第8話 その会社は

 正方形の紙箱、その2段目に誘拐の口止め料なる諭吉が束になって敷き詰められていた。

 正確に数えてない、というか怖くて直視できない大金に背筋が寒くなってくる。

 こんなの受け取れないし、元々美須さんから黙っていてくれって頼まれているから意味がない。


「…………」


 俺はワイヤレスイヤホンを両耳に装着、Bluetoothでスマホと繋げてジャズワルツを流す。

 ゆったりとした3拍子が心を落ち着かせてくれる。

 円先輩のクラスが分からなくて、2年生なのか3年生なのかさえ不明で、円先輩が来てくれるかもしれないという期待を抱いて中庭のベンチで待つ。

 いつもの母さんお手製のおにぎり弁当を頬張る。

 校舎の間を繋ぐ渡り廊下に目線を向けた。

 俺の視界に映ったのは、ずば抜けた存在感を放つ、サラサラなストレートブロンドヘアを風で靡かせる美須さん。

 制服越しに分かる胸の膨らみと、ハッキリとしたくびれ。

 大きなブラウンの瞳と目元のくぼみ、鼻は高く整っている。

 迷いなく、俺の方へ……俺をにっこりと見下ろす。


「今日はここで食べようかなぁ」


 お弁当箱を両手に持ち、ベンチにそっと座る。ふんわり良い香りが漂う。


「え、いや、美須さん、俺」

「1人で食べるのが好きなんでしょ? でも私は永利君と食べたいの」


 なにその主張。


「いいでしょ、積もる話もあるわけだし」

「そ、そんなにあるかなぁ」

「あるよー永利君のこともっと知りたいから、お願いっ」


 眩しい笑顔に怯んでしまい、俺は思わず頷いてしまった。

 惜しみながらワイヤレスイヤホンを充電器に戻す。

 お弁当箱を開ける仕草や口へ運ぶ仕草全てが静かで、いつも明るい美須さんの上品な姿に、緊張してしまう。


「それじゃあ永利君、いつも音楽聴いてるよね、どんな曲聴いてるの? 邦楽、洋楽、それともクラシック?」

「えっ?! あ、その……」


 脳裏に過るのは、冷ややかな目で俺を見る女の子2人。

 俺を傷つける言葉が頭に繰り返される。

 振り払い、なんとか答えた。

 

「……邦楽、かな」

「そうなんだ! 今推してるアーティストは?」


 ヨシフ・イヴァノヴィチの『ドナウ川のさざ波』。


「……ない、かな」

「そうなの? 私も詳しくないからあんまりだけど、いい曲あったら教えてね」


 一生教えられない気がする。


「う、うん」

「じゃあじゃあ格闘とか詳しいんだよね? どんなのが好きなの?」


 小さいときに観ていた特撮ヒーローの戦い方が凄くカッコよくて、俺もあんな風に戦いたい、なんて夢を見た結果。

 今までずっとアクション系の解説動画を見てきた!

 でもでもそんなこと恥ずかしくて言えない!!


「……えーと近接格闘術、かな。自衛隊とかがやってる、やつ」

「そうなの? そのおかげでこの前なんとかなったもんね、本当にありがとう!」


 ありがとう……ありがとう……心臓の渇きを満たすような言葉。


「ど、どういたしまして。あ、いや、美須さんの方が色々と助けてくれたんだから、ありがとうございます」


 小さくペコっと頭を下げてボソボソと感謝を言う。

 美須さんは満面の笑みを浮かべていた。


「ところでそのお菓子、何か良い方法があるの?」

「うーん、円先輩に訊こうかなって思ったんだけど」


 今日は来ないようだ。


「まどか、先輩?」


 美須さんは不思議そうに傾げている。


「俺が落とした学生証を円先輩が届けてくれたんだ。誰かが拾ったらしいんだけど、もしかしたら何か知ってるのかなって」

「もう黙って受け取ったらいいのに、一切関わらない方が身のためじゃない?」

「うーんそういうわけには……」


 弁当を食べ終え、休憩時間もあと残り5分。

 結局まともにジャズワルツさえ聴く暇もなく終わってしまった。

 円先輩に会えなかったや、はぁ、こんな大金いつまで持っていたらいいんだ……――。





 放課後。片耳イヤホンから流れるセカンドワルツと、もう片方の耳に入る生活音が聴こえてくる。

 車道と歩道の境目もない住宅街の道を歩く中、自動車が時々横切っていく。

 目の前には、ハザードランプを点滅させる2tトラックが端っこに停まっていた。

 なんとなく邪魔だな、と思いつつ避けて通る。

 トラックから微かに流れてくる音楽。

 どこか聞き慣れた音に、俺は何気なしに車窓を見上げた。

 運転手はいない、多分配達中なんだろう。

 優雅で社交ダンスでもするかのように華やかなワルツ。

 立ち止まってしまう。

 聴いたことがない曲だ。

 トラックに印字されている会社名を読んだ。

 字体は特殊なのか読みにくく、なんて書いてあるのか分からないけど、なんとか運送、であることは分かった。

 あれ? この字体、見たことがある。

 はっきり俺の頭に刻み込まれている……――。

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