少女と子供と呪いの館


「じゃあ数えるよー!いーち!にーい!」


 人気ひとけの無い静まり返った屋敷に、伸びのある少女の声が響き渡る。


「レオお姉ちゃん、こっちこっち!」「僕達がいつも隠れてるところなら絶対見つかんなんだよ」


「あー、はいはい。ちゃんとついてくから大丈夫だよー」


 幼い子供達に手を引かれるようにして、レオナは少々足場の悪い廊下を進んで行く。

 今彼女らがいるのは、閑静な住宅街の中に立つ古い洋館だ。期末試験を終えて夏休みに入ったユリアとレオナの二人は、例年通りに港湾都市トリスを訪れていた。

 いい加減行き慣れた観光地でさてどうしようかとぷらぷらしていたところを、夏の暑さの中にあっても元気に遊び回っていた子供たちに遭遇し、半ば連行される形でかくれんぼに参加することになったのだ。

 レオナは正直乗り気ではなかったのだが、ユリアが『2.3回付き合ってあげれば向こうも飽きるんじゃない?』と、とても2回や3回では済まなそうに瞳を輝かせながら詰め寄ってきたので、こちらもまた半ば強制的に参加することが決まったのだ。


 そんなこんなで始まったかくれんぼは、じゃんけんで負けたユリアと女の子が鬼となった。レオナを含む残った5人は、思い思いの場所に隠れるべく廃墟と化した屋敷に散っていく。

 そして、物語は冒頭に戻ってくる。


「ここなら絶対見つからないよ!」


 レオナの右隣に座る女の子、カナは瞳を輝かせながら得意そうに言う。

 彼女らが隠れる場所に選んだのは、東西に広がる館1階西の端に位置する部屋。その中に残されていた衣装棚の中だ。館同様使われなくなってからしばらく経ってはいるようだが、小柄な人間が3人入る分には十分な強度と広さを残していた。

 とは言え、いかにも人が入っていそうな場所だ。見つかるのも時間の問題だろうな、とレオナは内心独り言ちる。


「もういーかい!」


 ユリアの方は数えるのを終えたらしく、かくれんぼ定番の進行状況を尋ねる声が響く。レオナは確認するように両脇の子供達に目をやると、『準備万端』とい表情が返ってきた。その顔に1つ頷いて、


