第28話 初対面

 木目の模様がある白い天井が俺の目に映る。

 円先輩に呼び出されたから音楽準備室に来たのに、何故か今、三階の窓に張り付く運転手に驚いてイスからひっくり返っていた。


「切原君大丈夫? 立てるかい?」


 円先輩は俺を見下ろし、手を差し伸べてくれる。


「ど、どもっす」


 俺は有難く、円先輩の手に掴まり上体を起こす。

 窓を見れば、


『円お嬢さん! 窓を開けてください!』


 まだ、張り付いてるぅ……。

 冷めた雰囲気がある運転手だけど、今回ばかりはさすがに焦っている様子で、どこかコミカルに思えた。

 ただ、あのまま放置すると一瞬で悲劇に変わりそう。


「落ちて死んでしまえばいいのにね」

「えっ⁉」


 物騒なことを言う円先輩に、思わず声が裏返ってしまった。


「冗談だよ。さて」


 円先輩は、しゃがんで俺に意味深い口調で、


「せっかく来てくれたのにごめん。でも君が知りたいことはぜーんぶあのおじさんが知ってる。」


 そう言った。

 俺が知りたいこと……そりゃ山ほどあるよ。

 母さんがどうして暴力団のことで敏感なのか。

 美須さんがどうして怒っていたのか。

 黒野さんのことを覚えていないのはどうしてか。

 父さんは……今どうしているのか。

 ガタガタと揺らす運転手に、呆れながら円先輩は窓へ寄っていく。

 俺はゆっくり立ち上がり、ヨロヨロになりながら準備室を後にする。

 美須さん、まだ校舎にいるかな……。

 このまま真っ直ぐ北校舎に繋がる廊下を進む。

 部活がある生徒以外はほとんどいないグラウンドを眺めながら歩いていると、何か硬い物を踏んだような軽い音が聴こえた。

 一瞬だったから、完全に踏んだわけじゃなさそう。


「あ」


 先端と後ろに金の装飾と、グリップには高級感たっぷりの光沢ある木材が使われている……カッターナイフが、落ちていた。

 すぐに拾ってグリップを見る。

 『ニア・美須』と彫られた名前。

 落とした? 初めてちゃんと喋ったあの日みたいに?

 ざわざわとした胸騒ぎに吐き気が……。

 美須さんからこのカッターナイフが離れる時って大体誘拐されてる。

 場所は分かってる、でも、どうやって、俺なんかが間に合うかな。

 黒野さんに連絡を入れた方がいい、よね。

 警察には絶対言うなって両方から言われているんだから。

 スマホを取り出し、急いで黒野さんに電話をするのと同時に、気持ちが早まって足は曲がり角へ。

 ドス、という何やら硬い何かにぶつかった。

 スマホが手から零れ、お尻が床につく。


「危ないじゃないか、君……ん?」


 渋い声が無人の廊下に響き渡った。

 見上げれば、スポーツ刈りというのか、頭上の毛を少し伸ばしてサイドを刈り上げている髪型。コートの上からでも分かる柔道をやっていそうな体格。

 顔の輪郭は少し四角に近く、頬には物騒な縦一線の傷がついている。

 目つきも細く、周囲を威嚇、もしくは警戒しているような雰囲気があって、怖い。

 見覚えがある顔。


「切原、永利君?」


 わざわざ座り込んでしまった俺の目線に合わせてしゃがんでくれた。


「母さんの……」


 ボソリ、と気が抜けたように零れてしまった言葉に、その人は下手な感じで笑う。


「初めまして、わたくし、永利君のお母さんと真剣にお付き合いしている、千人針武せんにんばりたけしと申します。挨拶が遅れて申し訳ない」


 丁寧に挨拶をしてくれるのはいいんだけど、2人の関係なんて興味ない、別にいい、今はそれどころじゃない。

 早く、早く、美須さんを探さないと!!


「はじ、めまして、切原永利です。すみません俺、ちょっと急いでまして、すみません!」


 慌てて立ち上がり、スマホを手に取って急いで階段を下りた。

 スマホの画面を見た俺は一瞬にして背筋が冷たくなる。

 画面に表示された黒野さんという文字の下には秒数が無情にも流れ続けていた……――。

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