第8話 海と先代と港湾都市 ①

 ユリアは視界一杯に広がる海に瞳を輝かせ、馬車から身を乗り出した。真夏の太陽の日差しを受けて光る大海原はいつ見ても心が高鳴らせる。高鳴るのは分かるのだが、


「ユリアさん、危ないので身を乗り出さないでください」


「ユリアちゃん、戻って戻って」


「むー、なんか皆して私のこと子供扱いしてない?」


 ユリアは自身の扱いに不満を感じたのか、子供のように頬を膨らませながら席へと戻った。そういうところが私達に子供扱いを誘わせるある種の魅力なのだが、それを言ってもますます機嫌を損ねるだけだろう。


「まあまあ、もうすぐ着きますから。ほら、見えて来ましたよ」


 馬車が丘陵の頂上に達したことで、眼下に広がる都市を一望することができた。


「あれが王国最大の港湾都市、トリスです」


 王都から南に約半日。海岸線を中心に半円形を呈するこの都市は、内陸側の頑強な城壁と、海側を占める大規模な港から成る巨大な都市だ。

 日々たくさんの国内外の船が行き来する王国でも特に国際色豊かな都市であり、王国の経済を支える重要拠点でもある。



             ☆



 城門の関所を抜けるた私達を出迎えたのは、人々で賑わう市場だった。


「いつ来ても盛況ね」


「アカツキさん、後で一緒に周りましょう!」


「ハンスのところに行くのが先ですからね」


「分かってますぅー」


  華やかな商店を前に、ユリアの我慢もそう長くは保ちそうにない。


「先を急ぎましょうかね」



             ☆



 ホテルに到着した私達は、従業員の案内で玄関口へ通された。


「ようやく着いたか! ずいぶん待たされたぞ小僧!」


 入ってすぐに、地響きにも似た声に出迎えられた。そこには上等なシャツとベストを身につけ、黒髪には白いものが混じる初老の男性が立っている。


「遅れてすいません。これから数日、お世話になります」


 私は、差し出された腕を取ってその手を握る。


「ああ。連絡もらってた通り、いつもより多めに部屋押さえといたぞ」


「ありがとうございます。今日連れて来た方を紹介しますね。ユリアさんレオナさん、そしてゴルドンはいつもの通りです」


 どーも、と頭を下げる3名。すっかり恒例行事になって慣れ切ってしまっているが、結構良いホテルにタダで泊まらせてもらうのだ。もう少しかしこまって欲しい。


「そしてこちら、アサヒさんとアカツキさんがお伝えしていた2人です。兄妹で行商をしているので、色々とお話を聞きたいと」


「アカツキです。今回は急なお話にも関わらず、このような場に招待していただき感謝しています」


「アサヒです。妹のオマケのようなものなので、どうぞお気になさらず」


「小僧からある程度の事は聞いている。まあ、気楽にな。実りある話ができることを祈ってるよ」


 最後に固い握手を交わして…交わしてお開きにしたいのだが、ハンスはアカツキの手を握ったままなかなか離さない。


「ふむ。ワ出身のベッピンと聞いていたが、実際に目にしてみるとなるほど確かに…」


「あの、えーっと、ハンスさん…?」


「ハンス。いつも言っていますが、初対面の女性の手を撫でくりまわすのはやめて下さい。また奥さんに逃げられますよ?」


 戸惑った様子のアカツキの視線を受けて、私はハンスを無理矢理引き剥がした。


「これは失礼。で、小僧、お前らはこの後どうするんだ?」


「はぁ、その切り替えの早さには相変わらず着いていけません…。一応は自由行動のつもりですが、ユリアさん達は海に行くようなので、一応着いて行くつもりです」


「ええっ」「いらないんだけど」


「別に邪魔はしたりはしませんて。念のためです」


 本人達からは目茶苦茶嫌な顔をされたが、これも責任だ。正直レオナがいれば万が一が起こっても問題は起きない気はするが、だからと言って放り出すのは親御さん達ににも悪い。まあ、本人達は目茶苦茶嫌そうな顔をしているが。


