ワルツが趣味で聴いていたらカッターナイフを拾ってヒーローになる話
空き缶文学
第1話 一匹狼 切原永利
「
母さんの呆れたような怒声が部屋まで聞こえ、渋々ベッドから起き上がった。
Tシャツを脱いで、学生服の襟シャツにグレーのパーカー、学ランのジャケットを掴んだ。
スクールバッグ(以降鞄と呼ぶ)に本とか財布とか入れて、特に重要なワイヤレスイヤホンもしっかり確認して入れた。
鏡に映るのはまだ眠たい漆黒の瞳、ツーブロックにした無造作な感じのマッシュショートをワックスで整える。
小さく息を吐いてリビングへ。
「おはよう、さっさとご飯食べちゃいなさい」
「おはよう……分かってるって」
焼いた食パンに目玉焼きと野菜ジュース。
母さんはバタバタと忙しく、仕事に行く準備をしている。
よく仕事を転々としているが、今は警察署の食堂で落ち着いているみたいだ。
母さんはスマホの着信に笑顔で出た。
「おはようダーリン。今日も仕事頑張ってね、うん、そうよ」
やたら嬉しそうに、最近できた彼氏に夢中だ。
写真を見せてもらったことはある。
スポーツ刈りで柔道やってそうな体格と四角い輪郭、頬には物騒な縦一線の傷ができてた。
印象としては凄く怖そうってところ……確か、刑事だったかな。
再婚するとか言われたら、俺、一緒に住めないかも。
完食した後は我が家のルールに則り『自分で食べた物は皿洗い』を実行中。
歯を磨いて、学ランを少し着崩し、弁当を入れて、今も通話中の母さんを通りすぎて玄関へ。
「いってらっしゃい」
通話してる最中に、わざわざどうも。
「……行ってきます」
ボソッと返して、俺は家を出た。
徒歩通学の俺は早速ワイヤレスイヤホンとスマホをBluetoothで繋げて、お気に入りプレイリストを選んだ。
片耳に入れて、流れ出る4分の3拍子。
哀愁漂う明るくない曲調が心地良い……なんだかこれだけで今日の調子が良くなる。
道路に出ると同時に自転車のベルが鳴り響き、ブレーキの摩擦も強く響く。
俺は思わず体をビクつかせてしまう。
何事かと顔を向けると、黒髪をおさげにした女子が自転車のブレーキを握って止まっていた。
俺を見下すように睨んでくる。威圧的で、怖い。
「
「ご、ごめんなさい……」
反射的に謝ると、フン、と鼻息を残してまた自転車で走り去っていく。
なんだよ……そこまで言わなくていいじゃん。
確か、
俺にだけやたらキツイ印象がある。
今ので調子だだ下がり、最悪。
気を取り直して進もうとすれば、今度は信号待ちのおばあちゃんが前にいた。
重たそうな荷物を押し車に乗せて、青信号になっても歩き出しはゆっくり。
「荷物持ちますよ。重いと押しにくいですし」
そう言うのはどこかのサラリーマン。
荷物を持って、おばあちゃんの速度に合わせて歩いている。
「まぁまぁありがとうねぇ」
「いえいえ」
感謝を言うおばあちゃんは嬉しそう。
なんか、なんとなく、居心地が悪くて俺は早足で通り過ぎるしかなった。
「……」
休憩時間……――。
やっと至極の時間、ワイヤレスイヤホンを両耳につけて、中庭のベンチに座っておにぎりを食べる。
耳に流れるのは、学生同士のくだらない会話じゃなくて最高にクールなジャズワルツ。
ソプラノサックスが奏でるなか後ろから聴こえるピアノの緩やかなリズムが心地いい。
はぁー幸せ、これほどまでにない幸せがここにある! 誰にも邪魔されず、ワルツを堪能できるんだ。最高!!
音楽理論なんかよく分かってないけど、とにかく、ワルツを聴いている時が凄く落ち着く。
入学当初からこれを貫いているからか、俺に話しかけてくるやつはゼロに等しい。
ただの可哀想なぼっちと思われているかもしれないが、俺自身は気楽でいい。
今朝の黒野さんみたいに強く言われるのが大の苦手だ。
ずっとずっとワルツだけ聴いて生きていたい……――。
スマホをいじっていると、人影が横目にちらついた。
ベンチから見える渡り廊下に目線を向けると、サラサラと流れるようなストレートブロンドヘアの毛先を揺らし、小走りで通っていく女子。
制服越しからも分かる膨らんだ胸にメリハリのあるくびれ、ブラウンの瞳、鼻が高めの整った顔立ち。
背丈は俺とそんなに変わらない。
いつもあの黒野さんといる、えと、確かクラスカースト上位にいる
噂だとセレブ一家とか? 戦後に解体されるまで貿易の財閥だったとか?
もし本当だとしたら、なんで普通の高校にいるんだろう……。
スマホから流れるジャズワルツのプレイリストが最後の一曲を終えた。
時刻はもうすぐ次の授業が始まる5分前、はぁ……もうこんな時間か。
渋々ベンチから離れて、教室に向かう。
イヤホンをつけながら歩くと先生に怒られるから充電器にしまっておく。
それでも残響音みたいにワルツが頭に流れていて、心地よく思わず全身でリズムを取りそうになる。
電気の明かりが反射している床を見ながら歩いていると、宝石みたいに光る何かが視界に入った。
先端と後ろに金の装飾と、グリップには高級感たっぷりの光沢ある木材が使われている……カッターナイフが何故か落ちていた。
こんなの誰が使うんだよ。
でも、間違いなく誰かの落とし物だよな……。
『まぁまぁありがとうねぇ』
信号を渡るおばあちゃんの感謝が浮かび上がる。
それとなく、俺はカッターナイフを拾った。
刃は、折れるタイプじゃない、切れ味が鋭そうなまるで日本刀みたいだ。
マジマジとグリップを眺めると、そこには文字が彫られていた。
「ニア……美須……美須さん?」
え、美須さんってこんなの持ってるの? ていうか、校則違反じゃ?
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