シノビと商人と少女の夢 ④
ーーーワ国。
ベルトルク王国が支配する緑の大陸のさらに東方。大陸東岸に隣接する島々を国土として古より繁栄してきた島国こそが、“私”ことヨミの故国だ。
その歴史は古く、およそ400年前、ベルトルク王国成立の立役者にして初代国王である最初の勇者の召喚に、深く関与したとする俗説が存在するくらいだ。そしてこれは事実であることも、長い間ワ国と王国の暗部を行き来していた私は知っている。
ともあれ、王国が成立しておよそ200年ほどが経過した時、事は起こった。兼ねてより世界の覇権を賭けて対立を深めていた両国だったのだが、痺れを切らしたワ国がついに王国に対して宣戦布告。緑の大陸東岸より大規模な侵略行動を開始したのだ。
始めこそ王国首都ベルトリンデル近くにまで攻め上ったワ国軍だったが、ワ国侵攻の一報を受けた王国諸侯の軍が徐々に集結しその数を増やしていくにつれ戦況が王国へと傾き始めた。
そこからの展開は早く、瞬く間に形勢を逆転されたワ国は大陸から駆逐され、そのまま勢いに乗った王国軍によってワ国の都、
こうして、ワ国はベルトルク王国の属国となったのだ。
この侵攻に勝ちがあったのかどうかはすでに闇の中だが、結果として200年の長きにわたり、私の祖国は辛酸を舐め続けることになった。
☆
「それでは、私たちのための戦いを始めましょう」
そして王国の元へと下っておよそ200年後の今日、ワ国現政権は満を持して独立のために動き出した。
「まずは我々が今現在置かれている状況の確認からしていこう。投影されている画像を見てください」
滑らかに進行を始めたのは、現政権を実質的に取り仕切っている実力者、ショウトク。皇を支える
しかしその実、彼の穏やかな人となりからは乖離した苛烈な手腕をもって、政権内外聞における指導力を絶体的なものにしていた。
「大前提として、我々の計画には揃えておくべき条件が三つあります。一つ目は、王国による勇者召喚。二つ目はイムカ共和国と我々の協力体勢確立。最後に、これが最も重要なことですが、王国打倒の切り札となるダンジョン覚醒の道筋をつけること」
そう言いながら、ショウトクは背後の壁面に映し出された画像を指し示す。
「200年という年月はかかりましたが、ここに至るまでの多くの同胞の努力が身を結び、この三つの条件を揃える目前にまで到達することができました」
満足げに、あるいは覚悟を宿した表情で頷く首脳陣と、まさかそこまで事態が進んでいたのかと内心意外に思うアカツキたち。
「今日、皆さんに集まってもらったのは他でもありません。ーーーここにいる人間をもって、ワ国200年の悲願を達成してもらいます」
☆
「それでは、ここからの大まかな流れとあなた方が負う個々の役割について説明していきます」
そう言ってショウトクが手元の投影魔術具を操作すると、映し出されている画像が切り替わる。そこには事前に示された3つの条件をどのように達成していくのかが書かれていた。
「まず一つ目の王国での新たな勇者召喚。これは比較的簡単です。そもそも勇者の召喚は我が国の専売特許。およそ400年前に我が国衙行った異世界より勇者を呼び寄せる術は、幸いにも今なお我々の手の内に残っています。我々の仕事は、その技術を王国内でそれを必要とする人物に受け渡し、さらに召喚を行うよう誘導することになります」
ショウトクは穏やかに説明を続けながら皆に見えるよう画像を指し示していく。
「そして二つ目、イムカとの連携。実はこれが現状における最も大きな課題と言えます。現在かの国は
さらりと口にされた4年という言葉に長机を囲んでいた政務官たちがざわめく。どうやら彼らも作戦の“期間”について聞くのは初めてだったらしい。ショウトクはそんな彼らの動揺が収まるまで涼しげに眺めていたが、やがて静かになると再び口を開いた。
「大丈夫です。皆さんがすべきことをきちんと行いさえすれば、想定される期間の間に十分達成可能ですから」
ショウトクとしては皆を安心させようと思っての言葉だったのだろうが、それを聞いた政務官たちの顔はむしろ余計に強張ったように見えた。
この政務官たちの様子については、私も後から大いに思い知らされることになるのだが、それはまだ先のことだ。
「話を戻します。最後の条件であるダンジョンと呼ばれる古代の兵器の起動について。今回の会合が初参加となる方たち向けに補足しておきますが、世界各地に見られる朽ちた迷宮こと“ダンジョン”は実は過去の戦争で用いられていた兵器だった、という前提で話しています。驚きましたか?」
「…はい」
ここに来て初めてショウトクに笑いかけられたヨミは若干の逡巡の後に小さく肯定した。