「分かった。俺はこれからちょっと仕事があるから、後で合流する。どこにいるかだけ、適当な奴に伝えといてくれ」


「適当な奴ってまた適当な…。了解しました。とりあえずお先しています」


「ああ、楽しんでこい!」


 そう言って私の肩を2、3度叩くと、さっさとホテルを出て行ってしまった。


「じゃあ私達も行きましょうか?」


「「「はーい」」」


 振り返って声を掛けると、三々五々に返事をしつつ動き始めた。



                  ☆



「それじゃあ改めて…、海だー!!」


 日が照りつける砂浜に、ユリアの声が響き渡る。


「ちょっとレオ! 何で一緒に言ってくれなかったの!?私ばっかり1人で騒いで恥ずかしいんだけど!」


「2人で叫んでも恥ずかしいからじゃない?」


 その隣では、いつものように気怠げな様子のレオナが立っているが、その腕にはビーチボールがちゃっかり抱かれている。2人とも水着に着替え、泳ぐ準備は万端のようだ。


「さ、とっとと入ろう。午前中ずっと馬車の中だったからもう体カチコチなんだよね」


「そーね、行こ行こ!」


 そうして、一気に海まで駆け出して行った。


「元気ですねぇ」


「本当ですねぇ」


 私達はと言うと、砂浜にシートを敷き、パラソルを立ててのんびりと寝転んでいた。


「デニスさん、そのサングラスお似合いですね」


 クスりと笑いながらこちらを見るアカツキ。彼女は真っ白なサマードレスに着替え、私同様にくつろいでいる。


「行楽地限定のデニスです。普段は恥ずかしくてとても掛けられませんから。それより、アカツキさんは泳がなくて良いんですか?」


「もちろん泳ぎますよ。このドレス、一応水着なんです。でも良いかげん海ではしゃぐって歳でもありませんから。もう少し日が傾いて人が少なくなってからにします」


「気持ちが理解できてしまう辺り、私も大概歳を取りましたねえ」


 彼女にそう返し、視線を再び海に向けると、ちょうど一泳ぎしてきたゴルドンがたくましい体から水を滴らせながら戻ってきた。


「その筋肉で少しは女性を釣れましたか?」


「ダメだな。ここいらの女は皆んなもうちょい細い方が好みらしいみたいでよ。アサヒの野郎に全部もっていかれたわ」


 つまらなそうに口を尖らす姿が、そのいかつさと相まって妙に面白い。

 アカツキはアカツキで、いつの間にか観光地を楽しんでいる兄に頭を抱えている。


「まあいいわ。それより、デニス!似合わねぇマネしてないでお前も来いよ!」


「後で行きますよ。ここまでずっと御者台にいたので、疲れてるんです」


「ああん?おい聞いたかアサヒ。お疲れのご様子のデニスさんは海まで運んでいただきたいらしいぞ」


「はい?何を言って…おっと!?」


 突然自分の体が持ち上げられ、らしくない悲鳴が出た。


「お任せくださいデニスの旦那。わざわざ歩かれなくても、私めが海までお運びしてあげます」


 いつの間にか背後に忍び寄っていたアサヒが、私を抱え上げてたらしい。


「降ろしてください!大体あなたは女捕まえてよろしくやっていたのでは!?」


「その子とはちゃんと約束しておいたさ。それよりも面白そうなことが始まる予感がしたんでね」


「面白くないです!大の男が抱えあげられて運ばれるなんて…、勘弁してください!!」


「遠慮すんなって。疲れてるんだろ?」


私の抗議を涼しい顔で受け流し、ゴルドンも加わって海へと運ばれていく。

 助けを求めてアカツキを見るが、笑顔で手を振っている様子からして期待はできないだろう。


「おら、覚悟決めろ!」「いくぞー!」


 彼らがそう言い終わる前に、体が宙を舞う感覚。そして次の瞬間、

―――軽い衝撃と涼やかな感触が、私の背中を叩いた。


「―――あんたら今年でいくつになった!そんな見たなりしてまだガキやってんですか!?」


「良いねえ、デニス!たまにはお前のそういう顔が見たかったんだ」


 水から体を起こして激しく抗議するが、腹を抱えて笑っている彼らに聞こえているようには見えない。


「仕方ないですね…」


 ちょうど良く足元に、見覚えのあるビーチボールが流れてきた。


「がっはっはっはっはべぇ!?」


私の打ち込んだボールは、いまだ爆笑の中にあったゴルドンの顔面に命中し、彼を吹き飛ばした。


「…てめぇ、商人の割には良い球打つじゃねぇか」


 思いがけず先制されたゴルドンは、好戦的な色を目に浮かべ、転がるボールを手にする。


「ちょっとーそれ私達のボールなんだけどー。何?皆んなやる気満々な感じ?」


そこにようやく表れた持ち主は、私達の状況を見て瞳を輝かせる。

 かくして、真夏の死闘は幕を開けたのである。



             ☆



 あれから小一時間。強制参加という形ではったが、私達は何だかんだと楽しく遊び続けていた。


「おう、やってるな」


「あ、ハンスさん…と、どちら様?」


 1人デニス達を眺めていたアカツキは、声がした方を振り返った。

 そこには、半袖シャツに短パンという、身軽な姿のハンスが立っている。が、その腕の中には見覚えのない幼子が抱かれていた。


「ああ…ハンス。来ていたんですね。メリーさんも連れてきたんですか?」


 ちょうど休憩のために戻ってきたデニスが、状況を呑み込めていない様子のアカツキに気づき、紹介を始めた。


「彼女はメリー・スリーウェル。ハンスの…えー、何番目かの娘です」


「え?でもハンスさんって失礼ながら確か結構な年齢だったような…。それに、何番目?」


「ええ、おっしゃることは分かりますが、彼女は実の娘さんです。前にお話しした気がしますが、彼はとにかく“元気”なんです」


「へ、へぇ~」


 話を理解できたらしいアカツキは、若干の恐れを抱いた様子で豪快に笑う老商人を見やった。



             ☆



「そうだ、ずっと気になってたんだが…」


 砂浜でしばしの休息を取っていた我々の視線は、思い出したように口を開いたゴルドンに集まった。


「ハンスさんよ、あの沖に見える残骸。ありゃなんだ?」


ゴルドンの言う残骸は私も気になっていた。小山ほどもある物体が、沖とは言え比較的近い距離に鎮座しているのだ。


「俺の記憶が間違いじゃなけりゃ、ちょっとしたダンジョンみたいな見た目だ。あんなもの、去年までは無かったと思うんだが…」


「あぁ、あれか。ゴルドンの言う通り、あれはダンジョンだ」


「「「「え?」」」」


「正確にはその一部らしい。少し前に突然動き出して暴れたんだが、勇者とか言うのに倒された。あのままなのは、動かす方法が無いからだ」


 事も無げに言うハンスに、一同は驚愕の声をあげる。


「勇者、ですか?」


「そう言っていた。王女殿下暗殺未遂の折に武勲を上げたガキだろう?会うまでは信じちゃいなかったが、あの手際の良さを見せつけられると納得せざるを得ん」


 メリーの相手をしながらも、何かを思い出すような表情をするハンス。彼にここまで言わせるのであれば、恐らく本物だろう。

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