第7話 老婦と卸売と悪徳商法 ②
ホウショウ領で問題になっている政策はもう1つある。それが、『国境線通過条件の緩和』だ。
王国では原則として、都市間の移動に各領主の許可が必要となる。ホウショウ領ではその制限を緩和し、他の都市や国家から幅広く人を呼ぶ政策をとっているのだ。これは新たな街を造る上での人員確保や、もっと有用な、領地経営に携わることができる人材を得ることを目的とした政策である。
しかし、これもまた当初の思惑とは違った影響を、領内に及ぼしている。それがーーー
「おい、5番街で乱闘だ!行くぞ!」
「またですか!?今日だけで3件目ですよ!前の件もまだ片付いてないのに!」
警備隊詰所に舞い込んだ通報に、兵士達の怒号が鳴り響く。
今、ホウショウ領の中心部(になる予定の街)は、著しい治安の悪化に
国境線通過制限の緩和によって、多用な人材は確かに入ってきた。しかし、入ってきたのはそれだけではない。情勢不安な地域から仕事や安全な生活を求めた多くの難民が流入してきたのだ。しかしそれだけならまだ良い。問題は、難民に紛れて入ってくる犯罪者たちだった。指名手配などを受けて元いた場所に居られなくなった彼らは、関所の制限が緩いことを幸いに大陸各地から押し寄せてきたのだ。
事態を知った役人の采配で制限緩和は即座に停止されたが、既にある程度流れ込んでいたためか、街の治安悪化を招いてしまっていた。
「警備隊だ!乱闘が起きたとの通報があったんだが」
「おお、こっちだ!助けてくれ。道を歩いていたらこの男が急に突っ掛かってきたんだ!」
現場に衛兵らが駆けつけると、被害者らしい恰幅の良い男が泣きついてきた。彼が指し示す先では、みすぼらしい身なりの男が怒りの表情を湛えたまま地面に抑え込まれている。
「くそっ、離せ!そいつが悪いんだ!俺は何もしちゃいない…、全部、そいつがっ!!」
唾を撒き散らしながら叫ぶ男の声を聞き付け、周囲には人が集まり始めている。
「このままじゃまずい。とりあえず詰め所に連行しよう」
「はい」
兵士らはいまだ抵抗している男を立たせると、見物人を掻き分けながらその場を後にした。
☆
「はぁ!もう勘弁してくれ!」
詰め所に帰って早々、若い兵士が悪態をつく。
「おい、休むのはせめてそいつを牢にぶち込んでからにしろ」
「す、すいません、了解です!それにしてもお前、連れてこられた途端にえらく大人しくなったな」
引きずられるようにして連行されてきた男は、先程までの剣幕が嘘のように黙りこくっている。おおかた現場から離れて冷静になったのだろう。よくある話だ。
ここのところ、この街では似たような騒ぎが頻発している。それもこれも、件の制限緩和が原因だ。流れ込んできた人間の中で最も多いのがいわゆる貧困層だ。そういった人々は窃盗や暴行事件などを引き起こすことが多く、治安悪化の大きな要因となっている。
加えて、数こそ多くはないが、誘拐や殺人などの凶悪犯罪も起こるため、急造の領内警備隊では、人員的にも能力的にも対処の限界を超えつつあった。
「だいたい、俺達は衛兵出身なんですよ?犯罪の処理なんて畑違いが過ぎます」
「仕方ないだろう。上官であるアイリス様からのお達しとあれば、我々に断るという選択肢は無い」
「ほんと、早く増員来ないかなぁ…」
警備隊自体も、そのほとんどが王都にいたアイリスや王女らの部下として働いていた兵士で構成されている。だがそれでも足りず、流入してきた人の中で腕に覚えがある者を編入した始末だ。そして厄介なことに、正規兵ではない彼らは、端的に言えば柄が悪く、取り締まりに行った先でさらに問題を起こすことも間々あった。結果、正規の警備隊の負担に拍車をかける始末だ。
「嘆いても始まらんさ。とりあえずこいつの調書を片付けるぞ。さっさと終わらせて俺達も休もう」
「ですね」
若い兵士は牢の前まで椅子を引きずってくると、中で座る男に声を掛けた。
