第11話 敵と味方、それぞれの転機 ①


「うわぁ…、これが前線…」


 生まれて初めて訪れた戦場を前に、レオナは心底めんどくさそうな表情で呟いた。

 大渓谷を遮る北部最大にして最後の砦、第3要塞は今や王国が持てる戦力を結集した一大拠点となっていた。現在は規格化された鉄鎧に身を包んだ王国正規兵に加え、各地から集まっていきた傭兵や冒険者も数多く駐屯している。皆次の戦いに備え、会議や訓練、物資の運び込みなど忙しなく動いている。


「よぁレオナ!まさか本当に来てるとはな!」


 自身の想像力を超えた光景に我を忘れて立ち止まっていたレオナは、馴染みのある声に呼び掛けられて我に返った。


「うそ、ゴルドンさん。本当に会えた…」


「おいおいなんだその顔は。そら戦場に来れば俺には会えるだろうが。それにしても着いたばっかにしちゃずいぶん汚れて…まさかお前、もう一戦やらかしたのか?」


「ああ、うん。補給部隊狙いの連中に奇襲されて。あたしがいなかったら全滅してたよ」


 レオナは自身の体に付いた汚れに目を落としながら、静かに答える。


「そりゃ心強い。けど、まあなんだ…。とりあえず水場に案内してやるから汚れは落としとけ」


「それは正直助かる。あんまり付いてて嬉しいものでもないので」


 僅かに気遣わしげなゴルドンの言葉に、レオナは普段通りの気怠げな様子で首肯しつつ、歩き出した彼に従った。



         ☆



「ゴルドンさんはここに来てどれくらいになるんですか?」


 案内された水場で鎧に付いた血糊を落としながら、レオナは横に佇むゴルドンに尋ねた。


「かれこれ1週間くらいだ。それまではもう少し前線で粘ってたんだがそれも限界になったんでな。噂の勇者様に護衛してもらいながら撤退してきたってわけだ」


「へぇ。じゃあ勇者少年に会ったんですね。とうとうゴルドンさんも勇者少年を直接拝んだんだ」


「おいおい、そもそもあのガキの話を最初にしたのは俺だぞ?それを忘れてもらっちゃ困る」


「なにそれ」


 胸を張った割には大した内容でなかったため、レオナは思わず笑ってしまう。


「そう言えば、当の勇者少年はどこで何してるの?」


「俺達の撤退を助けてからはここでずっと戦ってる。ただちょうど昨日、連中の知り合いとか言うのがここを訪ねてきてな。そいつらと指揮所に入ったっきりまだ出て来てないんだ」


「そらまた変な話だね…。どんな人達だったんですか?」


「訪ねてきた連中か?ぱっと見どこにでもいそうな冒険者っぽかったが…あー、冒険者って割には何かそれらしくないと言うか…。どっかちゃんとしたとこで訓練を受けてそうな気配があったんだよなぁ」


「ふーん?」


 うんうんと唸りながら首を捻るゴルドンに、レオナも疑問符を浮かべる他ない。


「あ、でもそう言えば…」


 もう半年以上も前になるか。行商の際にたまたま出会った冒険者の一団に、自分も同じような感覚を抱いたことを、ふと思い出した。



             ☆



「おーいカケル、リン!」


「このやたらと張りのある声は…」「今の声って…?」


 戦闘から帰ってきて早々、ここで聞こえるはずのない声に、勇者一行の2人は目を丸くする。


「おーい!こっちだよ!」


「やっぱりイゾルデさん!?」


 行き交う兵士達をかき分けて近づいてきた女に、カケルは驚きのこもった声を上げる。

 それは彼が冒険者として歩み出す大きなきっかけとなった人物。短い赤髪に年季の入った鎧姿の女剣士、イゾルデだったのだ。


「どうしてこんなところに?」


「そりゃ、親愛なる友人に会いに…と言いたいとこなんだが、今回は違う。

 ーーーイムカの軍人としてこの戦争の今後について、そちらの司令部と話すために来たんだ」



                ☆



 唐突なイムカからの使者の到来に、第3要塞司令部の王国士官らの間には緊張が走った。そもそも、少数とはいえ敵軍の一部隊がこちらの監視を掻い潜り、要塞内部にまで侵入していたのだ。下手をすれば内部から破壊され、戦うまでもなく最終防衛線が崩壊していた可能性もある。


「侵入を許したことはこの際問題にしても始まらん。だからと言ってこのまま彼らを招き入れても良いのか?」


 士官の1人は厳しい表情でそう言い、広い司令室に集まった他の士官達も判断に苦慮するように黙り込んでいる。


「仰ることは分かりますが、自分は彼らにそのような邪な企図は無いと考えています。…あくまで過去の関わり合いを通しての私個人の所感ではありますが。どうか、お話だけでも聞いていただけないでしょうか?」


