後日談…
商人と親子と将来の価値
その人物は唐突に私たちの前に現れた。
「ユリアお嬢様。お迎えに上がりました」
「えっ」
上等な黒いスーツを着た見知らぬ男性の来訪に、レオナは驚きから間の抜けた声を出してしまった。
一方、指名された当人であるユリアと言えば、手元で作業をしたままの姿勢で心底面倒そうな表情を浮かべながら青年を見上げていた。
「何となく言いたいことは分かるんだけど、念のため詳しく教えてくれる?」
「承知いたしました」
ユリアの言葉に、彼はスーツの襟を正して話し始めた。
「
一挙手一投足にいたるまで上品な仕草を貫徹した彼の態度に、レオナは言葉もなく見とれてしまっていた。さすがは王国有数の大商人の使用人だ。
しかし残念ながら、肝心のユリアから得られた回答は大きな溜息のみだった。
「面倒だから行きたくないって言っても…」
「そういったお話は是非直接して頂くのがよろしいかと」
「あ~、もう。やっぱり来てるか~」
相変わらずの丁寧な態度ながらしれっととんでもないことを口にする使用人に、ユリアはガクッと俯いた。
「ごめんレオ。お父さん来てるみたいだから私ちょっと行ってくる」
「あ、うん。りょーかい」
☆
「―――って感じでした。いやぁ、さすがにビビった」
「それは確かに驚きますね」
冬の大地を太陽が照らす昼下がり。私がこの話を聞いているのは、レオナと共にそのユリアの下へと向かう道中でだった。
レオナの話だと、ユリアの父、ジークハルト・ファン・ギルフレッドはこの避難所を取りまとめる王国軍の指揮所に来ているらしい。
余計なこととは思ったが、大切な娘を任された身としては挨拶の一つでもしておいた方が良いと思いと考え、こうして足を向けたというわけだ。
「ジークハルトさんですか…。確かに、未曾有の大災害が娘のいる王都で起こったわけですからね。父親として娘の下へ駆けつけるのは当然と言えば当然でしょう」
「そりゃあね。なんならちょっと遅かったくらい」
たわいもないことを話しているうちに、指揮所の前に着いてしまっていた。
「よう、またあんたらか。あまり私的な用事でここを使わないんで欲しいんだがな」
「すいません…。いや、まあ今回も前回も私が呼んだり指定したりしたわけではないんですけどね?」
「それもそうか。入って右奥の天幕だ。手短にな」
「ありがとうございます」
若干顔馴染みになりつつある指揮官と挨拶を交わし、指揮所に入る。
「あ、あれじゃないですか?」
ユリア達はすぐに見つかった。どんな事態になっているかと心配していたが、事は思いのほか穏便に運んでいるらしい。天幕の下に設けられた簡易的な応接空間では、椅子に腰かけた大小の人影が穏やかに会話をしているようだった。
と、ユリアたちが立ち上がり、私たちの方を向いて手を振っている。どうやら話は終わったようで、こちらに来いと言っているらしかった。
☆
「やあデニス君、レオナ君も。元気そうで何よりだよ」
ユリアの父、ジークハルトは両手を広げて私たちを歓迎してくれた。
「ご無沙汰しております、ギルフレッド卿。はい、どうにか元気にやれています」
「ご無沙汰してます」
そう言いながらが歩み寄ると、ジークハルトは私の手を取り固く握りしめた。
「ギルフレッド卿なんて距離を感じる呼び方はやめてくれ。いつも通り『総支配人』と、そう呼んでくれたまえよ」
「呼びませんよ。いつから私の店は貴方の傘下に入ったんですか」
下手にそう呼んでいると、いつの間にか取り込まれていそうで怖い。
「つれないことを言うな、友よ。君が一言『はい』と言うだけで、その後の人生は安泰。私も海外からの流通ルートを手に入れて安泰。ほら、ためらう理由とか無いじゃないか」
「言いませんて…。貴方の場合、私が知らないところでいつの間にか進めていそうだから冗談に聞こえないんですよね」
「はっはっは、何度か試したんだが、ハンスの奴の妨害がなかなか手強くてね。結局できず仕舞いさ」
「言わんこっちゃなかった…」
何回か試した後だったらしい。思わぬ冗談が恐ろしい事実を掘り出すとは、“口は禍の元”とは勇者少年の故郷の格言だっただろうか。
「さて、旧交も温まってきたところでそろそろ本題に入ろうか」
