出会い


 あの日は空には一日中ぶ厚い雲が広がっており、夜になっても月の明かりが地上を照らすことはなかった。それでも、街のネオンはいつも通りきらびやかな光を放ち、弥生もいつも通りその光に埋もれていた。


「あ……あの、だれか待っているの?」


 今日はお金もないので友人にでも連絡してみようかと思案していたところで、不意に声をかけられた。

 駅前をぶらついているとたまにナンパをされることがある。そういったとき弥生は、まず相手の見た目を確認して許容範囲の人間ならついていき、その日の宿を確保する。範囲外なら、もちろん無視して素通りと決めていた。


 声のする方向へ振り返り、いつも通りナンパしてきた男を見定めるように眺める。

 そこには、弥生よりも小さく、ガリガリに痩せた男が恥ずかしそうな笑みを浮かべながら頬を掻いていた。髪の毛がクルクルとウェーブをつくっているが、おそらくセットしたものではなく、ただのくせっ毛であろう。その証拠に、服装はよれよれの赤い長袖Tシャツにジーパンという、なんともセンスの欠片もない恰好であった。

 宇宙人。それがこの男の第一印象であった。そのガリガリで先のとがった顎は、オカルト番組などでよく見かけるグレイを連想させられたのだ。


 応じる応じないは別にして、声をかけられて嫌な気分になるなんてことはないと思っていた。だが、明らかに醜い相手からだと必ずしもそういう気持ちにはならないということを弥生は初めて知った。


「は?」


 無論、この頬の痩けたグレイ男は範囲外の人間ではあった。だが、こんな男に声をかけられたことに腹がたった弥生は、無視することができずにとげのある言葉で聞き返していた。


「え……えっと、も、もしも、暇なら……そ、その、お茶……」


「え? なに? キモいんだけど」


「……いや、あの、く……ケンジくんが、その……ナンパを」


「聞こえないんだけど」


「う……、ご、ごめん……」


 男は困ったように笑いながら下を向いた。


「言葉すら話せないんなら声かけんなよ、気持ちわりぃ」


 どもりながら話す仕草にますます不快感を覚えた弥生は、唾を地面に吐きつけると男を睨みつけた。

 その様子を見た男はすっかり萎縮してしまったようで、前髪をしきりにいじるだけで黙り込んでしまう。だが、その顔には弥生の機嫌を窺うような上目遣いの笑顔が張り付いたままであった。


 その笑顔は弥生の苛つきを加速させた。その顔がどこかで見たことのあるものだったからだ。


「用がないならどっか消えてくんない?」


「う……あ……う、ケンジくーん!」


 男はしばらくごにょごにょと口ごもっているだけだったが、いきなり後ろを向くと大声で誰かを呼んだ。突然の大声に弥生は一瞬たじろぐも、声の向けられた場所に目をやる。

 すると、建物の陰から別の男が現れた。


「おい、クズ公。もうギブアップかよ。本当にだらしないな、お前は」


 ケンジと呼ばれた男はニヤつきながらこちらに近づいてきてくる。スキンヘッドで掘りの深い顔が印象的な男であった。


「あ、ごめんね。迷惑だったでしょ? こんなクズに声かけられて」


 といって弥生に向けられた笑顔は、ついさっきまでガリガリの男に向けられていた見下したようなものは感じられなかった。


「あ、いえ。ただ、ちょっと用件がよくわからなかったので……」


「だよねぇ。このクズ、どもるからなに喋っているのかわかんないんだよね」


「えっと、知り合いなんですか?」


 弥生は二人の男を交互に指さしながら尋ねた。正反対の見た目の二人が知り合いにはみえなかったからだ。


「ああ、このクズ公とはトモダチなんだよ」


 スキンヘッドの男の「トモダチ」という言葉にはどこか小馬鹿にした響きを感じたが、クズ呼ばわりされれいる男のほうは嬉しそうに頷いている。弥生はこの数秒のやりとりで、この対照的な二人の男の関係性が何となくつかめた。


