日常を取り戻すために
金曜日。
「よし」
弥生はそうつぶやいて気合いを入れると、数日振りに礼雄のお弁当をつくり始めた。
まずは、ギュッギュッとご飯を縦長に丸く握っていく。海苔を周りに巻いてラップの上から再び握ると、黒い卵状のおにぎりができあがる。
その上に目やお腹の模様などをかたどったスライスチーズを乗せていく。おなじように三角形に切り取ったチーズの上に海苔を張り付け、耳として取り付ける。
その横におかずの肉団子にチーズと海苔でつくった目を張り付けて隣に添える。
あとは昨日克服したばかりの人参が入ったポテトサラダと、きんぴら牛蒡を入れる。
これで、おにぎりのトトロと、肉団子でできたまっくろくろすけの弁当の出来上がり。
「できた」
弥生は、完成したキャラ弁を見て満足そうにうなづいた。昨日はいろんなことがありすぎたので、うまくつくれるか不安だったが、なんとかいつも通り終えることができた。
いつも通り。その言葉がここまで大切なものだとは思ってもなかった。
今朝はイチローに餌をやることも、雅雄のためにコーヒーをいれる必要もなかった。主婦としては仕事が減り楽になるのだが、やはりどこか寂しさを感じていた。イチローの餌やりはもうできないであろうが、その他の日常は少しでも早く取り戻したかった。
「おはよー」
と、礼雄が大きなあくびをしながらダイニングに入ってきた。
「礼雄、おはよう。どれどれ、お熱はぶり返していないかな?」
弥生はそういって礼雄のおでこに手をあてる。
「よし。もうすっかり治ったようね」
「うん、もう元気あよ。今日から幼稚園いける?」
「ええ。お弁当もちゃんとつくっておいたわよ」
「やったー」
礼雄は嬉しそうに両手をあげるも、不意に部屋の中をぐるぐると見回し始める。
「あれ? パパは?」
いつもならダイニングでコーヒーを片手に朝刊を眺めているはずの雅雄の姿がないので、礼雄は不思議そうな顔をしていた。
「……パパはお仕事よ。今日は早く会社に行かなきゃいけないからって、もう出かけちゃったわ」
「そうなんあー」
残念そうな声を出しながら、礼雄は自分の席についた。弥生がチョコレート味のシリアルが入った器に牛乳をたっぷり注いで彼の前に差し出すも、その表情はどこか浮かない。
そんな息子の様子にすぐに気づき、弥生は心配そうに尋ねた。
「どうしたの? 礼雄、チョコ味のコーンフレーク好きでしょ?」
「うん……」
「なあに? どうしたの?」
「ママとパパはケンカしてるの?」
近頃の両親の不仲を礼雄なりに不安に思っているのだろう。こちらを見上げるその瞳には、うっすらと涙が溜まっていた。
「……そんなことないわよ。ママもパパも仲良しだから、礼雄が心配することはないわ」
「えも、昨日もケンカしてたよ?」
寝ていると思っていたが、どうやら昨日の口論も聞いていたようだった。おそらく、内容自体は理解していないだろう。それでも、自分が不倫を疑われている話を息子に聞かれていたのは、母親として羞恥の念にかられた。
「……そうね。でも、もう大丈夫だから」
「ママ、悪いことしたの?」
「え?」
「もしそうなら、パパにごえんなさいするんあよ?」
悪いことをしたらちゃんと謝る。それは前に弥生が礼雄に向けて教えたことだった。
礼雄は純粋に二人に仲直りしてほしかっただけなのだろうが、疚しいところがある弥生には手厳しい言葉といえた。
「……わかったわ。礼雄のいうとおり、今日にでもちゃんと謝るわ」
「本当? よかったー」
礼雄はそういうと、ようやくいつもの笑顔を見せてくれた。
礼雄には謝るといったものの、過去の罪を話すわけにはいかない。だからこそ今日ですべてを終わらせるのだ。そうすれば、ケンジからの脅迫ももうこないであろうし、笹野とも会わなくてよくなる。それで雅雄も許してくれると信じていた。
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