんなものよ。待つしかないから、もう、寝よ」
数日後、塾から帰ると、ママとお婆ちゃんが顔を寄せ合うようにして話をしていた。
「利恵、こっちいらっしゃい」
何がこっちよ。こんな狭い部屋。
「やっと、ママと話をしたいって」
「それで」
「先ずは、ママとの話し合いが一番じゃない」
「じゃ、その話次第で」
「そう言うこと」
「わあ、ママ、頑張って。すべてはママに掛かってるんだから」
だが、その話し合いも、なぜか、延び延びとなり6月末になってしまった。その日、ママは雨の中、美加パパに会いに行った。
「仕方ないわね」
それはまたも、初盆が終わるまで待ってほしいと言うものだった。
何か、待ってばかりで嫌になる。でも、身内が死ぬと1年くらいは「喪中」とか言って、おめでたいことはあまりやらないんだそう。
待つしか、ないのか…。
「待ってる間に勉強するのよ。1学期の試験、楽しみにしてるからね」
お婆ちゃんは相変わらずうるさい。こんな梅雨のじめじめで気分も悪いところへ持って来て、待たされる身にもなってみろ。こんなんで、勉強出来るかってんだ。
それでも、頑張った甲斐あって、またも全科目点数を上げた。
「頑張ったでしょ」
「確かに。でも、これじゃ、まだまだ」
「先生はあざみ学園なら大丈夫だろうって」
「どこの先生が言ったのよ」
「その、学校の先生」
「学校の先生の言うことなんか、アテにならないよ。塾の先生はそんなこと言わないでしょ。とにかく、気を抜かないこと。いい ! 」
やっと、夏休みに入ったけど、初盆まで、まだしばらくある。勉強と美加への朝夕のLINEするしかない毎日にいい加減疲れていた、そんなある日。
「何か、みんなで話をしたいって」
帰るなり、ママが言った。
「みんなって?」
「だから、みんなで」
「私もお婆ちゃんもってこと」
「そう、みたい」
「そうみたいって。ママがそんなことで、どうすんの ! もう、人の気も知らないで。私が、毎日毎日、朝夕、どんな思いで美加にLINEしてると思ってんの ! 私が必死でショウオイやってんのに、ママがこんなにのん気だったとは、聞いて呆れる。ああ、勉強する気も失せるわ」
「まあ、利恵。そう、カリカリしなさんな」
お婆ちゃんが言った。
「カリカリしたくもなるっ」
「いいこと。みんなで話がしたいと言うことは、顔合わせ。つまり、ママの結婚が近づいたって事」
「えっ」
「まさか、みんな揃ってる前で、別れ話はないよ」
「それじゃ、ママ、プロポーズされたの」
「それは、まだ」
「とにかく、みんな揃ってってことで。さあ、何着て行こうかしら」
「私も」
「利恵は制服でいいんだから、そんなことより、勉強しなさい」
「ふぁい」
当日、場所はレストランの個室だった。私、こんなとこ、初めてだから少し緊張していた。個室では、美加とパパが待っていた。
「本日はわざわざ、お呼び立ていたしまして。改めまして、ご挨拶させて…」
と、パパがお婆ちゃんに何かくどくどと言ってたけど、私は美加の側に行った。
「お姉さん」
「利恵ちゃん」
「あの、本当に、もう、私、胸がいっぱいで…」
美加は微笑んでいた。
「すべては、初盆の後でと言うことで…。よろしいでしょうか」
「はい…」
と、ママがちょっと恥ずかしそうにうつ向き、お婆ちゃんも微笑んでいた。
えっ、なに、なに。いつの間に、どんな話になってんのよ。ちょっと、ママ、お婆ちゃん…。
そして、料理が運ばれてきた。それはご馳走だった。
「言い忘れていたけど、品よく食べなさいよ」
それくらい、わかってるって。本当にいつもうるさい、ババ、お婆ちゃん。
食事しながら、わかったことは、ママとパパは初盆の後で「婚約」する。
婚約くらい、別に今でもいいのに。それより、結婚はいつと思った時、何と、美加がそのことを言ってくれたのだ。
私、利恵が来年受験すること。受験前に入籍した方がいい。そうだった。本当の結婚とは、結婚式より入籍をすることだった。
何よ、美加。すごいじゃない。私のLINEそんなに効いた?
それじゃ、私がすごいって訳ね。そう思うと、途端に食欲がわいて来た。いつものペースで目の前のご馳走を食べる私、なのでした。
「これで、一歩、前進したけど」
帰ってから、お婆ちゃんが言った。何が一歩よ。百歩くらい前進と言ってほしいわ。
「これから、心してかからなきゃ」
と、お婆ちゃんとママは、互いに見つめ合っていた。
そんな、ここまで来たら、それこそ、あと一歩じゃない。
「そう簡単に行かないのが、世の常よ」
まだ、何か、ある?
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