第10話 傭兵と商人とそれぞれの戦時下 ①


 緑の大陸北西部、ベルグマン大渓谷第2要塞。

 深く巨大な谷を遮るようにそびえる灰色の要塞は、造られてから数十年経つも未だ落ちたことはなく、幾たびにも及ぶイムカの侵攻から頑強に王国を守っていた。

 その要塞が今、陥落寸前まで追い詰められていた。


「ブチ抜かれた城壁の補修が最優先だ! 次突破されたらもう保たないぞ!」


「ゴルドン殿! 将官殿が撃たれました…! 一刻も早く魔術での治療を!」


「馬鹿野郎、魔術師は今の防衛の要だぞ! 最低限の止血と消毒を徹底して倉庫にでも寝かせておけ!」


「は…はっ!」


「ったく、あれほど行くなと言ったろうが。功を焦るからだ若造が…」


 城壁から1つ下がった位置に建つ司令塔は、まさに修羅場と化していた。その渦中の中心で指揮を取るゴルドンは、顔をしかめ苛立たしげに息を吐いた。

 と、ゴルドンと同様の鎧を身につけた男が指揮所に入ってきた。


「今、泣きながら兵士に担がれていった将校様とすれ違ったぞ。何かあったのか?」


「アークか。バカが先走っただけさ、気にすんな。それより、現在の各所の状況を知りたい」


「了解了解。まずは、そうだな…」


 アークと呼ばれたゴルドンの同僚は卓上の地図に目を落とすと、渓谷に沿ってその行き来を妨げている『コ』の字型の要塞の中央部を指差した。


「初撃で開けられた正面の穴は概ね埋められた。守備隊も多めに配置されてたお陰でどうにか防げている感じだ」


「そうか。臨時編成の部隊にしては上々の出来だ」


「次抜かれたら後が無いのをよく理解しているんだろう。その他の防衛線は概ね小康状態だ。とは言っても、負傷者も使って辛うじて支えている状況なのは変わらない」


「ああ、万が一敵の増援なんかが来たら確実に飲み込まれるだろうな。既に、北にある第1要塞は陥落してる。時期を逸すれば撤退すらできなくなるだろうが…」


「未だ王国からの通達は無しか」


「……」


 無言の肯定は、司令室の空気をより重いものにした。

 一度は突破された戦線をどうにか立て直したゴルドンらとは異なり、山岳を挟んでさらに北に広がる谷を守備していた第1要塞は落とされ、イムカによる侵攻は今なお続いている。さらに悪いことに、その要塞が守っていた谷は、そこから少し東に進んだところでゴルドンらのいるベルグマン大渓谷に合流する形となっていた。

 つまり、このまま動かず防衛戦を続けていても、いずれは後方を敵軍に塞がれ、文字通り進退極まった状況に陥るということだ

 その時ーーー


「ーー伝令!北方司令部より伝令です!」


「「っ‼︎」」


 あまりにも見計らったように現れた伝令兵に、ゴルドンとケイドは顔を見合わせる。


「待ってたぞ!内容は?」


「っは。第2要塞は放棄し、守備隊は後方第3要塞への合流を命ず!なお、第1要塞方面からの敵は合流地点にて抑えるが、長くて3日が限界とのこと。何がなんでもその間の合流を目指すよう、厳命されております」

 

「よし…ギリギリだが悪くない。十分間に合うぞ」


「ああ」


 尋ねる兵士にゴルドンは戦意に満ちた笑顔を向けた。


「撤退は今夜、日没後に行う。とっとと逃げ出したいのは山々だが、敵さんに察知されて追撃を受けるのは避けたいからな。だが、負傷者の中で歩けない者のみ、馬車を用いてすぐに下がらせる。悪いがアークーー」


