万引きと商人と就職活動 ②


「ひゃー、洗い甲斐あるね!」


「~~~!!」


 白いタイルが敷き詰められた真新しい浴室に、ユリアの明るい声が響いた。


「大丈夫?目に入ったりしてない?」


「…大丈夫、です」


 両手一杯に石鹸を泡立てたユリアはアリサの頭から足の先まで全身くまなく泡だらけにして丸洗いしていた。

 そんな状態のためユリアの問いにまともに答えることができないアリサは、目や口を懸命に閉じたまま必死に頷いていた。


「レオも入ればよかったのに。楽しぃよー?」


「嫌。絶対狭いし。それにあんた髪短いから良いけど、あたしなんて乾くまでめっちゃかかるんだからね?」


 ユリアが扉の外に呼び掛けると、レオナの気の無い声が返ってきた。どうやら同伴を拒否したレオナは風呂場のすぐ外にいるらしい。



 雑貨商の建て直しにおいて最大の目玉となったのがお風呂の増設だ。本来であれば貴族をはじめとした上流階級でしか見られない代物だが、王都の復興に尽力した功績から…というよりは、その際に得た人脈などをフルに活用して設置にまでどうにか漕ぎ着けた。

 夢にまで見た自分だけの風呂を得た結果、これまでの比にならない水道光熱費にデニスが頭を抱えたのはまた別の話である…。



「はぁ、気持ちよかった!! アリサちゃんもすっきりできたでしょ?」


「は、はい…わぶっ!?」


「ほら頭拭いた拭いた。店長さん帰ってきちゃうよ」


 服だけは身につけた状態で脱衣所から出てきた2人の頭にレオナがタオルを被せると、そのままかがみ込んでアリサの頭をわしゃわしゃと拭き始めた。


「何だかんだ言ってレオも可愛がってるじゃん」


「そんなんじゃないから」


 そうやって仲良く軽口を叩き合っていると、


『皆さん、ただいま戻りました。…あれ? ユリアさん、レオナさん?』


『姿が見えないな』


 レオナの思っていた通りデニスが帰ってきたようだった。聞き覚えのあるもう一人の穏やかな声から察するに、無事、医者も連れて来れたらしい。


「ごめん店長さん! アリサのことちょっとお風呂に入れてた! …あたし向こう行ってくるから」


「分かった。すぐに支度するから」


 レオナはデニスたちがいるであろう店舗の方に声を張り上げ、次いでユリアに声をかける。ユリアもそれに頷いて応じ、まずはアリサの準備を整えようと手早くレオナの後を引き継いだ。



             ☆



 私が先生を連れて店に帰ってきてから数刻の後、私たちは今、王都外縁に近い貧しい人々が暮らす区画に来ていた。ここにアンナとその母親、アナベルが暮らしているのだ。

 とはいえ、いわゆる貧民街にぞろぞろと大人数で行っても目立つ上に危険も伴う。そう考えた私たちはちょっとした作戦を立てることにした。 

 まず、街に入るのはレオナ、アンナ、先生の3人。その際レオナは大火災のどさくさに紛れて手に入れた王国正騎士の革鎧レザーアーマーと顔を完全に覆えるヘルムを身に付ける。そして医者のトーラスの方には、普段の白衣ではなく店にあった高価な衣服を着てもらい、一見すると、どこかの貴族とその護衛が、アンナを連れて貧民街にやって来ている風を装うという作戦だ。


「レオナさん、くれぐれも無茶はしないでくださいね」


「了解。ま、黙ってそれっぽい雰囲気出しとけば大丈夫でしょ」


 レオナはヘルム越しのくぐもった声ながら、いつも通り気楽に構えている。


「アンナちゃん、道案内よろしくね」


「はい」


 一方ユリアはアンナの前に屈み込んで、案内役を担う彼女を励ましていた。

 この作戦では、可能な限り目立たないよう私とユリアは貧民街の入り口近くで待機となっている。どのみちついて行っても大したことはできないので、まあ妥当なところだろう。


「じゃ、行くよ」


「っ! …はい」「お願いします」


 準備が整ったところを見計らってレオナが声をかけ、3人はいよいよ入り口に向かって歩き出した。



             ☆



 周囲を建物に囲まれた薄暗い路地には、布と木材を組み合わせたみすぼらしい住居が所狭しと並んでいた。そこに住む人々も健康とは言い難く、着古した衣服の下からは血色の悪い肌がのぞいている。

