第15話 救出劇

 今俺は、自転車の後ろに乗っている。

 片手で持つ液晶モニターに表示されているレーダーは美須家が使用しているシーマと呼ばれる高級セダンの現在地が分かる。

 警察や先生に見られたら最悪な事態になるかもしれない、そんな焦燥感と、とにかく美須さんを助けないと、という感情が鍔迫り合い。

 前を向けばサドルから腰を少し浮かせて一心不乱に漕いでいるセーラー服の後ろ姿が目の前にある。

 黒髪のおさげが風に揺れ、いい香りもする。

 どんどん2車線の道路へと出ていき、見慣れない交差点近くまで、


「にああぁあああああ!!」


 黒野さんは、美須さんの名前を叫びながら漕いでいる。

 風を切るように自転車は走っていく。

 なんという脚力、蹴られたらひとたまりもない。

 自転車の荷台を掴んでいないと振り落とされそうで、俺はしがみつきながらレーダーも見ないといけない。


「黒野さん! つ、次を左に!」

「うろおぅありゃうあ!」


 エグイぐらい左折が強く、遠心力で吹き飛ばされかねない!


「ぅあうあぁあ!」

「うっさい切原!!」


 そんなこと言われても! このまま落ちたら地面で体削れて悲惨なことになるじゃん!!

 曲がり切って自転車は真っ直ぐになり、持ちこたえた。

 ふぅ、と安心したのも束の間、俺の右手にあったはずのレーダーがなくなっている!?

 しまった、さっき曲がるときに落としたかも……。


「このまま真っ直ぐ?!」

「あ、いや、ごめん、黒野さん……おとし、ちゃった」

「はぁあああ?!」


 きっと睨んでる、いつもの怒声まで浴びせられてびくついて萎縮してしまう。

 あんな無茶な運転するから……でも言えない、言ったらもっと怒る。

 どうしよう、美須さんを乗せた車はどこに。

 辺りを見回すと、見慣れない土地のはずなのに、記憶に残っている工場のような建物が目に入った。

 大型トラックがいくつもあって、他にも軽貨物車が並んでいる。


「あ、黒野さん、あそこ」

「なに? え、舞曲まいまがり運送さんのところじゃない」

「まい、なに?」

「舞曲運送。街中でも結構見かけるわよ」


 言いにくいし、あの読めない字体は舞曲って書いてあるんだ……。

 いやいや、そんなことはどうでもよくて、誘拐された時の場所に似ている。


「もしかしたら、ここにいるかも。ここ、前に誘拐された場所に似てるから」

「違ったら叩くからね」

「うぅ……」


 嫌なことを言う。

 自転車を降りて、隅っこに寄せた。

 黒野さんのどこか切迫した表情と薄っすらと濡れた肌が、どこか色っぽくて、心臓はドクドクと音を鳴らす。

 黒野さんは隠れることなく真正面から運送会社へ入っていく。

 そんな堂々と……。

 トラックの奥には屋根がついた広い場所があり、大きな紙袋に包まれた荷物がたくさん積み上げられている。

 音がよく響き、ちょっと靴が地面と擦れるだけでもよく聞こえる。

 砂利を踏み潰すような靴音が響き渡り、俺は黒野さんの手首を掴んで大型トラックの下へ。

 息を潜めて、近づいてくる靴音に耳を澄ます。

 高そうな革靴とスーツの足元が2人分、通っていく。

 やっぱり、ここだったんだ! 美須さんはあの事務所みたいな部屋にいるかもしれない。


「兄貴はいつ戻るって?」

「もう近くまできてるみたいです」


 すぐに来るなんて、急がないと……美須さんが危ない!

 声を出したらすぐに気づかれそうだから、俺と黒野さんは黙って前へ進む。

 大型トラックの下をくぐりながら、例の事務所みたいな部屋の近くまでたどり着く。

 部屋の前には椅子に座っている作業着の中年男性。

 窓から明かりが漏れていて、何人かいるみたいだ。

 1人が扉を開けて部屋から出てきた。

 作業着姿で、白髪交じりの渋いおじさん。


「えらい肝が据わったガキだなぁ」


 手には、光沢のある高級感たっぷりな木製グリップ。

 見覚えのある形に、俺は目を丸くした。

 美須さんの大事なカッターナイフ!


「なんすかそれ、あのお嬢さんが持ってたんです?」

「あぁ、これは友好の証なんだと。美須大刀だいとうが社長に頼んで作った唯一無二の代物。円舞会と美須家の繋がりを表すってところだな」


 円舞会? 舞曲運送の別名?


「なんでまたカッターナイフなんすかね」

「社長と荒川君しか知らんさ」


 荒川君? 次から次へと新しいことが耳に入ってきて混乱してしまう。

 いや、それよりもカッターナイフを取り返さなくちゃいけない。

 でも、どうやって……。

 渋いおじさんはカッターナイフを持ったまま外へと歩き出した。

 歩いていくおじさんの足を目で追ってしまう。


「……」


 ジリ、そんな砂利を踏む音が耳の近くで響き、俺は隣にいる黒野さんを見た。

 けど、隣に黒野さんはいない。

 あれ? どこにいった?


