第25話 次のこと

「切原ぁ」


 ドスの効いた低い声で俺を踏みつけ、あまりの威圧に思わず正座してしまった……。

 登下校の道で、ワイヤレスイヤホンを恐る恐る外した。


「は、はぃ、な、なんでしょう」


 身に覚えがないことで責められているような気がするんだけど、なんで俺が怒られてるんだ。

 自転車から降りた黒髪を二つ結びにしたおさげの黒野さんは腕を組んで、さらに俺を見下す。

 大した重力じゃないはずなのに顔が上げられない。


「ニアとカラオケに入ったそうね」


 怒声じゃない、ナイフで切り込んでくるような静かな声。

 一体どこで仕入れた情報なんだろう……。

 

「美須さんが行ったことがないって言ってたから、その、行きました」

「変なことしてないでしょうね?」

「してません、断じて、俺は何も!」


 首に力を入れて、黒野さんと目を合わせた。

 すると、黒野さんの背中からひょっこり顔を出す、ストレートのブロンドヘアと大きなブラウンの瞳、目元のくぼみ。制服越しでも分かる胸の膨らみと腰のくびれ。


「おはようヨーちゃん、永利君」


 黒野さんは一瞬目を大きくさせて、慌てて振り返った。


「ニアっ!?」

「お、おはよう」


 助かった……俺はよろよろと立ち上がって、美須さんに挨拶を返す。


「ヨーちゃん、いくらなんでも外で正座なんて」

「勘違いしないで、勝手に正座したのは切原。ニア、男と2人きりでカラオケとかそういうところは行かない方がいいわ」

 

 ニアは少し眉を下げて傾げた。


「2人きりじゃなかったよ、変な先輩と変なおじさんも一緒だったから大丈夫」

「どういうこと? 切原っ!」


 顰めた黒野さんは腕を組んでまた俺を睨む。


「……同じ学校の先輩と、顔見知りのおじさん、かな。えと、成り行きで」


 まぁ前半はいた。もうあんな空間はごめんだけど。

 黒野さんは軽く唸ってから、小さく息を吐き出す。

 自転車を押し歩き、黒野さんの背中が離れていく。

 美須さんは俺の袖を掴んで引っ張り、


「ほらほら、3人で行こ」

「え、う、うん」


 相変わらず躊躇ないくらい近いし、胸が当たってます。

 俺の心臓が痛いくらいドキドキしているってこと分かってほしいよ。

 さらにグイッと引っ張られてしまい、少し前屈みになってしまう。横を向けば美須さんが口に手を添えてこっそり呟く。


「カラオケでの話、内緒、だよ」

「は……はひ」


 ほのかな香りに鼻腔がくすぐられ、さらに耳を敏感にさせるコソコソ話に、返事が裏返った。

 あれ、あんなに仲良いのに、黒野さんには教えてないんだ……。






 休憩時間、俺は自分の時間を確保する為にいつもの中庭に急いだ。

 ワイヤレスイヤホンを持った、スマホも、弁当もオッケー。

 ワルツに浸れる至高の時間! これだけは譲れないんだなぁ。


「や、切原君と」


 当然のようにベンチに座って待っている、ヘッドフォンを首にかけた円先輩が。

 凛と背筋を伸ばして、どこか面白そうに微笑し、購買のパンを持っている。


「永利君の時間を邪魔するのは良くないんじゃないですかっ」


 それは、背後から。


「美須家の人」


 円先輩は特に嫌な表情もみせずに手を振った。


「え……あ」


 振り返れば、美須さんがっ?!


「邪魔なんかしてないよ。お互いの好きな音楽について語ってるだけ」

「永利君は1人で聴きたいんですっ」

「そう言われてもね、貴女が来たら余計に目立つよ。美須家の人」


 周りは美須さんに注目し、セレブ、美人、泥沼の関係? そんな声が聞こえてきた。

 俺が注目を集めているわけじゃないのに、気分が悪くなってきて、血の気が下がっていく。

 ダメだ、この感じ、この声……――。


「うぅ」

「切原君、困ってる。美須家って有名なんだから、さ」

「先輩だって」

「待った待った、こんなところで美須家と言い合うつもりはないよ。切原君の為を思うなら教室に戻って。私も目立ちたくないし」

「……うぅ」

「それとも私に話でもあるのかな?」

「大アリです! 放課後、中庭で!」

「はぁ……音楽室の隣にある準備室でもいい? そこなら人気もないし、いいでしょ」

「じゃあちゃんと待っててくださいよっ」



 静まり、いつもの空気に戻ったのを感じ取り、同時にハッと我に返った。

 気付けば俺はベンチに座って弁当を食べている状況。無意識?

 空になったパンの袋を畳んでビニール袋に入れている円先輩が隣に座っている。

 ヘッドフォンを耳にあて、趣味のジャズワルツを聴いているみたいだ。

 いつもの余裕のある横顔が微かにだけど曇っているような気がする。


「あ、あのー」


 聞こえてないだろうから、横から小さく手を伸ばして振ってみた。

 俺の手が映り込んだのか円先輩は顔を上げる。

 円先輩はヘッドフォンを首にかけなおし、


「やぁ、切原君、やっと起きた?」


 意味深い口調で微笑んでいる。


「寝てないですよ、あれ、美須さんは……」

「用事があるから戻ったよ」


 この前、カラオケでのやり取りがあるから心配だ。

 それに、円先輩は円舞会の関係者なんだ……あの運転手さんと顔見知り。


「あの、円先輩は」

「切原君」

「は、はぃ」


 そっと立ち上がった円先輩は俺を優しい感じに見下ろす。


「放課後、音楽室の隣にある準備室に来てね」


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