 彼らは黙って歩いていくレオナたち3人に接触するわけでもなく、すえて澱んだ空気の中、生気のない目でその姿を追うのみだった。


「…ここです」


 やがてアンナは立ち並ぶ住居の一つで足を止めた。そこは一見すると他の建物となんら変わらぬ外見をしてる。


「入って良いんだね?」


「お願いします」


 先生の確認に、アンナが出入り口を仕切る布を持ち上げた。


「先生、あたしは外で見張ってます。何かあったら声を出してください」


「分かった。君も気をつけなさい」


 トーラスは歩哨を申し出たレオナに一つ頷くと、アンナに従って中へ入っていった。




 粗末な小屋の中は、薄暗い通りから壁を一つ隔てているせいもあってさらに暗かった。

 大の大人が一人ようやく暮らせるかというほどの狭い部屋には、アンナの母親らしき女性が横たわっている。

 苦しげに胸を上下させている姿は、素人目に見ても彼女が病人であることが分かるほどだった。


「……アンナ。…帰ったの…?」


「うん。…ただいま」


「そう…良かった…。……ご飯の用意を、しないと…ッグ!? ゴホッ!! ゴホッ!!」


「ダメだよお母さん! 寝てないと!」


 無理に体を起こそうとして激しく咳き込む母を、覆いかぶさるように優しく抑えるアンナ。今はとにかく一刻も早く診てもらおうと思ったのか、そのまま自分は横に退いてトーラスに場所を譲った。


「お医者さん呼んだから。ちゃんと診てもらおう?」


「アンナ…どうやってそんな…」


 言われて初めて娘の他に入ってきていた見知らぬ男に気がついたらしく、警戒するようにアンナを抱き寄せる。母親からすれば、身寄りのないはずの娘が連れてきた素性の知れない人物であり、彼が医者であるとは俄には信じられないのだろう。どうしたものかと黙り込むトーラスを見て、アンナが意を決したように口を開いた。


「…お母さん。私ね、万引きしちゃったの……」


「アンナ…」


 それから、アンナはここに至るまでの経緯を話し始めた。



             ☆



「ーーそんなことが……。娘が大変ご迷惑を…」


「ああ、いえ。そのことはどうかお気になさらず。そもそも私はデニスに請われた一介の町医者ですから。是非そういったお話は彼と直接会った時にでも。ともかく、今はアナベルさんのお体の方が大事です。簡単な診察だけでも、させていただけませんか?」


「それは…願ってもないことです。…よろしくお願いします」


 こうしてレオナたちは本来の目的に行動を移すことができたのだった。



             ☆



 それからしばらく経った貧民街の入り口付近。私はソワソワしながら彼らの帰りを待っていた。


「遅いですね。何かあったんでしょうか?」


「レオがついてるから万が一ってことも無いと思いますけど…あ! 店長さん、あれ! 戻ってきたんじゃ無いですか?」


「え!! ああ本当だ。良かった…」


 建物の影から様子を伺っていたユリアが声をあげそちらを見ると、こちらに向かって歩いてくる見覚えのある人影が目に入った。

 変わらず鎧に身を包んだレオナを先頭に、アンナ、トーラスと姿を現し、そのトーラスの背にはボロボロの布を被った人物が背負われている。


「ただいま〜。ふぃ〜、あっつい!!」


「お疲れ様でした、レオナさん。何事もなかったようで何よりです。先生も、ありがとうございました」


「気が早いよデニス。僕の仕事はここからなんだから」


 無事に貧民街から帰ってきた3人は、入り口から少し離れた大通りに出たところで一度足を止めていた。

 彼らからざっと聞いた限りでは、アンナの母は話を聞いた当初こそ不信感を抱いていたものの、他ならぬアンナ自身が経緯を告白したことで診察を受ける決心をしてくれたらしい。