ジークハルトは一通りの気が済んだらしく、ようやく落ち着いた調子を取り戻した。が、良い加減会うたびにこの調子なので、私たちの反応はとうに冷め切っていた。
「あ、はい、そうですね。一瞬貴方が何をしに来たのか忘れてました。ユリアさんに会いに来たんでしたっけ」
「…締まらないなぁ」「ね」
☆
「まずは礼を言わせてくれ、デニス。娘を守ってくれて、心から感謝している」
仕切り直した我々は再び天幕の下で席についていた。机を挟んで私とレオナ、ユリアとジークハルトが互いに向き合う形だ。
「勿体無いお言葉です。私はどちらかと言えば足を引っ張った方で、レオナさんやゴルドンの方がよほど」
「謙遜はよしてくれ。君が体を張って娘の
「それは…」
まさかその話が出てくるとは思っていなかったため反射的にユリアの方を見ると、それに気付いた彼女は小さく首肯する。どうやら私たちが来る前に彼女の方から話していたらしい。
「まあ確かにそうなんですが。私でなくても、ユリアさんの努力を見ていればきっとそうしましたよ」
「うん、それはそうかもしれないが、現実として実行したのは君だ。私はこの行為に、きちんと礼をしたいと考えている」
「そんな大袈裟な…」
「いやいや、そう構えるようなことではないよ。さすがに『君の望むままに』、とまで言うつもりはない。私から提示できるのは、相応の謝礼か当面の避難先と生活の保証、もしくは私の傘下の店でのポスト。この三つくらいだ」
くらいだ、などと言ってはいるが、どれも一被災者である私にしてみれば十分過ぎる内容だ。さてどうしたものか、と汗を流しながら黙考する私に、ユリアが言葉を添えてくる。
「すいません店長、父が大袈裟で。でも、お礼をしたい気持ちは私も同じなんです。ただ、今の私にはきちんとしたものを返せる力もないので…。そんなに難しく考えず、気軽に選んでくれれば大丈夫ですから」
「そう、ですよね…」
彼女にここまで言わせておいてなお悩んでいるようでは立つ瀬がない。と言うか、私とジークハルトの立場の違いを考えれば、そもそも受け取らないという選択肢自体が無いのだ。
「わかりました。ありがたく戴こうと思います。ただ、せっかく貰えるのであれば、今のこの状況に即したものに変えさせていただきたいのですが…」
「ほう?」
ジークハルトは興味深そうに呟くと、身を乗り出して卓上で指を組んだ。
「私をあなたの商会、『ギルフレッド商会』の持つ情報網に加えて欲しいんです」
「…それはつまり、私の傘下に加わるということかな」
「そんな畏れ多いことは言いません。…ただ、そちらで扱っている商品が今どこにどれだけあるのか、どの程度の時間でこの避難所に届くのか、という情報が欲しいんです」
ここまで話して、一度言葉を切った。向き合っているジークハルトの顔を見ると、「続けて」と視線だけで促してきていた。どうやら関心を得ることはできたらしい。
「避難所の状況をご覧になったとは思いますが、今の避難所の環境はあまりにも過酷です。焼け出された数は実に王都の人口の6割を越え、その中でも怪我人や子供といった弱者は少なくありません。さらに悪いことに、季節は本格的な冬へと移りつつあります。このままでは春を待たずに亡くなる方も必ず出てくるでしょう。…そんな事態を少しでも避けるために、ジークハルトさんのお力を貸して欲しいんです」
最後まで黙って聞いていたジークハルトは、しばらくの間私の顔を見つめていた。だが、やがて満足したように表情を緩めた。
「実際、国からの要請を受けて、商会を上げて避難民向けの支援物資調達も始めている。つまり君は、現地で活動している商人、という立場からこの仕事に携わりたいと。そういう事だね?」
「おっしゃる通りです。避難所と商会双方の状況を把握している人間であれば、効率良く、より正確な成果を上げるができると考えています」
さすがはジークハルトである。要点を伝えるだけで私の案の利点を理解してくれたようだった。
が、次に放たれた彼の言葉に、内心で密かに手応えを得ていた私は硬直してしまった。
「うん。では、無事この災害の復興が成った後はうちの商会の情報網をどうするのかな?」
さすが王国有数の豪商である。それとなく織り交ぜていた目論見もしっかり把握してしまったらしい。