「「「もう良いよー!!!」」」


「お!レオ達は良いみたい!」


 返ってきた返事に、ユリアが楽しげな反応を見せる。恐らくは同じ鬼役の子に話しかけているのだろう。


「もー良いよー!」「もーいーよ!」


 やがて、レオナらの合図に続くように他の子らも声を上げる。どうやら隠れる側の準備は整ったようだ。


「よーし、どんどん見つけるからねー!」


 同様に判断したユリア達が動き出したらしい。少ししゃがんで棚の下部にある隙間から外を覗くと、遠ざかっていく鬼の気配を感じとることができた。


「はんたいに行った?」


「行った行った。しばらくこっちは安心だね」


 体を起こした玲央奈にカナとは反対の場所に座る少年、タクトが尋ねてきた。


「ま、そんなに広いわけでもないし、すぐに戻ってくるよ。そしたら息を潜めないとね」


「うん!」


 タクトのハキハキとした良い返事が棚の中に鳴り響く。見つかってしまうことを考慮に入れない、子供らしい無邪気さにレオナは柄にもなく口許が緩むのを感じた。 


 それからしばらくはユリアたちが探しに来る様子もなく、レオナたちは退屈を紛らわすようにとりとめのない話をし始めた。

 今鬼をやっているリナはとても怖がりで、普段は絶対鬼をやらないのだとか。でも今日はユリアお姉ちゃんが付いているからきっと平気なんだろう、だとか。


「そうだ、レオナお姉ちゃんは、このお屋敷の名前知ってる?」


 不意に、カナが聞いてくる。


「あたしらここら辺来るの初めてなんだよね〜。廃墟なのに名前があるんだ?」


「あるよ!『ドクシンヤカタ』って言うの!」


「ドクシン…?え、何それ。どんな字書くの?」


「えーっとねぇ、ママは『独りぼっちって意味だ』って言ってた」


「言ってた!」


 仲良く声を合わせているが、言っている内容はなかなか残念なものだと思う。


「文字通りの『独身』かぁ。昔は独身寮だったとか、そう言う話?」


「独身寮ってなーに?」


「まだ分からないよね〜。でも、そうじゃ無いならなんだろ」


「えっとね、変なお話、ウワサ?があってね」


「そこから取った名前なんだって!」


「噂ぁ?」


 まさか、この屋敷に住むの者は生涯結婚することができない、とかじゃあるまいな、とレオナは首を捻る。


「タクトくん、お話ししてあげようよ」


「うん、面白いお話しだもんね!お姉ちゃん、いーい?」


「うん、せっかくだし聞かせてもらおうかな」


 既にかくれんぼに飽きてしまったのか、この場所の話をする気満々の子供達。レオナとしてもそれを断る理由無いと思ったのか、子供達に向き直ってしっかりと聞く態勢である。


「ここはね!入ったら独りでしか出られない場所なの!」


 

            ☆



 その昔、この館は恵まれない子供達を預かり育てる孤児院として使われていた。教会を母体としたこの孤児院は、年老いた神父が1人で切り盛りしていた。皆様々な事情を持ってこの孤児院に流れ着いた子供達ばかりだったが、全てを些細な事として貴賎なく接する神父は、彼らから非常に信頼されていた。

 そんな穏やかな彼らの生活に陰りが差したのは唐突だった。年寄りと子供しかいない孤児院に目を付けた強盗に押し入られ、神父をはじめとする数名が怪我を負い、貴重な金品も奪われてしまったのだ。

 元々裕福とは言えない生活を送っていた孤児院は、少ない財産を奪われた上に怪我人の治療費なども加わり、瞬く間に立ち行かなくなってしまった。

 穏やかだった神父はこの一件以来人が変わったように荒れるようになり、手が行き届かなくなった孤児院はみる間に寂れていった。


 そしてある日の夜ーーー


           ☆



「急にね、僕を刺したんだよ」


「ーーえ?」


 どれくらい時間が経っただろうか。棚の外からユリアの気配を感じられなくなってもうずいぶん経過している気がする。

 だが、レオナはそんなことよりも、目の前にいる先ほどまでとは様子が違うタクトに意識が向いていた。


「いつもお料理を作るのに使ってる大きなホウチョウで、ここをぐさって」


 タクトは、戸惑うレオナに自身の左胸を指し示す。そこには暗がりでもはっきりと確認できるような深い裂傷が入っていた。


「……嘘、ちょっと待って、何それ?……ひっ!?」


 唐突な事態の変化に付いていけなくなったレオナは棚の外へ出ようと後ずさるが、カナに捕まれ身動きがとれなくなる。自身の下半身にしがみつくカナの体は異様に冷たく、それでいて子供とは思えないほどの力でレオナを拘束してくる。


「僕はその時にシんじゃったんだけどね」


「私達はがんばって逃げたの。皆でかくれんぼをしよう、って言ってぜったいに見つからないって思うところに」


 子供達の話は終わる様子を見せない。


「でもね、神父さんお父さん私達のことなら何でも知ってるからどんどん見つかっちゃうの。メグミちゃんはカーテンの陰に隠れてたところを。コウタロウくんは見つかって逃げようとしたところを後ろから」


 言葉を続けながら、カナの様子も変わっていく。暗がりでも分かるほどにその顔色は悪くなり、首が喋るごとにカタカタと揺れている。なんてことは無い、本来繋がっているべき首の大部分が、大きく切り裂かれているのだ。


「私はね…コノタナノ中で見つかっテ…しんじゃったの。オトウサン泣きナガら、ワタシノクビニホウチョウヲ…」


 空気が抜けるような音と共に、彼女の自身の口からその最期が語られる。あまりの光景にレオナは一言も発することができない。

 だが、このまま彼らと共にいるという選択肢も、あり得ないことだった。ありったけの力を振り絞ってカナの体を引き剥がしながら、衣装棚の扉に体重を掛け押し開く。


「ーーっは!……え?」


必死の思いで飛び出したレオナを待っていたのは、すっかり日が落ちて暗くなった館だった。木材が打ち付けられ塞がれた窓から差し込む薄明かりが、荒廃した部屋を照らしている。


