秘密を埋める


 雲が覆っていたものの、県境の山に到着した頃には、空はすでに明るみを帯びていた。車を降りるとすぐに木と土の匂いが弥生を包み込んだ。


「よし。車ではここまでが限界みたいだから、こっからもう少しだけ歩いておこうか」


「そうね。車でこれる場所じゃちょっと不安だしね」


「でも、よかったよな。途中で掘るものが見つかってさ」


 ケンジはそういって、後部座席の葛貫の上に置いておいたスコップを取り出す。目的地に向かう途中に工事現場があったので、そこからこっそりと盗んだものだった。


「あーあ、これで私も盗人か」


「いやいや、その前に殺人鬼だから」


「あ、そうか。じゃあ、盗みくらい可愛いものだね」


「弥生ちゃんはすっかり極悪人だな。ほら、これ持って。俺はクズ公を運んでいくから」


 そう茶化しながらも、スコップを二つ差し出してくる。弥生がそれらを受け取ると、ケンジは葛貫をおんぶするかたちでかつぎ上げた。

 それから二人はケンジが先立つかたちで、整備されていない山道を奥に向かって歩き始めた。

 最初のほうこそ、ハイキング気分でおしゃべりをしながら登っていたものの、すぐに会話は途絶えることになる。

 というのも、空が明るくなってきたとはいえ、木々の隙間からこぼれる光は強くはなく、足場の悪い山道を荷物を抱え歩くのは、なかなか骨の折れる行為といえたからだ。時折、躓きそうになりながらも、二人はなんとか歩を進めていた。


 二十分ほど歩いたあたりで疲労もピークに達し、弥生は汗だくになっていた。体力はあるほうだと思っていたが、今日は人を殺したりなど精神的に疲れることも多かったので、仕方ないように思う。スコップを杖のように地面に押し当て、ふらつく体をなんとか支えていた。


「ねえ。もうそろそろいいんじゃない? こんな場所に人なんかこないだろうし」


「ん? ああ、そうだな。本当はもうちょっと奥までいきたかったが、弥生ちゃんも疲れているようだしな。この辺で埋めるとしますか」


 振り向いたケンジの顔には、弥生同様に多量の汗が流れていた。なにせ、小柄とはいえ、人ひとりを背負って山道を歩いているのだ。弥生よりも体の負担は大きいものであろう。


「ったく、思っていたよりも重くて大変だったぜ」


 背負っていた葛貫を地面に落とすと、まるで親の敵かのように思い切り蹴飛ばした。葛貫の体はぐるんと一回転すると、ひと昔前の一発ギャグのような奇妙な格好で動きを止めた。

 だが、弥生は疲れきっていたので、あえてそのことを口にすることはなかった。これから、葛貫を埋めるための穴を掘るという最後の労働がまっているのだ。無駄口を叩いてエネルギーを消耗させたくなかった。


 ケンジにスコップのひとつを渡すと、さっそく二人で穴掘り作業を開始した。

 ここまで来る道中と同様、二人はほとんど会話をすることなく、ひたすらにスコップを振り下ろした。

 だが、思っていたよりも土が固くなかなか捗らない。それでも、耕すようにスコップを地面に突き刺して、土を柔らかくしていき、少しずつ確実に掘っていった。


「なあ、弥生ちゃんはなんで母親とうまくいっていないの?」


 沈黙に耐えきれなくなったのか、突然ケンジが口を開く。弥生のほうは話すのも面倒だったのだが、無視するのも気が引けた。


「なんでって……」


「いやさ、親ってなんだかんだで大切じゃん? だからちょっと気になってさ」


「なにそれ? 親が大切って、ケンジの家だってうまくいってないんじゃなかったっけ?」


「ああ、そうだな。だけど、俺の親は最悪の人間だった」


「うちも同じ。親が最悪の人間だから」


「俺、スキンヘッドじゃん?」


「え?」


 話が急に脱線したように思えたので、弥生は思わず疑問の声をあげる。だが、ケンジは気にすることもなく続きを話し始めた。


「これさ、実は剃っているんじゃなくて、生えてこないだけなんだよね。小学生の時に親にいろんなことやられたんだよ、俺。そのストレスで毛が抜け落ちて生えてこなくなっちゃったんだよね」


 そういって恥ずかしそうに笑うも、その目は悲しげに見えた。弥生はなんと言葉を返せばいいのかわからず、ただ黙って土を掘り返していた。


「本当にひどいもんだったぜ。毎日ぶん殴られるのは当たり前。ほかにも男なのに売春させられたりしていたっけな。最悪だったよ。見知らぬおっさんにケツの穴掘り返されるんだから。ふっ、そう考えてみると、俺のゲイ疑惑もあながち間違っちゃいないのかもな」