 ただ、やはり相応に衰弱はしていたようで、トーラスに背負われてここまで来る最中に眠りに落ちてしまった。


「その場で簡単に診た限りでは、今すぐ重大な問題が起こるようなものではないと感じたよ。とりあえず、これから医院に戻ってもう一度精密検査をするつもりだ」


「そうですか…。でも、大事には至らなくて良かった。アンナさんも、良かったですね」


「はい。…ありがとうございます」


 微笑むアンナの顔には、喜びと疲労が混在していた。唯一の頼りである母親の病は、少なからず彼女の心に負担をかけていたのだろう。それが一先ず急を要する状態に無いと分かり、ようやく肩の荷が下ろせたのかもしれない。


「じゃあ、先生はこのまま病院に帰るんですね? アンナちゃんはどうするの?」


「私はお母さんと一緒に行きます」


「一応、看護師たちが寝泊まりする部屋もあるので、人先ずはそこで預かろうと考えてる。お母様の病状が分かり次第デニスたちにも声をかけるから、それまで少し待っていてくれ」


「分かりました。よろしくお願いします」


 そう言って頭を下げた私に頷き返し、トーラスはゆっくりと歩き出した。


「店長、私、念のため医院まで着いていきます」


「分かりました。今日はもう上がりで良いので、店のことは気にしないでください」


「ありがとうございます! アンナちゃん、行こ?」


「…うん」


 手を繋ぎ、トーラスのあとを追いかける彼女らの後ろ姿を、私は黙って見送った。



             ☆



 数日後の西二番街診療所。トーラスが医院長を務めるこの診療所の待合室にて、私とユリア、レオナの3人は呼び出されるのを待っていた。

 アンナの母親の病状について色々と分かってきたので、一度会って話したいとトーラスから呼び出されたのだ。


「店長さん、あの事まだ決められてないんですよね? どうするんですか?」


「…まだ、決めかねています。色々考えて、私にできること自体は見えてきているんですが…」


 情けない声を上げる私を見て、2人も困ったように顔を見合わせる。


 私たちがこうも頭を抱えているのは理由がある。それはアンナの今後に関する話だ。

 アンナには病気の母親以外に頼れる人がいない。だから、例えばその母親に入院が必要だと分かった場合、彼女にはそれを支える力が無いのだ。 

 もちろん、今回の出来事は、その発端がアンナにあるとはいえ私が始めたことだ。彼女の話を聞こうと決めた時に、できうる限りの援助をする決意をした。その決心を違えるつもりはない。しかし、情けないことに、今の私には病身の母親を持つ少女1人を養う経済力が無いのだ。


「やはり、ハンスかギルフレッドさんに頼るしかないでしょうね」


 彼らには大きな借りを作ることになるが、自分のメンツにこだわっているような問題ではないだろう。

 ここ数日で何度も繰り返してきた結論にまたもや辿り着いたところで、


「雑貨商の皆さん、一番の診察室にどうぞ〜」


「はい。皆さん、行きましょうか」


 私たちの順番が回ってきたようだ。



              ☆



 通された診察室には、既にアンナ、アナベル、トーラスの3人が揃って座っていた。私たちが入ると、真っ先に気が付いた母親が立ち上がって深々と頭を下げる。


「この度は、娘が大変ご迷惑をお掛けしたにも関わらず、このように良くしていただいて…」


「いや、よして下さい…。私は目の前の出来事が無視できなかっただけで…。むしろ私ごときでは大したことも出来なくて…」


 しかし、私としては自身の不甲斐なさばかりが大きくなるばかりで大変気まずく、反射的にそれを押し留めてしまった。

 そんな状況ではあったが、間近で見るアナベルの血色は以前見た時に比べてだいぶ良くなってきており、内心では密かな安堵を覚えていた。


「アナベルさん、治ったというわけではないんですから余り無理はしないでください。デニスたちも、立ったままじゃなんだろう」


 お互いにぎこちない挨拶を交わしていた私たちにトーラスが椅子をすすめてくる。我々はありがたくその厚意に甘えることにして、いよいよ本題に入った。



             ☆



「今のやり取りで薄々勘づいたかもしれないが、結論から言えばアナベルさんの病状はそう差し迫ったものじゃなかった。彼女は酷い喘息だったんだ」


「喘息…」


 背後でユリアが小さく反芻するのが聞こえる。

 