『手に入れた情報網をこの先どうするのか?』もちろん使うに決まっている。彼の商会は王国内であれば本当にどこにでも店を出している。つまりその情報網を得ることができれば、王国内の需要はほぼほぼ押さえられたと言っても過言ではないのだ。
まあ正直、完全に使いこなせるとは思っていないが有ると無いとでは、商人としての優位性が全然違ってくるだろう。
とはいえ、復興の一助となりたいのも偽りのない私の気持ちだ。そこをはき違えるつもりも無かった。
「今後のことはまだまだ分かりません。ただ、優先すべき事柄というのは理解しているつもりです」
「ふむ、良い答えだ」
ジークハルトは私の返事を受け、満足そうに頷いた。
「では?」
「うん。君を商会と避難所の窓口とすることで、今回の礼の件は決着としよう」
「ありがとうございます」
それを聞いて、私は深く頭を下げた。そんな私に対し、ジークハルトは鷹揚に手を振った。
「元々窓口役は探していたんだ。もちろん避難所にいる商会の人間を使っても良いのだが、まだまだ混乱の渦中だからね。信頼できる人間を見つけることすら簡単ではなかっただろう。その点、君であれば信用できる。後日正式な書面を送るが、なに、顔合わせくらいならこの後にでもやってしまおう」
「あ、はい。よろしくお願いします」
これは忙しくなりそうな予感がする。店の再建に大きく近づいた感触に、かなりの手応えを感じていた。
「っと、そうだ。レオナ君、蚊帳の外にしてしまってすまなかった。君やゴルドン君にも礼をしたかったんだが…」
何となく話を終えそうな雰囲気になっていたが、そこで思い出したようにジークハルトがレオナへと水を向けた。
「じゃあお金で」
即答だった。
「いくらあっても困らないしね。あ、実家の方に送っておいてもらえますか?」
「分かった。手配しておくよ」
「ありがとうございます」レオナの礼をもって、ようやく話し区切りがついたのだった。
☆
そこからは比較的緩んだ空気の中で取りとめもない話をしていたのだが、ふと気になることを思い出した私は、そのまま疑問を口にした。
「そういえば、ジークハルトさんはユリアさんに会いに来たんですよね?そのあたりはきちんと話すことは出来たんですか?」
「あ、ちょっと店長さんその話蒸し返さないでよ。説得するの大変だったんだからね?」
どうもユリア的にはあまり触れられたくない話題だったらしい。そんな娘を横目に見ながら、ジークハルトも気乗りして無さそうに口を開いた。
「まあ一応、しばらくはこの避難所に残るというところに落ち着いているよ。とはいえデニス君。やはり君からも考え直すように言ってやって―――」
「だぁーもー、大丈夫だって!言ってるじゃん!」
鬱陶しそうに声を上げるユリアと、その声に少し縮こまってしまうジークハルト。曰く、ユリアが無事であったことをひとしきり喜んだ後は、ユリアの今後の身の振り方について話し合ったらしい。
「正直親としては一度実家に戻って来てくれた方が安心できるんだが…」
「レオとか店長さんとかもいるから大丈夫だって言って納得してもらいました! もう世間的には独り立ちしてる歳なんだから、自分の面倒くらい自分で見れます!」
「という調子でね」
やり手の豪商も娘には敵わないらしい。
「まあ大丈夫だと思いますよ? あたしもゴルドンさんも気を付けてるし」
「そうそう。最悪何かあっても店長さんが責任取ってくれるって言ってた」
「それはもちろん取りますが…ん?」
話の流れでまずいことを口走った気がして思考が止まる。
「おー、さすが店長さん。男だね」
「よし、言質取れた!ね、聞いてたでしょお父さん!」
そんな私に構わず、レオナは囃し立てユリアは得意げに微笑んでいる。
「いや、ちょっと待ってください。今のはそういう意味ではなくてですね?」
「…つまり君は、私の娘では不満だと、そう言いたいのかな?」
「いやぁ…決してそんなことは…、と言うか貴方はちゃんと話を聞いててください!」
デニスの悲鳴は天幕を揺らし、指揮所の上に広がる冬空へと木霊した。
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