「じゃあ、名前と年齢、出身地、そんでもってあの男を殴った理由を教えてくれ。…ていうか、被害者どこ行ったんですかね。先輩何か知りません?」
「いや、俺も今の今まで気が付かなった。あれだけ怒っていたのに、肝心な時にいなくなるとはな」
首をかしげる2人。
「あいつは商人…少なくとも俺達の村に来た時はそう言っていた」
と、それまで沈黙を守っていた男が顔を上げ、口を開いた。
「ほう…」「続けてくれ」
兵士らに促されると、男は静かに話し出した。
「俺はオーウェン。今年で27になる、この街から少し離れた村の農家だ。俺があいつを殴ったのは…奴が、俺達の村にあった魔術アイテムを盗んだからだ!」
☆
オーウェンが言うには、数日前に突然現れたあの商人は、村にある領主から貰った魔術アイテムを買い取りたいと言ってきたらしい。提示された値段や条件は良心的でうまい話ではあったが、あまりの都合の良さに疑問を抱いた村人達はその申し出を断った。商人は残念そうな様子ではあったが、大人しく引き下がった。
だがその夜、何者かによって村に火が放たれた。総出で消火し大事には至らなったが、その騒ぎの中で魔術アイテムだけが忽然と姿を消したのだ。
一連の経緯を不審に思った村は、オーウェンを使者として領主に事情を話に行くことにした。そしてこの街に着いた時、本当に偶然、居酒屋に入っていくあの商人を見つけたのだ。
オーウェンは奴に気付かれないよう注意しながらあとに続いて居酒屋に入り、死角になりそうな席に陣取った。
『領主様々だな、本当に!』
『おい、あんま大声出すなよ。警備隊に聞かれたらタダじゃ済まねぇぞ』
『大丈夫だ。いざって時は潜り込ませた奴が上手いこと気を逸らしてくれるさ』
商人は上機嫌な様子で酒をあおっている。
『そういや聞いたぜ?この前行ったとことの商談は失敗したんだろ?』
『まあな。て言っても、大体半分くらいの割合で失敗するんだよ。流石に話がうますぎるってな』
自分達の話だと気づき、オーウェンは身を固くして彼らの会話に耳をそば立てた。
『ってことは、またいつもの手順で?』
『おうよ。苗や肥料が入ってる納屋に火ぃ付けたら連中、大慌てで騒ぎ始めたよ。その間に俺達は欲しい物取ってとんずらさ。……いつ見てもワラワラと出てきて泣き叫んでる連中ってのは面白いな』
奴は笑っていた。自分達が何十年もかけて整えてきた生活の基盤を壊し、踏みにじって笑っていた。
そこから先は記憶が曖昧らしい。商人に掴みかかり、店の外まで引きずり出したような気はする。気が付いたら地面に組伏せられていた。両の拳が腫れ上がっているところを見ると、どうやら一撃程度は加えることができたらしい。
☆
「「…………」」
涙を流しながら話す男に、兵士らは口を開けなかった。
「その話、もう一度詳しく聞かせてくれないかな?」
「っ…!貴方は…」
静まり返った室内に、唐突に声が響いた。慌てて反応した兵士は、その姿を見て息を呑む。
「ホウショウ様、いつから…いえ、何故ここに?」
「仕事だよ。君達にも協力してもらう必要のある、ね」
ホウショウ領の領主、ホウショウ・カケルは、意味深な微笑みを浮かべながらそうこたえたのだった。
☆
「忙しい中、皆に集まってもらったのは他でもない。今、少々質の悪い連中がこの領内を騒がせているらしい。調査の結果、奴らはこの街の古い商店を根城にしている事が分かった。俺達はこの機を逃さず、奴等をまとめて捕らえようと思う。君達には主力として、この作戦に参加してもらう」
翌朝、詰め所の会議室には警備隊に所属する全ての兵士が集められていた。しかし、この急な展開を受け、兵士達からは戸惑いの声が上がっている。
「今それをやる必要があるんですか?人も時間も足りない状況で、たかが悪党にここの全員を投入するなんて」
兵士の1人が声を上げると、あちこちからそれを指示する声が重なった。カケルは彼らの反応が収まるのを待ち、ゆっくりと口を開いた。
