第3話 脱出作戦

 俺は今、真っ暗闇のトランクに寝そべっている。ベンツみたいな高級車のトランクに。

 どうなってんの?

 いつものように学校に行って、お気に入りの曲を聴いていたら、偶然クラスカースト上位の美須さんが落としたカッターナイフを拾っただけなのに、いきなり黒服の奴らに勘違いで連れ去られてしまった。

 こんな冷静なこと考えてる場合じゃない!

 車には美須さんもいる! どうにか、そうだ、スマホで助けを!

 ポケットを手で探るが、指先で分かるのは薄っぺらいカードみたいな物と、美須さんの落とし物であるカッターナイフの輪郭。


「しまった、鞄!」


 周りを手で探ってみるけど、何も触れない。鞄が、ない!?


「なぃ……」


 ど、どうしたらいいんだよ。トランクのフタ部分を叩いてみても意味なし。

 車はどこかへ走っている。時折揺れて、跳ねると結構痛い。

 どうなっちゃうの俺、助けて、母さん……父さん……――。






 悲観に暮れていると、車が停止。エンジンが消える音がした。

 つ、着いた? どこに? トランクが開いたら飛び出して逃げる? いや、でも美須さんと一緒に逃げないと、でも、ど、どうしたら。


『こんなことしたってパパとママは動じないから!』

『うるさいガキだな、お前は後で解放してやるから黙ってろ』

『美須の人間はわたしだってば、後ろにいる子は関係ないの!』


 なんか言い争いになってる。


『おい縛っとけ、暴力はなしだ』

『はい』

『離して、はーなーしーてっ!』


 美須さんの声が遠くなっていく。


『兄貴は?』

『出先で、一時間後に帰ってくるそうです』


 兄貴って、兄弟じゃなくて盃のなんちゃら? マジで暴力団みたいなやつらじゃん!

 ヤバい……心臓が速まって締め付けるぐらいに焦ってる。

 眩しい光が突然差し込み、俺は瞼を強く閉ざしてしまう。

 ゆっくり片目を開けると、黒服にサングラスとマスクで、黒い手袋までした男が二人。


「狭くて居心地悪かっただろう、もうしばらくの辛抱だな」

「終わればちゃんと帰してやる」


 強引に体を掴まれて、トランクから出されたかと思えば、デカいトラックが何台も止まっている工場のような場所が視界に映る。

 トラックの後ろ側で、なんて読んだらいいのか分からない書体で社名が書かれている。

 運送っていう字だけは雰囲気で読める……。

 事務所みたいな隅っこの部屋に運ばれてしまう。薄暗くて気味悪い。

 ロープを後ろ手に縛られ、両脚も縛られる。


「2人ともそこで大人しく座ってろ」


 先にロープで縛られている美須さんが、黒服の男を睨んでいる。

 地べたに座らされ、俺は美須さんの隣へ押し込まれた。


「馬鹿な真似はするんじゃないぞ。ちゃんと夕食は持ってきてやるし、トイレも呼べ」


 変なところ親切……。

 扉が閉まり、外側から鍵を施錠されてしまう。それと同時にブラウンの瞳が俺を捉えた。

 ひそひそと小さな声をかける。


「ちょっと君、どうして美須家の人だって思われてるの?」

「それが、よく分からなくて……」


 ふーん、と返事をする美須さん。

 どうしよう、いつになったら解放されるんだろ。

 酷いことはされないみたいだけど、セレブ一家だから身代金要求とかそういうの?

 もぞもぞと両手を動かしている美須さん。

 制服越しでも分かる胸が少し揺れて、俺は目を逸らす。

 こんな非常事態に、俺何考えてんの……。


「よいしょ」


 ぱさ、と小さな音が耳に届く。


「え?」


 隣を見れば、両手が自由になって平然と両脚を縛るロープを外している美須さんが……。


「み、美須さん、ど、どうやってそんなことを」


 全てのロープを外した美須さんは、得意げに悪戯っぽく微笑んだ。


「ちゃーんとこういう時の為に護身術とかそういうの、家で習ってるんだよー。ロープの緩め方とかね」

「へ、へぇー」


 さすがセレブ一家、なのか。

 美須さんは俺を縛っているロープも外してくれた。

 彼女の指先が、俺の手首や腕に当たる。その度温かくて柔らかい感触が直に分かってきた。

 やばい、危機的状況なのにすげぇ嬉しいかも。クラスカースト上位の美須さんが俺の手に触れるとか今後有り得ないじゃん……。


「君、君、なにボォーっとしてんの、早く逃げないと」

「え、は、はぃ」


 両手が自由になった途端真っ先に事務所の扉へ向かった美須さんに、俺は静かについていく。

 窓から覗くと、黒服の男が扉の近くで椅子に腰かけて、退屈なのかスマホをいじっている。


「んー難しそうだね」

「……」


 美須さん結構余裕あるよなぁ。俺はどうしたらいいのか分からなくて混乱してる。


「でも大丈夫、安心して。私が一緒だから」

「……う、うん」


 女神みたいな笑顔で凄くカッコいいこと言うじゃん……なんかヒーローみたい。

 ヒーローか……。

 俺はグッと拳を握りしめて震わせた。


『まぁまぁありがとうねぇ』


 頭に響く、おばあちゃんの声。

 満たせない渇きのような願望が渦巻いて、俺はもう一度窓を覗く。

 見張りは1人だけ、トラック以外にコンテナみたいな箱や、くすんだ紙袋が等間隔に並んでいる。


「お、俺が気を引かせるから、その間に……逃げて」

「え? 何言ってるの君、そんなことしたら危ないじゃない」

「だ、大丈夫。俺、これでも格闘には詳しいから」

「知識と実践はちょっと違う気がするかなぁ」

 

 う、やっぱり無理があるか?

