第10話 喧嘩っ早い
ワイヤレスイヤホンを両耳につけて、日曜日の時間をベッドで穏やかに過ごす。
4分の3拍子が俺の世界を落ち着かせてくれる。
振り返れば、凄まじく密度の濃い1週間だった。
まず同じクラスメイト美須さんの超高級カッターナイフを拾った。
勘違いで謎の集団に誘拐されて、初めて喋って、無事に脱出。
落とした学生証を届けてくれた、少し、いやだいぶと変わっている円先輩と出会う。
謎の組織に札束が入ったお詫びのお菓子を押し付けられてしまった。
そして、運転手……あのお金を返したおじさん、怖かったな。
威圧的な怖さじゃなくて、なんというか空気がビリビリするような冷たさを感じて、ただの運転手じゃない気がする。
でもあの人、ワルツを聴いていたよな。
偏見だけどああいう系の人がワルツを聴くなんて意外すぎた。
スマホのプレイリスト画面を覗き、あの人が聴いていた曲を探す。
優雅な感じの曲調で、始まりなのか中間なのか分からない。
うーん、と唸っていると、スマホの向こうで俺を見下ろす母さんの姿が見えた。
イヤホンを外す。
「え、なに?」
母さんは腰に手を当て、不服そうに俺を睨む。
「さっきからノックしてたのよ、イヤホンは片耳だけにしときなさいっていつも言ってるでしょ」
「分かった……で、どうしたの?」
日曜日ぐらいワルツに浸らせてくれてもいいじゃん。
母さんは呆れながらも、下を指して、
「友達が来てるわよ。アンタ、友達いたのね」
言い方ヒド……。
そうだよ友達なんていない、俺にあるのはワルツだけだ。
「え?」
友達?
「美人な子よ。一瞬彼女ができたのかと思ったけど、アンタだからねぇ」
我が子を残念そうに見ないでよ……。
美人な子って、まさか、俺はベッドから飛び上がった。
慌てて鏡にしがみつく。部屋着、こんなジャージで出たら、冷ややかな目で見られるに違いない!
「ふ、服!」
「なになに青春? さっさと済ませなさい」
大慌てな俺を放置して、呑気に母さんは部屋から出て行く。
長袖パーカーとチノパンに着替え終え、今度は髪だ!
ワックスを両手にべったりつけて、ツーブロックに無造作な感じのマッシュショートを整えた。
よし……これで大丈夫なはず。
俺は階段を駆け下りて玄関へ急いだ。
靴を履きながら扉を開けると、ブラウンの大きな瞳が真っ先に視界に映り込んだ。
くぼんだ目元、高めの鼻と整った顔立ち。
サラサラのストレートブロンドヘアの上にサングラスを乗せている。
縁遠いブランド物、レースの黒ブラウスから微かに透けている素肌と袖なしインナーと、ベルトできゅっと締めている短めの軽やかなスカート。
「やっほ、永利君」
「……ど、どちら様?」
「ひっどーい、ニアだよー」
唇を尖らせるようにして、眉を下げている。
制服姿しか見たことがないから、余計にセレブ感が増し増しな気がする。
本当にセレブなんだ……美須さん。
「あのー、それで、どう、したの?」
「せっかく友達になれたし、お礼も兼ねて遊ぼうかなぁって」
「え、今から?」
「うん」
ニコニコと頷く美須さんに、俺の内面はぐちゃぐちゃに混じり合ってどういう表情を見せたらいいのか悩んでしまう。
友達って言われて、遊びたいって誘われて、嫌なわけがない。
でも、しんどいなぁって思ってしまう俺がいる。
「あー……その」
「ほらほら悩まない! 遊ぼっ」
「え、ちょ、待って」
「待てない!」
強引に手を外へ。温かい手が俺を包み込んで、引き込んでいく。
玄関の扉が閉まる。
もう戻れない、そんな錯覚に頭は混乱している。
前を向き直すと嬉しそうに笑う美須さんがいた。
無邪気に誘う未知な存在に釣られて、俺の口角は微かに動く。
まぁ……たまには、いいかな。
「それでね、今日はもうひとりスペシャルゲストがいまーす」
「え……」
スペシャルゲスト……嫌な予感がする。
美須さんは道に出て、塀で隠れている誰かを引っ張り出す。
黒髪をおさげにして、あからさまに不機嫌な表情を浮かべている黒野さんが……。
や、やっぱり。
「うっ」
「うっ、て何よ! 切原!!」
パーカーの首元を手繰り寄せられ、体は勝手に睨む黒野さんの前へ。
「ご、ごめんなさいぃ」
「私だってアンタと遊ぶなんて知ってたら断ってたわ!」
「ヨーちゃん、ケンカはダメ」
「はっ、ケンカなんかしてないわよ。大体こんなひょろいの、私でも勝てるっての」
押し倒す勢いで突き放されて、俺はよろけてしまう。
確かに、勝てる気がしない。
「さ、気が変わらないうちに行こ行こ。今日は予約してあるレストランがあるからそこでまずランチして、それからそれから」
美須さんが練り上げたワクワク感満載な1日のスケジュールを話し出す間、黒野さんは俺を舌打ち込みで睨んでくる。
「ニアに変なことしたらはっ倒すからね」
「し、しないよ」
生きて帰れる気がしない……――。
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