首のない父親
電話をかけてきたのは笹野だった。
弥生が昨日の三通目の脅迫状と、つい先ほど発見したカラスの死骸の件について話すと笹野は困ったように「うーん」と唸り声をあげた。
「なんと。そんなことがあったなんて……」
「実はそれだけじゃないんです」
「え? それ以外にもなにかあったのですか?」
「はい。どうやら昨日の昼過ぎにケンジが家に侵入したようなんです」
「そんなバカな……」
弥生の話を聞いて笹野は驚きを隠せないようで言葉に詰まっていた。
「私が家を空けている間に侵入して、息子の礼雄と接触したようなんです」
「ふむ……、渋谷さんが出かけている合間に息子さんが……」
笹野は考えを巡らせているようで、弥生の言葉をひとり繰り返していた。
「今日、うちに来ていただけるという話でしたが、昨日そんなことがあったばかりなので、なるべく早く来ていただけないでしょうか?」
「それはもちろん構いません。ただ、ケンジが侵入したというのは本当なんですか? 申し訳ないが、私にはそれが信じられないんですよ。なにせ、鍵を交換したばかりのはずではないですか」
「だからこそ不安なんじゃないですか」
「ええ、まあ、そうですよね。しかし、息子さんしか見ていないんですよね? なにかの勘違いという可能性はないんですか?」
「いいえ、それはないと思います。だってはっきり、禿のお兄ちゃんと一緒にいたといっているんですよ。そんな具体的なこというなんて、嘘や見間違いってことはないと思うんです」
「ふむ……なるほど、その通りですね。わかりました。では、本日の午前中――10時頃にそちらに伺わせてもらうということでよろしいですか?」
「ええ。ではその時間でお願いします。本当にわがままなことばかりいってすいません」
「いやいや、そんな気を使わなくて大丈夫ですよ。私のほうこそ力になるとかいっておきながら、昨日、一昨日と私用を優先してしまってましたから」
声だけではあったが、笹野が申し訳なさそうに自分の頭を掻く姿を容易に想像することができた。
「それに、私としてもケンジの侵入経路は気になるところですから」
「そうなんですよね……。どうやって入ったかわからないから、家の中にいても不安で、不安で……」
「そんなに心配そうな声を出さないでください。私が必ず真相を突き止めますから」
笹野はそういって励ましてくれる。
その声は優しく、まるで頭をよしよしと撫でてくれているようだった。
それは弥生の記憶の中に眠るおぼろげな父親の姿を思い出させた。
弥生が小学生の頃にはすでに両親は離婚していたので、幼稚園の頃の記憶であろう。その記憶の中の父親は、スーツ姿でちょっとお酒のにおいがする人だった。ただ、曖昧な記憶のためか顔だけは思い出すことができず、その人の首から上はもげたようにない。
その顔のないスーツ姿の父親が、泣いている弥生に対して「いい子だから静かにするんだよ」といいながら優しく撫でてくれるのだ。記憶の中の弥生はくすぐったそうに身をよじろうとするものの、頭の上においてあるその人の左手がごつごつと大きくて結局は動けない。でも、その暖かな手のせいか、弥生はいつの間にか眠ってしまっていて、最後は母親である葉月の声で目が覚める。
これが弥生にとって唯一の父親と過ごした記憶だった。断片的な記憶なので、その人が本当に父親かは定かではない。そもそも、記憶ですらなく、ただの幻想という可能性もある。
それでも、その首のない男性こそが弥生にとっての理想の父親であった。
「渋谷さん?」
電話口の笹野の声にはっと我に返る。
「あ、ごめんなさい。少しぼーっとしてしまって」
「昨日そんなことがあってお疲れなのでしょう。あんまり無理をなさらないでくださいね」
笹野は心配そうにいった。
「ええ。ありがとうございます」
本当に父親みたいな人だ。
首から上がない父親に、笹野のような人の顔が乗っていればいいなと本気で思っていた。
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