「各部隊への連絡だな?任された」


 ゴルドンは機先を制した同僚に「助かる」、と短く返す。


「伝令は負傷者を乗せた馬車の指揮を頼む。俺はーーー」


  次いで言葉を続けようとしたゴルドンの声は、要塞そのものを揺するほどの振動と、それが引き起こした破壊の音によって遮られた。


「トリアス隊長!イムカによる大規模な攻勢が始まりました!」


「そんなことはここからでも分かる!今知りたいのは被害状況だ!」


 間髪をいれずに入ってきた兵士にゴルドンの怒鳴り声が飛ぶ。


「はっ!防衛にあたっていた魔術師1名が死亡、他数名が重軽傷。付近にいた兵士数名も巻き込まれた模様です」


「ちっ、連中魔術師に狙いを定め始めたか」


「そのようです。散発的だった攻撃が突如各魔術師に殺到。対応し切れなかった者とその周辺にいた者が巻き込まれる形となりました」


 兵士の報告に2人の傭兵は低く唸る。


「城壁の状態は?」


「防ぎ切れなかった砲撃の余波で数カ所の足場が崩落しましたが、幸い城壁としての機能に大きな影響はありません。ただやはり、守れるだけの人員がもう…」


「どうするゴルドン。このまま徹底抗戦か、あるいは降伏か。どちらにしても、もうあまり時間はないぞ」


 こうしている間にも、イムカの攻撃が引き起こす破壊音と振動は断続的に司令室に届いている。アークの言う通り、このまま結論を先延ばしにし続けても状況は悪くなる一方だろう。

 

「やむ終えんか…」


 卓に両手をついて項垂れていたゴルドンは、一度卓に深く体重を預けてから、吹っ切るように体を起こした。


「比較的怪我の軽い者を逃した上で、降伏をーー」


「その必要はありません」


「…あ?」


 重々しく発せられたゴルドンの言葉は、唐突に司令室の入り口に現れた1人の少年によって遮られた。


「緊急事態に失礼します。現勇者、ホウショウ・カケルとその一行、援軍として到着いたしました」



                ☆



『遅くなって申し訳ありません、上層部の方々の話は無駄に長くて。でも間に合って良かったです。早速ですが、皆さんはすぐに撤退の準備を。皆さんを安全圏まで逃すための時間稼ぎ。それが自分達の仕事です』  


 勇者を名乗る黒髪の少年。王国には珍しい黒色の軽鎧に身を包んだ彼は、国王直々の印を施された書状を卓に載せそう説明した。


「そうは言うがなぁ」


 司令室を出て直接現場を指揮していたゴルドンの声には、ヤケクソ染みた色が混じっていた。


「そう言うなって。もうお前も納得したことだろ?」


「それは…まあ、そうなんだが。あんなの見せられたら頷くしかないだろうがよ」




 アークに言われ、ゴルドンは苦虫を噛み潰したような顔をしながらカケルが現れた時のことを思い出す。

 突然現れた勇者は、一行を名乗りながら彼1人だった。


『まさかお前1人でイムカと殺り合うのか?』


 そう尋ねたゴルドンに少年は首を振ると、司令室の空いたスペースに手を翳した。すると何もない空間が歪み始め、黒い穴が広がり始めたのだ。それは瞬く間に大きくなり、そして唐突に弾けた。