 確かに鏡で見れば分かるひ弱な体格だが、格闘技は学んできたつもりだ。

 そう、ネットの動画で。

 ヒーローのアクション、殺陣たて、自衛隊の新格闘。

 とにかく任せて、そう美須さんに伝え、俺はゆっくりドアノブの摘まみ部分を捻って解除。

 扉をそっと開ける。

 心臓がバクバク痛いぐらい跳ねて、どうかになりそう……。

 椅子に腰かけている黒服の男へ、背後から忍び寄り、ポケットからカッターナイフを取り出す。

 グリップ部分を親指で押さえ、少し刃先を露出させた。

 き、切るわけじゃないから、脅し、脅しだから。

 俺は震える手で、黒服の男の襟に手を伸ばす。

 背後から羽交い絞めをするように襟を掴み、引き寄せ、右手でカッターナイフをちらつかせた。


「っ⁉ このガキ、いつの間に……」

「う、うう、動いたら、切れるから!」


 美須さんは飛び出した。

 急ぎ足でトラックの隙間を駆け抜けていく。

 去り際、心配そうに振り返っている。

 よし、俺達をただの子供だと思って油断してたな、うまいこといったぞ。

 でも……ここからの対処なんて考えてなかった!!


「このガキが!」


 手首ごと掴まれ、胸に重いエルボーが入ってしまう。

 後ろによろけてお尻から座り込む。

 気持ち悪いぐらい痛い……。


「怪我したくなきゃ黙って部屋に戻れ!」


 だ、誰が戻るかッ!!

 俺は犬みたいに地面を走り、胸に手を押さえて逃げた。 

 

「待てコラぁ! 応援、応援! ガキが逃げやがった!!」

「こっちこっち!」


 美須さんに手招かれ、トラックの隙間を抜ける。


「待ちやがれ!!」


 目の前を立ちふさがる黒服の男。

 美須さんは俺の手を掴んで、


「下、くぐって!」

 

 トラックの下をくぐり反対方向へ一心不乱に逃げる。

 今度は作業着姿の男が現れ、両手を翳して掌を俺達に向けている。


「逃げたらダメだって言っとるだろが!」

「ど、どいて、どいて!!」


 日本刀のように鋭いカッターナイフを振り回しながら男に突撃。


「うぉ、あぶねぇぁ!!?」


 目を丸くさせた男は横へ動いてくれた。

 美須さんの手を引っ張り、俺は外へ駆け出す……――。





 とにかく走った結果、見慣れない大きな交差点までたどり着いた。

 お互い息を切らし電柱に手をついて、呼吸を整える。


「はぁ、はっ、もう、だいじょう、ぶかな」

「そ、う、そ、うみた、い……」


 大汗をかいて、制服のシャツが汗ばんで気持ち悪いぐらい。


「ふふ、あぁは、ハハっ」


 頭のネジでもぶっ飛んだのか、可笑しそうに綻ぶ美須さん。

 俺が不思議そうにしていると、


「すごーくドキドキしちゃった!」


 命の危険があったかも知れない出来事を楽しそうに言う。


「えぇ……」

「こんなスリルある経験、実際にあるなんて思わなかったもん。本当に誘拐されるなんて、しかも勘違いでだよ? 未だに君が美須家だって思われてるかも。ごめんね、私が落としちゃったばかりに巻き込んじゃって」

「ほ、本当に、死ぬかと思った……」

「うん、私もどうしようかなって思ってた。ありがとう! 助けてくれて」


 ありがとう……ありがとう……。

 潤うような言葉に、俺の胸は満たされていく。

 俺は高級感のあるカッターナイフを美須さんのもとへ。


「あぁ、私の! よかったぁーお帰りぃ」


 カッターナイフが手元に返ってきて嬉しそうに頬ずりしている。

 なんでそんなの持ってるんだろうとは訊きづらい。

 余程大切な物なんだろう。


「そだ、君名前はなんていうの?」


 ずっと引っ掛かっていた違和感に気付いた。

 そういえば美須さんずっと俺のこと君、としか呼ばなかった。

 クラスメイトなのに、あの黒野さんでも俺の苗字を知ってるのに……。

 いやいや、別にいいじゃん、覚えてもらってなくても、そもそも関わることなんてなかった相手だから当然だ。

 そうやって自分に言い聞かせて、俺は自己紹介をする。


「切原、永利。同じクラスの」

「そうなの?」


 クラスメイトとしても認知されてない!!


「じゃあ永利君、迎えの車呼ぶからスマホ持ってない?」

「……あ、ごめん、落としちゃったみたいで、多分裏門のところかも」

「永利君も? じゃあヒッチハイクしよっか」

「えっ!?」

「いっかいやってみたかったんだよねぇ、親指立てるんだっけ?」


 いや知らない。

 というかなんて危ないことをするんだこの子は……――。

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