ボディーガード


 セミの声が耳につくなか、弥生は礼雄を連れて笹野の自宅へと向かっていた。

 自分ひとりで出歩くならまだ問題ないのだが、息子もいるとあって、最大限に周りを警戒しながらの通行となっていた。


「どこに行くのー?」


 手をつなぎながら歩いていた礼雄が不意に尋ねる。


「笹野さんのお家よ」


「笹野さん?」


「ほら、昨日きたおまわりさん」


「笹野さん!」


 礼雄は理解したらしく、嬉しそうに「笹野さん」と繰り返している。

 笹野のほうも、電話で母親が入院したので息子を預かってほしい旨を伝えると、こころよく引き受けてくれていた。なので、安心して礼雄を任せることができそうであった。


「礼雄とママと笹野さんの三人え遊ぶの?」


「違うわよ。おばあちゃんが入院しちゃったから、ママはそのお見舞いにいくのよ」


「えー。おばーちゃんのお見舞いに礼雄もいきたい」


「だーめ。礼雄はまた今度、夏休みにはいってからいきましょうね」


「はーい」


 少し不満そうな顔だったが、そういって、手をつないでいない左腕を垂直にのばした。


「笹野さんに迷惑かけちゃだめよ」


「うん!」


「いい子にしてたらおみやげ買ってきてあげるからね」


「本当? 礼雄、ケーキがいい」


「えー、ケーキ? うーん、風邪ひいている間はおやつも我慢してたから、今日だけ特別よ。パパには内緒だからね」


「やったー!」


 弥生は、ケンジに襲われるかもしれないという緊張感の中でも、息子の満面の笑みを見ていると、ついつい頬が緩んでしまっていた。

 そんな安らぐ息子とのやりとりをいくつか重ねていると、すぐに三角公園の前にある笹野の家へと着いた。

 相変わらず家の壁はくすんでおり、見た目からして渋谷家よりも防犯という面では期待できそうにもなかった。それでも、中には元刑事という肩書きのボディーガードがいるのだ。笹野なら礼雄を守ってくれるのは間違いないように思えた。


「やあ、いらっしゃい」


 呼び鈴を鳴らすと、笹野はすぐにいつもの優しそうな笑みで出迎えてくれた。


「笹野さん、こんにちはー!」


 礼雄は、小林先生にするように深々と頭を下げると、元気な声で挨拶をした。


「こんにちは礼雄君」


「すいません。急に無理をいってしまって」


「気になさらないでください。少しでも渋谷さんの力になれたらいいと思っていますから」


「ありがとうございます。礼雄、ちゃんと笹野さんのいうこと聞くのよ」


「うん。……入っていい?」


 家の中を指さしながら笹野に尋ねる。


「ははは、どうぞ。老人ひとりで生活している家だから、おもしろいものなんかはないと思うけど」


「わーい」


 礼雄は滑り込むように笹野宅へと入っていった。


「こら。おじゃましますでしょ」


 弥生の声にも反応せず、礼雄は靴を脱ぎ捨て部屋の奥へと消えてしまった。笹野は、そんな礼雄を見ても微笑みを絶やすことはなかった。

 とはいえ、弥生としては自分のしつけが行き届いていないのが見られたようで、なんだか恥ずかしい気持ちが心を占めていた。


「すいません。ご迷惑おかけしてしまうかもしれませんが、どうぞ礼雄のことよろしくお願いします」


「ははは、構いませんってば。それに、私の子どもがちょうど礼雄君くらいの時に離婚してしまったので、彼を見ていると我が子のように思えるんですよ」


「そう……ですか」


 返答に困った弥生の様子を見て、笹野は慌てて謝罪の言葉を口にした。


「いや、申し訳ない。勝手に自分の子供と重ねてしまって。こんな老いぼれの子供とご子息を一緒にされては、気分がいいものではありませんよね」


「とんでもないです。礼雄のこと自分の子どもと思って接してやってください」


「ありがとうございます。しかし、ここまで歳の差があると、子どもというより孫になってしまいますな」


 笹野は自嘲気味に笑うと、ぽりぽりと頭を掻いた。


「まあ、その初孫を退屈させないように努力しますよ」


「ふふふ、お願いします。そうだ、これをお渡しておきますね」


 そういって弥生はハンドバッグからDVDの入ったケースを取り出すと、笹野へと手渡した。


「これは?」


「礼雄の好きなアニメのDVDです。困ったらこれを見せておけば、おとなしくしていると思います」


 笹野はそのDVDケースを珍しいものをみるかのように興味深げに眺めて、時折「ほお」や「なるほど」と納得したようにつぶやいていた。


「あ、それと、これ……」


 ハンドバッグの中からもうひとつ渡さなくてはならないものを取り出すと、笹野に見せた。


「これが、四通目の脅迫状ですかな」


 差し出された茶封筒を見て、笹野はの顔は一瞬で刑事のそれへと変わっていた。


「ええ。今日、郵便受けに入ってました」


「――地獄を見せてやる。ですか」


「はい。それで、電話では母親が入院したとだけ申しましたが、実は、母は階段から落ちて足を骨折したんです。私は、それをケンジがやったんじゃないかと考えているんです」


「そんな馬鹿な」


 弥生の言葉に、笹野は驚いた表情を返した。


「といいますと?」


「いえ……、今まではじわじわと恐怖を煽るように脅迫状を送ったりしていたわりには、なんというか、いきなり人に危害を加えるようなことをやるとはとても思えなくて」


「でも、実際起きたわけですもの。ケンジが本気になってきているのかもしれません」


「……そうですな。それならば、渋谷さんも十分に気をつけてください。いつどこで狙われるかもわかりませんからな」


 そういった笹野の顔は、娘を心配する父親のそれに見えた。


「はい、私は大丈夫です。元はといえば私が蒔いた種ですから。それよりも、礼雄のことをよろしくお願いします。もちろん、笹野さんがいらっしゃればケンジも手出しはできないとは思いますが、心配なもので」


「まかせてください。こう見えても元刑事ですから」


 そういって自分の胸をドンと叩く。

 小柄な笹野であったが、その仕草はとても頼もしく、弥生は安心して母の元へ向かうことができると思った。

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