「君たちの懸念は分かる。ただ、考え無しでの事ではないんだ。調べて分かったんだけど、奴らが今の街の状況に一枚噛んでいる可能性が高い。皆には一時的にさらに負担をかけてしまうことになる。だけど、今の厳しい状況を好転させる機会になるかもしれないんだ。協力して欲しい」
そんな領主の言葉に、兵士達の纏う空気がわずかに熱を帯びる。混乱の原因の打倒。現在の無茶な稼働状況の改善。理由は様々だが、その任務に大きな意義があると分かれば、彼らの心は自然と屹立する。
「決行は明日の明け方。連中の寝込みを襲って一気に片付ける。何か質問は?」
無言の返答に、領主は真剣な顔つきで頷いた。
☆
薄暗い部屋に、不釣り合いなほど大勢の人間が集まっている。ここは街の一角にある古い商店。かつて様々な品を並べていた店内には、明らかに場違いな魔術アイテムが乱雑に積まれていた。
「本当なんだな?明日の朝に領主共が来るのは」
「間違いない。朝っぱらから警備隊全員集めて盛大に演説噛ましてやがったからな。で、どうするんだ?」
軽装な鎧をまとった男が話しかけているのは、やたらと上等な口髭を生やした恰幅の良い男だ。
「どうするもこうするも無い。商品を持てるだけ持ってとっとと逃げるぞ。おい、お前ら聞いてたな!」
「「「おう!」」」
口髭の号令で、中にいた男達が動き出す。
鎧の男は撤収の準備を始めた連中を見て大きく伸びをすると、清々したように立ち上がった。
「これであの息の詰まる詰め所ともおさらばだなぁ」
「ああ。お前を潜り込ませといて正解だった。これで大損こくこともーーー」
鎧の言葉に満面の笑みで答えた口髭はしかし、最後まで言い切ることができなかった。
突然窓の1つが割れ、そこから投げ込まれた何かが、強烈な光を放ちながら爆散したからだ。
「うぉ…」「め、目が!目が見えねぇ!」「何が起こってんだ!?」
ただでさえ薄暗い部屋で、突然の閃光に襲われた室内は、一瞬にして地獄絵図と化した。
そして、その爆発から間を置かずして大量の兵士が部屋に雪崩れ込んでくる。
「警備隊だ!お前達には魔術アイテムの不法取引の他、多数の容疑がかかっている!大人しく署まで来てもらうぞ!」
そう一声叫ぶと、速やかに捕縛し始めた。いまだ事態が呑み込めない男達は、ろくな抵抗もできずに、次々と拘束されていく。
「ほら、お前も早く立て!」
1人の兵士が、床に座り込んでいる男を立たせようとした時、
「離せオラァ‼︎」
「ぐあぁ⁉︎」
男の怒号と共に、兵士が吹き飛ばされた。
身を起こしたのは、警備隊に潜り込んでいた鎧の男だった。
「こいつっ…!」
まだ戦意を残していた者が現れたことで、一同に動揺が走る。その綻びを食い破るように、男は手にした魔術アイテムを起動した。
甲高い音を響かせながら回り出す掘削機は、本来であれば固い地盤を掘り進み、水源に到達するための物だ。それだけの力を凶器として向けられれば、例え歴戦の兵士達であっても容易に動くことはできない。
「っち、口髭の旦那はのびてるか…。まぁ良い。お前ら!粉々になりたくなかったら道を開けな‼︎」
口髭の男が気絶していると分かると、彼は自分だけでも逃げ延びることを即断し、威嚇するように掘削機を振り回しながら出口に向かって歩き始めた。
「ーーーまあでも、逃すわけないよね」
「なんだ…?っ!?」
背後から突然聞こえた声に反応し、男は即座に掘削機を突き出す。が、既に懐まで迫っていた何者かは紙一重でそれを躱す。
「(スキル起動ーーー『怪力』‼︎)」
そして素早く腕を突き出すと、鎧の男の腕もろとも掘削機の動力部を握り潰した。
「ぎゃああああああ‼︎腕があああ⁉︎」
余りのことに壮絶な悲鳴をあげて、鎧の男が倒れる。
動力を失った魔術具はただの鉄屑となって、地面に転がった。
「おぉ…」「領主様がやったぞ!」
