上陸と出会いと最初の任務 ①


「え、ちょっと待って、なんかすごい大事な話しようとしてない?」


 訥々と自身の過去について話していくアカツキを、レオナの若干焦ったような声が遮った。


「大事よ? なんて言ったって、ここ何年かで起こった事件のネタバラシみたいなものだもの」


「それあたしが聞いていいものなの? 全部聞いた後に命狙われたりしない???」


 対するアカツキにあっさりと抱いた懸念を肯定され、レオナは追い縋るように机に身を乗り出した。


「あーー…うん。まああなたなら大丈夫よ」


「命狙われる可能性は否定してくれないんだ!?」


「まあまあ。こんな話滅多に聞けるものじゃないから。絶対聞いておいた方がいいわよ」


「うーん、なんかうまいこと乗せられてる感じがするんだけど…」


 渋い顔をするレオナをアカツキはあっけらかんとした様子で言いくるめ、話の続きを語り始めた


            ☆



 初めて目にする王国の印象は、一言で言ってしまえば“騒がしいところ”だった。

 ヨミが降り立ったのは王国南岸に位置する王国最大の港湾都市、トリス。ここで先に潜入している仲間と落ち合う段取りになっていた。


 ヨミの乗った船は既に商船用の桟橋の横に着けている。その甲板では、人夫らが積み荷の運び出しに向けて慌ただしく往き来していた。


「おい、そこの坊主! 何ボケッと手ぇ止めてんだ!?」


「…っ! すいません船長!」


 無意識のうちに船の外に広がる未知の世界に見入っていたらしい。

 背後のテラスに立つ船長から浴びせられた罵声で我に返った。


「ったく、船代分は働いてもらわねぇと意味ねぇんだぞ!? とっとと荷下ろし組に合流しやがれ!」


 怒鳴りつけられた若造を見て周囲の船乗りたちからは笑いが起こる。バツの悪さを誤魔化すように帽子を目深にかぶり直したヨミはすぐに手近な木箱を抱え、そそくさと荷下ろしが行われている船の端へと歩き出す。

 荷物や人が激しく動く荷下ろしの現場に着いたアカツキは、それらに紛れて梯子を降り、密かに下船することに成功した。

 降りた先で待っていたのは、自身と同じ服装に身を包んだ似たような背格好の人夫。その人物は、ヨミが降りてきたのを確認すると待ちわびたように小さく頷き、ヨミに代わって甲板へと続く梯子を上り始めた。

 そう、実はここまでの行程がヨミたちが密入国するために予定していた段取りだったのだ。

 この船はワと王国の間で秘密裏に人や物資を行き来させる偽装商船の役を担っており、船長以下、常に数名のシノビが何らかの役目のために活動の拠点としていた。

 ヨミもその例に漏れず、今回の王国派遣に際して利用していたのだ。

 ともかく、打ち合わせ通りに同業者とすり替わったヨミは素早く衣服も着替え、誰にも咎められることなく商船を後にした。


 人混みに紛れて桟橋を歩き出したヨミは不自然にならない程度に視線を動かして周囲の様子を観察する。まず目に入ったのは、行き交う人々の多様さだった。

 まず目につくのはブロンドや茶髪に白い肌が特徴的な王国人だ。特に港を管理している役人や警備の衛兵によく見られるが、この港が王国直轄にして最大の規模を誇ることを考えれば当然と言えるだろう。

 彼ら以外にも、褐色の肌に色とりどりの髪色のイムカ人や、ヨミと同じく一様に濡れたような漆黒の髪を持つワ人といった諸国の人種も勢ぞろいしている。

 それぞれ商人や出稼ぎの労働者、職人とその立場は様々の様子だが、騒がしく、雑多で、一様にまとった活気ある雰囲気はヨミにとっても初めて目にする光景だった。


 間近の人々からさらに視線を上げると、広い荷下ろし場を囲むように木造の倉庫が林立しているのが見える。王国最大の港湾都市だけあって、日々行き来する貨物の量も相当なものなのだろう。つい数日前に後にした故国の港は、ワでも有数の主要港だったのだが、あれが余裕で数個分は収まる広さだろうと、容易に目測することができた。