「なんだお嬢さん、ここは関係者立ち入りきんっ!!」


 慌てる声と衝撃音が静かに響き渡った。

 前を向き直すと、目に入ったのはセーラー服のスカートが捲れることも気にせず右脚を思い切り上げて、椅子に座っている中年おじさんは天井に顔を向けて仰け反り、だらんと気を失う。


「く、黒野さん!?」

「隠れて行動するなんて性に合わないのよ、私」


 いやいや相手は誘拐犯ですよ、黒野さん。

 何されるか分からないんだから、慎重に行動した方がいいよー。

 手招かれて、俺はキョロキョロと辺りを見ながら狭いトラックの下から頭を出す。


「なんだ今の音」


 しまった気付かれた?!

 この渇いた声、さっき歩いて行った渋いおじさんだ。

 どどどど、どうしよう、俺は慌てて頭を引っ込め、おじさんの足の動きを観察する。

 トラックの下にいる俺を通り過ぎていく足元。


「あ、ぉ、どうした、お嬢ちゃん?」


 平静を装うおじさんの、少し戸惑う口調が聞こえた。


「友達を助けに来たに決まってるでしょ」

「あ、いや、今この部屋で大事な会議してんだ、訳の分からねぇこと言ってないでさっさと帰んな」


 タイミングを見て飛び出す! 


「なっ?!」


 振り向いた渋いおじさんは、俺を見るなり驚いていた、気がした。

 何千回、何万回と見てきた格闘の動画を真似してマネキン相手にしていた締め技。

 右腕を首に回して、左腕で後頭部を抑えつける。

 一緒に後ろへ倒れ、もがくように足をバタバタさせて、俺の右腕を2回タップ。

 ギブアップを知らせる合図に俺は腕を緩めてしまう。


「げほぉ、ぐご……ちょ」


 渋いおじさんの胸ポケットに見えた高級感たっぷりのカッターナイフに俺は手を伸ばす。

 間違いない『ニア・美須』って彫ってある……良かったぁ、これで一安心。

 まだ立ち上がることができず苦しそうに酸素を求めている。

 本当にごめん、おじさん!


「切原のカッターナイフ?」

「え、う、ううん大事な物。美須さんの」

「あっそ、まぁいいわ、ニアを助けてさっさと帰るわよ!」

「うん」


 部屋の扉を開けると、口をテープでふさがれ、両手足を頑丈に縛られている美須さんがいた。

 さらに、監視している黒服の人が。


「あぁ!? なんで、こんなとこに……あ、あぁああああ⁉」

「うっさい!!」


 容赦のない俊敏な蹴り攻撃が、黒服のみぞおち付近へ入り込んだ。

 呻きながら床に倒れ、黒服は身動きがとれなくなる。

 こわ……。


「大丈夫? 美須さん」


 俺は美須さんの口を塞ぐテープを、ゆっくり剥いだ。案外取れやすい、肌に優しいタイプのテープみたいだ。

 ブラウンの大きな瞳は輝かせて、


「永利君、ヨーちゃん! ありがとー!」


 嬉しそうに名前を呼ぶ。


「とにかく早くここから逃げるわよ。もうすぐ兄貴って奴が来るみたいだし、ほら切原急げ!」


 両手両足を縛るロープをカッターナイフで切り、自由になった美須さんの手を引っ張り、一緒に部屋を脱出。

 自転車を置いた場所まで急いで逃げたのと同時に、2tトラックが舞曲運送へと入っていくのが見えた。

 運転手は、緑のキャップ帽子を深く被っていて顔はよく見えない。でも、鍔の奥で鋭く睨むような冷たさのある眼差しが漏れていて、寒気を覚えてしまう。


「うわぁーん、もう今回はダメかと思った!」


 2tトラックに目を奪われていたら、突然に胸に柔らかい衝撃と香りが!?


「ひゃぃっ?!」

「またまた助けてもらっちゃって、本当にごめんなさい……私だってさっさと警察に通報すればいいのにって思うんだけど……どうしても両親がダメだって言うのー」


 首の後ろに美須さんの細い腕が絡む。

 密着してる、美須さんの膨らみとか、いい香りとか、声とか全部近いよ!!


「切原! 変なこと考えてんじゃないでしょうね⁉ ていうかニアも離れなさい!」

「か、んがえ、てなぃー」


 そんな怒られても、だって、だって、考えたくなくても考えるってば!


「あ、ごめんね永利君」

「う、うん、だ、だ、大丈夫」


 大丈夫じゃない。


「さっさと帰るわよ、こんなところにいたらまた目をつけられる」

「うん、でも良かった美須さんが無事で……これ、大事な物」


 少し急ぎながら運送会社から離れ、俺は美須さんのカッターナイフを返す。

 美須さんは無邪気に微笑んでカッターナイフを受け取り、


「ありがとう……良かったぁ」


 ホッとした安堵感たっぷりの感謝に、また、潤う感覚が心臓に来る。


「あ、そだ、お昼ご飯、いつも無理に誘ってごめんね」

「え……あ、いやぁ、その、俺の方こそごめん、いつも断って」


 そういえば今日のお昼にそんなことがあったや。

 もう誘拐事件のことで全部吹き飛んでしまったから、忘れていた。


「ヨーちゃんがね、注目されるのが苦手だから、誘う時はそっと誘った方がいいってアドバイスしてくれたんだよ」

「ちょっとニア、それは私がいないところで話して」


 ふん、と背中を完全に向けて早歩きになる黒野さん。

 確かにその通り。1人で食べたいし、誰からも注目されたくない。

 黒野さんは俺のこと、色々と知っているんだ……でもなんで、俺は覚えてないんだろう……――。




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