第13話 秘密の共有

 昼休憩、俺は急いで教室から出ようとしたが……、


「永利君、お昼いっしょに食べようよ」

「ちょっとニア」


 クラスの前だから、比較的優しめな口調で言う黒野さんと、お弁当箱を胸に抱えて大きなブラウンの瞳を輝かせて美須さんが前に立ちふさがる。

 ぐあぁああ……俺の両耳にワルツを流せない時間が多い!

 朝も黒野さんに呼び止められたし、この前のお昼も、クラスカースト上位の女子に誘われるなんてそりゃ嬉しいけど、ワルツを聴く時間が奪われるなんてそんなの嫌だ。


「い、いや、その、ごめん、俺、中庭で」


 ハッキリ言えない自分の背中を叩いてやりたい。


「…………」


 黒野さんの作り笑顔のような表情がゆっくりピクリ、と歪む。


「えーと」


 クラスのみんながざわざわと話している。


「曄ちゃんまで声かけてる」

「なになに切原のやつ、なんかしたの?」

「あの一匹狼切原君が?」


 うるさいよ、やめろよ、みんなで俺のことを話すなよ。

 俺のことなんて放っておいてくれ。

 なんで、なんでみんなして、俺は何も悪い事してないのに。


「……ごめん!」


 耐えきれなくなって教室を飛び出した。

 廊下を突き走り、中庭へ急いだ。

 校舎の間を繋ぐ渡り廊下を通り、まだ空いている中庭のベンチに座り込む。


「はぁー」


 もうヤダ……早くイヤホンで両耳を塞ごう。

 手は空を掴む。

 あれ? 隣を見れば鞄がない。弁当も、ない? あるのは円先輩から貰ったお菓子が入った紙袋。

 ワルツが、聴けない⁉

 えぇ、またあの教室に戻るのぉ……嫌だぁ戻りにくい、あとで黒野さんに何言われるか、考えるだけで頭が痛くなってしまう。


「おーい」


 どうしよう……。


「切原君」


 すっぽり、耳に触れるクッションみたいな物。

 同時に周りの声や環境音が掻き消され、3拍子のリズムでオリヴァー・ネルソンのクールなサックスの演奏から始まる、ジャズワルツが流れてきた。

 滑らかなソロサックスが心地よく、何度でも聴いていたくなる……でも、なんで?

 俺は両耳に手を当てると、温かく思っていたよりも柔らかい。

 これは……手?

 ベンチの背後に、慌てて俺は振り返った。

 後ろにいたのは、パーマをかけていない、自然とゆるくカーブをしたミディアムヘアの円先輩。俺の両耳にヘッドホンをかぶせ、さらにイヤーパッドの外側から手を添えて、円先輩の手に、今……俺が、触れている。


「んぐあぁ!」


 変な声が出てしまった。

 ヘッドホンが外され、凛とした顔つきで微笑む円先輩はヘッドホンを首にかける。


「やぁ切原君」

「ど……ども、っす」

「随分と落ち込んでるみたいだから、私のお気に入りの曲を聴かせてあげようと思ったんだけど、元気そうだね」


 円先輩のお気に入り? ジャズワルツが?


「オリヴァー・ネルソンの……」

「あれあれ、随分詳しい。曲聴いただけで分かるなんて、もしかして切原君はジャズ大好きっ子?」


 3拍子のリズムで流れる曲が心を落ち着かせてくれるから好きなんだ。

 ジャズ全般については詳しくない。


「あ、いや、ほら、有名ですから、ジャズはあんまり」

「ほぉー」


 円先輩は隣に座ると、紙袋を手に取る。


「いいじゃない、良い趣味だ。ジャズワルツ、私のおじいちゃんと仲良いおじさんが趣味で聴いてる。それが今や私の趣味に」

「そ、そうなんですか……」


 紙袋から取り出したのは、1個ずつ包装されている四角いミニケーキ。

 それを俺に差し出す。


「あ、ありがとうございます」

「どういたしまして。お気に入りの洋菓子店で購入したんだ、じっくり味わって、とその前に、余ったお昼ご飯食べる?」


 円先輩はお弁当箱からラップに包まれたおにぎり型のオムライスを分けてくれた。


「私の手作り、特別だぞ」


 円先輩の手作り……食べていいの? 女子が握ったおにぎりを見るだけで心臓が高鳴ってくる。


「で、どんな曲が好き?」

「へ?」

「誰にも言わない、私も周りに言ってないから、2人だけの内緒。君の音楽を聴かせて」


 凛とした表情に、意味深い口調、円先輩は静かに微笑して俺を待つ。

 言っていいんだろうか。

 馬鹿にされないかな、笑われないかな、みんなに知られるのかな……不安に襲われれる気持ち悪さが込み上げてきた。

 円先輩は何も言わずに待っている。

 落ち着いた表情で、なんでも受け入れてくれそうな謎の包容力を感じてしまう。


「……えと」

「うんうん」

「俺のお気に入りは、ヨシフ・イヴァノヴィチっていう作曲家の、ドナウ川のさざなみです。なんていうか、あんまり明るい感じじゃないんですけど」

「うん」


 ゆっくりと、恐る恐る、でも止まらない。

 円先輩はただ静かに相槌を打ちながら聞いてくれるから話してしまう。

 どこか口角は上向きに、微笑しながら、円先輩は懐かし気に目を細めていた。

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