新人のシノビたちの反応が薄かったことが心外だったのか、ショウトクは少し情けなさそうな顔をする。
「この話は極秘中の極秘で私としてもとって置きだったのですが、余り驚きせんでしたか?」
「いえ、私個人としては酷く驚いています。それが出ないのはそのように訓練されたからで…。申し訳ありません」
どう弁明すればいいのかもわからず、結局ヨミは謝罪する形に落ち着いてしまった。これを隣で見ていたヨミらを引率してきた里の若頭がヨミの弁明を補足するように引き継いだ。
「ご無礼をお許しください。何分まだ“色”を与えれれていない未熟者なれば。至らぬ箇所は早々に矯正いたします」
「問題ありませんよ。この作戦で投入できるようにと、そのような形で仕上げてもらったのはこちらの希望あってのことですからね。然るべき役目を帯びれば、自ずと会得するでしょう」
「恐れ入ります」
ショウトクの諭すような言葉を受け若頭は深々と頭を下げ、ヨミらもまたそれに倣った。
「さて、また話が逸れてしまいましたが、このダンジョンについてもある程度の調査は済んでいます。大前提であるダンジョンが兵器である点はほぼ間違いがなく、その起動方法も概ね掴むことができていると言って良い状態です。あとは作戦に使用するダンジョンの絞り込み及びと実証実験が残るのみで、特に前者はなるべく早く結論を出したいと考えています」
そこまで話すと、ショウトクは一度投影画面から視線を外した。
「大前提として頭に入れておく必要のあった事項はこれで全てになります。それではさっそく、今後の動きに関する話に移りましょう」
相変わらず穏やかに話を進めていくショウトクに、シノビの一人がほとんど条件反射で浮かんでしまったのだろう懸念を口に出してしまった。
「…この場で行うのですか?」
「おい」
「っ!…申し訳ありません」
若頭にたしなめられて当のシノビは出過ぎた真似を悔いる様に謝罪する。しかし彼女の気持ちも分からないではない。独立を目的とした会合など、機密中の機密のはずだ。このように人の多い場所で話すのかという疑問は湧き上がってしかるべきだろう。
これを受けたショウトクは泰然としたもので、鷹揚に手を上げて萎縮してしまったシノビに声を掛ける。
「構いません。貴女の心配は最もだ」
彼は余裕のある姿勢は崩さないまま言葉を続ける。
「この場には最も信用のおける者しか集めていません。それこそ歴史に名を残すような計画を前に、仲間内で足の引っ張り合いをしているような余裕はありません。最低限、ここにいる人間だけは信じ、団結しましょう」
仲間を信じる。それは普通の人々にとっては取るに足らない行為だ。しかし、ヨミたちのように根深い
それを、ショウトクは事も無げに要求してきている。ショウトクは部屋を見渡しながらさらに言葉を続ける。
「万が一この中に我々とは異なる志を持つ者がいたとしても、それが作戦に対して悪影響を及ぼすことはありません。そういった者たちには、私が良いように計らいますので。何かが起こったとしても、恐らくそれ自体を認識することが無いはずです。ですから皆さんは何も心配することはありません。ただ自身の役割を信じ、全うすることだけを考えてください」
顔色も変えずにそう宣言するショウトクに、ヨミは彼の持つ恐ろしさの一端に触れた気がした。
☆
ワ国首脳陣との会合を終え都城を後にしたヨミは王国に向かう船の上にいた。
既に陽は水平線の彼方に沈み、見上げた空は数え切れないほどの星々が彩っている。視界に映る港はその日の仕事を終え、交易品を積み下ろす貨物船用の広い桟橋は夜の静寂の中に沈んでいるが、さらにその奥、遠目に見える港町の方からは賑やかな喧騒が微かに届いている。
ショウトクらとの会合をもって、独立への道行きは切って落とされた。
役目を与えられたヨミも、明日の朝に出港するこの商船に紛れて王国へと渡る手はずになっていた。
自分以外誰もいない甲板上で暖かな海風を受けながらもう見納めになるかもしれない故国を静かに眺める。これからこの国のために自分の全てを賭けるというのに、ヨミの心には何の感慨も浮かばなかった。
生まれたころから“そうあれ”と強いられた故の空虚さは作戦の担い手としては致命的な欠落だろう。しかし、ヨミにとってそれは何の問題にもならないという確信もあった。動機、信条、志とは無縁の中で命懸けの任務に身を置けるほどに、ヨミはシノビとして完成されていた。
あと数刻もすれば夜が明ける。未だかつて上がったことがない心音は変わらず平易なまま、若いシノビは独り、迫る大儀のために自身の刃を研いでいた。
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