 そんな倉庫街を抜けた向こうには、いかにも掘っ立て小屋な商店が軒を連ねる、恐らくは市場だろう。そちらは商人や船乗りだけでなく、買い物を楽しむ一般人らしき姿も見て取ることができる。

 そしてその反対側においては、年季を感じさせる木造の倉庫ではなく赤レンガで建てられた明らかに仕様※の異なる建築物を望むことができる。

 恐らくあれが、王国の周囲に広がる海にその覇を唱えるガレー船団王国海軍の軍港だろう。立ち並ぶ軍施設の威容と、その向こうで天高くそびえる幾重ものマストは、一目見ただけでもこの海が誰の物であるのかを知らしめていた。


 歩けば歩くほどに、見れば見るほどに未知との遭遇があるこのトリスで、ヨミは任務の最中にあることを理解しながらも、どこか熱に浮かされたような無自覚な興奮を覚えていたように思う。


 その後もひたすらに周囲の情報を取り込みながら歩き続けていたヨミだったが、気づけば先行しているシノビとの待ち合わせ場所としていた市場の港側出入口にたどり着いていた。 


「さて、と。そろそろ合流できると思うんだけど…」


 果たして初対面の人間を相手に該当人物を特定できるだろうか? と内心独り言ちていたところに。


「おいお前、アカツキだよな…?」


 背後から名前を、王国で活動するに当たって得た新しい名前呼ばれ、ゆっくりと振り返った。


「――兄さん、兄さんよね?」


「あ、ああ…大きくなったな!」


 確認するようなヨミの問いかけに、ちょうど真正面から向き合う形になった青年は白く健康的な歯を覗かせながら快活な笑顔を浮かべた。


 始めて目にする兄は、短く切りそろえられた黒髪に、健康的に日焼けした小麦色の肌。正面から相対すると、変装の一環で踵を上げた靴を履いている今のヨミでも圧倒されるような恵まれた体格の好青年だった。


「やっぱりアカツキか! 大きくなったなぁ、正直声かけた時は自身が無かったんだ!」


 そう言いながらヨミの体を抱えると、軽々と持ち上げてしまう。


「ちょ、兄さん! 恥ずかしいからこういうことは…!」


 周囲より体一つ分ほども飛び抜けてしまったヨミに周囲の視線が殺到し、それから逃れる様に顔を覆いながら悲鳴を上げた。


「おお? 体は大きくなったけどまだまだ軽いなぁ! ちゃんとご飯食べてるのか?」


 一方の兄役の青年は、大人しくしてほしいというヨミの意図に気づいた様子も無く…いや、気づいていて無視しているのかもしれないが、ともかく、妹の求めにすぐに応じてくれる様子は見られなかった。 


 これが、最終的にはワの独立に至る長い年月を共に歩むことになった偉大なる先輩にして初めてできた家族、アサヒとの出会いである。

 

 

            ☆

 

 

「やー、悪かったよ。久しぶりに会えたんでついな」


「それにしたって限度があるでしょう。もう、すごく恥ずかしかったんだからっ」 


 熱烈に過ぎる大歓迎からようやく解放されたヨミは、アサヒと共にトリスの中心街に程近い裏通りを歩いていた。

 砂岩質の住宅が立ち並ぶ街中はさすが大都市と言うか、まだ朝方であるにも関わらずそれなりの人通りが見られる。

 ヨミは自身の置かれた環境について理解するべく視界に映る情報をつぶさに観察しながら、ひとまず兄の後に従って歩いていたヨミだったが、実のところ、結局自分がどうすべきなのかもまだ何も知らされていない。いい加減辛抱がたまらなくなり、疑問を投げかけることにした。