「いくら何でも、あの子達の話を聞いていただけでこんな時間になるわけない!」


「オネェチャン…ドコイクノ…?」「隠れてないと見つかっちゃうよぉ」


「ひっ!?」


 背後からの声に振り返ると、開いた衣装棚からおぼつかない足取りで出てくる子供達と目が合った。

 この場にいたらタダでは済まない。即座にそう判断したレオナは部屋の外へ飛び出した。広い廊下にも変わる事なく夜の帷が落ちている。


「ユリアを…見つけないと!」


 子供達の足音は変わらず迫ってきている。そしてーーー


『あははは、お姉ちゃんどうしたの?』『まだかくれんぼ終わってないよ』『ちゃんと隠れてないとダメだよー』『こっちで一緒に隠れようよ』


館中から子供達の声が聞こえてくるのだ。その声は遠いこともあれば、まるで耳元で囁かれているように聞こえる事もある。


「なんなの!? もうやめて! 来ないで!」


 全身にまとわりつくような声に、思わず耳を覆ってしゃがみ込みそうになる。だが、こんな場所で立ち止まっていても事態は好転しない。その思いだけで、どうにか踏みとどまった。


「ユリア! 今どこ!? ここ普通じゃないよ、もう出よう!」


 レオナの声が館中に響き渡る。が、対するユリアからの返事はない。鬼をしていたはずの彼女が声を出さないのは明らかにおかしい。声をあげられない状態なのか、あるいは既に…。

 嫌な想像を振り切るように、レオナは薄暗い館を走り出した。


「ユリア!お願いだから返事して!」


『今度はレオナお姉ちゃんが鬼やるのー?』『うふふふ、まーだだよー』「…けて…」


「え?」


「…れか、たす…て」


「!!」


 相変わらず聞こえる薄気味悪い声の中に、1つだけ様子の違うものが混ざっていることに気がついた。


「ユリア!? ユリアなの!? 返事をして、お願い!」


「…すけて。助けて! ここから出して!」


 間違いない。出所は分からないが、助けを呼ぶ声がする。


「今行くから!そのまま声を出し続けて!」


そう叫んで、レオナは声の出所を探し始めた。



             ☆



「確か、こっちの方から…」


 その後も子供達の声に混じって途切れ途切れに聞こえる優里の声を頼りに館を走り回っていたレオナは、中央に位置する階段を登った先の部屋の前に立っていた。


「助けて!誰か!」


 レオナは古びて上手く開かないドアを強引に開け放ち、中に転がり込んだ。教室一つ分ほどもあるその部屋はこれまで見てきた部屋同様、放棄された建物らしく荒れ果てている。


「ユリア、どこなの!?」


「ここだよ! 私はここ!」


「ユリア!!」


 声は部屋の隅にある背の低い棚の中からしていた。レオナはその棚に飛びつくとその引き戸を開けようとするのだが、


「嘘、鍵かかってる!?」


動かそうとしても金具が引っかかるのかなかなか開かない。


「早く出してよ!何してるの!?」


「待って、すぐに開けるから! …そうだ、光魔法!」


 空いている手に小さな光球を作り出して棚を照らす。すぐに開けるのに支障となっていた金具を見つけそれを外すと、扉を開け放った。

 だが、レオナの目に映ったのは、見慣れた友人の姿ではなかった。


「……うそ」


 開いた棚の中に、声を発していた何者かの影も形もなく、ただ、白骨化した一体の死体が転がっているだけだった。


「うそ…嘘だよ…。じゃあ、さっきまでの声はどこから…」


 狼狽えたように首を振りながら後ずさったレオナの耳元で、突然声がした。


『ねえねえお姉ちゃん、独身館の由来は知ってる?』


『ここはね、入っちゃったら出てくる時は独りぼっちになっちゃうんだよ』


『じゃあね、お友達とみんなで入って、出てこれなくなっちゃった人はどうなると思う?』


 子供らしからぬ悪意のこもった囁きと共に、何か得体の知れない音が少しずつその大きさを増して形となってくる。


「助けて!」「早くここから出して!」「怖い…独りぼっちは怖いよ」「ここから出してくれよお!」「お母さん!お母さんどこ!?」「なんなんだよ!なんでここから出られないんだよ‼︎」「もう良いでしょ、終わりにしてよ!」「くそっ!どうしてこんなことに…!」「もう嫌だ…死にたい…」


