第12話 陥落 ②


「やば…何あれ」


 前線での任を解かれ、馬車や馬で帰路についていた学生や一部の傭兵らを出迎えたのは、王都を襲う巨大な災害だった。


「レオナ、急ぐぞ」


「うん」


 ゴルドンの言葉に短く返すと、2人は周囲の制止も聞かずに馬に拍車を駆けた。



             ☆



「今日は天気悪いねぇ、店長」


「ええ、ひと雨来そうな雲行きです。今日はもうお客さん来ないかもしれないですね」


 この日の王都も、戦時下というある程度の制限が課されている環境にはあるものの、比較的平穏な日常の中にあった。


「んー、でもやっぱり第3要塞での戦いが始まってから人通りは少なくなりましたよね」


「王都の兵力が軒並みそちらに向かいましたからね。気合が入っているのか、…それほど情勢が切迫しているのか。…レオナさん、無事だと良いですね」


「…うん」


 短く、静かに答えたユリアは窓の向こう、レオナ達が戦っているであろう方角をジッと見つめていた。

 ーーーその時


「…?揺れてる?」


「え?揺れてますか?…ほんとだ、珍しいですね、王都で地震なんーーー」


 最後まで言い終わるよりも先に、僅かに棚の食器を揺らす程度だった地震はその大きさを増し、不安定な商品のたぐいが床に落下し始める。


「きゃあ!?」


「ユリアさん、一度外へ!」


落ちた商品が立てる激しい音にユリアが悲鳴をあげてうずくまる。そんな彼女を抱え起こした私は、寄りかかるようにしてドアを押し開けると、店の前の狭い路地へと転がり出た。 


 外に出ると、この地震が王都に如何に混乱をもたらしていたかがより明らかになった。外にいる人々は揺れに恐れを抱いたように立ち止まり、屋内に留まっている人々は心配そうに外の様子を眺めていた。

 そんな彼らを嘲笑うかのように、揺れは収まる様子を見せない。ただ、揺れの原因が何であるかについて長く考える必要は無かった。何故ならその原因の方から、我々の方へ姿を現してくれたからだ。 


 最初に上がったのは悲鳴だった。その出所は、表通りに面した建物の中でも比較的高い建物に住む人物のようだった。彼女は恐怖で目を見開きながら、震える指で王都の西側を指さす。その様子を見ていた私を含めた数人は、釣られるようにしてそちらに視線を向けた。


ーーーはじめはよく分からなかった。恐らく高台にいた彼女に比べて低い位置にいた我々は城壁に遮られて視界に入っていなかったからだろう。そ《・》れ《・》はそんな私達を嘲笑うように、ゆっくりとその姿を現し始めた。


「…なんですか、あれは…」


 雲にまで届きそうなその黒い影は巨大の一言に尽きた。分厚い体は四つのたくましい足に支えられており、頭部と思しき部分には凶悪な角が生えている。その輪郭だけで語るのであれば、『雄牛』と言い表すのが最も近い形なのかもしれない。

 全身を包み込むように陽炎が揺らめいているのは、『雄牛』自身膨大な熱を放っているからだろうか。


「ーーーーーーーーーーー!!!!!!!」


 開いた口から放たれた叫び声は、恐怖で動けなくなっていた王都の人々を恐慌状態に陥れるには十分な破壊力を持っていた。


「店長さん、何なんですかあれ?一体どうなって…?」


「分かりません。しかしこのままただ見ているわけにもいかない。すぐにでも避難を始めましょう」


 不安げに問うてきたユリアに力なく首を振りつつも、私は今取るべき最善と思われる道を示す。


「分かりました。って、え?今何か光って…」「ーーーえ?」


 気丈にも顔を上げたユリアはしかし、私の背後、黒い『雄牛』の方を見て怪訝そうな声を上げた。


 その直後、大きく開かれた『雄牛』の口からまっすぐ発射された熱線が、円形を呈する王都を真っ二つに薙ぎ払った。

 都市の外縁を走る第一の城壁は対魔法防御結界諸共布切れのように融解し、射線上にあった人も建物もその全てが焼き払われた。

 王宮を守る第二の城壁は、建国時代に施されたいにしえの結界によって辛うじて破壊を免れたが、それが返って被害を広げることとなる。

 結界によって跳ね返された熱線は大小の火の塊となり、王都のあちこちに降り注いだのだ。防火の概念など無いに等しい市街地は瞬く間に燃え上がり、すさまじい速度で王都中にその火の手を広げていった。


 当然その火の手は我々の元へも例外なく押し寄せる。


「っ!?」


「危ない!」


 間近に降ってきた灼熱の飛沫しぶきに身を竦ませるユリアを引き寄せて背後に庇った。なんとか自達への被害は免れたものの、近隣の建物の一部は瞬く間に炎に呑み込まれ、その周囲にも燃え広がり始めた。


「店長、うちにも火が!」


「ーーーーー消火は難しいですね。ユリアさんは避難を。私は少し店に用ができましたので済ませてから追いつきます」


「そんな…、ダメに決まってるじゃ無いですか、店長も逃げましょう!?」


 そんな私の判断をユリアは当然止めようとする。しかし、店が助からない公算が高い以上、私もここで投げ出すわけにはいかなかった。


「もちろん逃げますが、その前にやっておかなければならない事ができたんです。…商人として!」


「商人なら、命より大事な物がないことくらい理解してるはずですよね!?」


 重ねて、どうしても行かなければならないのだと伝えるも、ユリアは私の服を両手でしっかり掴み離すまいとする。

 周囲の火災はいよいよ本格的なものになり始めており、逃げ惑う者、倒れた誰かを助ける者、…動かなくなった誰かの傍らで力なく蹲る者と、混乱も相まって事態は悪化の一途を辿っていた。

 どうしても譲ってくれそうもない彼女の姿に『やはり一緒に逃げるしかないか』という考えが頭を掠めた時ーーー


「ユリア!店長さんも!無事!?」


 身軽そうな革鎧レザーアーマーに戦闘時特有のポニーテール姿のレオナがこちらに駆け込んできた。


「「レオナ(さん)!!?」」


予想外の人物の登場に、私達2人は状況も忘れて彼女の元に駆け寄った。


「無事で良かった!でもなんで…?」


「色々あって帰ってきたんだけど、やっと王都が見えたと思ったらこの有様で。慌ててゴルドンさんとここまで飛ばしてきたの。…一から説明したいけど、そんなことしてる場合じゃないでしょ。すぐに避難するよ!」


 詰め寄るユリアにレオナは簡潔に応じる。よく見れば、彼女服やメガネのあちこちが煤によって汚れている。ここまで辿り着くまでに相当無理をしてきたのだろう。


「うん!あ、でも待って。店長がーーーっきゃ!?」「ーーーっと、ちょっと店長さん!?」


 ユリアが言い終わるよりも前に彼女を押し付けるように預け、私は少し彼女達から距離を取る。


「すいません、2人は先に避難しててください。私は少し店に用事があるので。レオナさん、ユリアさんをお任せしましたよ!」


「は!?ちょ、待ってって…!嘘でしょ!?」


 驚愕と混乱に満ちた声を背中に聞きながら、既に2階の住居部分が火に包まれつつある私の店に向かって歩き出した。


 さあデニス。ここからが商人としての人生最大の大博打戦いだ。

 

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