 喘息というのは私も聞いたことがあった。確か肺が患う病で、慢性的な咳に悩まされるものだったはずだ。


「大火災の前まではこのような症状はなかったと聞いているから、直接の原因は恐らくあの火事でしょう。…その後の劣悪な環境が今の状態にまで悪化させてしまったと考えるのが妥当です」


「あの…その、喘息は治るんですか?」


 恐る恐る尋ねるアンナ。彼女にとってはそれが一番気になるところだろう。トーラスは不安げなアンナに真っ直ぐと向き合い口を開く。


「アンナちゃん、きちんと休めば、すっかり元気になれる病気です。だから安心してください」


「良かった…。良かったね、お母さん!」


「うん…うん、そうね、本当に…」


 トーラスのそんな言葉に顔を綻ばせる親子。その様子に私たちも思わず微笑みが溢れる。

 けれど、トーラスはすぐに表情を引き締め、「ただ…」と、言葉を続けた。


「やはり、治すにはきちんとした治療が必要になります。それなりの期間の入院もしなくてはなりません」


「入院…ですか」


 トーラスが可能な限り彼女たちを慮って言葉を選んでいることは分かったが、それでもこの母子には厳しい現実として突きつけられた様子だった。

 私の伝について話すのなら、この辺りだろう。そう思って言葉を発する。


「…アナベルさん、アンナさん。その入院のことで私から提案がーー」


「ーーデニス」


しかし最後まで言う前にトーラスによって遮られた。


「すまない。ただ、その話をする前に私からも伝えておきたいことがあるんだ」


「は、はい。すいません、私の勇み足だったかもしれせん」


 申し訳なさそうに私を押し留めたトーラスは、改めて目の前の親子を見た。


「アナベルさんには、是非私の診療所で入院していただきたいのです」


「…それは、ありがたいお話ですが、生憎とお支払の当ても…」


 口ごもるアナベルを手で制してトーラスは言葉を続ける。


「治療費はいただきません。その代わりと言ってはなんですが、アンナちゃんに当院のお手伝いをしていただきたいと考えています」


「ちょっと待ってください!? それは、私の…」


 予想だにしなかったトーラスの言葉に最も反応したのは私だった。なぜなら、この出来事の責任を果たすのは私のはずだからだ。

しかし当のトーラスは冷静に私の方を見る。


「デニス。君の言いたいことは分かっているつもりだよ。けれど私も医者として、目の前の患者を放り出したくはないんだ」


「しかし……」


 彼の真摯な言葉に私は口ごもってしまった。


「…トーラス先生。大変ありがたいお話だとは思いますが、さすがに娘にここのお仕事は…」


 私と入れ替わるようにして口を開いたアナベルは、まだ幼い娘では荷が重いことに言及する。


「もちろん、アンナちゃんにできる範囲のお仕事はお願いするつもりです。幸い彼女でも十分に活躍できるであろう仕事で当医院は溢れていますから」


「それは、そうなのかもしれませんが…」


 穏やかにそう返され、アナベルも口ごもってしまう。

 そんな私たちの様子を黙って見ていたアンナが、ふと口を挟んだ。


「私、やります…お手伝い!」


「アンナ…」「アンナさん…」


「お手伝いでお母さんが良くなって、皆へのお礼もできるのなら、私はやりたいです…」


 状況全てを理解しての言葉ではないのだろう。ーーーそれでも、幼い少女のまっすぐな言葉は、大人たちの後ろ向きな風向きを変えるには十分な力があった。


「アナベルさん。今はとにかく休んで、一刻も早く体を治す時です。来年、アンナちゃんと一緒に過ごすために、今この時を安静に過ごす。…そう考えてはいただけませんか?」


「…分かりました。この子もこう言っていますし、お言葉に甘えさせていただいても、よろしいでしょうか?」


「願ってもありません。よろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 こうして、彼女らの居場所は定まった。


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すいません、書き切れませんでした!

今夜にでも補足します。


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