「本当に嫌な思いさせてごめんね。えー、自己紹介しておこうか? 俺はケンジ。で、このチビが高校の頃の同級生で葛貫くずぬき幸介こうすけ。きみは名前はなんていうの?」


「弥生」


 弥生はぶっきらぼうに自分の名前を口にする。


「……葛貫って珍しい苗字ですね? 初めて聞いた」


 弥生はケンジに尋ねる。葛貫に直接聞かなかったのは、彼に対して未だに嫌悪感を抱いていたためであった。


「でしょ? あ、さっきから『クズ』とか『クズ公』とかいっているのは悪口とかじゃなくって、ただのあだ名だからね。俺そんなにひどい奴じゃないから。――な、クズ公」


 葛貫は先ほどと同様に頭がもげそうな勢いで、細い首をコクコクと縦に振っている。

 この葛貫という男はケンジにとって従順な犬のような存在なのであろう。その媚びを売るような笑顔がそれを物語っていた。


「それで、その葛貫さんが私になんの用なんですか?」


「ああ、そうだったね。こいつが女の子と付き合ったことないっていうから、ナンパのしかたを教えてやってたんだ」


 ケンジは葛貫を顎で指すとクククッと喉の奥で笑う。


「それで、実践してみようってことになって――」


「つまり、私がそのクズ公のナンパ相手に選ばれたわけですね」


 クズ公と呼ばれたことに葛貫は驚いたような顔をしていた。だが、すぐに照れたように笑い、こめかみあたりを掻きはじめる。どうやらポジティブに解釈したらしい。


「あははは、弥生ちゃんもいうねえ。それじゃあ、お詫びといっちゃなんだけど、食事でもおごるよ。どう?」


 ケンジは心底おかしそうに笑った後に、囁くように弥生を誘ってきた。

 おそらく、ケンジは初めから葛貫のナンパなどどうでもよかったのであろう。ただ葛貫をバカにするために手伝っている振りをしていたに違いない。もしかしたら、ナンパに失敗したところで自分が出ていきこうして誘うのも、最初から計画していたことなのかもしれない。

 そう予想をしてみたものの、だからといってケンジへの嫌悪感が芽生えるということはなかった。というのも、隣にいる葛貫という男があまりにも弥生のかんに障るのだ。見た目も性格も生理的に受け付けられない人間が、他人にバカにされているのを見たところで、なにも感じるわけがない。むしろ、バカにされているのにも関わらずヘラヘラしている葛貫のほうに苛立ちがつのっていた。


 それに、ケンジは眉毛すらなく厳つい印象こそあったが、日本人離れした濃い顔は合格点を十分に上回っていたし、財布が寂しい弥生にとって夕食付きというのも魅力的な話でもある。そういった点を見ても、家に戻るという選択よりもケンジの誘いに乗るほうが賢い選択に思えた。


「いいですよ。一晩泊めてくれればもっといいですけど」


 弥生は今晩の寝床の確保をすべく自分の案を告げる。

 その言葉聞いたケンジは、誘う手間が省けたとばかりにピューッと口笛を鳴らした。


「オーケー、オーケー。弥生ちゃんのためなら部屋のひとつやふたつすぐに用意しちゃうよ」


「本当ですか? 助かります」


「じゃあ、早速どっかメシでも食いにいこうか。どこでもいいよ。どうせ、クズ公が払うから」


 そういうとケンジは、葛貫のモヤシのように細い腹をボスボスと軽く殴った。それに対し葛貫はくすぐったそうに身をよじる。その仕草は、うねうねと蠢く芋虫を連想させられた。


「え? この人もついてくるんですか?」


「ああ、クズ公のことは気にしないで。どうせたいして喋れなし、俺の財布くらいに思ってくれればオーケー」


「はあ」


 曖昧な返事をしたが葛貫と食事するのはやはり気が進まなかった。

 葛貫を見ていると過去の自分を連想させるのだ。

 先ほどから何度も見せている媚びるような笑み。

 あれは、とにかく人に嫌われたくなくて顔に嘘の笑みを押しつけているのだろう。かつての弥生がそうしていたように。だが、そんなものでは人の心を惹くことなどできない。


 事実、弥生はその笑みを作ったことによって、母との間の溝が深まってしまった。葛貫のそれだって効果をなしているとは思えない。ケンジは彼をただの『おもちゃ』としてしか見ていないようだし、ほかに彼を慕っている友人など到底いるとは思えなかった。

 しかし、彼は信じているのだろう。作り笑いをし続けていれば、いつか本当の笑顔を手に入れられると。少なくとも小学生の頃の弥生はそう信じていた。

 同じことをしていた過去の馬鹿な自分を見せつけられているようで腹立たしかった。


 それでも弥生が葛貫の同伴に強い否定を示さなかったのは、腹立たしさよりも、腹の減りのほうが上回っていたからに違いなかった。

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