最後の意地を見せた男が倒れたことで、その場にいたその仲間も戦意を喪失していく。やがて、歓喜に沸く兵士達の鬨の声が、街中に響き渡っていった。
☆
「くそっ、離せ!あ⁉︎ いたたたたた…!すまん、抵抗しないから関節はキメないでくれ!」
腕を体の後ろで縛られ、悪態を吐きながら外に出て来た男を2人の兵士が止める。
「やっぱりお前だったか。昨日はよくも仕事増やしてくれたな」
「お前に会いたがっている奴がいるぞ」
2人がそう言うと、その間を割るように、少年とオーウェンが現れた。
「こ、こいつだ!俺の村に来たのはこいつで間違いねぇ!」
指をさされた口髭は不愉快そうに顔を歪める。
「当たりみたいだね。尻尾を掴むのにずいぶん骨を折ったよ」
「ああ?何だガキが偉そうに。俺はお前の事なんて知らないぞ」
「何だ分からないのか。あれだけ好き勝手に人の名前を使ってるんだ。顔くらいは知ってくれてるかと思ってたよ」
「まさかお前…」
口髭は話の流れから目の前の少年が誰なのを悟ったらしく、みるみる顔色が悪くなっていく。
「あんたのお陰で王様や王女様からコッテリ絞られたんだ。その落とし前は着けてもらうよ?」
口髭にしか聞こえないよう、少年はその耳元で囁く。
「お、俺は悪くない!元はと言えばあんたが制限の緩和なんてするからじゃねぇか!」
気味の悪い笑みを浮かべる少年に、口髭は怯えた様子で反論する。
「ま、あんたの言う通りでもある。だからせめて君らには精一杯罪を償って、俺の罪の半分くらいは負担してもらうから、そのつもりで」
口髭の剣幕に臆することなく、少年はすまし顔で言い切った。
これにて、ホウショウ領を騒がせた騒動はあらかた片付き、少しずつ平穏な生活へと戻っていくことになる。
☆
「あれ、じゃあ件の商人は捕まったんですか?」
「恐らくね。あくまで人伝に聞いた話だから確信は持てないが、奴が捕まって以降は領内での犯罪も激減したってんだからほぼほぼ間違いないだろう」
「良かったじゃないですか。本当に一件落着ですね」
メイの話が再び一段落したので、デニスらは一息着いていた。
彼女の話を聞く限り、貴重なアイテムを騙し取られた村も多少は救われたかもしれない。それだけでも僅ながら溜飲が下がる。
それにしても、聞いただけでも設置早々に鉄火場が続いている領地だ。領主の彼はもちろんだが、その下で働く役人や兵士達には同情してしまう。
「ま、大半の原因は奴等が自分で蒔いた種だ。今回の件で学んだじゃないかねぇ」
「それで振り回されるのは我々のような民衆なんですけどね」
「まったくだ」
私達はどちらとも無しに溜め息をついた。
「ああ、そうだ。忘れるところでした。さっき話したタンサンスイのことで、耳よりな情報があるんです」
空気を切り替えるため、私へ別の話題を出すことにした。実のところ、彼女を引き留めたのはこちらが本命だ。
「ん?あれがどうかしたのかい」
「あれ、お酒に合うんです。キンッキンに冷えた麦酒と合わせると最高です」
「なんだって?」
やはり食いついた。その歳で飲み始めれば瞬く間にジョッキ数杯分を飲み干すほど酒好きな彼女であれば、この話に反応しないはずがないと踏んでいたのだ。
「そんなん聞いたら試してみないわけにはいかないじゃないか」
「そうおっしゃると思って、いくつか仕入れておきました。お安くしときますよ?」
「ったく、デニスはたまにやたら商売が巧くなるね。良いだろう、その口車に乗ってやるよ!」
メイはニカっと笑うと、懐から財布を取り出した。
「じゃあすぐに取ってきます」
「あいよ。ついでにジョッキも持ってきな。どうせ客もいないんだ、始めちまおうじゃないか」
「了解です」
意気軒昂に叫ぶメイに、ああ、今日はもう商売にならないな、と苦笑いしながら私は事務所に続く扉を開けた。
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