第33話 美須家と円舞会

 目の前が、真っ暗になったかと思えば、次にはひっくり返って、背中から転がっていた。

 お腹に重い痛みと、硬い地面の衝撃で背中も痛い。

 唇が切れてしまったのか、口の中でじんわりと血の味がする。


 作業着からでも分かる程盛り上がっている筋肉をしたお兄さんは、眠っている美須さんを抱えている。

 助けようと、掴みかかったんだけど……あっさり、蹴り飛ばされてしまった。

 黒野さんは今もスタンガンをくらった衝撃で気絶している。

 起き上がるのが億劫になるぐらい、痛みが強くて、顔を歪めながら社長達を見上げた。


「彼女を第2倉庫へ連れていけ。それから取引を始める」

「はい」

「美須さんを離してください! 大切な友達なんです、約束したんです!」


 このまま逃がすわけにはいかない! 美須さんを助けなきゃ!!

 地面に手をつけ、なんとか上体を起こす。

 だけど、反応する暇もなく目の前にブーツが映り込み、顎が外れるんじゃないか、と思えるほどの衝撃が伝わり、熱い痛みに支配されてしまう。

 やっと起こせた上半身がまた地面について、体は横に向いた。

 結構な血が飛び散っていることに、今更気付いた。

 鼻から、口から、顔の切れた皮膚からも出血している。

 ジンジンと腫れるような痛みも残ってしまう。

 細くなる目に映る、俺を蹴った人物はぼさぼさ頭で眠たげな目をしたお兄さんだった。

 後ろで手を組む社長は、はぁ、と息を吐き出す。


「暴力は避けたい、だから大人しく帰りなさい。神田君、彼らを送ってやって」

「かしこまりました。切原様、ニア様のことはご心配なさらず」


 そんな……神田さん、なんで。

 黒野さんが抱えられ、シーマの後部座席に運ばれていく。

 痛すぎて声が出ない。

 納得できなくて、俺は神田さんの足首を掴んだ。


「あぁニア様を想う懸命な姿に心を打たれてしまいそうです。ですが今回の件、非常に複雑でして、美須家の罪を」

「神田君」

「失礼しました」


 美須家の罪って何? 美須家の人は何をしたの? そのせいで美須さんが巻き込まれているの?


「いや、その手もあるか……神田君、黒野の子だけ送ってやれ、永利君にだけ大事な話があるのを思い出した。お前達も業務に戻りなさい」

「はいっす、会長」

「はい、会長」


 眠たげな目をしたお兄さんと、渋いおじさんが返事をすると、舞曲社長は肩をすくめた。


「今は社長だよ」


 待って! 声に出したいのに……。

 美須さんが、黒野さんが!

 倒れている俺を、社長は屈んで見下ろす。

 町の端っこにある舞曲運送、屋根で覆われた薄暗い外。

 普段なら大きなトラックが駐車されている場所に、俺と社長だけ。


「永利君」


 優しそうに笑みを浮かべているけど、背筋をゾッとさせる、荒川さんって呼ばれている運転手と同じ雰囲気がある。

 孫を可愛がるような口調で、


「もうちょっとしたら彼が帰ってくるんだけど、ははぁ、会えるといいね?」


 俺に言う。

 社長の手がズボンのポケットへ。


「あっ!」


 咄嗟に手を伸ばそうとしたが、鼻に強烈で硬い物がぶつかる。

 勢いで首から上が反り、後頭部が地面に接触してしまう。

 社長の握り拳が微かに見えた。


「やっぱり、大刀に渡した友好の証だ」


 社長は俺のポケットにあった美須さんの大切な御守りであるカッターナイフを掴み、軽く頷きながらカッターナイフに微笑む。


「ニアお嬢さんへの贈り物、か。あの子には渡さなかったくせにな」


 日本刀のような刃がカチカチとゆっくり音を立て、刃先が剥き出しになる。


「組員と駆け落ちして、心中した奴のことなど興味なしといったところか」

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