 まるで世間話でもしているかのような口調であったが、内容は耳をふさぎたくなるほど気分が滅入るものだった。それでも、ケンジは口を閉じることなく、幼少期の壮絶な過去を語り続けた。


「あ、最悪といえばあれだな。男になるためだとかなんとかいわれて、チンコの皮をハサミで切り落とされたのが一番のキツかったかな。泣きわめけないようにタオルを口に咥えさせられて、ハサミで切られるんだぜ。ブチッという音と共に血が噴き出してきてさ、あれはさすがに途中で失神しちゃったっけな。今でもばっちり傷が残っているからさ、俺、それ以来、他人には絶対に裸を見せないようにしているんだ」


 最後のほうはケンジの声が少し震えているようにも思えた。弥生にはそれが怒りによるものか、それとも悲しみを表しているのかはわからない。ただ、弥生はそんな話をこれ以上聞きたくはなかったので「もういいよ」とぽつりとつぶやいた。


「あと、寒い冬の日に水をぶっかけられて外に放置されたこともあったな。数十分の間外にいただけで震えがとまらなくなるんだぜ」


 弥生の声が届いていなかったようで、ケンジは自分がされた虐待の話をやめることはなかった。


「それから、節約だとかいう理由で親が出した小便を無理矢理――」


「もういいって!」


 弥生はスコップで地面を突き刺すと、大声でケンジのひとり語りを遮った。これ以上は聞いているだけで気が狂いそうだった。

 ケンジは途中で話をとめられたことに怒ることもなく、ただこちらを悲しげに見つめていた。


「なによ?」


「で、弥生ちゃんの親はどう最悪なの?」


 わからなかった。

 自分がなぜ母親を疎ましく思っていたのか。葉月は仕事で家にいる時間こそ少ないものの、毎日ご飯の準備はしてくれている。お小遣いだって毎月もらっているし、好き勝手やっている今でも弥生のことを咎めたりはしない。暴力を振るわれたのだって、あの六年生の母の日のたった一回だけだ。

 そう考えると、葉月の最悪な部分などどこにもないように思えた。


「俺、弥生ちゃんの家庭事情は知らないけど、もし修復できるようなら手遅れにならないうちにしておいたほうがいいよ。親が本当に最悪でないのならだけど」


「……うん。ありがとう」


 弥生は素直に頷いていた。


 というのも、ケンジの言葉を聞いて、なんだか葉月と仲直りできるような気がしてきたのだ。今日は本当に最悪な一日だと思っていたが、今はここから人生が幸せな方向へと切り替わる分岐点のような日に思えた。


「さ、このぐらいでいいだろう。クズ公をここに落として、これで全部終わり。ジ、エーンド!」


 膝元くらいまで掘ったところで、ケンジが手を止め、わざとらしい明るい口調でいった。弥生もそれに習うように手を止めると、自分が掘った穴を確認した。

 深さこそ大したものではないが、広さは人ひとりを埋めるには十分に思えた。


 二人は穴から出ると、そこに落とすために葛貫へと近づいた。


「ねえ、この格好ってシェーのポーズになってない?」


「わ、マジだ。ははは、最後の最後に笑わせてくれるなんて、クズ公もやるな」


 穴を掘る前よりも疲れているはずなのに、葛貫の奇妙な格好を指摘することができた。体力は限界近くといえるほど重く感じていたが、気持ちがすいぶん軽くなったためであろう。これですべてが終わるという達成感と、これから生まれ変わるのだという期待感が弥生の心を躍らせていた。


「ていうか、シェーの人ってなんに出てる人だっけ? なんか有名なマンガだったと思うけど」


「バカボンじゃなかったっけ? 知らないけど」


 お粗末な赤塚不二夫トークをしながらも、ごろごろと転がして葛貫を穴へと落とす。そして、その上から掘り起こした土をかぶせていった。この作業は掘る作業よりもずっと楽で、すぐに葛貫の細身の体は土へと埋もれて見えなくなった。


「ふう。これで終わったわね」


「いやいや、死体遺棄は帰るまでが死体遺棄っていうだろ?」


「ふふふ、遠足みたいね」


「まあ、こんな遠足は二度とごめんだけどな。でも、これで弥生ちゃんとも会えなくなるのは寂しくもあるな」


「そう? 私は清々するけどね」


「うわ、ひでー」


 ケンジは言葉とは裏腹におかしそうに笑った。


「そうだ。ほら、最後にこれをもう一度やっとこうぜ」


 そういうと、ケンジは右手の小指を突き出してきた。それを見た弥生は、今度は躊躇うことなく自分の右の小指を絡ませる。

 血まみれ、土まみれの二人は山の中で再び、互いを裏切ることはしないという指切りをしたのだった。

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