 そこには、


「嘘…だろ…」


「まあ、初めて見た時の反応はそうなりますよね…」

「……」


誰もいなかったはずの空間に数人の男女が立っていたのだ。


「お、おいもう目開けて大丈夫か…?俺ちゃんと手足ついてるか?」


「貴公、流石に怯えすぎでないか?」


 が、出てきた方も万全ではなかったらしく、早々に緊張感の無いやり取りを交わしてる。




 後で聞いたところ、ストレージのスキルを応用した転移術なのだそうだ。先に1人で来たのは、自身の存在を確立した上で行った方が確実性が増すからなのだそうだ。


「あいつのおかげで馬車も人数分用意できたし、素直に感謝しとけって」


「あー、これなぁ」


 自身の横で今まさに慌ただしく負傷者を担ぎ込んでいる馬車を、ゴルドンは複雑そうな表情で眺める。

 撤退するに当たって問題になっていたのが、人員輸送用の馬車の数だ。度重なる攻撃を受け、十分に稼働できる馬車はかなり少なくなっていた。

 それを見た少年は、こんなこともあるかと思って、と言って十分な数の馬車と馬を例のスキルから取り出したのだ。

 さすがに2度目の光景だったためゴルドンらは苦笑いです済んだが、初めて見た兵士達はその多くが戦闘中であることも忘れて呆けていた。


「あのガキがその気になれば、反転攻勢も余裕なんじゃないか?」


 なんと言っても、人員の輸送や物資の補給が自由自在だ。場所さえあれば完全武装の部隊の即時展開なども思いのままだろう。


「さてな。さすがに無制限に持ち運べることは無いだろうし、そこまで使い勝手が良いかどうか」


 ゴルドンのボヤきに対し、アークは肩をすくめてお手上げの仕草をする。


「それにしても」


 ふと、あいつが欲しがりそうなスキルだよなぁ…、と商人をしている古い友人の顔を思い浮かべながらゴルドンは独りごちる。

 戦争の色が濃くなるにつれて、王都にある彼の店に出向く機会はかなり減ってしまった。


「まあとにかく、今を切り抜けるのが先か」


 ついつい思いを馳せてしまいそうになる自分の思考を無理矢理切り上げ、目の前の仕事に意識を戻した。



             ☆


 最前線である城壁沿いでは、激戦が繰り広げられていた。

 人の頭ほどもある鉄球を魔術具で撃ち出すイムカの兵に対し、王国の魔術師達は土魔術による防壁を展開することで応じている。が、その魔術師が防衛の要であると結論付けた敵兵は、先制攻撃で魔術師の居場所を把握すると、そちらに向かって鉄球の集中砲火食らわせるのだ。

 今は周辺に控えた弓兵が応戦することで辛うじてその攻撃を凌いでいるが、兵士らの疲労に加え、矢をはじめとする物資の残りも乏しい。要塞が落ちるのもそう遠くはないだろう。


「よお、調子はどうだ?」


 そんな兵士達に混じって様子を見ていた少年は、背後から声を掛けられて振り向いた。


「ゴルドンさん。撤退の準備は?」


「終ったよ。もう順次発進してる」


「思っていたよりも早いですね。分かりました。俺達が出るので、最後に残った皆さんを連れて貴方も撤退を」


「俺はもう少しここに残るつもりだ。殿しんがりの部隊が安全圏に達したら連絡が入る手はずになっている。あんたらも退き時が見極められた方が楽だろ?」


「それはまあ、そうですか…」


「なに、連絡が入り次第俺もすぐに引くから大丈夫だ。それに自分の身くらいは自分で守れる」


「分かりました、ゴルドンさんにお任せします」


 少年は若干渋る様子を見せながらも頷くと、城壁の足場から身を踊らせ、一気に前線へと飛び出していった。


「やれやれ、もう少し大人しく降りられないのかね…。まあ良い、お手並み拝見といこうじゃねぇか」


ゴルドンは若さに身を任せたような彼の動きに呆れつつも、静かにその後ろ姿を見送った。



             ☆



 城壁の前に着地した彼らはすぐ前方に迫りつつある敵陣に視線を向けた。


「要塞前面に防壁を展開します!」


「じゃあ俺が嬢ちゃんの守備だな」


 魔術師であるリンがその身長ほどもある杖を振ると、要塞全てを包み込むように半透明の防御魔法が現れた。

 そして、大盾を持った青年がそんな彼女を守るように立ち塞がる。

 

「よし、私とカケルで敵を迎え撃つ、そうだな?」


「はい。ヨミさんは敵の位置の把握と警戒を」


「心得た」


 残ったカケルと騎士アリシア、シノビのヨミが各々に得物を構える。


「さて皆、この戦争での正式な初陣だ。しっかり役目を果たそう!作戦開始!」


「「「「おう!」」」」


 カケルの言葉に仲間達は威勢良く応じ、第2要塞撤退戦の火蓋は切って落とされた。

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