第16話 それぞれの考え
「え! そうなの?」
目を丸くさせて眉を下げている母さんは、頬に手を添えて彼氏と通話中。
なんか、深刻そう……。
何度か相槌を打って「気を付けてね、ダーリン」で通話が終わる。
俺は朝ご飯のトーストと目玉焼きを食べて、野菜ジュースを飲む。
「永利」
「なに?」
母さんの目がじっっ、と俺を不安げに見る。
「最近不審な黒服の人達がうろうろしてるから、注意した方がいいって彼が連絡してくれたのよ」
「へぇー」
黒服……例の円舞会っていう暴力団のことなんだろうな。
学校にあんな高級車で来たら不審すぎる。
「永利、黒服の人を見つけたらすぐに離れなさい。それで私に連絡しなさい」
なんで母さんに?
「え、なんで?」
「ダーリンがすぐに動いてくれるからよ」
「……分かった」
ホッと安心したように息をついて、母さんは仕事に行く準備を再開。
なにが『ダーリン』だよ、あんな強面に助けてほしくなんかない。
俺の知識だけの格闘技で相手をタップさせたんだから、大丈夫だ。
そういえばあの時、ニアさんに抱きしめられたなぁ……。
「永利! にやけてないでちゃっちゃと食べて学校に行きなさい!」
いい思い出に浸るぐらい別にいいじゃん!
皿洗いを済ませて、追い出されるように玄関へ。
「じゃあ気を付けて行ってらっしゃい」
「……行ってきます」
車に乗り込む前に母さんは俺を見送る。
境目のない道路の端を進み、俺は片耳にワイヤレスイヤホンをつけて、スマホにBluetoothで繋げた。
哀愁漂う重厚なワルツが片耳に流れて、俺の心はスゥーっと落ち着いていく。
「さん」
やっぱりいいなぁ、最新の邦楽とかも全然ありだけど、ワルツは何万回と聴いていられる。
「永利さん」
ん? 誰かが呼んでる?
振り返ってみたけど、誰もいない。え、なに、気のせいかな。
まぁ、いいか。俺は前を向き直して歩く。
「永利さぁぁん」
「ぅああぉあ!?」
作業着姿の男性が目の前に!?
腰がよろけて地面に座り込んでしまい、低い位置から見上げればさらに威圧的で大きく思えた。
「しーっ、そんな大きい声だしたら近所に怪しまれるでしょ」
ぼさぼさ頭で眠たげな目つきの人は、20代前半ほどのお兄さんで、キョロキョロと辺りを見回して誰もいないことに胸を撫でおろして、俺に手を伸ばす。
「……ど、どもっす」
お兄さんの手を掴んで、ゆっくり立ち上がる。
「永利さん、とりあえずこれ、受け取ってください」
掴まされた小さな茶色の紙袋。
「え、あの」
「そんじゃ、頼みますよー」
あっという間に離れていき、お兄さんが小さく見えるぐらい遠くなる。
俺の手元にある謎の紙袋……しかも名前が知られていて、背中が寒く感じた。
円舞会の人、なんだろうか、それとも舞曲運送の人? どっちも一緒かもしれない。
今ここで紙袋の中身を見る勇気がなくて、鞄にしまいこんでしまう。
お昼になって、いつもの中庭のベンチで、手元にある紙袋を眺める。
おにぎりと玉子焼き、切れ目をいれて焼いたウィンナーが入った弁当を食べ終え、俺の両耳は大正浪漫をテーマとしたワルツが流れている。
名探偵でも現れそうな世界観に溢れた曲調。
その中で、謎の紙袋を開封すべきか悩んでいる状態……。
『そんじゃ、頼みますよー』
頼みますって一体何を? それを知るにはこの紙袋を開けるしかないってことで、俺はそっと小さく頷いた。
指先で紙袋の口を開け、隙間から目を細くさせて覗き込むと、薄っぺらいカードみたいなのと、封筒、それから個包装された焼き菓子が1個。
前のような札束ではないことにホッとして、紙袋からまずは薄っぺらいカードみたいなのを取り出す。
ギフトカードだ、しかも1万円分。
音楽サイトで使える物……俺が普段ワルツを購入しているサイトと同じ。
どこまで俺のことを調べているのか、ぞぞぞ、と背筋が冷えて震えてしまう。
それからこの焼き菓子は、ミニケーキで、前に円先輩が俺にくれたのと一緒だ。
そしてそして最後、謎の封筒。
封筒から1枚の3つ折りされた紙を取り出した。
広げてみると、ワードか何かで打ち込んだ文字。
『切原永利様へ、貴方に危害を加えるつもりはありません。美須家と我々の問題でございますので、どうか普段通りの学生生活をお送りください。決して美須家の次女であるニア様にも危害を加えることはありませんのでご安心くださいませ』
関わるなってことなんだろうけど……美須さんって次女なんだ……。
1曲が終わって、2秒ほどの無が生まれた瞬間、
「やぁ、切原君。何を読んでるの?」
紙がくしゃって、なるぐらい俺の両手が合わさった。
「……い、いきなり背後からは驚きますってば」
ワイヤレスイヤホンを両耳から外し、充電器に戻す。
ベンチの後ろには、凛とした表情で背筋はピン、と立つ円先輩。
パーマじゃない自然にゆるくカーブしているミディアムヘアに、秘密を隠すような笑みを浮かべる円先輩は俺の隣に、いつものように座る。
「なんか、変な手紙を貰いまして」
「ははぁ、変な手紙かぁ……どれどれ」
俺の手首に触れる温かい指先がくしゃくしゃになった紙を広げた。
ちっかぁあああい!
円先輩の髪や横顔が近くにある! 良い香りがする!
「はーん、ほーん、なるほど」
「……は、はぃ」
円先輩は紙袋からギフトカードを抜き取り、ヒラヒラと動かす。
「お詫びを兼ねた手紙ってことか、不器用……」
ボソッと漏れた円先輩の呟きが、俺の耳にも届いた。
「ど、どどど、どういうことですか?」
「心配してるってことだよ」
心配してるってなんだ……どう読んでも関わるなってこと以外分からないし、本当だとしてなんで円舞会の人達に心配されているんだろう。
円先輩はギフトカードを俺の胸ポケットに入れて、焼き菓子を取る。
「解読した報酬、いただき」
「え、えー」
別に解読なんて頼んでないです。
放課後になって、俺はいつものように裏門から帰ろうとした。
裏門の近くに寄せて停まる高級セダンのシーマが見えて、俺はビクッと肩を跳ねさせてしまう。
運転手は、神田さんだ。
神田さんは後部座席の扉を開け、小さく頭を下げた。
後部座席には、紺のスーツを身に纏う体格のいい男性が……――。
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