母
アンテナさんからようやく情報を聞き出し自宅に戻ると、リビングにある電話の不在着信のランプが赤く点滅していた。確認をしてみると、相手は弥生の母である
葉月は、ここから電車で三時間近くかかるところに住んでいる。初孫の礼雄が産まれてからは、そんな距離を物ともせずに、数ヶ月に一度は渋谷家へと遊びに来ていた。それでも物足りないのか、礼雄の声を聞くための電話は週に数回はかかってきていた。
普通だったら、親がそんなに関わってきたら、疎ましく思ってしまうものなのかもしれない。だが、弥生は、葉月が自分達のことを気にかけてくれることを嬉しく思っていた。
母が礼雄がいない午前中に電話をかけてくるなんて珍しいなと思いながら、弥生はすぐに折り返しの電話をかけた。
「もしもし、弥生?」
電話の前で待っていたのか、葉月はワンコールででた。ただ、その声はどこか低く、落ち込んでいるように感じる。
「うん。なんか電話くれたみたいだけど、どうしたの?」
「そうなのよ。ちょっと気になることがあって……」
気になること。なんだか嫌な予感しかしなかった。
「え、なに? 気になることって」
弥生は、ごくりと生唾を飲み込んで葉月の言葉を待った。
「……あなたのところに同窓会の案内って届いた?」
「へ? 同窓会?」
どんな話かと身構えていたら、大した話ではなさそうで拍子抜けしてしまう。
「同窓会って高校の?」
「そう。高校の」
「えー、そんなのあったかな」
弥生は受話器を肩にはさみながら、最近の郵便物などが入っている引き出しを開けた。ふと、なにも書かれていない茶封筒、つまりケンジからの脅迫状が目に入る。途端に陰鬱な気分になってしまうが、それでも葉月のいっていた同窓会の案内を探すために、それを無視して郵便物を漁った。
「んー、届いてないみたいだけど」
「やっぱり……」
「やっぱりってどういうこと? お母さんのほうに届いてるの?」
「違うの。もう二週間くらい前になるんだけど、電話があったのよ。あなたの高校の同級生だっていう男の人から。それで、同窓会の案内を送りたいから、弥生の今の住所を教えてほしいっていわれたから、教えちゃったのよ」
葉月は泣き出しそうな声で続ける。
「でも、よくよく考えたら、弥生って高校の友達と今でも頻繁に連絡を取り合ってるみたいだから、わざわざ実家に現住所を確認するのも変だなって思って。だから、あなたに確認してみようと思って電話したの」
ゾクゾクと背筋に冷たいものが走った。
どうやら、さきほどの嫌な予感は当たっていたようだ。
ケンジだ。確証はないがそうとしか考えられなかった。
ケンジと初めて会ったあの日。どこに住んでいるかなどは話したような気がする。ケンジもきっとそれを覚えていたのであろう。そこで同級生のふりをして、母から現在の住所を聞き出したに違いない。
「案の定、同窓会の案内は届いてないっていうし……。変な人とかが訪ねてきたりしなかった?」
葉月はケンジのことなど知らない。もちろん、自分の娘が人を殺したこともだ。だから、ケンジのことは相談するわけんはいかなかった。なにより、そんなことを相談して母との関係が以前のようにギクシャクするのは避けたいところだった。
「ああー! ごめんごめん。同窓会の案内届いてたや。でも、日にちがさ、ちょうど家族で出かけようとしてた日だったから欠席することにしたんだよね。だから、すっかり忘れちゃってたよ」
もう母に心配をかけたくない。その強い思いから、弥生は適当な嘘を葉月に告げた。
「そうなの?」
「うん。もー、本当にお母さんは心配性なんだから」
「ああ、よかった。私、変な人に弥生の住所を勝手に教えちゃったのかと思って、ドキドキしちゃった」
葉月は改めて「よかったー」といいながら、安堵のため息をついている。弥生のほうはというと、受話器を握る手からぬるぬるとした汗があふれていた。
「ごめんね。変なことで電話なんかしちゃって」
「うん。礼雄がいない時間にかけてくるから、なにごとかと思っちゃったよ」
「――そういえば、礼雄ちゃんも来年は小学生よね。大きくなった? 今度のお盆休みはこっちに帰ってきてくれるのよね? 礼雄ちゃんに会うの楽しみだわぁ」
葉月はすっかり安心しきったようで、いつもの孫の成長を楽しみにしているおばあちゃんの声に戻っていた。
今は動揺している場合ではない。母に不信感をあたえないように、いつも通り話しをしなければならなかった。
「楽しみって、ゴールデンウィークのときに会ったばっかりじゃん」
「なにいってんのよ。子供なんて、特に礼雄ちゃんくらいの歳の子なんて、数ヶ月でびっくりするくらい成長しているものなんだから」
「一歳二歳ならまだしも、もう六歳だよ。そんなにたいした変化はないと思うけどなー」
「あなたは毎日一緒にいるからわからないものなのよ」
「そういうものなのかな? じゃあ、今度のお盆休みは楽しみにしていて」
「もちろんよ。あ、それから、近所の人からみかんを沢山いただいたのよ。でも、ひとりじゃ食べきれないから、そっちにも送るわね」
「本当? 礼雄、みかん大好きだからきっと喜ぶわ」
「……弥生」
弥生はなんとか普段通りの会話をこなしていたのだが、葉月が不意にまじめな声を出す。
「ん? なに?」
「私は、小さい頃のあなたになにもしてこれなかった。だから、あなたが本当に困ったときはすぐにいってね」
母からの突然の言葉に弥生は泣きそうになった。それでも、その涙をぐっとこらえると、努めて明るい口調で言葉を返す。
「なにいってるの。昔のことは私だって悪かったんだし、もうお互い気にしないって約束でしょ」
「そうね。でも、私は弥生のお母さんだから。それだけは忘れないでね」
「うん、ありがと」
夫と息子の関係だけでなく、母との今の関係も絶対に壊すわけにはいかないと思った。幼い頃の弥生がどうしても欲しかった幸せなのだから。
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