第5話 ヘッドホンの先輩
「ねっねっ、永利君、一緒にご飯食べない?」
校舎の中庭でワルツを聴きながら昼食をとる至極の時間を奪い取るような小悪魔の誘いに聞こえた。
ざわつく教室、みんなが美須さんと俺に注目している。
怖い、怖いよ……。
美須さんの麗しい唇は上向きになって俺の返事を待つ。
窓際から俺の背中を突き刺すように鋭い眼差しを送る黒野さんの圧も同時に襲ってきた。
「あー……せっかく誘ってくれたのにごめん、ひとりで食べるのが好きだから」
とにかくやんわり、美須さんを傷つけない言葉と口調を選んだ。
ブラウンの瞳は俺を数秒ほど見つめた後、肩を落として、
「そっか、でもたまには一緒に食べようね」
寂し気に目を細くさせる。
「う、うん」
ごめん、美須さん……俺、この時間だけは譲れないんだ。
中庭に急いでいつものベンチを確保する為に早足で廊下を進む。
充電完了のワイヤレスイヤホンを手に持って、校舎の渡り廊下を途中まで通り、中庭のベンチへ。
そこには……誰かがいた。
なんて言ったらいいんだろう、ゆるくカーブしているけど、パーマじゃない自然なミディアムヘアの髪型をした女子。
シックな黒いヘッドフォンをあて、スマホに線を繋げて音楽を聴いているようだ。
どこか凛としていて、背筋がピン、と伸びている。
芸術なんて何ひとつ理解していないけど、絵になるなぁ、と思ってしまう。
あ、しまった、感心している場合じゃない、先を越されていた。
他のベンチは占拠されているし、このまま教室に戻りたくない。
どこか他にゆったりできる場所を探そう。
「切原君」
ヘッドフォンを外しながら、俺の名前を呼ぶ。
意味深い口調が心臓にザクッと刺さる。
どうして俺の名前を知っているんだろう。
ベンチから手招く女子に戸惑う。
他のベンチにいる奴らや窓から覗いている奴らに注目されているから余計にそう感じる。
恐る恐る、へっぴり腰になりそうな姿勢で近づいていく。
「は、はぃ」
微かに口角を上向きにさせた彼女は、薄っぺらい何かを俺に差し出す。
「これ落ちてたよ」
空っぽにまみれた顔写真が貼りつけられた、高校に在学していることを証明する薄い学生証。
「あれっ?! あ、ありがとう、ございます」
いつの間に落としたんだ……。
両手で慎重に受け取る。こんな学生証の顔写真を女子に見られるとか、マジで消えたい。
「どういたしまして。いつも中庭にいる1年生だってすぐに分かったから、ここに来たら会えると思ったんだよ」
つまり、この人は先輩……。
「わたし、
「ど、どもっす」
ヘッドフォンを片手に円先輩はベンチから立ち去っていく。
どんな音楽を聴いていたんだろう、クラシックとか似合いそう、それか洋楽とか。
よし、ワイヤレスイヤホンとスマホをBluetoothで繋げて両耳にセット。
ワルツのプレイリストを開け、再生。
母さん手作りおにぎり弁当を食べる。
3拍子のウィンナ・ワルツが独特なリズムで流れてくる。
心を穏やかにしてくれるゆったりとした曲に癒され、俺はおにぎりにかぶりつく。
でも学生証なんて一体どこで落としたんだろう、思い当たるのは昨日ぐらい、ポケットに薄い何かが入っていたのは覚えている。
あの誘拐から逃げる際に落としたのかもしれない。
なんであの先輩が? 気になるような、あんまり気にしちゃいけないような……。
もぐもぐ口を動かしおにぎりの中身を覗いた。
今日の具材は、昨晩の余ったカレーだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。