「それで、兄さんは何か用事でもあるんですか? もし何も無いなら今後事について少し相談したいんだけど…」


「ああ、そうだよな。でもすまん、先に野暮用だけ済まさせてほしいんだ。それを片付けたらちゃんと時間取るからさ」


「はい。…野暮用ですか。それはやっぱり、兄さんの仕事に関係が?」


 そう言いながら、ガタガタと石畳を鳴らしながらアサヒが引いている荷車に視線を向ける。


「確か、行商をしてるんでしたよね?」


 この問いは当てずっぽうだった。

 アサヒの身に着けている質素だが明らかにワや王国では手に入らない意匠の衣服に、多様な雑貨が積まれた荷車。そして太陽の下で長い間活動していそうな肌の色などの特徴から推理した言葉だったのだが、


「そう。今日の朝には納品しなきゃならない物があってな。ほら、着いたぞ」


「え?」


 どうやらその推理は概ね正解だったらしいのだが、それよりも、言った矢先に目的地に到着してしまったことで意識はそちらへ持っていかれてしまった。

 アサヒが示す先には、黒塗りの門扉が立て付けられた恐らくは裏門があった。


「じゃ、ちゃっちゃと済ませるか」


 そう言うと、アサヒは鍵はかかっていないらしい扉を押し開きながらさっさと中に入っていってしまう。


「ちょっと…待って、兄さん!」


 あまりにも当然のように入っていってしまったので一瞬反応が遅れてしまいながら、ヨミも慌てて兄の後を追った。

 

 

            ☆

 

 

 屋敷の使用人に案内された先は、この建物の倉庫らしかった。どうやらお得意様のようだったらしく、使用人は慣れた様子で代金をその場で払うと、後の納品は任せたと言わんばかりに商品を改めもしないまま倉庫から立ち去ってしまった。


「すごい慣れてしまってますね…」


「ああ、良くも悪くもな。まあ信用されてるってのはそれはそれでいいもんだ」


 そう言うアサヒは、口元を綻ばせながらも手早く商品を積み下ろしている。

 ヨミも、それを手伝いながら何ともなしに自分たちのいるこの場所を見回した。案内される時に視界に入った母屋の豪勢な造りを見ても思ったが、どうもただの住宅などではない気がしていた。

 規模から言えばお屋敷。それもちょっとした富豪程度ではなく、恐らくは相当力を持っている立場の人間の住居だろう。


「兄さん、気になっていたんだけど、ここの家主さんって相当立派な方なんじゃない?」


「――ふむ。なかなか悪くない洞察力を持っているようだな」


「っ…!?」


 何の予告もなく背後から聞こえてきた声に、ヨミは全身の筋肉が引き攣るような驚きを覚えながら振り返った。


「兄さ――!?」


「――待て、ヨミ」


 即座に対象を制圧しようと動き出していたヨミを、アサヒが静かに制止する。


「…判断は早いが、状況の把握にはまだ課題があるか」


「申し訳ありません。次までには矯正してきますので」


「期待しておこう」


 当の人物は何やら興味深そうにアサヒと会話している。二人の様子を見るにただの知己とも思えないのだが…


「あの、兄さん? こちらの方は…?」


「ああ、申し訳ない。実は野暮用というのがそもそも偽りでな。お前にこの方をお目通りさせるのが本来の目的だったんだ」


「は、はぁ。…待ってください、私が会わなければならない、ということはつまり――」


 突然の困惑を隠せないヨミだったが、ようやく事態の方向が見えてきていた。それと同時に、今自分の置かれている状況がとても切迫していることにも意識が向く。

 しかしヨミの密かな焦りに構うことなく事は動いていく。

 外の日光に照らされた件の人物は、ゆっくりと倉庫の中に踏み込んできた。

 差し込む光が陰り、それまで見えなかったその人物の姿が露わになる。ベルトルク王国の王族に見られる金色の髪に、豊かな口髭を蓄えた初老の人物。その顔に刻まれた皺は、彼がこれまでに送ってきた過酷な生涯を物語っているかのようだった。

 男は、厳かに口を開く。


「私はベルトルク王国宰相、カール・ファン・ビルトルク。今日からお前の主になる者だ」

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