「そうは言うがね…。司令、どうしますか?」


先程口を開いた士官が、指令室の上座に位置する司令官、つまりこの要塞における最高責任者に指示を仰ぐ。

 司令官はしばらく瞳を閉じて考え込んでいたが、やがてゆっくりと瞼を開くと、改めて正面に立つカケルと向き合った。


「ホウショウ君。我々王国は、長きに渡って隣国イムカとの戦争を繰り返してきた。領土的野心をもって我々の国に侵攻してくる彼らとの戦いは、基本的に相手方の一方的な都合で引き起こされる非常に身勝手なものと認識している」


「はい」


「そんな彼らが容易く我々の防衛線を突破し潜入しているということは、戦略的にも感情的にも看過できないことだというのは、理解してもらえるかな?」


「…はい」


「その上で、君はあくまでも彼らの話を聞くべきだと、そう主張するのかね?」


「それが、一国家としてあるべき対応だと、拙いながらそう考えています」


 司令官はただ静かに言葉を重ねるのみだが、室内の空気はそれに従って徐々に冷たい緊張に満たされていく。そんな中で僅かに冷や汗を滲ませながらも、カケルは気丈に首を縦に振り続けた。


「ーーーよく分かった。では、話を聞かせてもらうこととしよう」


 しばしの間静かにカケルの表情を観察した後、司令官は厳かにそう告げた。


「本当ですか!」


「本当だ。と言うか、実のところ初めからそのつもりではあったんだ」


「最初から…」


 緊張を解いた司令官の言葉に、カケルは怪訝そうに聞き返す。


「ああ。少し君の事を試させてもらった。戦略的にも政治的にも、どの程度現状を理解しているのかが少し気になったのでな。その点については、よく理解していることが分かったから問題は無いだろう」


「そういう意図があったのですね」


「そうだ。少々意地の悪い形になってしまった事は悪いと思っている。ただ、今の君は国一つを容易く動かすことができるだけの力を持っている。それを自覚して欲しかった。ーーでは、いつまでも使者殿を待たせておくの悪いからな。そろそろ参上していただこう」


 そう言って司令室の端に控えている兵士に合図を送ると、彼らは敬礼の後に慌ただしく外へと向かっていった。



             ☆



 司令官の号令から少しの時が経ち、王国の兵による厳戒態勢の下、イゾルデらが部屋に通された。長机に並ぶ士官達に向き合うようにして立ち止まったイゾルデらは、最後に恭しく跪いた。

 その間、カケル達はその様子を部屋の壁際で心配そう眺めている。

 やがて警護のための兵士達も所定の位置に移動し終えたのを見計らって、副司令が口を開いた。


「双方準備は整ったと見える。では使者殿、始めていただきたい」


「はっ!」


 呼びかけに対しイゾルデは張りのある声で応え、そのままの姿勢で話し始めた。


「まずは、正式な手順も踏まずに、不意打ちのような形での訪問になってしまったことを深くお詫び申し上げます。そしてこのような事態に際し、謁見の場を設けて頂けた厚意に心より感謝いたします。

 私はイムカ連邦軍統合司令部の元総司令官、イゾルデ・セーズという者です。

 此度は私の主であるイムカ議会議長、ナキア・ニル・イムカの名代としてこの戦争を終わらせるために参上しました」


 『戦争を終わらせる』。その言葉は部屋中に混乱をもたらすには十分な威力を持っていた。

 と、騒つく彼らを手で制し、司令官がゆっくりと、それでいてどこか穏やかな口調で話し出した。


「…なるほど、趣旨は理解した。ところで、イゾルデ殿は相変わらずそんな貧乏冒険者のような姿で活動しているのだな」


「まあ、こちらの方が色々とやりやすいこともありますから」


 司令官の思わぬ軽口に、若手の士官や兵士らには緊張が走る。が、それを受けたイゾルデ自身はいまだ跪いてはいるものの、僅かに顔を上げて笑みで答えた。


「堅苦しいのはここまでで良いだろう。早速本題に入ろうか、イゾルデ殿」


「話が早くて助かります、司令官」


 やけに親しげなやり取りを交わす2人に、事情を理解できない者を中心に疑問の空気が立ち込める。その空気に答えをくれたのは、司令官の側で控えていた副司令だった。


「イゾルデ殿と司令は旧知の間柄なのだ。そして彼女は過去に何度も両国の和平に尽力してきてくれた。信用して問題ない」


 若干溜息混じりに告げられた言葉に、室内は徐々に静かになっていった。


「それで、和平というのは?言うほど簡単なことではないのは言わなくても分かっているだろうが?」


「それがそうでもなんだ。そちらが保有する『勇者』がいればね」


 司令官の疑問に、イゾルデは得意そうな笑みで壁際に立つ少年を指した。


「…俺ですか?」


「ああ。ーーー君には、うちの首都でクーデターを起こしてもらいたい」

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