ーーーそして、耳をつんざくような悲鳴が部屋に溢れ返った。


 終わりへと誘う子供達の声。全身を包む阿鼻叫喚。既にレオナの心は限界だった。


「いや…いやあ!もう嫌‼︎」


泣き叫び、夢中で館の外へと飛び出した。


ーーー未だ安否の分からない友人を置いて。



                 ☆



 外に出ると、真夏の日差しによって温められた空気が体を包み込んだ。薄暗い施設から飛び出してきたせいか、その眩しさにレオナは目を細める。


「お、やーっと出てきた!おーいレオー」


出口を出てすぐのところに、呑気にもアイス片手にレオナを待っていたユリアの姿を見つけ、密かに安堵のため息をついた。


「めっちゃ怖かったーーーって、うぉっ!急に抱きつかないでよ。アイス落ちちゃうだろー」


 突然自分の腰にしがみついたレオナにユリアが抗議の声を上げるが、一向に離れる様子がないと見てとると、諦め顔で息を吐き、そのまま近くのベンチへと運んでいった。


 ここはベルトルク王国南部に位置するの港湾都市、トリス。その臨海部に設けられたイベントスペースだ。この都市の行政執行部と民間組織を牛耳る老商ハンスが合同で毎年夏に主催する夏祭りに遊びに来ていたユリアとレオナは、その目玉であるお化け屋敷に参加していたのだ。

 生え抜きの子役達が抜擢されたそのお化け屋敷は、孤児院の廃墟を舞台に鬼と隠れる側に分かれ、それぞれ異なる脚本を体験しながら目的地を目指すという特異な形式となっていた。つまり、冒頭の『住宅街を歩いていたら子供達に誘われて~』というところから実はお化け屋敷の設定だった、と言うことだ。


 怖いものが苦手なレオナを半ば無理やり誘って入り最初は楽しんでいた2人だったが、魂が抜けたようにベンチに項垂れている玲央奈の様子から察するに、最後まで愉快な行程とはいかなかったようだ。


「レオさーん、だいじょーぶですかー?」


「………」


 ダメそうである。


「もーごめんて。まさかレオがこんなになるなんて思ってなかったから。ほら、なんでも好きな物買ってきてあげるから欲しいもの言って」


「……ほんんとに?」


「ほんとほんと」


「じゃああのパフェが良い!」


 唐突に体を起こしたレオナが指し示したのは、ハンスからもらったお小遣いが丸ごと吹き飛びそうな値段の代物だった。


「いや、いくらなんでもあれは…ってちょっと!?」


「大丈夫大丈夫!ちゃんとユリアにも分けてあげるから」


「ユリア、レオナ。ずいぶん楽しそうに騒いでるじゃない。…あれ、二人だけ?」


 二人が戯れついていると、大人びた雰囲気をまとった声が掛かる。


「アカツキさん!」


「え? あ、ほんとだ」


 見ると、黒いハイウエストのブリーツスカートに白いシャツという夏らしい私服に身を包んだアカツキがこちらに歩いてくるところだった。

 窮地に現れた思わぬ援軍に瞳を輝かせるユリアと、対照的に障害になり得そうな人物の登場に若干顔を引き攣らせレオナ。

 二人のちぐはぐな反応にもあまり関心を示さず、アカツキは怪訝そうな表情を浮かべながら近づいてきた。


「聞いてよアカツキさん! レオが私のお金であそこのお店のパフェ買おうとするんだよ?」


「は〜、レオナまた? あなたの大人気ないところほんとに治らないわね」


「別に大人げなくなんか無いし」


 頭痛がするかのように頭に指を当ててるアカツキに、レオナは悪びれる様子もない。それを見てさらに声が高くなるユリアを抑えながらしばし『どうしたものか』と黙考していたアカツキだったが、ふと、レオナのすぐ脇にある何もない空間に目をやると、一度思考が停止した。


「ね、レオナたちって今さっきそこのお化け屋敷から出てきたわよね?」


「…何急に。うん、そうだけど」


 急に話の方向が変わり、少し戸惑いながらも肯定したレオナだったが、次に返ってきたアカツキの言葉に、一瞬で凍りつくことになった。


「ーーいや、さっき遠目にあなたたちを見つけた時、レオナと一緒に小さい子が二人、見えた気がしたのよね」


 

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