自己紹介


 近くのファミレスに入って、三人は改めて簡単な自己紹介をした。

 ケンジと葛貫は二人とも二十三歳で、フリーターをしているということだった。


 食事中、基本的に弥生とケンジの二人で話しているだけであった。だが、ケンジは時折、思い出したかのように葛貫を馬鹿にしてからかっていた。葛貫のほうはそれに対し、ヘラヘラと笑うだけで、その反応を見る度に弥生は、内側から頭蓋骨を引っ掻かれているような感覚になっていた。

 それでも、いまさら帰るわけにもいかないので、頼んだフィレステーキを噛みちぎりながらその不快な気持ちをなんとか静めていた。


「へー、弥生ちゃん。お母さんとの関係あんまりよくないんだ?」


 たばこに火をつけながらケンジは尋ねる。

 なんであんな時間に駅前でブラブラしていたのかという質問から、母との仲の話をしざるを得なかった。


「仲が悪いっていうか、互いに無関心ていう感じ」


「それを一般的には仲悪いっていうんだよ」


 そういうとケンジは明朗に笑う。


 普通、そんなこと言われたら腹が立ちそうなものだが、ケンジの子どものような無邪気な笑顔は、それをいくらか緩和させた。


「そう? そういうケンジはどうなの? 見た目は親を散々困らせてきた感じに見えるけど」


 会った当初より言葉がだいぶ砕けているのは、ケンジ自身が敬語を使われるとむず痒くなるからやめてくれといったためである。ただ、ケンジが会話のしやすい気さくな性格だったので、要望がなくても自然とフランクな関係になっていたのは容易に想像できた。


「おー、痛いとこついてくるねー。確かに、弥生ちゃんのところよりもひどいかな。俺、高校卒業してから親と会ってないもん」


「へー。仲良くないんだ?」


「ああ、そりゃもう。両親ともにアル中だったからさ。ガキのころなんて訳もなくボコボコにされてたよ。ま、高校くらいからは、逆に俺がボコボコにしてやってたけど」


 そういうとたばこの煙を吐き出す。


「おやじなんか今まで散々殴りとばしてきたくせにさ、俺がやりかえすようになってから、家では俺の目を気にしながら生活するようになったんだぜ。ケッサクだろ」


「えー、不良」


「こんな夜遅くに街を出歩いている子もよっぽど不良だって」


「う……。まあ、そういわれたらなにも言い返せないけど」


 そういうと、弥生は拗ねたように唇をすぼめる。それを見たケンジはケラケラと声を出して笑うので、つられて弥生も思わず吹き出してしまった。


「あー、そういや、こいつも親と上手くいっていないんだよ」


 ケンジは思い出したかのようにそういうと葛貫を顎でさす。


「母親に大学に通っているって嘘をつき続けててさ、その入学金とかなんやら全部、自分の懐にしまってたんだよ。でも、ついこの前にそれがばれちゃって、ママに勘当されちゃったんだよ。そうだよな?」


 話を振られた葛貫はなぜか誇らしげに頷いている。だが、なにか話し始めるでもなく、再びケンジが説明を始めた。


「親からくすねた金がたんまり残っているから、こいつ超金持ちなんだよ。で、俺はこいつのトモダチだからさ、いっつもおごってもらっているってわけ」


 そういって浮かべた笑みは、つい先ほどみたそれとは真逆の暗いしたたかなものであった。

 そんな笑顔を見た弥生は、もしかしたら、葛貫が大学と偽ってお金をちょろまかしていたのも、ケンジが彼にそうしむけたことなのかもしれないと思った。

 それでも、ケンジに苛立ちや嫌悪感を覚えることはなかった。無邪気な笑みと、したたかな笑み。どちらもケンジの本物の笑顔だったからであろう。それが、作られた笑顔しかできない葛貫との決定的な差のように思えた。


「ふーん。勘当されたってことは、あんた一人暮らししているんだ?」


 弥生は、ファミレスに入ってから初めて葛貫に直接に話題を振った。こんななにもできなさそうな男が、ひとりで暮らしているなんてにわかには信じられなかったからだ。


「ひ……ひとりじゃ、な……ないよ」


 久しぶりに聞いたその声は、やはりつっかえつっかえで聞き取りにくかった。


「なんて?」


「い……いやぁ、今はケンジくんと、ふ……ふたりだよ」


「は?」


「ケ……ケンジくんと一緒に、す……住んでいるんだ」


 葛貫は相変わらず気味の悪い笑みを浮かべたまま答える。弥生はその言葉の意味を理解するのに数秒の時間が必要だった。


「え? ケンジってこいつとふたりで住んでいるの?」


「あれ? いってなかったっけ? クズ公とふたりでマンションに住んでいるんだよ。これから弥生ちゃんも行くっしょ? なんなら三人で住んじゃう? 親から嫌われている仲間でさ」


 そういうとケンジは喉の奥でクククッと音をたてて笑った。


「もしかして、ケンジってそっち系の人?」


「そっち系って……ゲイってこと?」


 すると、今度は声に出して大笑いし始めた。


「はははは。ないない。仮にそうだったとしても、クズ公はないわー。クズ公にぶち込むくらいなら、蟻の巣にでも突っ込むほうがまだマシ」


「じゃあどういうこと? 私、三人でしようっていうんなら帰るよ」


 ケンジにだけ聞こえるようにこっそり耳打ちをする。


「心配しなくてもそんなことしないって。さっきもいったけど、あいつは俺の財布みたいなもんだと考えてくれればいいから」


 ケンジは葛貫にも聞こえるくらいの声で返した。

 それを聞いても葛貫の顔に張り付けられた薄ら笑いは消えない。それどころか、照れたようにくせっ毛の髪をいじっている。


 弥生はその仕草を見たせいか、フィレステーキなんて重たいものを食べたせいかはわからないが、消化液が沸騰するような胃のむかつきを覚えた。逆流しそうな胃液をグラスの水を飲んで押し戻すと、お前のせいだと言わんばかりにギロリと葛貫を睨みつける。

 そんな弥生に対して、葛貫は恐怖のためか少し目尻がピクピクと痙攣させながらも、にやけ顔が崩れることはなかった。


 認めたくはないが、やはりこの男は昔の自分に似ている。

 弥生はそう思うと、ふっと短いため息をつく。そして今度は一転し、渾身の作り笑顔を葛貫に向けてやる。


 葛貫は一瞬驚いた表情を見せたものの、すぐに弥生の作ったものと同じ程度の笑顔を返した。作り笑顔が対するなか、弥生は彼らの住まいについていく決意をした。

 昔の自分にどこか似たこの男がいったいどんな生活を送っているのか確認してみたくなったのだ。もし、自分が作り笑いの仮面をつけたまま生きていたらどうなっていたのか。彼の生活を見ることでそれがわかるかもしれないと思っていた。

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