第6話 これは気持ちです

 次の日、いつものようにワックスで髪を整え、学ランの下にパーカーを着る。

 ワイヤレスイヤホンとスマホ、あと財布、薄っぺらいカードみたいな学生証もちゃんと手にある。

 焼いたトーストに目玉焼きとチーズが乗っていて、横にはサラダとゆで卵、飲み物は野菜ジュース。

 母さんは毎日のように例の彼氏と電話中。

 どうせ仕事先で会えるんだから、別によくね? と思ってしまう。

 もういっそ俺をどこかに放って、2人で暮らしたらいい。

 関わりたくなんかない。

 あぁもう、また調子が悪くなる。

 ネガティブな感情を散らすようにトーストをかじった。 

 我が家のルール通りに皿洗いをして、準備を整えて玄関へ。


「いってらっしゃい、お弁当持った?」

「持った。いってきます」


 スマホから耳を遠ざけて、わざわざ見送りをする母さんに返事をして、外に出る。

 片耳にワイヤレスイヤホンをつけて、プレイリストからショパンのワルツ第1番を選んで、耳に流す。

 華やかなファンファーレから始まる優雅な気分に浸れるワルツに、下降状態だった調子を上げていく。

 よし! そう意気込みながら顔を上げた瞬間だった。

 血の気が下がっていく。

 2日前に見た真っ黒なスーツとネクタイ、サングラスにマスクの男が2人……。

 扉を壁にして背中をくっつけた。

 な、なん、なんで、ここに⁉

 横づけにされた真っ黒なベンツみたいな高級車、スモークの車窓に薄っすら分かる輪郭。つまり3人、いる?

 もう逃げられない。

 せめて母さんが巻き込まれないようにと声を押し殺した。


「……」


 黒服の2人が横に並び、沈黙を貫く。

 手袋が俺に向かって伸びてきて、俺は反射的に瞼を強く閉ざす。

 触れてこない……何秒経っても何も起きない。

 片耳から聴こえてくる軽やかな連打に目まぐるしさを覚えてしまう。

 俺は恐る恐る、ゆっくりと目を開けて、半開きの目に映り込んだのは、正方形の紙箱。


「へ?」


 頭を下げて差し出す姿勢の2人に、間抜けな声が漏れる。


「勘違いで連れて行ってしまい、ロープで縛るなど恐怖を与えてしまった我々の不手際、たいへんっ! 申し訳ございませんでした!」

「これは、心ばかりの品でございますが、お納めください」

「え、はぁ、いや、その……」


 俺は戸惑いながら、紙箱を受け取ってしまう。うわ、見た目以上に重い、なんだろうズッシリしている。


「ぼっ、いえ、永利さん、重ね重ね無礼を承知でお願いがありまして」


 名前まで知られている⁉ お願いってなんだ?!


「今回の件、何卒、ご容赦していただければと」

「えっ?! えーと、は、はぃ」

「ありがとうございます! それでは学校までお気を付けて! 失礼します!!」


 俺の返事に、声色は歓喜に震えてバタバタと高級車乗り込んでいく。

 お菓子のブランド名が書いてある紙箱を抱えたまま、扉に凭れてずり落ちる。

 力が抜けて、放心状態……。

 背中が押されて、俺の体は少し前のめりに動いた。


『あれ? ちょっとなんで開かないの?』


 母さんの不思議がる声と、背中を何度も押す扉に俺は慌てて立ち上がる。

 扉が開き、怪訝な表情の母さんが現れた。


「永利、アンタどうしたの?」

「あ、いや、なんでも……」


 俺が持っている紙箱に傾げている。


「お菓子なんて持って、お客さんでもきたの?」

「あーうん、俺宛に」

「そうなの? でも待ってる時間ないから、そのまま鞄に入れて持って行って、ちゃんと学校に行ってきなさいよ」


 母さんは車に乗り込んで、仕事に向かっていく。

 鞄に入るかなぁ? 無理やり詰め込んで、パンパンに膨れた鞄を肩に提げた。

 はぁ……朝からなんだよ、もう……――。





 お昼の時間になって、サラサラなブロンドロングヘアを靡かせている美須さんに、


「永利君、今日こそお昼ご飯一緒に食べようよ」


 昨日から続くお昼の誘いをされた。


「ご、ごめん」


 1人で食べるのが好きって言ったのに、なんで懲りずに誘うの? 

 残念がる美須さんに謝って、俺は中庭に急いだ。

 鞄がいつもより重たい……。

 渡り廊下から中庭を見ると、いつものベンチには誰もいない。

 ようやく安心を得た気分、俺はベンチに座ってワイヤレスイヤホンを両耳につけようと、充電器から取り出した。

 俺の両耳をスポッと覆う柔らかい何か。 


「切原君」

「いぅえ!?」


 更に意味深い口調で呼ばれ、俺の体はビクッと跳ねた。


「やぁ、驚いた? ヘッドホンだよ」


 クスクスと零れた笑い声、ベンチ越しに振り返るとヘッドホンを持って微笑む、上級生の……円先輩だ。


「ど、どもっす」

「カバンがパンパンだね、何入ってるの?」

「お菓子と、お弁当です」

「お菓子? 先輩命令、1個ちょうだい」


 なんて馴れ馴れしい先輩だろう……。

 俺は渋々鞄から見た目以上に重い紙箱を取り出すと、円先輩はどうしてか苦笑い。


「はぁ……大袈裟な。ふーん」


 ふーん、って何。

 紙箱を開けると、焼き菓子が1個1個包装されている。

 2段重ねなのか、下にも何かがある。

 円先輩は容赦なく2段目に指を入れ、捲るように上げては目を細くさせている。

 ベンチの背もたれから身を乗り出した、凛とした横顔に心臓がドッと動く。

 静かに2段目を下ろし、1段目から焼き菓子を取った円先輩は、


「ありがと。2段目だけど」


 コソコソと俺に耳打ち。


「皆が見てないところでこっそり開けた方がいいよ」


 吐息が耳にかかって背筋と下腹部がゾクゾク震える!


「は、はい……分かりました。あのーところで先輩、学生証ってどこに落ちてたんですか?」


 俺の小さな疑問に、円先輩は小さく頷く。


「私が拾ったわけじゃないから、ごめん、分かんない」

「え? そうなんですか?」

「通りすがりのおじさんから受け取った、そんな感じかな。それじゃ、またね」


 ひらひら包装された焼き菓子を振りながら、円先輩は立ち去っていく。

 そんな感じ、ってどんな感じなんだ。

 2段目は、皆が見ていないところで? 一体どういうことだろう。

 俺は周りをキョロキョロと見回してから、2段目をそっと指先で捲った。

 隙間から覗くと、束?

 もう少し捲ってみる………………俺はすぐに2段目を閉ざした。

 え? なんだこれ、なんなんだよ。

 諭吉がたくさん、いるんだけど……――。

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